プロローグ
「ここは……」
一人の男が仰向けで横たわっていた。
朝靄が漂ってるようなぼんやりした明るさが眼を覚ます切欠になったようだ。
真は何度も眼を擦りゆっくりと意識を少しづつ覚醒へと導いていく。眼を開けた先は仄暗いながらも所々から陽光が射しこんでいた。首を左右に傾ける。周りを見渡しても靄がかかっているのか遠くまでは見透せない。地面までもが白い。まるで雲海の中にでもいるような場所。視界に入ってくるのはそれだけだ。
寝ていた体を起こし、もう一度見渡してみたが見える景色に変化はない。人の気配も感じられない。足元を見ると地面のような感触はなく、まるでフワフワと浮いている様な感覚に襲われる。
現状の確認を易々と終らせて次の確認に意識を向ける。
「誰かいませんかー」
声の出る限り叫んでみたが返事はなかった。
何度も叫んでも言葉が木霊すだけで、答えを返してくれる声はどこからも聞こえてはこない。それでも諦めず何度も叫ぶ、声の出る限り。
呪文のように叫び続ける事、数十回。
「だーれーかー いませんかー」
「はーい」
なんと、返事が!
嬉しくて声がした方向へ向いてみると、女性がゆっくりと歩いてこちらに近づいてきた。しかし女性の恰好を見て凍りついた。そして数歩後ずさる。開いた口がふさがらないとはこういう事を言うのではないのか。
見た目でいえば三十路にかかってはいなさそうだ。百七十センチぐらいだろうか。すっと通った鼻筋と、腰あたりまである長い金色のストレートな髪が特徴的で、歩くたびに揺れている。十人とすれ違えば、十人が振り返ってみること間違いはないだろうという形貌だ。
問題は身なりのほうだ。首から下には花柄の模様が描かれたエメラルドグリーンの二枚の布しか纏っていなかった。簡単にいえばビキニだ。新雪のような白い裸体、たわわに実った胸、くびれた腰、長い脚を惜しげもなく披露していた。ビキニを着るに相応しい場所にいるのであれば注目間違い無しなのだが、ここはそんな場所ではない。それに初対面で晒す姿でもないだろう。
それに歩き方も問題だ。普通に歩いてくれば良いものをモデル風に歩きながら近づいてくる。ここはファッションショーか! と突っ込みたくなること請合いだ。顔の表情にいたっては「どうだ!」と言わんばかりのしたり顔。
困惑な表情を浮かべて立ち尽くしていると、近づいてきていた女性が真の面前――正確には二メートルぐらいの離れた距離で立ち止った。
そしてファッションショーのように決めポーズ。
「いやー、お待たせしてごめんねー。着替えに時間がかかっちゃった」
和気藹々とした弾ける笑顔。言葉の最後に「ハートマーク」でも付きそうだ。
呆然としてると、距離を詰めて来て顔を近づけ
「あれー、どうしたの?」
瞬間、勢い良く後ずさりした。近づいてきた分の距離がまた離れる。
「あっ、ごめーん。そういえばそうだったねー」
放たれたその一言に驚愕の表情を浮かべ、頭がスーッと冷却される。聞きたい事は沢山あったが、なぜか自分の事を知っているであろう目の前の女性の正体を知りたくなった。
舐め回すような視線で上から下まで見るが、恰好が恰好だけに観ている途中で視線を逸らし、みるみる顔が林檎のように真っ赤に染まる。
「きゃー、顔が真っ赤っか。可愛いー」
天真爛漫な笑みを湛え、真を見つめている。
からかわれてる事に気づき憮然な表情をうかべ、睨みつける。顔の赤みも引いていく。
「ごめん、ごめん。そんなに怒らなくてもいいじゃない」
真が睨んでる事などお構い無しに、魅力的な笑顔を振りまいている。その笑顔に気後れしてしまい、顔を一瞬背けてしまう。
