そばにいて ④
二人で足音を合わせながら階段を上り、楓の部屋に向かう。
自分の肩を抱いている健吾の手をチラッっと見て、鼓動が大きくなる。
こんなにそばにいてくれる健吾の存在が、まだ私には実感がなくて。肩から背中に感じる健吾のぬくもりを、まだ戸惑いでしか感じることができなかった。
部屋の前に立ち、バッグ中から部屋の鍵を探す。
指先に触れたキーケースを手に取り、目の前の鍵穴に挿す。カチャンと音をたてて開錠し、ドアを開けた
。開いたドアを健吾が持ってくれて、私が先に入り壁の右側にあるスイッチを押して玄関の照明をつける。
そして振り向き健吾に声をかけた。
「どうぞ」
「おじゃましまーす」
部屋の照明をつけてテーブルの上に置いてあるエアコンのリモコンのスイッチを押し、コートを脱いでハンガーに掛ける。そして健吾のコートも預かり、同じようにハンガーに掛けた。
「すごく久しぶりだな」
「ん?」
「ここに来るの」
「うん、そうだね」
そう・・だって健吾は伊東さんを好きになったから。昔みたいにあたり前に一緒にいる時間が減って、飲みに行ったり出かけたりはしても、うちでゆっくりすることはなかった。
だからまたここに健吾がいるのは何かドキドキというか恥ずかしいというか意識してしまう。
とりあえず健吾にはソファーに座ってもらい、キッチンでコーヒーの準備をする。
コーヒーメーカーにコーヒー豆を入れ、ミルのボタンを押すと粉状になった豆が香りを放った。
そしてフィルターに移し、水を入れスイッチをいれる。
コーヒーカップの準備をしようとしたところでスマートフォンの着信音が鳴り響いた。
「はい」
バッグを健吾が差し出してくれ、健吾のもとへ取りに行く。
「ありがとう」
バッグを受け取り中からスマートフォンを取り出して見ると、ディスプレイに表示されていたのは母親の名前だった。
「ちょっとごめんね」
一言断って電話に出ると、母親の明るい声が聞こえてきた。
「もしもし」
「もしもし、楓。今、電話大丈夫?」
仕事している娘を気遣う母親の優しさがいつも電話の時に感じられた。
キッチンに戻り、耳と肩で携帯を挟みながら話し、トレーの上にコーヒーカップの準備をする。
「うん、今帰って来たとこだよ。それで、何かあった?」
「そうそう、今日高校の同窓会のはがきが来たけど、そっちへ郵送するか聞こうと思って。どうする?」
「ああ、お願い送っ・・あっ!」
話の途中でスマートフォンが落ちそうになり、手を動かしたらカップを載せていたトレーにぶつかって、ガチャガチャと音をたてた。するとその音に健吾が反応した。
「大丈夫か?」
心配そうに駆け寄って来てくれた。
「うん、大丈夫」
その声に母親が反応した。
「何、どうしたの?誰かお客さん来ていたの?」
その問いに、一瞬戸惑う。健吾の声が聞こえたのだろう。
「うん、・・友達が?来てるの」
どう話すか迷ってごまかすような答え方をしてしまった。チラッと健吾の方を見ると、しっかりと目があってしまい、更に気まずくなる。
「あら、ごめんね。じゃあ、はがきは明日送るわね」
「うん、ありがと。お願い」
「はーい。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
電話を切り、キッチン横の棚に携帯を置いて健吾の方を見ると、やっぱりこっちを見ている。ジトーっとした不機嫌そうな目で。
「うっ」
健吾の顔を見て、思わず焦りの声が出る。
すると健吾はソファーから立ち上がり、こっちに向かって歩いて来た。
思いっきり側まで寄り、上からさっきと同じ視線で見下ろしてくるので、その圧力に負けてしまう。
「へ~友達?俺は楓のお友達なんだ~」
方眉を上げて、わざと嫌味な口調で言ってくる。
う~どうしよう。困ってしまい唇を結んで少し噛みながら視線をそらす。
「だって・・何て言っていいか・・」
そう、健吾のことどう言ったらいいのか分からない。私は健吾のこと「好き」って言葉を伝えたけど、健吾がどう思っているかはまだ聞いてないし。付き合うとかも話題に出ていないし。
そしたら健吾のこと勝手に彼氏とか言えないし・・
「ふ~ん」
そう聞こえたと同時に、健吾が私の顔を覗き込んできた。
目の前に健吾の顔があり、目と目が合って思わず瞳が開いてしまった瞬間・・・健吾の唇が重なった。
瞳は開いているのに、何も見えなくて・・・分かるのは唇の柔らかさと、温かい温度。
思考が回る前に健吾が唇を離して、また視線を合わせてきた。
「楓は友達とこういうことする?」
「しない・・」
ふるふると頭を振って健吾を見つめる。
「俺もしない」
優しくささやくように言った。
そう言ってくれた健吾の言葉に、さっき母親との電話で【友達】と言ってしまったことを申し訳なく思い、
