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第2話 彼の名はクロノス




「……あの、どうしてそんなに嬉しそうなの?」

「うん……? ああ、君と食事をするのは久方振りだなぁと思って」


 未だ警戒心が消えぬ中、それでも美味しそうな料理と空腹感には勝てなくて出された料理に舌鼓を打っていると、ふと視線が気になって顔を上げた。


 向かいの席に掛けている彼は、さっきから料理には一向に手を付けず、ただ傍目にも判る程ニコニコと上機嫌な様子で葡萄酒のグラスだけを傾けている。

本当に嬉しそうだ。


「貴方は食べないの?」

「君が美味しそうに食べているのを見ている方が何倍も楽しい」


 この調子だからこそ、やはり自分は騙されているのだろうかと考えてしまうのは仕方のない事だった。


 天使の力を失った自分を騙して彼に何の得があるのか、どんな狙いがあるのか判らない。

人間界では奴隷といって、人身売買に若い女性が掛けられる事もしばしばあるようだから、その類いだろうか?


 そうも考えたけれど、それなら目を覚ます前に手足を縛って檻にでも放り込んでおいた方が、話が早い。

でもそうじゃないとしたら?


 何にしても、彼の言葉は心臓に悪い。

サリエル様は人前でも二人きりの時でも、愛情表現は希薄な方だったから、言われ慣れないのだ。


「葡萄酒の追加を。それから彼女のメインは肉より魚で。ソースはフルーツベースのものを添えてくれ。デザートは林檎のタルトで」

「畏まりました」


 時折、手を挙げてはあれこれと細かく料理の指示を出していく彼。

特に細かいのが、私の食事に関する指定だ。

それがまた不思議な事に、私の好みにぴったりと合っている。


「どうした? 林檎のタルトは君の好物だろう?」

「ええ。でも、どうして知っているの?」

「知っているさ。君は昔から無類の林檎好きだからね」


 肉より魚が好き。

もっと言うならば、果物が好き。

中でも、真っ赤な林檎が一番好き


 それは私と親しい者しか知らない筈の情報だというのに、目の前の彼は当然のように私の好みを把握してピンポイントな選択とオーダーをしている。

出来過ぎた偶然、なのだろうか?


 彼に聞けばきっとこれは必然なのだと言うだろう。

それじゃあさっきと同じだ。


「白身魚のポワレでございます」

「メインが来たようだね」


 結果的には料理の出てくるタイミングに救われた。

私が何と答えようかと頭を悩ませているうちに、次の料理が運び込まれ、話が中断されたのだ。


「せっかくだから冷めないうちに戴こうか」


 これできっと、私の昔を知っているという彼の言葉を肯定も否定もしなくて済む。

食べる事に専念している間は、聞き役に回る事が出来るだろう。

そう考えた私は、彼の提案に一も二もなく飛び付いた。


 蒸し焼きにされた白身魚は、ナイフの刃先で軽く触れただけで、ホロホロと身が取れる。

まるで早く食べてほしいと言わんばかりだ。


 まずはひと口。

お皿に添えられたソースを付けずに口に運ぼうとした。

がしかし、あと少しというところで向かいの彼に腕を掴んで止められる。


「待って。君は熱いのは苦手だった筈だろう?」


 私が答えるよりも先に彼は私のフォークを奪い取った。

ふぅ、ふぅと目の前で彼は魚の身に息を吹き掛ける。


「口を開けて?」

「そんな! 自分で食べられます!」

「気にしなくていいから、口を開けて」


 またも恋人に向けるような振る舞いをされ、カッと頬が熱くなった。

口を開けてと言う彼に、羞恥から首を振る。


 しかし、やんわりとだけれど彼はしつこかった。

私が口を開けるまで、絶対に諦めないつもりだ。

彼は世話焼きなのだろうか?


 根負けして開いた私の口に彼が魚を運ぶ。


「美味しい?」

「……美味しい、です」


 正直、味など全く判らなかった。

かといって美味しくないとも言えず、流されるように頷けば彼の唇は緩やかな弧を描き、にっこりと微笑む。


「じゃあ、もうひと口」

「だから、自分で食べられます!」

「気にしなくていいんだよ?」

「だからそうじゃなくて……!」


 恥ずかしいから、自分で食べさせてほしい。

それが何故伝わらないのだろうか?