すぐに、無言でもう一度睨み返す。だが見ているばかりでは埒があかないので、一つ溜息をつき、
「あんた、誰?」
「私? 私は一応、神様って言われる存在かなー。女神ってところだね。名前はフレイヤだよ。ヨロシクね」
こちらの態度など気にすることなくにこやかな笑顔は崩さない。
「はっ?」
『だーかーらー、女神なんだって』
(こいつ残念な人か? 妄想癖でもあるのかこいつ)
そんなことを思いながら哀れみの眼を向けると。
「残念な人ってなによ。妄想癖もないわよ。失礼しちゃうわね」
笑顔から一転、ほっぺをぱんぱんにふくらまし抗議をしてくる。
「えっ……?」
その言葉を聞いて驚愕の表情で、フレイヤを見返している。
驚きのあまり次の言葉が続かない。
「何で、そんな顔してるの? なんか変なこと言ったかなー?」
本当にわかってないのか、首を傾げ愛愛しい表情をしながら訊ねてきた。
「ちょ、ちょっと待って。今、俺しゃべってないよね? なんで思ったことが……」
質問に質問でかえす。ただでさえ混乱している所に更に追い討ちをかけられて満足な答えなど返せるはずもない。
「そんなことで驚いてたの? だから言ったよね神様だって。心を読む位はやらないと示しがつかないよねー。どう、すごいでしょーう。これで少しは信じてくれた?」
自信に溢れた笑顔で真を見つめる。
その笑顔は、煌く星空のように輝いている。
それを見ていた真は纔かながら眩暈を起こしそうになった。しかし真にはそんな笑顔には屈しない心の強さ――――心の強さと呼べるものかどうかは甚だしいが、あることはあるのだ。
笑顔を柳に風と受け流す。
しかし、考え自体は纏っていないのだ返す言葉が思い浮かずそのまましばらく無言の時が流れる。しばらく、といってもそれほど長い時間ではないのだが。
溜息を一つ吐き、フレイヤの顔つきが変わる。
「まっ、いきなり言っても信じないよね。まあそこはいいわ。それより大事なこともある
し。……確認したいんだけど神代真君であってるよね?」
「……はい」
訝しむ気配を湛えながらも、今までと違う真面目な顔つきで話すので素直に言葉が紡げていた。
「とりあえず説明する前に単刀直入に言うわね。あなたに私の神の力を授けます」
「……はあ!?」
「うん。いい反応だねー」
真は困惑の沼に沈んでいく。考えれば考える程、思考の沼に囚われていく。
「とりあえずそういう事だから。ヨロシクね」
真面目な顔つきが一変、笑顔に戻る。
それをみた真は頭に血が上っていく。
「『ヨロシクね』じゃねえよ! 説明しろ。説明。こっちは意味がまったくわかってないんだよ。そんな簡単に済ますな! まずはここがどこで、何があって、どうなってるのか詳しく話せよ!」
声を荒げ、怒気を隠すこともなく噛み付く。
「短気だねー。ちゃんと説明するって言ったじゃん。少しは落ち着きなよ。そんなんだから彼女できないんだよー」
「それと短気は関係ないだろ。できないのは自分でわかってるんだからくだらない事言ってないで説明しろよ」
真の怒りは募っていく。息を荒く吐き、肩を震わす。
「それもそっか。とりあえず説明する前にもう一個聞きたいんだけど?」
「……何?」
『私の水着どうだった? プロポーションには自信あるんだけど、センスがちょっと足りないのよねー。本当はグリーンじゃなくてブルーの方がよかったんだけどそれだとタンキニしかないから思い切って三角ビキニ着てみたんだけどどうかな?』
「しるかーーーーーー! そんなこと俺に聞くんじゃねーーーーーーっ」
「えーーっ。それぐらい答えてくれてもいいんじゃん。ねえー答えてよ。……よし、じゃあ、答えてくれるまで説明しない事にする」
