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第6話 口づけの意味を教えて




「口を開けて」


 また始まってしまった。

クロノスは黄金色のさらりとしたスープを掬ったカトラリーを私に差し出している。


「あの、自分で……」

「お願い、口を開けて?」

「……はい」


 流し込まれたスープは温くなってしまっていたけれど、きっと美味しいのだろう。

だけど、今の私にはやはり味などわからなかった。


 別にこうされるのが嫌なわけではない。

だけど、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

食事の度に何故、ドキドキさせられなければならないのだろう?


 それに今回は二人っきりではない。

すぐそばにニンブスさんが控えている。

顔を向けたわけではないけれど、じーっと見られているのを横顔に感じて、そういえばこの行為にも何か意味があるような事を言っていなかったかとふと思い出した。

その説明はクロノスが中断させてしまったけれど。


「あの……。これにはどんな意味が……?」

「これは求愛行動だな」


 おずおずと問えば、クロノスからは予想通り過ぎて怖くなるくらいのストレートな返事が来た。


「きゅっ……」

「求愛。もっと詳しく言えば、今夜貴女と閨を共にしたいという意味になります。さらに、それを受け入れ、女性側からも同じ行為を返し、男性側が差し出されたものを口にすれば、夜這いの約束を取り付けた事になります」

「よ、よばっ、夜這い……」


 激しく動揺する私にまたも追い打ちをかけるように、ニンブスさんは解説を加える。

詳しく説明しなくてもいいのに!


 これ以上は脳の限界容量を越えてしまいそうだ。

聞き慣れない単語が頭の中でグルグルと回っている。


 とりあえず、今回は知らず知らずのうちにやらかさずに済んだらしい。


「わりと日常的な光景ですよ? 最近の女性はかなり積極的な方が多いですから。セラフィ様は随分と奥ゆかしいのですね」

「なっ……!」


 何をそんなに恥ずかしがっているのかと、さらりともののついでのように言われ、驚愕のあまり固まってしまった。

魔族の女性ってどうなっているの!?


「ニンブス、勝手に色々と喋るな。それに、彼女の名前を呼ぶな」

「ですが、何も説明せずにいて、彼女がうっかり他の男の求愛を受け入れてしまったらどうするおつもりですか? こんなうぶで無知な女性、どこで拾って来られたのか存じ上げませんが……。名前に関しては、わざわざ訂正されたのは陛下ではございませんか」

「それは、確かにそうだが……」


 口を慎めと言うクロノスに、何か起こってしまってからでは遅いとニンブスさんは進言する。

もっともな意見に、クロノスは口ごもってしまった。


「説明して」


 未だ熱を持っている頬を手で覆って隠しながら、それでも私は正面から真っ直ぐにクロノスを見つめた。

私だけなにも知らないなんて不公平だ。


「どんな思いがあって、貴方が何を私にしているのか、それが私は知りたいの。お願い、教えて?」

「……君は狡い。そんなふうにお願いされて、俺が断れると思うか?」


 一対の暗青色が私を見つめている。


 先に目を逸らした方の負けだ。

そう直感して瞬きも忘れ、じっと見返しているとやがてクロノスは目を瞑り、ゆるゆると首を振って長いため息をついた。


「確かに、何か間違いが起こってからでは遅いな」

「じゃあ、話してくれるのね?」

「善処しよう」


 身を乗り出す私にクロノスは固い表情で返事をする。

善処という事は、話してくれない場合もあるという事で、そんな逃げ道を作っているあたり、私なんかよりもクロノスの方がよほど狡猾だと思う。


「と言っても、今ニンブスが説明した以外はほとんど、人間や天界とも共通する慣習だ。違うと言えばそうだな……。口づけする場所によって、意味が異なってくる」


 気乗りしなさそうに口火を切ったクロノスは、しかし善処するという言葉を違えるつもりはないようで、その説明はゆっくりと噛み砕いたものだった。

口づけという言葉に反応してぴくりと身体を震わせた私を何と思ったのか、一瞬フッと笑みを浮かべまた真剣な顔をする。


 クロノスは音も無く立ち上がると、ごく自然な歩調で私との距離を詰めてきた。

距離とは言っても、せいぜいがテーブルひとつ分。

十秒とかからずに回り込んで、彼は私の手を引いた。


「例えば、こうして手の甲ならば敬愛を……」


 言葉に続いて、手の甲にふわりと軽く何かが押し当てられる。

それが何かなど考えるまでもない。


「掌ならば懇願を……」


 自分のものよりもずっと大きなそれによって、くるりと手をひっくり返され、天を向いた掌にまたも唇が落とされる。

手の甲よりもずっと敏感な掌は、クロノスのひんやりとした温度をより鮮明に伝える。

湿っているように感じるのは、クロノスが飲んでいた紅茶のせいだろうか?


