弐
黒ノ十三~刃心千乱~
「彼等は真実など気にしない、しかし騙されたと怒る」
「何故上手く騙してくれなかったと誰もが絶叫を上げる」
「騙されていなければ、それが真実なのだからと」
「だから私は真実を知りたい」
2、
「精神寄生体、それが忍者の正体だとワタシは推測する」
「・・・つまり、忍者は人間ではないと?」
「いいえ。だとするなら、そもそも人間とは何かという問いになる」
「・・・我々はどこから来てどこへ行くのか?」
「それもいいえ。忍者という『それ』が、ワタシ達の仮定する人間という存在と起源や根本を同じくするものではないのは確か」
「・・・どこから来たか、わかったと?」
「いいえ」
わかっているのは。
忍者が忍者たる由縁とは何か?
人は「忍者は忍者であって、人ではないから」と往々にして答えるだろう。
そしてその答えが正鵠を射ていると言って間違いはないだろう。
たとえば人が音の速さで動けるか?
仮に動けたとしても「普通」ならば、無事では済むまい。
一事だけで十分すぎるが、他を挙げてみても枚挙にいとまがない程同じことだ。
人間業ではない、そう言うしかない。
ならばそれは、それらは、人間か?
そうとは思えない。
ただし、人間とは何だ?と聞かれて、答える限り、そう否定は出来ないだろう。
少なくとも、人間とは何かなど、当の人間達自身にもわかっていることではないのだから。
だから人間は、わかろうと、する。
「アナタは童貞?」
初対面しての第一声はそれだった。
「・・・いや」
十三はしかしさして引っかかた様子もなく、いつもの調子で答えた。
「そう。なら子供は?」
聞いたのは、冷たい印象を与えるような怜悧な青眼に、金属のようでいながら絹糸のように細い銀髪をした、行動的というよりは単に邪魔だから短くしているように見える、化粧気のない短髪の女。
その肌は青白く見えるほど白く、童顔であるのも手伝って、形容すればまるで人形のような容姿をしている。
「いない。わかっていると思うが、自分達は自然出産はほぼしない。出生管理をしているためでもあるが、基本的に体外受精で子供を設ける」
「でも、自然出産する人もいる?」
「それは、そうだな。・・・実際、自分自身がその具体例だ」
そこは硝子張りで広い庭に面した、ゆったりと空間を使った解放的な応接室。むしろリビングに近いとも思えるような場所だった。
テーブルを囲んで対面式に設置されているソファの片側に、女は座って十三に向かっているが、十三のほうといえばわざわざ部屋の壁にもたれるようにしながらも立っている。
「だからアナタは里にしがらみがない?」
「・・・いいや。むしろ里で育った。『はぐれ』では、ない」
「なら、どうして?は、もう聞き飽きた?」
「・・・ああ」
視線は逸らさず、悪びれもせず、遠回しな質問に翻意を示す十三。
「そう」
しかし明確な否定ではない、が女はあっさりと話を流してしまう。
「アナタはこれを裏切りだと考える?」
ただ、一拍置いてそう問うた。
「・・・もしも、裏切れるというなら、俺はもう忍びではないのだろうな」
十三は少し侘しそうに答え、首を振る。
「いや、そもそも、そうでないものなら、なんだと言うんだろうな?」
「つまりは、ただの人間だということ」
女はにこりとも微笑まず、無感動に言ってのけた。
「・・・だろうな」
十三は、それに薄い苦笑を見せて歩き出した。
そこは極北の大国、冷戦の片翼を担った広大な大陸の覇権者達の庭。
その存在感は衰えたものの、未だに世界に睨みを効かせる程度には強大な力を誇っている。
忍者の里にしても、国内に複数の拠点を構え、その内在員の数も多い。
しかしだからといって忍者との関係が他の国と比べて特に密というわけではない。
忍者達の国籍、というよりは所属の表明が未だに消失した祖国にあることからもわかるように、あくまでも彼等に一国、というよりは「他国」に過剰な肩入れをすることはありえない。
そのためもあるが、忍者の研究については、どこの国でもその力を手にしようと血眼ではあるが、彼等自体の妨害や圧力もあり、全く進んでいないと言っていい。
