vol3
こんな日々が、ずっとずっと続くのかと思っていた。
だが意外と早く、終わりを告げた。
――僕にとってだけ、だったけれど。
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一週間。
一週間だけは、普通だった。だが次第に、健太が危惧したとおりにガタが出始めた。
まずは、学校。
欠席者が多くなり、体調不良を訴える者も多く出始めた。
そして、生物が活動しなくなり始めた。
庭に生えた観賞植物はすぐに枯れた。
野菜は、次第に取れなくなった。
一週間経った今では、しぶとい道端の雑草も元気をなくし、枯れ始めた。
虫や小動物も見掛けなくなった。いるのは蝙蝠や猫など、夜行性の生き物ばかり。否、それすらあまり見ない。
滅亡、そして、終焉。
人々の胸の内にはそんな不安が芽生え始めていた、そんな時のことである。
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健太は、森公園にいた。
完全に惰性の習慣である。
欠伸(時間間隔が狂って、本来眠たくないはずの時間帯でも眠たくなるのだ)をしつつ、木を登る。
登れるところまで登り、立ち上がった所ですぐに降りて行く。
と、不意に物音が聞こえた。
人が森に踏み入る時の、ガサゴソという音だ。
誰か来たのだろうか。
もう少し下の方の枝へと移り、飛び降りても怪我のしなさそうな位置から、地面に飛び降りる。
そこにいたのは、女性だった。
歳は、二十代前半位だろうか。
頭の下の方で、焦げ茶色の髪の毛を一括りにしている。
ジーンズにTシャツという、ラフで簡単な、悪く言えば地味な出で立ち。手には丈夫そうな生地で出来た、無地の大きなトートバック。
健太が飛び降りた音を聞いて振り返った化粧っ気の薄い顔には、驚きが浮かんでいる。無理もない。誰もいなかった場所にいきなり人が現れたのだから。
少し気まずい沈黙。
暫くして。
「健太?」
「ナズナ?」
二人は同時に口を開き、その問いの正しさをお互いの台詞で知った。
そして、顔を綻ばせるのだった。
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七、八年ぶりだろうか。
長い時間を措いて久し振りに再会したナズナは、大人っぽくこそなっていたものの、面影はしっかりと残っていた。
「ひさしぶり……です?」
「今更敬語つけなくていいわよ。なんか変な感じするじゃない」
くすくすと笑うナズナ。
健太は、顔を赤くする。
「ところで、どうしてここに来たの?」
「仕事よ」
「仕事?」
「ええ」
ナズナはここで言葉を切り、真剣な顔をして見せた。
「あなたに、協力を乞いに」
と。
「僕に?」
「ええ。というのもね……」
ナズナはそう前置きして、語り始めた。
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今から中二病っぽい話するけれど、本当の事だから信じて欲しい。
わたしは中学生のころに、ある組織に入ったの。その辺の経緯はあまり関係ないから省くわね。
で、どんな組織かというと、様々なトラブルを解決するための、極秘の国連組織よ。ね、中二病でしょ。良く言えばアメコミかしらね?