「いや、そこは普通に説明しろよ!」
「答えてくれるまで教えてあげないもーん」
不満そうに頬をふくらまし、後ろに振り返ってしまう。しかし顔だけは答えてくれといわんばかりにチラチラと真をみていた。
真は「はあ」と溜息を大きく吐き、何度も振り返るのを見てほとほと困り果てる。
「可愛かったですよ……」
やっと聞こえるか聞こえないほどの声で。
「聞こえないからもう一度言ってほしいな」
「可愛かったですよ!」
満足げな顔で真の方に向き直った。
「心がこもってないけど……まっ、いっか」
唇の端を片方持ち上げて笑っている。
「私も満足したことだし、説明してあげる」
真はやっと説明してくれる事に、「はあ」と溜息を一つ吐き説明に耳を傾ける。
「とりあえず何から説明するかなー。とりあえず何で水着をビキニにしたかってところから説明する?」
「ビキニから離れろ! あと眼のやり場に困るから何か着てくれ。」
「そんな大声ださなくてもいいのに。時間かけて選んだのにしょうがないなー」
指を「パチン」と鳴らすとフレイアの手に白いガウンが突如あらわれた。ガウンを羽織、指をサムズアップしている。
真は鳩が豆鉄砲を食ったような顔だ。
「これでいい? それじゃあ話しは戻るけど、あんまり怒らないで聞いてね」
「それは、聞いてから決めるから早く説明をしてくれ……」
「よし! まずここは私達、神が住まう狭間の世界で、君は現実の世界で事故にあって意識を失ってるのよ、そこで私があなたの意識をこの世界に呼び寄せたってわけ」
「はあ!?」
「だから、君は意識を失っていて、君の精神を私がこの場所に呼び寄せたって感じなんだけど。そのおかげで私のナイスバディが見れたのよ。いいことじゃない」
「意識を失ってるって、俺は何で事故にあったんだ?」
「それは、ここから帰って目覚めればわかるわよ」
「そこを説明しろよ」
「えーーっ。面倒くさいからヤダ!」
「……」
真は開いた口が塞がらなくなった。
『そんなことより呼んだ事の説明するわね。普通は私が呼び寄せることはないんだけど、私的な事情と、君の知り合いから、強い願いの想いがあって、ちょうどよかったから今回呼び寄せることにしたんだけど、どっちから説明ししようかな。ねえ、どっちからがいい?』
「……」
「きゃはは。何、その顔おもしろーい。何々どうしたの?」
「はあー」
何回目の深い溜息だろうと真は思う。頭の中ではフレイヤをはたきたい衝動に駆られるが、いかんせん、真の体質が邪魔をしてそれもできない。どうしようか考えを巡らせていると、
「そんなことさせないもーん」
そう言うと、フレイヤは真を見つめる。フレイヤの瞳が金色から青色に変容したと思ったら、真は金縛りにあったかのように顔以外身動き一つとれなくなった。
「ぐっ……」
「これで変な事考えないで話しをちゃんと聞いてくれるかな?」
そう言うとフレイヤはまっすぐ真の顔を見つめてくる。瞳の色は未だ青いままだ。
真はフレイヤの言葉に、行動可能な首を勢い良く縦に振った。さすがにここまで理不尽な能力を見せつけられると、真もさすがに話しだけでも聞いてみようと思うようになってきた。
「――本当みたいね。話しはしっかり聞かないとダメだよー」
フレイヤの目の色が元に戻った瞬間、拘束がとかれ真はその場に崩れ落ちた。荒い息を何度も吐きながらフレイヤのほうを見つめる。その目には、驚愕、畏怖、羨望など様々な感情が混じりあった瞳を湛えている。
真は、立ち上がる気力もなくそのまま話しに耳を傾ける。