明確に彼等のことを研究出来ているのは、それこそ彼等ぐらいのものだと言っていいわけだった。
忍者という存在にまつわるしがらみの多くが、彼等の存在の謎を秘匿し続けて来たと言っていい。
しかしここにそのしがらみの外にいると目される忍びが一人いる。もちろん十三のことだ。
だが、十三はそうした依頼を「依頼ではない」と言外にして受諾することはなかった。
だというのに今回、銀髪の女、シニョリアーナ・ベセルスカーフ、という一介の在野の科学者の招聘に十三は応じたのだ。
いや、正確には招聘でさえなく、依頼に応じたということでさえない。十三は主命に従っただけなのだから。
襄空鶴、十三の師であり、主君でもある女。
彼女が十三に、シーナに協力して忍者の謎を解き明かして来いと下命したのだ。
忍者達は各国に里を作り、各国に力を貸すことで己達自身の力で均衡と抑止を行っているわけだが、それはすなわち同胞との殺し合いが当然のように行われているということに他ならない。
幾ら実際が茶番であるとしても、現実に命のやり取りをしていれば、むしろ茶番だからこそ綻びが出るだろう。
各里が各々の利益のために骨肉の争いを本当に始めてしまいかねない。
そのため命令系統の整備と実行力強化も含めて、各里ではなく個人としての権限者、主君という存在を置いた。
選出は当然だが忍び達の中から行われ、厳しい基準を満たすこと及び、最低五人以上の信を得て仕えられることである。
ただし空鶴の場合は少々事情が違った。主君よりもさらに特殊な地位である監察の一人でもあったからだ。
忍び達全体、特に主君達の動向を監視し、組織としての枠を綱紀粛正する立場。公安よりも憲兵などに近い存在であるが、忍び達の存在意義を考えれば主柱的立場だと言っていい。
もちろん監察者達もほぼ確実に主君であり、相互警戒の対象であるのは変わらない。ただし、その活動内容において里に縛られない超規的な存在ともなっていることがしばしばだ。
空鶴も例外ではないどころか、一番の在外派といって間違いのない、言ってしまえば変人か異端者に属するような人間だった。
逆にいえば、「はぐれ」達や反旗者達のまとめ役のような存在ともなっており、非常に重要人物だったと言ってもいい。
その彼女は立場に寄らず、一応主君ではあるものの十三を含めて最低人数である五人の側用忍しかその配下に置かなかった。元より監察者は多くの配下を持つことを良しとはしない傾向にあるとはいえ、あまりに少ないと言える。
その上、十三の扱いに至っては、手綱は一応握りながらもフリーランスとして野に放つなどということを行っていたのだ。
その時点で枠を破りすぎであり、粛清の対象となっていてもおかしくはなかった。
いかなる外力が働いていたのかは不明だが、そうした例外扱いが今回も適応された形になっていた。
そもそも下命であるというのでさえ、十三にシーナを紹介し、「忍者とは何か知りたくはない?」と言外にしただけなのだ。
仮に空鶴が責任を問われる形になったとしても、十三を切ればそれで済むような形にしていたのである。
だから十三に「自分の考え」などというものは、一切なにもありはしなかった。
たとえ、その決断が実際は誰に委ねられているのだとしても。
そうして、初日から一週間ほどは検査という検査に費やされた。
結果は「わかりきっている通り」ではあった。
「本当に人間離れしているとしか表現しようがない」
「・・・だろうな」
最初に会ったのと同じ部屋で、シーナは同じ場所に座り、十三も同じ場所で立っている。
「そんなことは報告されるまでもない、それ以外のことはわかったのか?」
「意外に、興味はある?」
身も蓋もなくつっけどんとする十三に、シーナは少し意外そうに問い返した。
「・・・どうして、ないと?」
「それなら今までにも質問の機会はあった」
「・・・」
十三はため息をひとつこぼす。
「中途で聞いてどうする?」
当たり前のことを聞かれたからだと。
