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彷徨のアリツィヤ  作者: 谷口由紀
プロローグ
2/50

聖句と祈り

「       」


 うねるような韻律にのせて、彼女の唇は異界の言葉をきざむ。

 古代の知恵により編まれた、神と話すための言葉。

 己の願いを、「その者」のもとへと届けるためだけの言葉。


 ベルクートが用いた聖句に、それは酷似していた。

 そして。


「……願いは、容れられた」


 アリツィヤの短剣に、長大な光の刃が生成された。

 その刃の色は、ベルクートが生成したものとは異なり、極光のごとき鮮やかさを誇っていた。

 刀身の輝きは、恩恵の白。だが、その中で渦巻いている色彩の源は、アリツィヤの魔力だ。


 完成した大剣の切先をベルクートに向けた。

 ベルクートも、手にした六本の聖剣をいつでも放てるように構える。 

「貴様のような魔術師でも、『神』に祈って力を得ようとはな」

「偉大な力には相応の敬意を払う。その思いに偽りはないわ」


 ベルクートの長剣。アリツィヤの大剣。

 神の恩寵を受けて、ふたつの刃はまばゆい光を放っている。


 相対する二剣。その霊威は拮抗していた。

 しかし、アリツィヤの大剣は魔力による強化を受けることで、破壊力においてベルクートの聖剣を圧倒していた。

 まともに打ち合うのであれば、ただの一太刀でいい。それだけで、ベルクートの六本の剣を所有者もろとも吹き飛ばすことができるだろう。


(そう。その一太刀が……届きさえすれば)


 単純な破壊力が勝利を約束するものではないことを、アリツィヤは知っていた。

 彼女にとって、もっとも厄介なものが、いまだに健在だった。


 ベルクートの「狩猟場」。


 かれがこの戦場に顕現させた秘蹟は、いまもって力を喪ってはいなかった。

 アリツィヤを内包する空間を歪める力は衰えず、熱波と冷気は彼女の身体を確実に破壊し続けている。

 極端な気圧変化は疲労と意識障害をもたらし、激変する重力は、さして重くもない光の大剣を構えることすら阻害する。

 肉体の損傷を強制的に恢復させるための魔術を発動し、成功させただけでは、この劣勢を覆すことは難しい。


(……邪魔な、結界だ)

 結界による害。それは、いつ終わるともしれぬ拷問にも似ていた。

 あるいは、神の呪いか。

 ベルクートは言う。

「……完成者よ。わが結界を退けぬ限りは、何度やっても同じことだ」


 その言葉に、アリツィヤは答える。

「結末は神だとて分かりはしないもの。これもまた、博打にほかならないわ」

 知識を高め、技を練る。その上で、はじめて戦いは始まる。

 が、いかなる努力によっても、その勝敗を確実なものとすることはできない。


「俺は博打は嫌いだ。俺の勝利は動かない。だから、いま成すべきことはひとつ。――」

 ベルクートの両腕に力がこめられる。力強くしなやかな筋肉が、異様な力感をもって収縮する。それはまさに、力の解放の瞬間を待つ、鋼鉄の発条のようだった。


「――死ね!」

 言語化された敵意とともに、六本の光剣が放たれた。

 燃え落ちる流星のような刃が、アリツィヤの肉体を貫くべく飛翔する。


(避けるか)


(受けるか)


(墜とすか)


 選択。戦いは常に正解のない選択を強いる。しかし、自らに襲い来る聖剣を前にして、アリツィヤは迷うことなく己の選択に身を委ねた。


 手にした大剣を大きく振りかぶる。

 剣よりほとばしる聖光と魔光。

 それは、アリツィヤの周囲にわだかまる、ベルクートの結界……歪んだ神の加護すらも打ち払う。


 が、彼女に与えられた「加護」と、ベルクートに与えらた「加護」は、ともに神より与えられたものだ。両者が同時に存在する矛盾は、互いの力への攻撃的干渉となり、自身を巻き込んでの連鎖的な破壊を生み出す。


「……っく、あぁぁっ!!」

 激しい衝撃が、肉を、骨を軋ませる。

 閃光と衝撃の渦の中、アリツィヤは歯を食いしばり、掲げた大剣を振り下ろす!


