地球最期の日
地球が滅亡するまであと十日。
直径数キロにも上る巨大な天体が地球に迫っていることがわかったのが数年前。
NASAを始めとして各国の政府や宇宙開発の専門家らが衝突を避けられないと発表したのが三十日前。
情報が公開された時はそれはもう大変な騒ぎだった。世界中で大パニックが起こったものだ。発狂して全財産を使い切り自殺する者、救いを求めて宗教にすがる者……
報道が追いつかないほど大小様々な事件が世界中で頻発し、残念なことに私の目の届く距離の知人、友人らにも複数の犠牲者が出てしまった。
まあ、死期が少し早まっただけでどの道関係がなかったのかもしれないが。
私はコーヒーを置き、椅子から立ち上がった。
「高松、どこへ行くんだ?」
外に出ようとした私を杉山が呼びとめた。
「ちょっと気晴らしがしたくなってさ」
「……付き合うぜ」
杉山はふっと笑うと机の上にあるものを懐に入れ、立ち上がった。
機密情報の多い研究所からの出入りは厳しく、外に出るだけでも網膜センサー、遺伝子確認など幾重にも渡る厳重なチェックが必要だった。
私たちはそれらをひとつずつ抜け、研究所の入口から外に出た。
郊外にある研究所から街まで車を走らせる。
長時間室内にいた私には外の空気は清々しいものに感じられたが、世はまさに終末を迎えようとしていた。
先月まで賑わっていた街中は今じゃゴーストタウンのように静かだ。
商店街を歩いても店はどこも営業していない。
スーパーや食料品店なんてもぬけの殻だ。数日前までは至るところで暴徒と化した連中がガラスを割り、食料を奪い尽くしている光景が見られたものだったが、
地球上に残る全食糧で滅亡の日まで全人類を生き永らえさせることが出来るという試算結果が出てからはその混乱は収まった。
まして、こうしている間にも世界中で大勢の人間が自殺したり、殺されて数を減らしているのだから、人々は食糧の確保よりも別の欲求を満たそうと躍起になっているようだ。
私もこうして出かける時は上司から支給された護身用の拳銃を懐に入れるようにしている。
本来、日本国内では拳銃の所持はご法度なのだが、我々「選ばれし人間」はくだらない理由で命を落とすべきではないという上層部の配慮によって極秘裏に支給されたものだ。
――それに、警察すらまともに機能していないこの非常事態で誰も私たちを咎めることは出来ないだろう。
ぱっと見では人の気配がないだけで、先月までの何気ない街中と変わりないように見えるが、目を凝らすとガラスや破片の山、人のものか動物のものかもわからない血の痕などが点在している。路地裏には人の死体らしきものが転がっていることすらある。
それにしても、休日はあれほどまでに辺りを賑わせていた人々はどこに行ったのだろう。
家に隠れて終末まで残された時間を家族や愛する人と過ごそうとしているのか。それとも、怪しい新興宗教の総本山で、何千もの信者と一緒に最期を迎えようとでもしているのか。
「高松、いたぞ」
ふと、そんなことを考えていたら杉山に声をかけられた。
促された方に視線を向けると、若い男の二人組がトラックに荷物を運び込む姿が見えた。
きょろきょろと辺りを見回しているのが怪しい。
「火事場泥棒かね?」
「だろうな……」
「……いくか?」
「もちろん」
私たちはホルスターから銃を抜くと物陰を利用しながら、二人組に近づいた。
そして二十メートルほどまで近づいた辺りで、杉山が引き金を引いた。
「!!」
パンッと嫌な音を立てて、二人組の一人が地面に倒れた。
「当たったぜ」
嬉しそうな杉山の声。そして、突然のことに驚きながらも走って逃げだすもう一人の男。
「逃がすな!」
「当たり前ぇだ!」
パンパンパン!動き回る標的に当てるのはなかなか難しい。
しかし、何度目かの発砲で、私の標的は血を噴き出しながら倒れた。
私たちはそれを『狩り』と呼んでいた。
滅亡まであと五日。
外はしとしとと雨が降り続けている。
「子供の頃からこういう雨の日は嫌になるんだよな」
杉山が銃の手入れをしながらぼやく。
昨日の狩りでは二十人近くの標的を撃ち殺した。その余韻に浸っているうちに、居ても立ってもいられなくなったのだろう。
最期の日が近づき、身を潜める生活に嫌気を差した人たちが多かったのだろう。昨日の狩りはとても楽しかった。
人間狩りなどとっくに飽きてしまった上司はゴルフの打ち合わせなどをしている。
呑気なものだ。『地球は五日後に滅びると言うのに、来月のゴルフの打ち合わせをしている』なんて。
私は強化ガラスの窓の外の雨景色を見ながらついつい笑ってしまった。
滅亡まであと三日。
とうとう、フライングして滅びてしまった国家もあるらしい。今じゃ報道機関もまともに機能してはいないが、うちの研究所にはそういう情報はすぐに聞こえてくる。
――無理もない。このご時世、役に立たない政府などより我々宇宙開発の専門家が社会の中心になっていくのは必然的だった。
今日は、『救いの樹』などという宗教団体が世界中で同時に集会を催すらしいので、『狩り』はとても充実したものになるはずだ。
いよいよ滅亡は明日だ。
世界中の人たちは明日が来ることにおびえているのだろうが、私は明日が怖くない。
当然だ。世界は滅びないということを『知っている』のだから。
そう、地球は明日滅亡するわけではないのだ。
天体の軌道計算には重大な誤りがあることがわかったのは、衝突を発表した数日後だった。