「今も中途には違いないけれど?」
「・・・」
しかしシーナはああ言えばこう言う人間か、穿った様子もなしに言ってのけ。十三は頭を抱えはしないが、それに近い様子で瞑目する。
そんな様子に確信犯的にか、シーナは微かに笑うと手元を操作、各種検査のデータを携帯情報端末から空中投影する。
「見るまでもないけれど、どれも尋常ではない数値だと言える」
「・・・」
十三は、だからどうした、とすら言わずに微動だもしない。
「こんなものはデータを取るまでもなく、実際に見ているだけでもわかる」
シーナは手元をさらに操作。
「でも、貴方の実際は、そういった数値を裏切っている」
「・・・それで?」
そんなことはわかっている、そういう反応だ。
「アナタのDNAも、生体組織も、そのすべてに『異常がない』。とても綺麗な、真っ当過ぎる、『ただの人間』」
そう、それが今や世界中の常識。忍者という存在の最大の不可思議とされているものだ。
生体組織、たとえば髪の毛や皮膚の一部など、すべての痕跡を残さずに行動することは、忍者にさえ不可能だ。
だからそういった遺留物などから、忍者達があれほどの力を誇っているという痕跡どころか、ただの常人と何が違うのかさえわからない事実は公然と知れ渡っているのだ。
「・・・あのスーツは?」
「それが今回の本題」
今回、十三が行った検査はほとんどが体力テストのようなものだが、その際十三は全身に測定用の特殊スーツを着込んでいた。
外的な力の計測は検査でなくとも例に事欠かないほど行われてきたが、内的な計測、外的な力を発している時の忍者達自身の身体的検査は彼等以外の間では一度も行われた事がなかった。
「結果から言うと、何も『異常』はなかった」
「・・・つまり?」
「とても異常だということ」
ただの拳打を忍者が放つ。するとどうなるか?岩が砕ける程度ならいい、鋼鉄の装甲さえ打ち抜くどころか、音さえ超えて空気の壁を作り上げ同時に打ち砕くことになる。
普通ならば、まずそんな拳打を放つことは出来ない。仮に放てたとしても、人間には決して「耐えられない」。
速度は力である。そう言わなくても自明の理だ。弾丸の速さはどこから来ているのかと言うようなものだ。そして弾丸でさえ、まず耐えられないし、耐えることを前提とはされていない。
そんな速度で、力で、殴ったならば、弾丸よろしくその手がひしゃげるだけならまだしも、木っ端微塵になるのは目に見えている。
そもそも微塵になるほど犠牲にしたとしても、そんな速度や威力を出す前に木っ端と終わっていて、まさに拳打を放つことも出来ない。
しかし現実には、忍者達は耐えるどころか軽々と、なんの負荷もないかのように、あっても常人が拳打を繰り出すのと同じ程度で、それほどのことをやってのける。
ならば、忍者の身体は普通ではないはずだ。そうあってはいけない、ありえない。
だが、実際に調べても忍者は常人でしかない。
絶対に耐えられるはずがない以前に、そもそもそんな力を繰り出せるのがおかしいわけだ。
しかし今回はそうした外的に見える結果、それ以上のことを計測した。
たとえば音速の拳打を放った時、その拳にどういう風にどんな負担がかかり、またどうやって力を出しているのかを。
その結果が「異常なし」である。
「そう、現実の数値を明らかに裏切っている」
音の壁を叩き破る拳打。そんなものを繰り出せば、それ相応の負荷が拳にかかる。
しかし数値で見ると、そんな負荷は「ない」のだ。
あるとすれば、ただ単に拳を振るった程度しか。
「・・・そんなわけは、ないな」
「でも、それも予想通りだった」
生体組織を調べれば、忍者がただの常人達と何一つ違わないことは瞭然だ。
その結果に誤謬があり、現在の科学を超越した要因があるのかもしれない。としても、いや、であるからこそ、普通の観点では捉えられない異常が起きている、時点でそこに必ず『異常』が存在すると確信するのに十分過ぎる。
だから実際ここまでの結果に驚くべきことはなかった。
