そばにいて ①
昨日の夜から仕事中の今も頭の中を巡る、昨日の美好でのことが。
知らされた事実、そこに自分の知らない楓がいた。今まで自分が見てきた楓が全てだと思っていた。
楓が俺を?何度繰り返し考えてみても、あいつが俺に対してそんな感情を持っていると感じたことはなかった。いつも笑って・ふざけて・相談にのってくれる顔しか思い出せない。
俺が楓に「好きな奴や、気になる奴はいないのか?」と聞いても、「うん」という答えしか聞いたことがない。それに思い出せば「楓にも幸せになってもらいたいと思っている」なんて言った記憶もある。
そうやって自分が楓を遠ざけていたのかもしれないと思ったら、今まで自分のしてきたこと全てに後悔が襲った。その結果、楓は俺から離れて行った。
最近ずっと感じているこの重い気持ちは、喪失感だ。
楓が会社を辞める少し前からできた溝。伊東麻里との事で楓を巻き込んでしまい嫌な思いをさせた。
その時言った楓の言葉・・・「全部嘘」「健吾の幸せなんか願っていない」「もう限界」
-お前どんな気持ちで言ったんだ?ー
それなのに最後去って行く時に、「今度は本当に健吾の好きな人とのこと心から応援するから許して」
なんて言わせてしまった。
今井さんに聞くまでバカみたいに気付かなかったよ。
ーあんなにそばにいたのになー
俺は何を見てきたんだろうな。楓がどんな気持ちで去ったか知らずにいたなんて、自分でも嫌になる。
最後に見せた楓の笑顔が心に深く残っていた。
お前のいない毎日が、こんなにも俺を孤独にさせるなんて。
何でこんな気持ちになるのか、それは・・もうだいぶ前から気付いていたんだ。
-それを楓に伝えに行く、もう遅いのかもしれないけれどー
今、あの男のそばにいる。
それが昨日からずっと健吾の心をモヤモヤさせ、苛立ちを感じさせていた。
もう遅いかもしれない。そう鬱々と何度も繰り返し考えていて、気持ちが浮つき仕事に神経が行き届かない。
それでもこなすべき仕事は定時までに終わらせた。今日だけは残業するつもりはない。
早めに社に戻り、デスクワークも終わらせて帰り支度を整える。
そして付箋を取り出し、咲季には「これから行って来ます 山中」・隼人には「餞別サンキュー」と書いてそれぞれのデスクに貼り付けてから退社した。
そして目的地へと真っ直ぐ向かった。楓に会ってどう話すかなど考えずに。
今はとにかく楓の顔が見たかった。
両手でファイルを抱えながら資料室に入る。今まで使っていたこのファイルをそれぞれ所定の位置に戻して、並べられたファイルや書籍を見渡す。
やっと慣れてきたこの空間。大変なこともあるけれど、何とか自分の居場所として身体にも馴染んできた。
それでもこうやって一人になると未だに思い出してしまう。健吾の顔を。
忘れることはできないけれど、距離をもって自分の気持ちに区切りをつけるつもりでいたのに。
何度か健吾から電話があって気持ちが揺れた。コール音が続いて思わず出たくなったけど、声を聞いてしまったらまた気持ちが戻ってしまうと、そのまま切れるのを待った。
着信拒否する勇気もなく、結局気持ちを引きずったまま。
こんな逃げ方ずるいけど、そんな風にしかできない。こうやって嫌われて終わるのかな・・・
ボーっと考えながら資料室を出て廊下を歩いた。フロアに戻り自分のデスクに座ると同時に英輔が声をかけてきた。
「楓、今日はもう帰れそう?」
「うん、今片付けてきた」
「じゃあ、みんなで飲みに行かない?」
英輔の誘いの言葉を聞いて周りを見ると、数人の人が笑顔を見せている。
「最近残業続いたし、明日休みだから飲みに行こうって何人かもう先に行ってるからさ」
「うん、分かった行く」
即答してとりあえず帰り支度をした。
営業部だから男性の方が多いけど、そんな飲み会の環境には慣れていたから抵抗はない。
それよりも今日のように気持ちがしんみりしている日は、騒がしい場に誘ってもらえてよかったと思っている。
数分後みんなで冗談を言いながら笑い合って会社のエントランスを出た。
話は英輔と私の学生時代の話で、思い出話をしながら私に相槌を求め、英輔は私の肩に手をかけながら笑っていた。私も思い出しながら懐かしんでいた。
すると後ろから会話を遮るように、思いがけない声が聞こえた。
「ごめん・・さわらないで」
その声と共に肩にかけられていた英輔の手の感触・重みがなくなった。
そして耳に届いた声。振り返るとそこに健吾がいた。
英輔に鋭い視線を向けて、手首を掴んでいる。
「・・何で・・・」
ここにいるはずのない健吾の姿を見て衝撃を感じて、大きく息を吸った。
健吾が・・どうして?・・何で・・ここに。
今の職場を教えていないのにと、この状態が理解できずにいる。
ポカンとする楓と同じように、腕を掴まれた英輔も相手の顔を驚きの眼差しで見つめた。
「えっ?何?」
「健吾・・」
戸惑う英輔のことも視界に入らないかのように、楓は健吾の姿を呆然と見ていた。
「・・あっ!」
英輔は楓の呼ぶ名で今自分の腕を掴んで真っ直ぐ視線を寄こしている男が、楓から聞いていた健吾だと認識した。周りにいる同僚達は、「何?」「誰?」と不審がっている。
そんなみんなのざわつきも気にせず、英輔の腕を放して告げた。
「すいません、楓に話があるんで連れて帰っていいですか?」
柔らかい口調とは裏腹に、視線はさっきと同じように鋭さを持っていた。ダメだとは言わせない空気。さっきからざわついていた同僚達は、健吾が「楓」と呼び捨てに言ったことで今度は「何?彼氏?」「柚原さん彼氏いたのかよ~」「マジで?」と残念がる言葉を口々にしている。
そして英輔は健吾が自分に向ける眼差しで状況を察知した。
「わかりました。じゃあ、俺達行くから」
「え・・でも」
状況が飲み込めず英輔に戸惑いの視線を送ると、英輔はそっと楓の耳元にささやいた。
「ちゃんと話して来いよ」
そして歩き始め、同僚達に「行くぞ」と言いながら飲み会の会場の方向へ歩いて行った。
楓は行ってしまったみんなの後姿を見ていたが、未だに状況が理解できず気まずくて、何となく視線を泳がせた。そんな楓をじっと見つめ、優しく名前を呼んだ。
「楓」
「うん?」
戸惑いと複雑な感情で、健吾の顔が見れない。
「やっと・・会えたな」
「・・・ん」
うつむいて視線を落としたままでいると、健吾が一歩近寄った足先が見えた。
その瞬間右手を握られて、そのまま引っ張られるように歩き始めた。
「え?何?」
聞いても何も答えてくれない。それでもそのまま歩き続けている。
ギュッと手は握られたまま、前を歩いていく健吾に動揺しながらもついて行く。
-なんで私達、手をつないで歩いているの?-




