嘘の始まり
家に着いてゆっくりお風呂に入りながら咲季先輩と話したことをまた思い出す。
私の幸せ?どう幸せを掴んだらいいのかな。私には健吾しか見えていなくて、健吾は伊東さんしか見てなくて。こんな状況にどう頑張って幸せになる方法があるのかな?
自分をアピールするって、こんなに恋愛相談までのる仲になっているのに、今更どうアピールするのかわからないよ。
また昔の同級生みたいに「恋愛目線で見たことがない」なんて言われたらもう立ち直れない。
本当に今更ってほど年月が経っているし。伊東さんのこと応援してるよって言っていた私が「健吾のこと好きなの」って言うの?どんな顔して言うの?
言えないよ!もう!だから男友達になったらだめなんだよ。
5年前。入社して、健吾とは研修中に同じグループになった。
「よろしく!山中 健吾です」
「あっ、柚原 楓です。よろしく」
「柚原って変わった苗字だね。これから社会人として大変だけど頑張ろうな、柚原さん」
「うん。山中くん頑張ろうね」
「ずっと健吾って呼ばれてきたから柚原さんも健吾って呼んでよ」
「わかった。じゃあ私も楓って呼んで」
隣の席になって健吾とは気軽に話せた。接しているうちに気になり始めて、なんとなく健吾のことばかり見ていた。
笑顔が印象的で、話をしていても優しさが伝わってきた。一生懸命仕事の勉強をしている姿を見て、近くにいたくて私も一緒に勉強した。
一緒に笑って、悩んで、ふざけあっているうちに良い所も悪い所も含めて好きになって、心の中がキラキラした。そう、これが好きっていう感覚。
でも研修後の同期の飲み会で健吾に彼女がいる事を知ってしまった。
誰かが言った「健吾は彼女いるの?」って質問に、「うん、いるよ」と答えた健吾の顔を見ながら私の中で時が止まる。
-彼女がいたんだ・・・-
そうだよね・・・一緒にいるのが楽しくて、そんな基本的なことも聞いていなかったんだ。
健吾のことが気になりだしてから全てが楽しくて、もっと健吾のことが知りたい!って思った矢先に、彼女がいるって知るなんて。
それ以上思考が動かなかった。
視線は健吾に向いているのに、健吾の顔がはっきり見えないような不思議な感覚に襲われて。
どれくらい時が止まっていたのだろう。
「柚原」
隣に座っていた澤田くんのささやくような声が耳元で聞こえてハッとした。
「グラス空きそうだけど、何か頼む?」
メニューを見せてくれたけど、選ぶような余裕はなくて適当に答えて頭を整理した。みんなの前なんだから気をつけなきゃ。
頼んでくれたお酒に口をつけてみんなの会話に耳を傾けると、健吾の彼女の話だった。
大学からの付き合いで、働き始めて遠距離になったこと。会いたくてもなかなか会えない複雑な気持ち。どんな子か、芸能人の誰に似ているか。
質問しまくるみんなは楽しそうで、私はそんな光景をただボーっと見ているだけ。
そんな飲み会が終わって皆と別れてから、もう頭の中は健吾のことだけで。恋と気付いたこの気持ちを諦めるのか、貫くのか。
まだ同僚という枠で友達にはなりきってない。彼女がいても割り込めるかな。
結婚しているなら諦める。でも、健吾は結婚しているわけじゃない。
今まで彼女がいるという状況なら諦めたことはなかったし、こんなに悩んだこともない。
とにかく好きという気持ちを伝えていたのだ、友達になってしまう前に。
でも、健吾には言えなかった。
話せば話すほど、知れば知るほど好きになってしまったから。好きだと言って断られるのが恐くなってしまった。
今まで好きになった人への気持ちと何かが違う。
「ゴメン・・・楓のこと恋愛目線で見たことなかった」
あの言葉、あの時傷ついた気持ちがフラッシュバックしてしまって、健吾に嫌われたくない!失いたくない!って思って自分の気持ちに蓋をした。
そうだよ・・・あの時諦めちゃったんだ。
そしてあれだけ心に決めていたのに、しっかりと友達関係を築いてしまったんだよね・・・大馬鹿だよ私。今、こんなに後悔してるじゃない。
恋愛相談にのって、女心をアドバイスしたりして、頑張れ!頑張れ!って・・・そうやって私の嘘が始まっちゃったんだ。私は友達なのに、心に思っていない嘘をついた。そうやって自分の気持ちに一生懸命蓋をしたんだ。
なのに・・・しばらくして遠距離の彼女と別れちゃった。彼女は他の人を好きになって健吾は、ふられた。
落ち込んだ健吾のそばにいる時間が増えた。今私達の行きつけの美好に通い始めたのもその頃で、浴びるように飲む健吾に付き合い、よく2人で二日酔いになった。休日は海に山にドライブ、映画にコンサート、どちらかが行きたい!と言えばどこでも行った。美好ではなく家で飲むといえば、そのままお互いのアパートにも泊まった。
普通ここまですればデートなのだけど、私達はただ楽しんでいたんだ。私は健吾のそばにいたくて、健吾の笑顔が見たくて。
そして彼に笑顔が戻った頃には、完全なる親友になっていた。
恋や愛を感じ合える男と女になれる空気はどこにも存在しなくて、時だけが過ぎちゃった。
そして半年前、健吾は伊東さんと出会っちゃったんだ。
「楓、昨日の飲み会で気になる子がいたんだ」
そう言われて心臓がキュッとなった。
初めて健吾に彼女がいると知ったあの時よりも、もっともっと現実的に衝撃がきて、健吾が目の前にいるのに存在を感じられなかった。
「でも彼氏がいるらしくて、諦めなきゃだめかな」
恋をしてしまった目の前の健吾に言葉が浮かんでこなくて
「頑張りなよ」
何の感情もない顔で言ってしまったんだ。
それからは彼氏のいる人に恋をして悩む健吾にまた相談されてアドバイス・応援。
嘘の言葉・嘘の笑顔・嘘・嘘・嘘。
本当の私なんてどこにもいない。
もう幸せの掴み方なんてわからないよ!わからない!あ~もう嫌!湯船のお湯でバシャバシャと顔を洗うと、いい加減長い時間湯に浸かっていたことに気付き、急いで湯船からあがった。