問題は、問題が確信から確定に変わったことで、実際に理解不能にも思える不可思議な現象が起きていることだ。
「だからワタシの出番だったと言ってもいい」
シーナ、シニョリアーナ・ベセルスカーフ。彼女の世間的な肩書きは超自然科学者である。
その時点で胡散臭さが全開どころか、似非だと叩かれても文句が言えないほどの信用の置けなさなのは間違いがない。が、彼女はその筋では有名著名というよりも、異端の中の異端として名を馳せている一人だった。
良く言えば、単に超自然現象を真っ当に科学している、というだけとも言える。
もっとも、忍者などという箍が外れたかのような、非現実的な超越存在が闊歩している今となっては、もはや彼女を異端というのもおかしな話だったが。
「・・・それはいい。それで?」
匙を投げないのも自信を覗かせるのも結構、それよりも肝心な話をと要求する十三。
「もちろん追加検査を行う」
しかし真っ当であるということは、大抵の場合地道であるということでしかなく、劇的な話には繋がらない。
言って、聞いて、十三とシーナは互いに苦笑すると、立ち上がり、歩きだし、部屋を去る。
炎気、雷動、空破、血操。
忍びの術技はその四行に分けられるという。
炎気は、自身の熱を持って増幅し操り使う術法。
雷動は、自身に流れる生体電気を操作し増幅し使う術法。
空破は、自身の体力を用いて体外にある空に干渉し使う術法。
血操は、自身の血肉を操作し変質することで力と変える術法。
それら四行の用法は、忍者以外が行おうとしても到底真似もなにも出来ることではないが、彼等以外に対しては門外不出のような、秘奥の扱いをされて来ていた。
忍者の情報で公に開示されていることなど、彼等の心の祖国ぐらいのものなのだが。
しかし十三は自身の別の任務なども挟みながら、半年以上に及んでそれら四行の実演、測定、解説を明け透けに行っていた。
とはいえ、
「掌をかざせば放出されている体温の熱気を感じる。・・・それらを強く意識して燃やすだけだ」
「・・・身体に走る反応を形と捉える。そこに雷動はあり、捕まえ走らせることで動き出す」
「目の前のすべてを波と捉える。波動を打ち出すように空をさらう。・・・それが唯一の要点だ」
「己が血流を意識し、第二の体や手足と創造すれば、自然にその血は己の意に沿うだろう」
などというような話を聞いて、さてどうしたものだろうかと言ったところだった。
そんなことを十三自身も感じていたか、ある日珍しく十三より口を開いてシーナに問うた。
「・・・歴史についての知識はあるのか?」
「それはどういう?」
「意味か。俺達の根元、ルーツなどについての情報だ」
「なるほど」
十三自身にさほど知識があるわけでもないし、忍者についての情報さえ、自身が忍者である事を除けば詳しいわけではない。
むしろ考えてみれば、まったく何も知らないようなものなのだ。今までの検査で判明した情報からして、忍者があまりにも超常的な存在なのだと初めて自覚した程度にしか知らなかった。
だというのにシーナに問うたのは、それでも自身の知識というより経験と照らし会わせれば見えるものがあるかもしれない、という以上に、そんな自分よりは彼女の方が詳しいのではないかという単純な思考からだった。
「もちろんそんなものは知らない。わかっていればもう少し捗っていそうなもの」
だが、やはり返答はそんなものでしかなく。
「・・・そうか」
何故か、落胆しそうになる十三だったが、そこで終わりはしなかった。
「でも、これは周知すぎる事実だけど、その正体に近づく情報はある」
十三はその言葉にシーナを直視する。
シーナは気にした様子もなく訥々と続ける。
「まず、条約で禁止されているクローン技術だけれど、現在それほどの苦もなく実行可能ではある。なのに忍者は造れない」
忍び達の遺伝子情報などからクローンを作っても、生み出されてくるのはただの常人でしかないのだ。
だから造れないというよりは、「造られていない」し「造れていない」。
では忍者は、忍び達どうしが直接性交しなければ産まれないものか?
