真姫 1
バスを降りてから15分。いくら夏は涼しい神坂村でも、大きな荷物を持ちながら直射日光の中を歩き続けるのはなかなかに大変だ。一本道だというのに、さっきから誰ともすれ違わない。
母親の少し前を行けば、左右に果てしなく続く緑に輝く稲穂の海に、1人取り残されたような、そんな心地よい錯覚に囚われる。
「真姫、そんなに早く行かないで。お母さんのほうが荷物重いんだから。」
山から降りてくる風が、稲の先をなびかせて駆けて行く、その形が良く見えた。間もなくそれは真姫へと迫り、かぶっていた今年の流行りの型の麦わら帽子がさらわれそうになる。それを押さえて少し恨めしげに空を見やれば、電線に数羽、忙しなく羽を羽ばたかせながら拙くとまっている燕がいた。
お地蔵さまのいる角を曲がると目的地が見えた。そこには既に自分に向けて駆けてくる少女の姿があった。
「真姫ちゃん、久しぶり!もしかして電車で来た⁈」
「うん。お父さんが仕事で使っちゃってたから…」
菜実は当たり前のように真姫の荷物を一つ持つ。
「真姫ちゃんやっばり服、すごくお洒落!お姉ちゃん見たら欲しがるよきっと。」
「でも神坂に合うようにしたつもりなんだけど…。麦わら帽子とか。」
真姫は今日は、薄いピンクのワンピースに麦わら帽子という出で立ちだ。麦わら帽子をかぶるからと結ばなかったゆるくウェーブのかかった長めの髪が、今はうっとうしくて仕方が無い。うなじに汗が溜まっているのが分かる。
それに比べて菜実は、下めのツインテールにただのTシャツに短パンという、なんとも涼しそうな格好だ。
家に着くと縁側には祖母の玉恵がいて、ぽりぽりと菓子を食べていた。
「よぉ来たねぇ真姫ちゃん、清美。」
清美というのは真姫の母親の名だ。
菜実は当たり前のように縁側から居間へ荷物を下ろし、自分もそこから上がり込む。真姫はさすがにちゃんと玄関から入ろうかと思ったが、菜実 に、
「真姫ちゃんも、こっからいいよ!」
と言われて嬉しくて、いそいそと縁側から家へ上がった。
香代も、
「いらっしゃい。暑いのに電車でなんて、大変だったでしょう。言ってくれれば駅まで迎えに行ったのにごめんなさいねぇ」
と、冷たい麦茶を出してくれた。人の家の麦茶は何故か美味しい、と真姫はいつも思うのだ。
「あれ、緋美ちゃんはいないの?」
ふと緋美の姿がどこにもないことに気づいた。
「お姉ちゃんは部活だよ。どうする?真姫ちゃん何して遊ぶ?」
そうだ。緋美は今年高校1年になったのだと思い出す。
「んー。それじゃあ田んぼに行きたいな!ドジョウ捕まえたい」
「真姫ちゃん、来てすぐに出かけて疲れない?菜実、人の田んぼは荒らし過ぎないようにね。」
菜実は虫カゴと小さめの網をどこからか持ってきた。ちゃんと真姫の分も用意されている。
山の上にはむくむくと、まるでシュークリームのような、はち切れんばかりの入道雲がそそり立っていた。山に反響して、鳥の声がよく響く。
今年も変わらずのどかだと、真姫は安心して日の光に目を細めた。