私たち日本の研究グループが、世界中の研究者、アマチュア観測家などが見落としてしまうような条件まで反映させ、正しい軌道の計算に成功し、天体の衝突を免れられると突き止めたのだ。
NASAはすぐに修正結果を発表しようとしたが、米政府がそれをやめさせた。
それまでの数日で地球上の人類の数は三分の一まで減ってしまっていた。あれだけ人口増加が問題になっていたのに、人口問題は一気に解決だ。
そう、米政府が中心になって今回の件を地球上の人口抑制に利用したのだ。
計画は成功、予想以上の成果を上げた。
今後も人口問題が起きた時は、今回のように滅亡の情報を流せば勝手に減ってくれるんじゃないか。
業界内ではそんな冗談まで飛び交うようになった。
明日、世界は再編成の時を迎える。
明後日からはもう一度やり直せばいいだけだ。
社会が再始動したら、狩りももう出来なくなってしまう。
今までも、狩った人数を競ってきたが、明日までにトータルで一番たくさんの人間を狩った上位三名には特別褒賞があるという。
人の生き死にまで娯楽にしてしまうのは不謹慎かもしれない。
しかし、一日中研究室に籠る日々のストレスを最高の形で発散してくれた『狩り』だ。
狩りの対象になってしまった者たちには気の毒だが、それは私たち選ばれし者のための、やむをえない犠牲なのだ。
今日中に思う存分楽しんでおこう。
私は昨日までは四位だったが、頑張ってたくさん狩って、上位に入り込んでやる。
そして、地球滅亡当日。
空には太陽よりも大きな影が浮かび、人々がいよいよ最期を受け入れようとした時、それは驚くほど呆気なく報道された。
「地球は滅亡を免れた。今回の軌道計算はミスであった」と。
一瞬、地震かと思ってしまった。
しかし、それは声だった。人々の、声。
ある者は歓喜にむせび泣き、別の者は思い切り怒鳴り散らし……
「高松。昨日はよく頑張ったな。見事三位に入ったようじゃないか」
「所長……」
「狩りはもう出来ないが、心機一転、これからも世界のために頑張って働こう」
「所長……そうですね!」
所長に促され、チェックを潜り抜け、外に出る。
地球が、歓喜の声をあげているかのようであった。
どこに、これだけの人々が隠れていたのか。
そう思ってしまうほど……全世界が震えるほどの大歓声が大地を包み込んでいた。
美しいと思った。
地球は本当に美しい星だ。この美しい星を再び繁栄させていこう。
それが私の務めだと胸に誓った。
所長が腕時計に目をやると、笑顔で言った。
「時間だ」
私はテレビ局に来ていた。
わが研究所から天体の軌道計算に尽力した三人が全世界同時生放送で称えられることになったのだ。
『狩り』の特別褒賞というのは、このことだった。
チームが一丸になって軌道計算に成功したのであり、特定の個人の功績ではなかった。
しかし、所長は『狩り』の成績優秀者三人をその功績者として最高の栄誉をくださったのだ。
私はますます仕事へのモチベーションを高め、これからも科学発展のため尽力することを心に誓った。
一緒に選ばれた二人と控室で談笑していると、アシスタントディレクターがやってきた。
「出番です」
私たちは顔を見合わせ立ち上がると、胸を張ってスタジオへの入口をくぐった。
「……彼らこそが、その三名なのです!」
司会の声に促され控室から薄暗い通路を抜けスタジオに出ると、まばゆい光と歓声に包まれた。
この日のために改築された屋外スタジオには何千、何万という観客が詰めかけていた。
スタジオの中心にはスポットライトで照らされた、玉座のように立派な肘掛け椅子が並べられている。
私たちは司会に促されるままそれに座った。
肘掛け、足首、首筋からベルトのようなものが伸びてきて、体と椅子を繋ぎ止めた。
変わったデザインだが、体と椅子のフィット感はなかなか心地良い。
司会者が明るい声で話を続ける。
「さて、こうして嘘の軌道計算を行った三名の研究員は無事捕獲されたわけですが、彼らの処遇に関しては皆さんの投票で決めたいと思います!」
ワーーッ! と地面が震えるような歓声が上がる。
……? 嘘の軌道計算?
……何の話だ?
視線を横にやる。他の二人もベルトで固定されたまま、狐につままれたような表情でこちらを見返す。
「この番組は全世界五十カ国同時生放送となっております! もちろん、テレビの向こうの皆さんにも投票権は与えられます!」
再び大地を揺るがすような大歓声。
……何を言っているんだ?
私は自分の置かれた状況が飲み込めないまま、観客たちのテンションだけがますます上がっていく。
立ち上がろうとしても、ベルトがきつく食い込み身動きが取れない。
「繰り返しますが、この三名は嘘の軌道計算で世界を混乱させただけでなく、パニック状態の民間人を銃で狙撃して楽しんでいたという目撃情報が多数寄せられています」
「皆さんのモラルに照らしあわせて、後悔しないよう最高の一票をお願いします」
「世紀の罪人の彼らに正義の鉄槌を!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
何かの合唱のように、人々の声が太く重なりあって美しいハーモニーを奏でる。
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
「……っ!!」
何かが弾けるような音が聞こえ、隣に座っていた人影の首が見えなくなった。
観客たちの歓びとも怒号ともつかぬ声がスタジオを包み込む。
しかし、私にはもうどうでも良いことだった。
次は、私の番なのだから。