「そうだねー、まずは知り合いの方を教えてあげようかな。知り合いって言うのは君の母親の事だよ。強い願いで、その声が私のところまで聞こえるほどの大きなものだったよ。内容は私からは話すことはできないから本人からでも直接聞いてね」
「母さんかよ……」
「私的な事情のほうは……。教えてあげる前に一つ約束して欲しいな」
「何を?」
「私にとってはすごく重要な事だから、怒らないでね。変な事考えたらまた動きとめちゃうからね」
「言ってる時点でそれは俺が怒る前提なんじゃないか?」
「まあまあ、細かいことは気にしない気にしない」
「いやいや、気にするだろ。まあとりあえず言うだけ言ってみてくれ」
「実はね、南の島に旅行に行くんだよね」
「は? 言ってる意味がわからないんだけど……」
「とりあえず、聞くだけ聞いてよ――それで神の座が空席になるのは問題になるから、君に私の力の一部を与えて、空いた所の均衡を保とうって事になったのよ。兄さんとかがなんとかしてくれるって言ってくれてるし。それに、私の力と、君に願われた内容がちょうどよく重なってたからね」
「突っ込みどころ満載だな、おい!」
「そお? そんなことはないとは思うけどなー」
「ありすぎだろ!」
真は諦めて言葉を返した。
「じゃあ、次は私の力の説明ね」
なのに、フレイヤは真の事などお構い無しに次の話しをはじめる。
真は、立ち上がりフレイヤに
「ちょっとまてよ! こっちの話しも少しは聞け!」
「なによー?」
「そもそも、旅行に行くところからおかしすぎだろ。その神の座とか言うのを空けたらダメなら、行く必要ないだろ!」
「君だって旅行ぐらい行くんじゃないの?」
「俺が言いたいのはそこじゃない! 空けてはいけないのに、何で行くのかって聞いてるんだ!」
「だって、誰だって旅行に出かけたいでしょう。私、いままで出かけたことないから余計に行きたいのよ。行ける時に行かないと次にいつ行けるかわからないじゃない。さっきも言ったけど、兄さんとかがなんとかしてくれるんだし、問題ないって言ってるから大丈夫だよ」
「大丈夫だよって……。そんな軽い感じでいいのかよ」
「大丈夫って言うんだから、大丈夫なんじゃない」
それを聞いて、真は溜息が零れる。
「はあ、あんたの話し聞いてると頭おかしくなるよ。誰か助けて」
「それじゃあ、私が助けてあげるよ」
「お前はどちらかというと加害者だからな! 助けるより、苛めてるほうだよ」
「じゃあ、話しがまとまったところで……」
「人の話しを聞けーーーーー! そして、纏まっちゃいねえよ!」
「聞いてあげてるじゃない。本当に短気だね」
「人の血圧をあげてるのはどこのどいつだ。温厚なやつでも怒るわ!」
「そお? そんなことはないと思うけどな」
「もお、いいわ。とりあえず続きに戻ってくれ」
無自覚な馬鹿は、しみじみ恐ろしい。そんなことを思いつつも話が続かないので真は諦めて、手を振って続きを促す。
「君の考えはお見通しだって事忘れてない? 本当に失礼だなー、君は」
フレイヤは呆れた顔で真をみつめる。
「なんで、呆れられてんの?」
「馬鹿って言う人が、一番馬鹿なんだよ」
「子供か、おまえは! はあ、もうわかったから早く続きを話してくれ……」
真の溜息はとどまることを知らないが、これ以上は不毛な争いになると考え、自分が妥協することで折り合いをつけることにした。
「よし! じゃあ、私の力の説明をしてあげるね。と、言ってもさっき君に使ったのが、私の力なんだけどねー」
「さっきって、俺の動きを止めたやつか?」
「それそれ。《魔眼》って言う力だよ。使ったのは数ある種類の中の一つだけどね。君にはその中の一つを授けてあげる」
「そんな簡単に授けてもいいのかよ?」