いや、彼はもしかして解っていて知らんぷりしているのかもしれない。

どちらにせよ、彼は頑としてこちらに譲らなかった。


「自分で食べられると君は言うけれど、実際は危うく舌を火傷するところだったじゃないか」

「うっ、そうだけど!」


 本当な手前、否定できない。

そこを見逃す彼ではなかった。


 悪夢のメインディッシュが終わり、何が何だかよく判らないままにお腹は膨れていた。 


「そういえばここ、屋外かと思っていたら建物の中だったのね」

「君は外に倒れていたよ。俺がここに運んだんだ」

「ここはどこなの?」


 私が選んだのは、隙をついて質問をぶつける事だった。

ちょうど気になっていたのだ。

地上の地理などまるで知らない私だけれど、天界に戻れない以上、せめて現在地くらいは把握しておきたい。


 周囲を改めて見回すと、天界にある天宮に勝るとも劣らない豪華絢爛な装飾品がそこかしこに配置されているのが目に入った。


 それらが地上でどのくらいの価値があるのか私には判らないけれど、少なくとも天界基準では天鵞絨ビロード張りの椅子や、黄金製の盾はかなり高価な部類に入る。

そういった素材からして自らが一級・特級品であると主張しているもの、または繊細で複雑なレース編みのクロスなど業物ばかりだ。

少し裕福だとか、そんな次元ではない。


「ここは魔界だよ」

「マカイ……? 魔界ってあの……?」

「そう。天使の住む天界と対を成す、魔族の暮らす魔界の、魔王の御所・魔宮だ。」


 弾かれたように私は立ち上がった。

あれだけ熱していた頬も、すっかり温度を失い、冷えきっている。

ここに鏡があれば、きっと見慣れた顔がひどく青褪めている様を拝む事が出来るだろう。


「私、帰ります!」


 脱兎のごとく逃げ出そうとした。

だって、魔界は暗くて怖くて危ないところだと聞いていたから、早く遠くへ逃げなくちゃ。


 今の私は天使ではないけれど、魔界なんて最も縁遠い場所だと思っていた。


 慌てて部屋を飛び出したつもりだった。

だけど、扉を潜ったところで何か堅いものにぶつかって、部屋の中へと弾き返される。


 尻餅は付かずに済んだ。

正面から伸びた長い腕が支えてくれたから。 


「どこへ行こうと言うの?」

「帰るの!」

「帰る場所なんて無いくせに」

「……っ!!」


 グサリと容赦無く彼の言葉は私の胸を抉った。


「……すまない」

「触らないで!」


 どうしてそんな残酷な事が言えるのだろうか。

彼は私の事なんて何も知らない筈なのに、私が帰る場所をなくした事を知っているみたいに言う。


 支えてくれる手は優しいのに、頬に伸ばされる指先も壊れ物を傷付けまいとするかのような意志がはっきりと読み取れるのに、言葉は残酷だった。

そのギャップに余計に傷付いてしまいそうな気がして、彼の手を振り払う。


「わかった。でも本当にすまなかった」

「どうして貴方が傷付いたような顔をするの? 先に傷付けたのは貴方なのに……」

「すまない」


 彼は言い訳をするでもなく、ただひたすら、まるでそれしか言葉を知らないかのように謝罪を重ねた。


「……もういいわ」


 彼があんまり必死に謝るものだから、段々と可哀想に思えてきて、怒らせていた肩を下げる。


「そうね。私、貴方の言う通り帰る家をなくしちゃったの」

「だったら、ここを君の新しい居場所にすればいい。俺が一切の面倒を見よう」


 認めたくなかった現実を受け入れた途端に途方に暮れる私に、彼は無謀に思える提案を持ちかける。


「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、無茶だわ」

「どうして?」

「ここは魔宮でしょう? 貴方が許可しても、きっとここの主が許さないわ」

「それなら問題無い。魔王は君を歓迎する」

「いったい、何を根拠に……」


 やけに自身ありげに断言する彼に、いくら何でも無謀過ぎると言いかけて、気付く。


 夜のとばりのような長い髪、濃紺色の瞳、やたら女性受けの良さそうな整った面差し。

それらは天界に居た時に噂で洩れ聞いた、魔王の特徴とぴったり重なる。


「まさか……」


 まさかと思う反面、有り得ないという声が心のどこからか聞こえてくる。

まるで粗探しでもするかのように、そうでないと言える根拠を探していた。

だけど、見つかるのはどれもそうだと思える判断材料になるものばかりだ。


 給仕の者に、事細かに指示を出していた様を思い出す。

あの時はここがどこなのか知らないから、この人は人間の貴族か何かだろうと思っていた。


 だけど、ここは魔界の魔宮。

この人は彼等に何と呼ばれていた?


「俺の名はクロノス。この魔界の主だ」




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