体外受精で生まれる時点で違うし、国際的に拡がったことから、血統的に現地の血と交わっていることも多いが、その場合でも忍者としてその子は産まれてくる。
考えられるのは、
「そこから忍者達が認めた者しか忍者にはなれないのではないか、という推測が出来る」
血統でもなく母胎ですらなく、あるとすれば意思の血脈だけでしかないという不条理。
となれば実のところ一番可能性が高いのは、里が何らかの因子を保有しており、それを植え付けることでのみ忍者は産まれえるという観点だ。
しかしそれさえ、「はぐれ」という存在が否定をするし。忍者達にも体外受精による出生管理は、任務を考えた負担のためでもあるし例外もあるが、そこまで厳密に縛る必要性がない。
十三などからしても、そのような事実が裏に存在する気配さえ感じたことはないとしか答えられない。
だとすれば、やはり認知か、あるいは「認識」が問題ではないのかと、超自然的観点を捨てなければ推測がなされることになる。
「『白影』が現れる前まで、その存在が余りにも影にあり過ぎたこと。有り体にいえば、その時点から出現したかのように思えるのも、そう考えればそこまで不思議ではない」
中世社会でなら超人が暗躍していたとしても、科学信仰が根付いていないからこそそれらの超常は驚きは持たれても疑問と共に追求もあまりされなかっただろうとは思える。
にしても、忍者がその力を存在が露見しないためにも用いていようが、あまりに常識はずれすぎるために、もっと記録として残されていてもおかしくないはずだ。
が、まったくといっていいほどそんな記録はない。
祖国が故国になった時、出奔した最初の数が、攻撃で減っていたと仮定しても百人ほどにしか過ぎなかったことからも、規模が小さかったが故に隠匿出来ていた可能性もあろう。
ましてや世界大戦などには手出しもしていなかった方針を鑑みていれば、影にあって当然だったとすら思える。
記録がないのも、彼等の証拠隠滅と記録しない方針による賜物だったと思えばいい。
しかし、『白影』は何故ようやくにして現れたのだろうか?
彼等の力はたった一人の暴走で、たとえ件の白影が、中でも抜きん出た力を誇っていたとしても、今ならともかく昔ならば下忍級程度でさえ世をどうこうしてしまえるものだ。
それまで上手く事を運んでいたから?
いいだろう納得しよう、というよりするしかない。
しかし、もしも忍者という存在が『その頃』、白影事変近辺で生まれていたならば?
逆にそうであるとするならば、と考えたならば?
「だからワタシは、忍者という存在は偶然生まれて来た突然変異というより、そのように出来上がった存在のように思える」
「そのように?」
「人間や他の生き物が、そのような生物であるように」
シーナはまるで忍者がそれらとは別の生き物であるかのように、そう言った。
十三は人外扱いされたようなものだが別段不快にもならず、ただ、
「・・・なら、どうして俺達は人間なんだ?」
疑問を浮かべただけだった。
「アナタは自分を人だと思っているでしょう、トゥリ」
トゥリナーッツァッチ、十三。彼女はそう彼の名を呼んで話題を締めた。
「・・・時々、何のためにここに来ているのかと思う」
「ワタシに逢いにきている、では足りない?」
茶化すようにシーナは言った。
十三が彼女の元に通い約一年が過ぎた。もはや計測することもほとんどなく、十三が経過を聞きにきているだけのようになっていた。
この日は追加の検査の必要性さえなかった。だから十三は思わず口にしたのだったろうが。
「・・・」
何故か言い返す言葉なく、出す気もない。
変にそういった感情は抱いていないと思えるが、やはり少し他とは違う手触りを十三は抱く。
「そう、なら建設的な話を」
シーナはそんな十三の様子をどうとったか、資料を空中投影して見せる。
「血操による体細胞変化は、アナタもそうだけど、大半があまり得手としてはいない」
「・・・ああ」
「血の操作と名に持つように、血流の操作と変異が特質であって、他はついでのようなものだから」
「・・・それさえ、現実を実際が裏切っている、のだろう?」
「そう、変異についてはあまり『異常』が見られなかった。外見的変化を見せる場合でも、『見た目だけ』でしかない。前にも言ったとおり、逆にそれは驚異とも言える」
「その『見た目』に『現実が追いついている』からな」
