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第8話 恐怖の魔王様

本日二話目の投稿。




「ううっ、どうしよう……」


 着替えを済ませ、綺麗に畳んだクロノスの上着を手に初めて訪れるクロノスの執務室の前で私は逡巡を繰り返していた。

私の知る常識では、男性というものは仕事の場に女性が足を踏み入れるのを極端に嫌う。


 文字通り、部屋の前で行ったり来たりを繰り返し、さっきから扉の脇に控えている衛兵さんの視線が痛い。


 実のところ、常識云々よりも問題は他にあった。

叱り飛ばして追い出した手前、どんな顔をして訪ねていけば良いのかがわからないのだ。

部屋に着くまでに心の準備をしようと飛び出したものの、心が定まらないうちに到着してしまった。


 そうだ、上着なんてクロノスは腐るほど持っているに違いない。

今ごろきっと、別のを着て政務に励んでいるはずだ。


 考えれば考えるほど、先延ばしにする方法や、返さなくていい理由ばかり並べ立ててしまう。


「ダメ、やっぱりお昼に……」

「セラフィ様、お入りになられないのですか?」


 踵を返そうとした私を見かねたように、アエリアが声を掛けてくる。

そうだ、何も直接渡さずとも誰かに託してしまえばいい。


「アエリアさん、これをクロノ……いえ、陛下に渡してもらえませんか?」

「申し訳ございませんが、それは出来ませんわ。私などが政務中の陛下の御前に姿を晒すなど、恐れ多くて……」


 名案だと思い、さっそくアエリアさんに頼んだ私は、断られる可能性など微塵も考えていなかった。

ところが彼女は、胸に抱えていたクロノスの上着を差し出した瞬間、サッと顔色を変えてブルブルと身震いをし始める。


 それならと、ドアの脇に立っていた衛兵さんに頼んでみたけれどやはり同じ反応で、青い顔をしながら頑なに拒まれてしまった。

彼らが揃って口にするのは、「恐ろしい」「とんでもない」だ。


 そんなに大変なものを私は借り受けてしまったのだろうか?

こうまで嫌がられると、何か悪い事をしてしまったようで、申し訳ない気持ちになってしまう。


「あの、いったい何をそんなに怖がっているの?」

「これは巷で有名な噂話なのですが、陛下はご自身とご自身の持ち物に他人に触れられるのを極端に嫌われるそうです。陛下のお世話係の者も、一切何もさせてもらえないそうで……」

「お仕事中の陛下は、物凄く不機嫌なんですよ。私は直接そのお姿を拝見した事はございませんが、眉間に深い縦皺が刻まれていて、鬼気迫る勢いで書類を処理されているとか。いや、陛下はだいたいいつもしかめ面なんですけど……」

「ええと、つまりは……。クロノスが怖いから近付きたくないと?」


 要約して確認を取る為に問い返せば、二人が深く頷く。

ええと、こういう時は何と言えばいいのだろうか?


「私の知っているクロノ……陛下とかなりイメージが異なっているような気がするのだけれど。人の部屋に忍び込んだり、色々と困ったところはあるけれど、優しいし、紳士的だと思うわ」


 少なくとも、クロノスは私に触れられても嫌がるどころか、自分からベッタベタと触りに来るし、だいたいが蕩けそうな笑みを浮かべている。

アエリアさんたちが語る噂の陛下とはまるで別人のようだ。


「それは、セラフィ様が陛下に愛されておいでだからですわ」


 何かの間違い、噂話がデタラメなのではと呟けばアエリアさんは返答に困る言葉を口にする。


「やっぱり、私には噂話が間違っているとしか思えないわ。第一、そんなに怖いなら女性にモテる筈がないもの」

「ああ、確かに陛下は女性におモテになられます。ですが、それは魔宮以外に住まわれる世間知らずな女性限定なのですよ。自分ならば、凍てつく陛下の御心をとかせる筈と何を勘違いなさったのか存じ上げませんが伝手を使って陛下の御前に潜り込む女性も後を絶ちません。しかし、一度陛下にお会いしただけで皆様、粉々にお心を砕かれて帰ってしまわれるのです」


 一度で人の心をへし折るだなんて、いったいクロノスはどんな対応をしたのだろうか?


「そういえば、私の知り合いに一度、セラフィ様と陛下の晩餐のお世話をさせていただいた者がいるのですが、不用意に陛下の微笑みを直視してしまって、恐怖のあまりしばらく阿呆のように口を開いたまま、棒立ちになってしまったそうです」


 笑うだけで臣下を恐怖のドン底に叩き落とすなんて、本当にいったい何をしたの、クロノス!