まあトラブルといっても多岐に渡るけれどね。ご近所さんの騒音問題から、地球滅亡に関する事まで。
それでわたしが組織に入った直後に、明けない夜を作ろうとしている人たちがいると分かったの。そこで、わたしがその『明けない夜』制止作戦に参加することになった。
その時期に家の都合で引っ越すことになって、ここには帰ってこられない事になってしまったの。わたしが独り立ちするまではね。
それが、健太と会わなくなるまでの話。
引っ越してからも組織としての活動は続いたわ。明けない夜は、何度か妨害出来たけれど、その度に彼らは諦めずに何度も何度も挑戦し続けて、それで今に至る、というわけ。
健太と最後に会ったとき、わたしは『明けない夜が来たときには、また会える』と言ったわよね。実はその時から、組織はあなたをスカウトしようとしていたの。だからわたしはあんな事を言ったってわけ。
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「…………」
健太は、何も言えなかった。
「そう、今日ここに来たのは、もしかしたら健太に会えるかなって思ったから。まあ忘れている可能性も無きにしも非ずだったけれど、わたし、健太の家知らなかったから、取り敢えず思い出の地に行くのもアリかな~って。結果は、この通り」
「何で、僕を……」
「スカウトしようとしていたかって? 仕事の性質上、やっぱり人と協力することが求められるのよね。だから信頼できる人を候補として挙げることができるわけ。そこで、わたしも候補を挙げたわけよ。健太、あなたをね。その後スカウトする為には、また色々審査が必要になるんだけど、わたしたちが最後に会った日の時点で、健太は年齢以外はクリアしていたのよ」
「は、はあ……」
ナズナの、紅の薄い唇から、次々と言葉が出てくる。
「組織に入るかどうかは、いつでも返事をくれればいいし。明けない夜をどうにかしたいだけならすぐに抜けるのもアリ。明けない夜を僕なんかにどうにか出来るはずないってなら、入らなくてもいい。もっと先、就活に行き詰ったときにも、また連絡して貰えればいい」
そう言ってナズナは、
「今携帯かスマホ持っているのなら、今からメアド言うからそっちのメアド送ってくれない?」
と、スマホを出した。
「あ、分かった」
健太は言われた通りにメールを送った。
「じゃあ、今日はこの辺で。考えが纏まったらまた連絡してね。本当はもっとお喋りしたかったけれど、生憎この後も仕事があるのよ」
「そう……。あの、またね」
「うん、またね」
ナズナは微笑んで手を振った。
健太も微笑み返して手を振った。
暫くして、
「……よし、帰ろう」
健太はそう呟き、歩き出した。
本来言わなくてもいい言葉なのだが、混乱している所為で、何か口に出さないと叫び出してしまいそうなのだ――もとい、内心では絶叫している。どうなってんの、これ!? と。だから自分が何を言ってるのかよく分かっていない。
帰宅し、スマホにナズナのメアドを登録する。
ソファーに仰向けに寝転がり、頭を抱える。
「どうすればいいんだよ……」
思わずか故意か、健太は呟いた。
――正直言って、ナズナの話は奇想天外過ぎて信じられない。けれど、『信じて欲しい』と言われた。僕を射抜くかのような真剣な目で。
埒が明かないので、ナズナの話を本当だと仮定しよう。
だとしたら、僕はどうすべきだ?
組織に入って明けない夜を明けさせるべきか?
それとも、このままナズナに連絡せずに、誰かがどうにかしてくれるのを、若しくは地球が滅亡するのを待つか?
良識に照らし合わせてみれば、答えは簡単。組織に入る。
けれど、自分の臆病だが危険を回避するためにある本能に従えば、組織に入らないという答えが出る。
「どうすればいいんだよ!」
もう一度、同じ言葉を言う。
だが、当たり前なことに、答えは無かった。
******
次の日、学校でも健太はずっと、ナズナにどう返事をすべきか迷っていた。
翔生は健太に話しかけるも、生返事しか返ってこないので、そうそうに喋るのを諦めた。
健太がハッと気づくと、そこは森公園のあの場所の、木の上だった。
また無意識かよ……。
溜息をつく。
さっさと帰ろう。まだ返事も決まってないし。
木から降りて、早々に退散しようとしたその先に、ナズナがいた。
「健太。返事は決まった?」
手を挙げながら、ナズナが問う。
「ごめん、まだ……時間掛かりそう」
「そう。ごめんね、急かしちゃって」
「大丈夫。気にしないで。なるべく早く返事するから」
「そんな急がなくて平気よ」
「ありがとう」
にっこりと微笑むナズナに、日本人の性とも言うべき、あまり必要ない礼を言う健太。
「あーそうだ、この後時間ないかな?」
とナズナが聞く。
だが、時間はあるが、一人になりたい気分の健太は、
「ごめん、ちょっと無理」
と嘘をついた。
「分かったわ。それじゃあまたね」
ナズナはあっさりと引き下がり、手を振った。
健太は拍子抜けした。
時間がないのに何故森公園に来たのかを聞かれるかと思っていたからだ。
ナズナは、実は分かっていた。だが、分かり切った事を聞くつもりはないし、健太が戸惑う事くらい見通せるから、聞かなかっただけだ。
健太はそんなことも知らずに、
「じゃあ」
と手を振った。