外反応の実測数値と内反応の実測数値とが一致しない。それが忍者について回る大きな謎、その『異常』の基本だと言える。血操においての身体変化ですらそうだった。
生皮で鋼鉄の刃を忍者は止めることが出来る。それは全力で振りかぶられた刃に対し、挟んで受け止めるわけでもなく、その表皮でまともに受けて切られず砕かれず破られることもなく止めることが出来るということだ。
しかしその鋼鉄の刃さえ受け止める皮膚は、調べてもただの皮膚に過ぎない。
採取した段階で変化が失くなる、というわけではない。
そこまでの血操を使える者は数える程だが、実際に表皮などの強度ではなく質を変化させ鋼鉄と化してみせることも出来る。にもかかわらず、鋼鉄でしかないはずのその皮膚は、剥がれた後でも鋼鉄の強度を持ちながら、どう調べようがただの皮膚でしかないのだ。
この事実は今までも確認された事例ではあったが、その不可思議さが事実として認識されるに至らせていなかったというのも、まず無理からぬと頷くしかないだろう。
「今のところ、ワタシ達に現代科学の範疇で、それらの事象を説明することは出来ない。魔法だと言われても、誰も反論は出来ない」
言ってしまえば、そういうことなのだから。
何もかも、お手上げ、に近いのだ。
「だからワタシ達は仮定し推測する」
それでもかつてのエーテルや、ダークマターのように、説明することは可能になる。
科学の真の範疇とは、その核心とは、結局そうした観点を作り結びつけることにある。
そう信じ謳うが故に、彼女は異端と呼ばれざるを得ないのだ。
あるいはそれこそ至極真っ当な科学者、というよりは探求者の姿だとしても。
「・・・なら、忍者は忍者であるというだけで、問題がある、のか?」
もっとも十三にとっては理解しかねる領分であり、結局はそうした一般的な了見を吐くしかない。
「ある。あるに決まっている。忍者というのはモノの名称や総称でしかない。その実をなんら表していない」
険悪に、はまったくならないが、少し嗜めるようにシーナは語調を強く言った。
言うに及ばず、今更の話をされたと言ってもいいのだから、十三が非難を受けるのは当然だとは言える。
「・・・異常な力を発揮するモノ達、その名称や総称であるとして、十分だとは思えるが。・・・少なくとも、表層としては、おそらく変わらない見解だろう」
しかし納得はしない。十三でなくとも大半がそうだろう。
「それならワタシはここに要らない?」
「・・・」
怒ることなく、むしろ諭すよりは、願うようにシーナに言われて、十三に言葉はなかった。
しかしシーナは十三が答えるまで動くつもりもないようで、ただ見つめている。
「・・・必要だ」
居心地悪そうに身じろぎしながら視線を逸らし、十三はそっと吐き捨てた。
「それはどうして?」
「・・・こちらが困る」
「それはどうして?」
「・・・」
だが、返答に答えは返らず、繰り返す、繰り返す。
「アナタが主命を果たせないから?」
結局、繰り言が本当に繰り返し続けないように、終わらせたのはシーナの方だった。
「・・・俺達は、刃、だからな」
十三は渋々と言ったが、聞いてシーナは苦笑、というよりは失笑。
「己を殺して、耐え忍ぶ?もしくは、刃は心を持たないから?どちらにしても、愚者の言葉」
「・・・」
あるいは暴言、しかし十三は反論もしなければ動揺すらしない。
「刃に心があるとするならば、それが人の心でないわけがない」
「・・・そんなことは」
わかっているに決まっている。十三は言おうとした。
「人に心がないとしても、考えがないわけではない」
「な、に?」
だが続く言葉にさすがに絶句。
「逆に言うなら、心は思考に関係ない」
しかし、さらに続く言葉には、さすがに反論。
「・・・それは、おかしい」
「それはどうして?」
「心が考える・・・ものだろう?」
「それはどうして?」
「・・・何が、言いたい」
再びの繰り言に、今度は十三が強引に話を振り払う。
「心は考えられたものだということを」
シーナは気にした様子もなく、答え。
十三は、核心を聞いて、瞑目。
「・・・だから、どうだと?」
「それと同じだという話」
「意味がない、・・・とでも?」
あからさまに十三は渋い視線をシーナに送る。
「あるつもりだったの?」
涼しい顔でシーナは十三を見返す。
「ワタシはあると思ってる」
「・・・」
十三は返す言葉を紡げない。
自らを明かせない以上、返す言葉などないからだ。
自分?自分とは何か?