「ごめんね、友達なんて言っちゃって」
健吾の瞳を見て謝ると、「いいよ」と笑顔を見せてくれた。
その笑顔で心が温かくなって、私も笑顔になれた。
「俺が気持ちを伝えてないから彼氏って言えなかった?」
「・・うん、勝手に言っちゃいけない気がして」
健吾が真っ直ぐ言ってくれたから、私の思っていることも言えた。
「ごめんね」
もう一度健吾に謝ったと同時に、優しく抱きしめられた。
力を入れず包み込むように。
「俺が言っても信じてくれる?」
抱きしめられたまま顔が見えない状態で、健吾が不安そうに聞いてくる。
どうして不安そうに聞いてくるのかは分かっている。
さっき気持ちを受け止めてくれた時に、ちゃんと言ってくれたから。自分が今言っても信じてもらえないだろうからって。
だけど今、顔が見えなくてもこの温かく包まれた優しさに、全てを信じたくなった。
「うん、信じる」
頷いて答えた私からゆっくり身体を離した。
それでも背中に回された手は、さっきと変わらず私の身体を包んでいる。
そして私の瞳を優しく見つめて、甘い声でささやいた。
「好きだよ」
その言葉が聞こえた瞬間、心がキュッと甘い痛みを与えた。
言い表せない感情が込み上げて、意識とは別に涙が瞳に溢れてくる。なんとか堪えようと唇を噛んだけど、目頭からポロッっと流れてしまった。
「うん・・うん・・」
健吾の気持ち・言葉が嬉しくて何度も頭を縦に振る。その度に涙が落ちる。
笑顔も見せられず、言葉も出せず、でも健吾の気持ちと言葉をちゃんと受け止めたことを伝えたくて、精一杯頷いた。
「楓、ずっとそばにいて」
「・・はいっ」
涙で歪んだ顔のままだったけど、健吾の顔を見上げ心を込めて答えた。
-私も健吾にずっとそばにいて欲しいー
「ありがとう」
嬉しそうに健吾が笑った。
そして私の唇に視線を落として、もう一度キスをした。
優しく、唇を合わせるように。ゆっくり唇を押し付けるようにキスをするので、感触が伝わってくる。健吾の唇の形まで。すごく気持ちがいい・・・
その唇が愛しくて、以前触れたことを思い出す。健吾が酔ってキスした時のことを。
そして意地悪な質問をしてしまう。健吾が間違えると分かっている質問を・・
唇を離して近距離から健吾の瞳を見て問う。
「ねぇ・・」
「ん?」
甘い声で答え、視線を合わせてくる。
「今のキスで何回目?」
「ん?」
少し首を傾け、私の問いを探る。
「健吾と私のキス、これで何回目?」
ずるいことを聞きながら、私の視線もイタズラな表情になる。答えは間違ってもいい。
それでも健吾に聞いてみたくなった。
「3回目」
予想外の正解に、驚き瞳も口もポカンと開いてしまう。
「えっ、何で?」
「それでこれが4回目」
そう言って、チュッとリップ音たてながらフレンチキスをしてきた。
そして苦笑しながら教えてくれた。
「楓が知りたいのは1回目だろ?」
「えっ・・」
戸惑いの声が出る。
「1回目は・・美好でお前にキスした」
「嘘!何で・・だってあの時・・」
「酔っ払って潰れていた。って思ってるだろ?でも酔えなくて、お前が来たのが分かって寝たふりしていた」
「何で?」
健吾の言ってることが分からなくて、一瞬混乱する。だって・・あのキスは酔って寝ぼけて伊東さんと間違えて私にしたと思っていたのに。
「あの時はさ、結婚式の時お前を迎えに行ってあいつが追いかけて来て話してるのを見たこととか、その後コーヒースタンドでお前に触れていたのを見てむかついたことを思い出して、いくら飲んでも酔えなかったんだよ。そこへお前が来たから何となく寝たふりしたんだ。それで俺を起こすお前の顔を見たら・・・キスしてた」
「私ってちゃんと分かっていたの?」
「ちゃんと分かっていた。今思えばあいつに取られるって焦りとやきもちだったんだけど、モヤモヤしてたあの時、お前をそばで見て惹かれたんだ。気付いたら腕を引いてキスしてた」
「伊東さんと間違えたんじゃなくて?」
「違う、ちゃんと楓だって分かっていた。でも、その時は何でキスしたのか分からなかったけど、きっとあの頃からお前のことが気になってしかたなかったんだ。だけどそれが好きだって気持ちには気付かなかった」
思ってもいなかった告白に言葉が出なかった。健吾がそんな風に感じていたなんて。
「でも、お前に突き飛ばされちゃったし、次の日に謝ろうとしたけど何にもなかったように普通でいるお前に、結局何も言えなかったけどな」
苦笑しながら話す健吾に申し訳ない気持ちになる。
「ごめんね」
心を込めて謝ると、
「じゃあ、今度は楓からキスして」
少し低い声で笑みを浮かべ、健吾から誘惑してきた。
その誘いに乗るように、背伸びをして上を見上げ健吾の唇に近づくと、健吾も唇を寄せてきた。