「――――!」

 裂帛の気勢が斬撃とともに打ち下ろされる。

 結界は完全に打ち払われ、歪曲された世界は、灼きつくさんばかりの光芒によって覆われ始める。

 切先より放たれた剣気は、一直線にベルクートに向けて突き進む。


「真正面から潰し合うか!」

 歓喜。敵愾心。畏怖。共感。それらの様々な想いがただ一声に込められたかのようなベルクートの絶叫。

 かれの手より放たれた六本の投剣。

 アリツィヤの大剣より放たれた一条の剣気。

 それらは互いに不可避の軌道を疾り――重なり合った。


 託された力と力が交わり、干渉し、否定しあい、そして。


 + + +


 ……深夜の街並みに穏やかな風が吹き抜ける。


 先ほどまでの「歪み」は、もはや存在しない。

 アリツィヤの視界にある全てのものが、この土地の、この街の、本来の姿を取り戻していた。


 ――街灯の光は、アスファルトの街路をしらじらと照らす。

 その光の列は規則正しく並んでいて、それらが行く先は、かなたに瞬く人家の灯りの群に重なる。

 寂しげな、だがどこか心安らぐ光の道。その下を歩いてゆけるのは、きっと幸せなことだ。

 それは、まるで……、


「……天国への道のようだ」

 アリツィヤはそう呟き、しばし佇立する。

 光と影の織りなす薄明の空間は、ふしぎと人通りも少なく、まさしく現世と幽世の接続点のようだった。


「……生と死の境目、か」

 あるものは得て、あるものは失う。

 魔術師の戦い。ひとが「祈る」ことを覚えて以来、歴史の中で飽くことなく繰り返された、あまりにもありふれた営みだ。


 だが、それは多くの場合、参加者を明確に二分化する。

 生と死。生と死、生と死……。

 敗者は敗者。勝者もいずれは地に倒れ伏す。

「そして、いつの日か、きっと誰もいなくなってしまうのね」

 言葉は闇のなかに沈み、呟きに答える者はいない。


 アリツィヤは、破滅しかけた肉体をひきずるようにして、薄明かりの中を歩き出した。

 ここを去るまえに、やるべきことが彼女にはあった。


「……ベルクート……」

 呟きながら、ゆっくりと周囲を見て回る。

 ほどなくして、彼女は闇のなかにわだかまる人の姿を見つけた。

 昏倒するベルクート。ほんの少し前までの雄敵。

 アリツィヤは、静かに近寄り、そばに跪く。

 そして、無言のまま、かれの頬や首筋に手を振れ、その生命の息吹を確かめる。


「……良かった」

 アリツィヤは呟き、傷だらけの貌に微笑みを浮かべた。

 そして、ベルクートの頬に手をあてたまま、彼女はしずかに目を閉じ、ゆっくりと聖句を紡ぎ始める。


「       」


 神と話すための言葉は、アリツィヤの唇からおだやかに飛びたち、夜のしじまに溶けてゆく。

 清らかな韻律に、こめられた願いを乗せて。


 ――聖句を紡ぎ終えたのちに、アリツィヤは立ち上がり、歩き始めた。


「……ここは、いい風が吹くのね」

 街灯が投げかける光のもと、暖かな街灯りを目指して。


 + + +


 昏倒していたベルクートは、やがて意識を取り戻す。


 五感と、時間の観念。そして、傷ついた肉体が訴えかける、さまざまな痛み。

 ひとたびは欠け落ちてしまったはずの感覚が、覚醒とともに、じょじょに蘇る。

 が、あれほどまでに猛っていた「戦意」は、なぜか消え失せたままだった。

 そして、ベルクートの理性は、ある事実を知る。


「……俺は、敗北し……そしてなお、生きている」

 と、ベルクートは思考する。しかし、実感を掴むには至らない。

 敗北。その事実を、知性では決して認めることはない。


(真の敗北とは、わが心身の破滅を指す。が、俺はまだ滅びていない)


 「覚醒」する意識がある限り。痛みを感じる肉体がある限り。戦いを降りる理由などはない。

 ……だが、肉体に刻み込まれた戦いの記憶は、そんな「当たり前」の思考を激しく揺さぶる。


「魔術師アリツィヤ。あの女の前においては、俺もまた、ただの障害物にすぎなかったのだろうか」

 彼女こそが、千年紀を越えて生きる『完成者』の一人だという。

 彼女は、襲い来る魔術師すべてを「生命を奪うことなく」退けてきた。

 そして今、その敗北者の列に連なる己の姿を思いながら、ベルクートは呟いた。


「……わが氏族の悲願。それは『完成者』を屠ること」

 己の血統が、そうせよと命じる。

 そして、その命令こそが、ベルクートの意味でもあった。

 しかし。

 かれが呟いた言葉とは裏腹に、肉体にいまも宿る、とある感覚が、その言葉への疑いを投げかけていた。

 その感覚を、ベルクートはよく知っていた。


 ……肉体に働きかけ、その恢復を助け、活力を与える力。

(賦活の祈りか)

 アリツィヤの聖句が顕現させる力が、かれの身体を穏やかに癒してゆく。

 身を委ね、目を閉じていると、まるで揺籃のなかにいるかのような安らぎを覚えることができた。


(…………)

 いまもなお、かれの理性は戦いを求めている。

 が、肉体は、言葉なき言葉をもって、かれに語りかけているような気がした。


 痛みと、安らぎ。


 その振幅にやどる意味を探るうちに、ベルクートの意識は、ふたたび闇のなかに沈んでいった

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