知らないのではない、そんなものは知っている。
だから、明かせない。
いいや、明かさないで、いい。
「今、アナタはとても都合がいい考えをしている」
「・・・っ」
シーナの言葉、指摘に十三はほぞを噛む。
図星と自ら明かしているようなものだ。
「でも、心とはそういうもの」
「・・・それで」
何だと言うのか?たとえ欺瞞を暴かれようと、嘲笑を浴びせられたとしても関係がない。
それこそ心は都合のいいものだ。何の問題がある?都合がいいように機能して。
いつものように、だから十三は何も「考えない」。
それで済むのだと、無心に空虚と問い返す。
「だからワタシは仮定する。そこにあるものの存在を」
「な、に?」
もっとも次いですぐに聞いた言葉に、そんな腹づもりも霧散する。
「心の実在を証明するということ。あるいは、それほどに都合のいい『何か』を」
「・・・待て、どういう?」
つもりで、意味で、何をしようというのか?十三の問いにシーナは優しく微笑んで言った。
「ワタシを抱いてくれる、トゥリ」
その日より、さらに半年が経過した。
十三は闇夜を飛んで駆けていた。
もちろん比喩ではない。大陸を横断する勢いで夜天にかかる雲間の合間を縫って飛んでいる。
新月で星明かりさえ暗い中を、強行軍で急いでいたのだ。
火急の用があるのか?その通り。
襄空鶴が自殺した。
そう聞いて、事実を確かめたからだ。
そう確かめて、何が起きるかを考えてしまったからだ。
そう、「考えた」のは、自らの立ち位置と、彼女の立場のまずさ。
だから、急いでいる。
考えが当たれば、間に合わないとわかっていても。
そこはいわゆる僻地に近い。広大な版図を持つ国としては珍しいことでもないが、それにしてもわざわざ近隣の居住地から隔絶した距離にある、うら寂しい森林の中に建っているのだから。
シーナの自宅、兼研究所。
強風と氷雪が舞っている木々の中に、明かりのない無機質な建物が鎮座している。
降雪に足跡をつけながら、たどり着いた十三がその入口へ近づいて行く。
寒さなど気にならないし、普段は息切ることさえない。
忍者ならばその程度は当たり前だ。
だが、目の前の暗闇はうそ寒く、何故か息を乱して呼吸を繰り返している。
今まで超音速機さえかくやという速度で来たというのに、足が鈍い。
一歩一歩ただ歩いて、建物の入口へとたどり着く。
扉に手をかける。鍵は、掛かっていない。
電子扉で強固に施錠されているはずの扉が、何の操作も必要とすることなく開いたのだ。
その時点でもう息の乱れは消えていた。
暗い。明かりが見えない。暗視が出来る忍者には関係ないとも言えるが、そんな問題ではない。
そしてなにより、寒い。外とはさすがに比べるべくもないが、無防備でいれば楽に凍死出来るかもしれない。
完全空調が死んでいるというよりも、機能していない。それもおそらく一日二日程度ではなく。
例えるなら、まるで廃墟のように。
ここは新しい廃墟なのだろう。そんな考えがすとんと落ちる。
だから廊下を駆ける足に迷いはなく、早かった。
そして探し回るまでもなく、いつもの部屋で、いつもの扉を開ける
彼女はそこに居た。
しかしシーナはもういない。
一目でわかる。その出血量、部屋の床が黒い。すでに固結したその中に、沈むように落ちている。
