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彷徨のアリツィヤ  作者: 谷口由紀
第二章
10/50

亡国への想い

 ――目覚めるたびに、夢のはかなさを知ることになる。


 瞼の奥には、いまも残っている。あの懐かしい時代が。あの心躍らせた日々が。


 しかし、今。開いた目に見えるのは、月明かりによって茫洋と浮かび上がる病室の内壁だ。

 窓外に目を移しても、見えるのは、ふるさととは似ても似つかない異国の風景。


(……帰りたい)


 アリツィヤは、そう思った。

 深夜。ふと目覚めたアリツィヤは、自分がまだ診療所のベッドに横たわっていることを知った。

 傷つき昏倒したところを、この国の学生――おそらく――に救われ、ここへと運ばれた。


 治療を施してくれた医師とは、二言三言、朦朧としながらも言葉を交わしたような気がする。自分の名前くらいは告げた筈だが、よく覚えてはいない。


(今回も、わたしは朽ち果てる事なく生き残った)


 だが、これほどの深傷を負ったのは、久しぶりのことだ。

 あの若き聖句使い……ベルクートと名乗る者の放った聖なる刀槍に貫かれた時の苦痛は、いまも肉体に刻み込まれている。だが、かろうじてかれを退けることができた。……その命を奪うことなく。


(もう、命を粗末にして良い時代は終わったのだから)


 知らず、微笑みが浮かぶ。そして、ひとり呟く。『博打はわたしの勝ちだったわね』と。得たものは、有為の若者の命。悪くない賭だった。願わくば、かれの闘争心の消えんことを。


 祖国を離れて以来、数多の戦いを、幾多の死線をくぐりぬけて、今この身は極東の小国にある。

 彷徨の目的は、誰にも告げたことはない。この数百年もの間に、一度とても。

 窓辺から差し込む月光はどこまでも優しく、そのあえかな光は、心の底に眠る、よき日の記憶を穏やかに蘇らせる。


(……『王』よ。あなたのみこころは、いまも苦痛と混迷のさなかにあるのですか)


 目を閉じれば、長い長い時の狭間をとびこえて、いまも鮮やかに、かの人の優しげな相貌が暗闇のなかに浮かび上がる。


(そう。わたしの祖国の若き君主たるあなた。あなたはいつも淡い微笑みを浮かべて、国の民のよき話に耳を傾けていた。悲しい話があれば、心からの同情をもって聞き、そして、より一層政事に励まれた)


 緑多き祖国。そこには多くの友がいた。

 尊敬すべき人がいた。

 ……しかし、今はもうどこにもない。

 心安らかな日々は、もう終わりを告げた。

 その事は、もう疑いようもない。

 だが、かなうならば。


(王よ。あなたが、どうかひとときでも心安らかなる時を過ごされんことを祈ります)

 アリツィヤは、目を閉じ、手を組み、祈った。


 …………。


 そして、再び目を開いたときのことだ。

(……これは)

 ベッドの傍らにしつらえられた物入れの上に、簡素な紙包みがあった。

 目は既に夜闇に慣れている。

 その包みを手に取りながら、アリツィヤは物入れの上面にしつらえられた電気スタンドのスイッチを入れた。

 白く清らかな人工の光が、アリツィヤの手許を照らした。

(…………?)

 その光によって、紙包みが置かれていたところに、一通の書き置きが残されていることも知る。

 それを手に取り、アリツィヤは読んだ。

 この国の文字で、「お見舞いの品です。よかったら食べてください」とだけ書かれていた。


 お見舞い。傷ついた者、病んだ者の心を慰めるための贈り物。確か、そんな意味だった筈だ。


 そっと、アリツィヤは紙包みを開いた。

(……とても、いい香り)

 甘く香ばしい匂い。その源は、包みのなかの焼き菓子だった。まるい薄皮のなかには、きっと甘いカスタードクリームが詰まっている筈だ。

(私に、これを……誰が?)

 医師か、それとも、助けてくれた学生だろうか。……たぶん、後者だろう。

 彼の顔を見たのは意識を失う直前だったが、比較的はっきりと思い出せる。

 どこの国にでもいるような、優しそうな若者だった。


 かれならば、たとえどんな人間でも、それが傷ついた者ならば助けようとするだろう。

 そう。どこにでもいる、まっすぐな若者だ。


 かれの事を思いながら、アリツィヤは焼き菓子をひとくち食べた。

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