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彷徨のアリツィヤ  作者: 谷口由紀
第三章
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再会

 深夜。ベルクートは単身、細い街路を歩いていた。


(アリツィヤ……貴様の魔力、感じるぞ)


 最初の戦いから二日ほど経過しているが、アリツィヤとの邂逅を果たした現場には、いまだに濃密な魔力が感じられた。

 目をこらせば、まるで夜闇に浮かび上がってきそうなほどに。


 今夜の探索に先立って、ベルクートは祐三の『符』を肉体に受けていた。

 この国固有の魔術についての予備知識の乏しさから、当初は不安すら覚えたものだった。が、実際に施された術の効用を知ることで、じつに信頼に足るものだと納得するに至った。


(精神には沈静をもたらし、知覚には更なる鋭さが付与される。いま望みうる最良の状態だろうな)


 肉体の損傷や魔力の欠乏に関しては、敵手たるアリツィヤより治療を受けていた。心身ともに万全だ。

 しかし、問題は、アリツィヤの回復力が未知数であるということだ。

 近世において既に封印されている「生命の秘術」を解き明かした者……完成者。

 彼女がその名を冠するに相応しい存在である以上、彼女の回復力を楽観視すべき理由はどこにもない。


(多数の魔術師による間断なき攻撃をすべて退けてなお、あの魔術師は強かった。だが、二度目の敗北を許してやる義理はない)


 そう内心で呟きながら、ベルクートは魔力の残滓を追う。


 土地ごとの霊性と、たとえ少量であってもそれに干渉するアリツィヤの魔力。

 それらの乱れを丹念にトレースしていくことで、ベルクートはアリツィヤの足跡を追うことができた。

 この土地に残る、あの戦いの残滓。それを辿ってゆくごとに、ベルクートの脳裏に、先日の戦いが明瞭に浮かび上がってきた。圧倒的な破壊力の前に屈したのは、アリツィヤに力及ばぬ「劣った」魔術師である、ベルクート自身だ。


(…………)

 敗北を知り、敗北から学び、敗北に勝つ。過去の敗北をひとつひとつ潰すこと。 

 それもまた勝利と呼べるのだろうか。


(アリツィヤ。「俺の命を奪い去るべきだった」そう、貴様に必ず言わせてみせよう)


 ベルクートは、迷いのない瞳でアリツィヤの魔力を追った。


 + + +


 やがて、一軒の診療所の前にベルクートは辿り着いた。


「ここだな」


 今や、ありありと分かる。この地域一帯には、アリツィヤの魔力が満ちている。

 成すべきことはひとつ。かの魔術師を、ここで仕留める――!


 そのとき、脇の路地の奥から、まるで暗闇から漏れ出でるように、女の影が現れた。

「……繰り返そうというのね、若き魔術師よ」

 その影の声は、ベルクートには忘れがたいものだった。

「アリツィヤか」


 ひた、ひたと、わだかまる闇の奥より現れた影は、やがてその姿をあらわにする。


 漆黒のただ中にあって一際映える、白皙の肌。

 わずかな光を受け止めて輝く、金色の髪。

 表情の窺い知れぬ貌。暗く燃える紅玉の瞳。


 アリツィヤだ。


 いまの彼女は、質素な病院衣に身を包み、素足のままだ。その姿だけを見れば、まるで迷い出た病人のようだが、その内実は計りがたい。


(戦わなければ分からぬか)


 ベルクートは身構え、両手に白銀の小剣を手挟む。

 その姿を認めて、アリツィヤは低く呟いた。

「貴方は愚かね……敗北から学べぬほどの鈍根だったなんて」

 その言葉は、嘲弄ではなく叱責であるように、ベルクートには感じられた。『何故、死に急ぐ?』と問うかのような。


 だが、ここで退く道はない。

「手間をかけさせて申し訳ないが、再戦を願おう。……なぜ、俺の命を助けたのかは知らない。いまこの身に宿る魂は有り難く使わせてもらうが、その使い道は、今のところ一つしか思い浮かばないのだ。……貴様の力を、知りたい」


「なんてくだらない。力ある魔術師が、戦いに酔わないことね! 魔術師同士の争いがどのような災厄を招くのかを知りもせずに、軽挙妄動の愚を犯すなんて」


「……災厄?」


 耳慣れぬ言葉に、ベルクートはとまどった。争いが災厄を生む? 所詮、この戦いは己とアリツィヤとの間のみに帰結するもの。誰に累を及ぼすものでもない筈だ。


「アリツィヤよ、逆に訊こう。力ある魔術師である貴様が、何故に戦いを避ける? 何に遠慮している? ……そして、なぜ敵手を殺さぬのだ。貴様が全力を振るわば、刃向かう者を殺めることなどたやすいことだ。違うか!」