目は閉じている、腐臭は寒さもあってかまだしない。それでもそこには寒さしかない。
衝撃はなかった。足取りを乱すことも、迷うことも一切なく、それでも一応とでもいうかのように肌に触れ、首筋から脈を取る。
もはやそこにあるのは今までとは違うものだと、温度はもちろん、そう明確に手触りからもわかる。
吐息を十三は漏らす。ため息だった。溜め込んでいた疲れを降ろしたような、そんな一息。
おそらく死後一週間と言ったところか。
思えば、二週間ほど前、最後に会った時に、すでに予感はあったと思い起こす十三。
彼女は「実験」の結果を伝えるに、言っていたのだ。
「精神寄生体、それが忍者の正体だとワタシは推測する」
と、そう明確に。
原因を考えるに、それしかないし、そうであろうと確信すらする。
これは明らかに他殺だ。心の臓器を一突きでなど、他にあり得るか?
犯人さえ、うっすらと思い浮かべることが出来る。
だが、十三に怒りはなく、復讐の念も憎悪もない。
あるいは、悲しみでさえも。
十三には、自分が何を考えているのかが、自分でさえもわからなかった。
理解出来ないのではない。
理解して、そうなのだ。
てんで心が動かされていない。
薄情なだけか?そうでもない。でなければ今までの心などどうしたものか。
ただ、十三はあまりにも考えが忍者であったのだろう。
「・・・ああ、そうだな。思考に心は関係ないな」
だからそう理解し呟いて、おそらく弔いは終わりだった。
最後に十三はおそらく初めて、彼女に向けて、それどころかほとんど誰にも見せたことすらない表情で、笑った。
声も出さず、ただ何か満足そうに。
二人の命の喪失を見送った。
本来なら十三が新たな主君にでもならない限り、新たな主君の元に十三はつかなくてはならない。
もしも違えて、盟約を履行しないのであれば、当然「はぐれ」、主君を持たない野良だと見なされる。
忍者という者達にとって明確な、何よりも敵視すべき存在となる。
だが、十三には追っ手も声もかからなかった。
逆に、それで困ったのは十三だったと言える。
空鶴は死に、シーナは逝った。もはや彼を掣肘出来るものはいない。
だというのに、だからどうということもなかったのだから。
困らなかったのだ、何一つ。少なくとも以前と変わらないように生きていくのに。
他にどうしようもなく、何もなく、十三はただそれだけの存在であるが故に、選択を持ち得なかったのだ。
以前と変わらないように生きていかないことが、出来なかった。いや、出来る出来ないでさえもなかったのだ。
そして十三は名実共にフリーランスの忍者となった。
決してはぐれではないが、里にも俗さず、依頼の別なく受ける存在に。
そうなることを見越して誰も動かなかったのではないか?などという馬鹿げた考えも過るかもしれないが、それこそ馬鹿げた話で間違いないだろう。
当たり前だが、殺した方が簡単で楽だし、何よりも面倒が起きる心配がなくなるのだから。
だから十三も、顔色をうかがってそのように身の処し方を決めたのではなかった。
本当に、ただ、それ以外が彼にはなかっただけのことなのだ。
それより二年後、忍者達による一斉蜂起が起こる、その時さえも。
何一つ、不変に。
「ただ、わかっているのは、彼等は何も『考えない』ということ」
それだけのこととすべては同じに。
続
次は、もうちょっと早いと・・・いいなぁ。