 手を軽く引かれて、私はクロノスの胸に飛び込むようにして立ち上がった。

抱き止められた瞬間に一度だけぎゅっと押さえつけられたかと思うと、離れる。

だけど、寂しいなんて思う暇も無く、クロノスは次の行動に移っていた。


 下から支えて掲げるようにして持った私の手の上に顔を伏せ、そのまま腕まで肌の上を滑るようにクロノスの唇は移動する。

時折、腕の内側の柔らかい肌の感触を楽しむかのように押し付けられれば、ぴくりと震えそうになる。


 肩まで這い上がってきたクロノスはふいに顔を上げた。

真正面から覗き込むようにして目を見つめられ、異常な早鐘を打つ胸に息苦しささえ覚えていると、彼はじれったい程にゆっくりと口を開く。


「髪ならば思慕を……」


 右手で掬い取った波打つ金色の髪に、クロノスは青い瞳を伏せて見せつけるように口づける。

その姿は今朝、寝室で見たものと重なった。


 一つ、ひとつ実演を交えてクロノスは私にキスの意味を教え込んでいくつもりのようだ。

いったい幾つあるのか、次はどこなのか?

全てを知るのは、クロノスただ一人。


 手の甲、掌、手首、腕、肩、髪と続いて、そこでいったん動きが止まる。

私が真っ赤な顔をして、けれど色んな意味でクロノスの口元から目を逸らせずにいた。


「唇ならば……」


 既に二度も奪われた唇。

一番気になっていた場所を言われ、固唾を呑んで次の単語を待つ。

しかし、待てどもクロノスの声は聞こえて来ない。


 とうとう焦れて、こちらから聞き返そうと口を開いた途端に、彼は動いた。


「んっ……。ふっ……」


 覆い被さるはクロノスの白皙の顏。

今までずっと、確認をするように先に言葉を発してから触れられていた。

だけど、ここへ来てクロノスはそれをたがえたのだ。


 狡いと思いながらも、言葉を発する事は出来ない。

現在進行形で、クロノスに塞がれてしまっているのだから。


 今回のキスは、前回前々回のものとは違っていた。

前の二回は触れるだけだったのに、今回は何かが口内へと割って入ってきたのだ。


 驚いて両手でクロノスの肩を押せどもビクともしない。

もともと半開きだった口の中へいとも簡単にするりと侵入を果たした彼の舌は、まるで生き物みたいに動き回る。


 うっとりと恍惚の色を浮かべるクロノスの瞳をそれ以上は見ていられなくてぎゅっと目を瞑れば、より他の感覚が鋭敏になったようで、それまで聞こえていなかったあらぬ音まで私の耳は拾いだした。


 最後に軽く吸われて、漸く解放された時には自力で立っていられなくなっていた。

ヘナヘナと力なくその場に崩れ落ちそうになるのを、逞しい腕に支えられる。

そう言うと紳士的に聞こえるが、目の前の人物こそ危険人物だ。


「~~~っ!」


 まるでご馳走さまを言うように濡れた自分の唇をぺろりと舐めるクロノスを、潤んだ瞳で睨み付ける。


「仰りたい事は何となく解りますが、それでは陛下には逆効果だと思いますよ?」

「っ!!」


 割って入った声に振り向けば、そこにはニンブスさんが。

すっかり忘れていた。

この場は二人きりでは無かったのだ。


 色事には疎い私だけれど、こういう場合は黙ってそっと外すのが臣下のつとめではないのだろうかと思う。

……いや、ニンブスさんがいなくなって万が一、クロノスが調子に乗ってしまっても困る。


「こんな時くらい、よそ見をしないでほしいな」

「こんな時って……。私はただ、説明を……」


 嫉妬心を滲ませてクロノスは私を見つめる。


 途中までは確かに説明だった。

いったいどこからおかしくなったのだろうか?

そもそも、実演を交えてという時点でおかしかったような気もする。


「さて、食事に戻ろうか」


 上機嫌に告げる魔王様だけれど、あいにくと私の食欲は綺麗さっぱり消え失せてしまっている。

胸とお腹がいっぱいだ。


「い、いりません……」

「陛下のお妃様候補は今の口づけでご満足されたようですよ?」

「……そうか? 俺は全然足りないのだが」

「お、お妃様?」


 さらっと零れ落ちたとんでもないニンブスの発言に声が裏返る。

クロノスの「足りない」発言はスルーだ。


「ああ、申し上げておりませんでしたね。貴女に陛下が与えられたあの部屋は、魔王の妃となる者の為に用意された部屋なのですよ?」

「そういう大事な事は先に言って下さい!」


 聞いていたら、別の部屋をお願いしていた。

半泣きになりながら不満をぶつけてみても、ニンブスさんはどこ吹く風といった様子で受け流すばかりだ。

さすが魔王の手先だ。


「セラフィ、俺の妻になってほしい」


 これ以上ない程にストレートに、勘違いを疑いようもなく告げられたプロポーズに肩が跳ねる。


「……か、考えさせて!」


 とにかく今はその場から逃れたくて、必死で。

それだけ言うと、服の裾が乱れるのも構わず駆け出し、部屋の中へと逃げ込む。


「~~~っ!」


 そのままの勢いで寝室のベッドへとタイブすると、枕に顔を押し付けながら、声にならない悲鳴を上げた。


 結局、唇へのキスが何を意味するのか答えをはぐらかされてしまった事に気付いたのは、夜になってからの事だった。




ここでひと区切り。R15のはず……。

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