「で、でもニンブスさん! あの人は平気というか、無礼というか、親しげに陛下と接していらっしゃるじゃない?」

「それはニンブス様だからこそですわ!」

「皆が恐れる魔王陛下と盛んに言葉を交わし、唯一無二の信頼を置かれる方! 我々はあの方を人族に伝わる古い伝承になぞらえて勇者様とお呼びし、お慕いしております。今は宰相の任に就いておいでですが、武芸にも秀でていらっしゃるというお噂。陛下にこそ及びませんが、ニンブス様もまた素晴らしい魔力をお持ちです!」


 それでも、こんなにも臣下に怖がられているクロノスが可哀想になってきて、何とかフォロー出来ないだろうかとニンブスさんの名前を出して言葉を重ねた私だけれど、これ以上はどうにもならないと思う他なかった。


 こちらが引いてしまうくらいアエリアさんと衛兵さんはニンブスさんを褒め称えて始めたのだ。

いっそ、信仰のレベルと言ってしまっても差し支えない。


 いけない、魔王を持ち上げるつもりが、宰相をぐんぐん持ち上げてしまった。

ニンブスさんは中身があんな人だけれど、男女を問わず超絶人気を誇っているらしい。

私にはむしろ、ニンブスさんの方が怖い人物なのだけれど。


 それでもなるほど、だからいつもいつも脱走したクロノスを宰相様が直々に連行しに来られるのね……。


「というわけで、お力になれず申し訳ございませんが、ご自分でお渡し下さいませ」

「ううっ……、結局はそこに行き着いてしまうのね」


 ささっ、どうぞどうぞと言って衛兵さんは扉を示す。

その先には噂の魔王様がいらっしゃる。

あと、多分ニンブスさんも。


 ささっと行って、さっさと帰ればいい。

帰ればいいのだろうけど、ああまで言われると豹変したクロノスを想像してしまって、なかなか入っていきづらいものがある。


「セラフィ様なら、きっと大丈夫ですわ。あんなに愛されておいでですもの。何があっても私には責任は持てませんが」

「貴女に魔界全土の未来が懸かっています」


 尻込みしているとアエリアさんには全責任を放棄され、衛兵さんには期待というプレッシャーをかけられた。

どうやら私の味方はここにはいないらしい。



 ――コンコンコンッ。


「セラフィだろう? 入るといい」


 意を決して、控えめにノックをすればすぐにクロノスの返事があった。

声も掛けていないのに何故私だと判ったのだろうか?

そう思いつつも、お邪魔しますと声を掛けて扉を押し開くと、真正面にクロノスはいた。


 大量の書類が積み上がる中、執務机に着いて書類に視線を走らせている。

……と、書類にペンを走らせるとクロノスは顔を上げた。


「どうしたんだ?」

「あの……迷惑じゃない?」

「どうして俺が君を迷惑だなんて思うと考えるんだ? ここに来て初めて君の方から俺を訪ねてくれたね。嬉しいよ」


 あれだけおどかされれば、自分の事も迷惑なんじゃないかとクロノスの顔色を窺ってしまう。

けれど、彼は蕩けるような笑みを浮かべて羽根ペンを置いた。

眉間どころか、顔のどこにも皺なんて見当たらない。


「あ、あの! すぐ帰るから。そこでそのまま聞いていてほしいの」

「すぐに帰ってしまうのか? せっかくの逢瀬だというのに」

「逢瀬だなんてそんな! 大した用事じゃないの」

「というと……?」

「その……、これを返そうと思って」


 緊張からたどたどしくなってしまっている私の言葉を、クロノスは急かすでもなく待ってくれた。

そんな様子を見ていると、やっぱりアエリアさんたちが言っていた噂話が本当の事とは思えない。


 ぎゅっと胸に抱き締めていたそれをそこで初めて差し出すと、僅かにクロノスの片眉が上がった。


「俺の上着? そんなものを返す為にわざわざ来たのか? また昼食の時に会おうと言っていただろう? その時にでも……いや、何ならそのまま君が持っていてくれても構わなかったのに」

「お、お昼じゃ遅いから……。今朝はいつもより冷え込んでいるでしょう? だから、クロノスが寒かったらいけないと思って……」


 やっぱりここへ来たのは失敗だったのか。

そう思いながら訪問の理由を詳しく口にすれば、クロノスは何故か天井を仰いだ。




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