「普通は、授けないよ。私の都合で授けるだけだから。それに、君が選ばれたのもたいした理由でもないしねー」
「じゃあ、どうやって選ばれたんだよ?」
どうせ碌でもない選ばれ方だろうと当たりを付ける。
「くじ引きだよ」
「は?」
「聞こえなかった? くじ引きで決めたんだけど」
「聞こえてるよ! 聞こえてるから、はっ? って言ったんだけど!」
予想を遥か斜め上行く答えが返ってきた。叫んではみたものの、あまりの馬鹿馬鹿しさに頭を抱える。
「なんか、問題でもあった?」
「ありすぎだ! さっき、俺の母さんの強い願いとか言ってなかったか? くじで決めたらその話は全く関係ないだろ! 根本からおかしいだろうが!」
「私のところまで届くような強い願いはなかなか無いんだよ。君の他には二人いたんだけど、選ばれたのは必然だと思うよ」
「くじ引きのどこに必然があるのか教えて欲しいもんだな、おい!」
「名前を書いた紙は、神紙って呼ばれるもので書いてあるから、力を授けるに相応しい者をちゃんと選べるようになってるからだよ。まあ、神紙が君を選んだ一番の理由は、君の名前にあると思うのだけどね」
「俺の名前って、もしかして……」
フレイヤの言葉を聞いて、直に頭の中で答えを導き出す。真は、あまりにも安易すぎる答えに、口に出して言ってしまうのを憚ってしまう。
「そうだよ。君の神代って名前は、《神の依り代となる者》って言う意味があるからねー」
「言うなーーーーーーー!」
耳を両手で塞ぎ、眼を瞑り、絶叫といってもおかしくない声を吐き出す。もう真の精神は真っ黒だ。いや、どす黒い闇に包まれる寸前の精神状態だ。精神が骨で構成されていたら複雑骨折であろう。
「大丈夫? そんなに落ち込まなくてもいいじゃない。選ばれたのは変えようの無い事実なんだしね」
「……」
真は、答える気力さえなくなり、膝を付き、両手を地面につけ、項垂れてしまう。
『と、とにかく、説明に戻るわね。君に授ける力は《魔眼》の一つで、《魅了の眼》って呼ばれるものだから。効果としては、目のあった相手を自分に惚れさせる能力だよ。ただし、条件は付くけどね』
「ちょっと待て!」
それを聞いた真は、目を見開き、勢いよく立ち上がる。急に立ち上がった為か、眩暈を覚え、足元がふらつく。
「なんでそんな力なんだよ。そんな力要らないわ。」
「決まった事だから、それは無理ね。君に願われた事を叶えれば、力は失われるから頑張ってね」
「頑張ってね、じゃねえよ! 要らないって言ってるだろ」
「要らないって言われてもねー。もう君に授けちゃったよ」
「は? いつ、そんなものくれたのよ?」
「さっき《凝視の眼》を使ったときに、ついでに君の瞳に刻み込んじゃった。これで安心して旅行に行けるわー」
「なんてことしてくれるんだよ。早く、解除しろよ! 今すぐ!」
「もう無理なんだよね。願われた事を叶えるまで、もう私には解除はできないよ。もし、できたとしてもするつもりも無いけどね」
「なら、早くその解除する方法を教えろよ。お前は、俺を殺す気かっ!」
真は必死な形相で問い詰める。なりふりなど構っていられない状況が、真には存在している。
実は、真は女性恐怖症なのだ。過去の幼い頃に起こったある事で発病してしまったのだ。発病した当時、病院に通い何とか生活できるまでには回復したが、完全ではない。距離を取れば会話は問題ない。問題なのは女性との接触だ。一メートル程の距離で、で顔が青ざめ、鳥肌がたち、一メートル以内に女性が近づくと体が震えだす。そして、真に触ろうもんなら失神すること間違いないのである。これでも昔に比べればかなり改善したほうなのだ。