 その質問は、たしかにアリツィヤを動揺させたように見えた。言葉に詰まったかのように、口ごもるその仕草は、堂々たる大魔術師に相応しいものではなかった。


 再度、ベルクートは訊いた。なぜだ、と。


 二度の問いに、アリツィヤはつぐんでいた口を開いた。


「……ベルクート、もう誰もが知っているような、簡単な事よ。この世に永久に続くものなどはない筈だけれど、ひとつだけ例外があるの。……それは、憎しみ。人が人を憎む。この単純なやりとりは、時を経るごとに研ぎ澄まされ、やがては取り返しがつかないこととなる。貴方は私の力を知りたい、と言う。けれど、そのために戦ったとして、それが何になるというの? 幾億回と揺られた憎悪の振り子を、またひとたび揺り動かすことが、貴方の願いなのかしら」

 その口調は穏やかで、諭すような誠実さに満ちていた。


 しかし、その言葉をもって引き返すわけにはいかない。


「……確かに、これは愚かしい戦いだ。だが、その愚かな戦いに魔術師を駆り立てるのは、貴様ら完成者が野に放たれているという、その事実だ。アリツィヤ、貴様自身がかりに高潔であったとしても、その強大な力はとうてい見過ごせるものではない」


「そうやって、己を脅かす可能性のあるものと戦い続けるつもりなの? 貴方達の口は、ただ魔術や聖句を唱えるためだけについているようね。知恵あらば、言葉を交わしなさい。心あらば、誠意を交わしなさい。失敗を怖れず、何度でも」


 アリツィヤが指摘するまでもなく、それはごく当たり前の徳目だった。だが、ベルクートはあえてその言葉に倣うことを封じた。


「人と人ならば、交渉の余地もある。だが、貴様らは人間をやめたのだ。……犯してはならぬ禁忌の業によって」


 禁忌。その内実を、ベルクートは知らなかった。だが、漠然とは理解できる。

 生命に関する秘蹟が、はたして何を代償として要求するかを。目前の魔術師が、いかなる理由をもって完成者となりえたのかは分からない。だが、それらは今訊くべきことではなかった。


「……それが、『賢人会議』の常套句ね。――『生命の禁忌を犯せし外道の魔術師を狩れ』。もう言葉は届かないのね、ベルクート」


「そうだ。戦い、勝利し、倒れ伏した貴様の口から全てを訊こう、アリツィヤ!」


 ベルクートは身構えた。右手には複数本の短剣を構え、左手は詠唱の助けとするために前方へと突き出す。再度の戦いの時を迎えて、心は高揚し、心拍はより速くなる。そうだ。この瞬間に臨めば、すべての瑣事さじは留保される。結局のところ、ベルクートはこの瞬間を嗜む存在なのだ。――戦いに身を投じる、この瞬間 を。


 ベルクートの敵意を察知し、アリツィヤもまた両腕を前方にゆっくりと掲げる。


 彼女の言葉には、たしかに偽りはないのだろう。だが、彼女もまた「同類」なのだと、ベルクートは思った。

 彼女とはじめて刃を交えた時のことを、今もありありと思い出すことができる。 極光のごとき霊光をはなつ大剣を掲げ、真っ向から撃ちかかるアリツィヤの姿を。

 ベルクートの結界をただ魔力をもって退け、ただ一撃をもって己を倒した、あの恐るべき敵手の姿を。


 そこに小細工はなかった。

 彼女は、その正面からの決戦を、こう呼んだ。


 ――「博打だ」と。


 それは、ただ平和のみを言祝ぐ姫君の言葉ではなかった。

 知識、業を練り上げた者が、さらに全力を尽くした上ではじめて辿り着ける境地を識るものの言葉だった。


(そうだ、アリツィヤ。貴様は同類だ)


 改めて、ベルクートはアリツィヤを見据えた。

 目の前の魔術師。それは、貧相な病院衣をまとった、すこし小柄なひとりの女。

 ……だがそれは、数多くの戦いを経た猛者の姿だ。

 もとより油断などするつもりはない。ゆえに、今なすべきことはただひとつ。

 全ては定まり、心が澄み渡る。そして。


「……全力をもって戦おう、アリツィヤ!」

 ベルクートは言った。


 その言を受けて、アリツィヤもまた答える。

「全ての言葉はここに極まる、か。……かかってきなさい」

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