ようやく体質に折り合いがついてきた処に、そんな話しだ。必死になるのは当たり前な事だろう。
「その方法は――『心の底から好きになる異性を見つける事』、それができれば、その力は自然に君から離れていくよ」
菩薩のような慈愛に満ちた表情で、真の顔を見つめてる。
その表情に真は一瞬、完全に心を奪われていた。今までの人生で、そんな表情は向けられた事はない。ましてや異性を好きになる事など考えた事もない。
フレイヤの言葉は、今の自分には到底無理な事ではあるが、初めて感じた心情に言葉を紡げなくなる。
「私に惚れたらダメだよー」
真の心の葛藤を読み取ったのだろう。からかうような笑みを、うかべている。
「そ、そ、そんなこと、あるはずないだろ!」
あまりの動揺に、声がひっくり返っていた。
誰かを好きになる。真の中では、万に一つもない可能性だと常々考えてた。一般的な知識はある。だが、理解はできないと思っている。
真の常識では到底受け入れられるものではない。心が、体が拒絶をする。
だが、先程心に一瞬よぎった心情は、今まで感じたことのないものだった。しかし、その心情はすぐに霧散してしまう。
なんとなく気が落ち着かない感じになり、俯き、思考の闇に捕らわれる。
『口篭ったのは何でかな? あやしいなー』
フレイヤは意地の悪そうな顔で問い詰めてくる。
しかし、真は
「……」
「……真……君?」
「……」
フレイヤの声はまるで届かない。
「無視しないでよー!」
「……」
「ちょっとー」
しばらくすると、顔をあげ、フレイヤを見つめる。その目には、決然たる瞳を湛えている。
「好きな人を見つければいいんだな?」
「……えっ?」
「だから、好きな人を見つければいいんだな?」
「そうだけど……。急にどうしたの?」
「どうでもいいだろ。気が変わったんだ。それに俺の考えなんてわかるんだから、聞く必要も無いだろ」
無愛想な顔で、そっぽを向く。
フレイヤは、にんまりと嬉しそうな顔をほころばせる。
「まーね。じゃあ気が変わらないうちに、残りの話しをしちゃおっか」
そう言うと、残りの話しを詳しく教えてくれた。
残りといっても《魅了の眼》の詳しい能力だ。発動条件、持続時間、効果対象等の説明だ。
聞けば聞くほど、真にとっては厄介極まりなかった。対峙した異性と目をあわせるだけで力は発動してしまい、人数に限りがなかった。対象となるのは、月の物がある者。唯一、時間が二十四時間で効果が無くなるところと、血の繋がりが濃い者には効果が無いことが、真を安心させた。実際は心の底からは未だに納得はしていない。理不尽なことに対して無力な自分に、心の葛藤はあるが、断念することで少しづつ折り合いをつけることにした。さすがに条件を達成するまでずっと、という事を思い浮かべ、真は冷や汗を流した。ただし時間のほうは二十四時間過ぎて効力が無くなったとしても、再度、目をあわせてしまえばかかってしまうのだが。しかし、一番安堵したのは時間より、もう一つのほうだろう。
「よーし、教えてあげられるのはこんなところかなー!」
真は頷き、一瞬、意を決したような面持ちになったが、開放される喜びもあり、厄払いした気持ちになる。
よし、さっさと帰ろうと思った真は立ち去ろうと後ろに振り返るが、帰り方がわからないことに気がついた。
「そういえば、ここから帰るのにはどうすればいいんだ?」
フレイヤはいたずら好きの子供がするような微笑みをうかべると
「こうするんだよ」
嫌な予感を感じたが、時はすでに遅かった。
指を鳴らしたと思ったら真の足元が抜け落ちた。
「じゃあ、頑張ってねーー」
光に包まれ、意識が遠くなりながら、フレイヤの声をその耳に聞く真であった。