真実
隼人の協力の元、咲季は健吾を連れだって会社を後にした。隼人には耳打ちして目的地へと案内してもらうように先を歩かせた。その目的地とは楓と健吾の行きつけのお店・・・美好だ。
隼人と並んで歩きながら方向で分かったのか健吾はふと足を止めた。
「何処行くつもり?」
冷めた目つきで隼人に尋ねた。そんな健吾の気持ちを察しながらも素知らぬふりして言葉を返す。
「美好だよ」
「他行こう」
隼人の調子に負けることなく間髪入れず言い返した。そんな様子を真後ろで咲季は見ていて、心の中で隼人に「負けるな!」と応援する。健吾が美好に行くのを嫌がる理由は、楓への感情が少なからずあるからだろうと期待も持った。だからこれだけは譲れないと思い、
「私が澤田くんに頼んだの。今まで話に聞いていた美好に行ってみたいって」
そう言って2人の間に割って入ると、隼人も話を合わせてくれた。
「そうだよ、おばちゃんにもまた行くって約束したのにそれから行ってないしね」
「じゃあ2人で行けばいいだろ」
「もうすぐそこなんだから。美好じゃだめな理由なんてある?」
「・・・」
嫌がる健吾を隼人は涼しい笑顔で黙らせる。
でもそのおかげで健吾も渋々だけど歩き出した。咲季は前を歩く2人を見ながら、心の中で隼人に感謝した。ちゃんと話をするなら、2人の思い出の詰まった美好で向かい合いたかったから。
それからすぐ店に着いて中に入った。
「あら~!いらっしゃい」
「こんばんは」
ため息をつく健吾に代わって隼人が笑顔で迎えてくれたおばちゃんに挨拶をした。
「久しぶりね~、また来てくれるのを待っていたわよ嬉しいわ。こちらのお嬢さんも会社の方?」
そう言って咲季に笑顔を向けて尋ねた。そんな笑顔に答えるように咲季は自己紹介する。
「初めまして、今井咲季です。職場でよくお店のこと聞いていたので、今日は無理行って連れて来てもらっちゃいました」
「そう、ありがとうね。ゆっくりしていって。じゃあ奥の席が空いているからどうぞ」
咲季の肩を優しく押しながら、健吾と楓が使っていた奥にあるいつもの席に案内してくれた。そんなおばちゃんに咲季は初対面から親近感を持つことができた。目の前で優しくしわを寄せながら笑顔を見せるおばちゃんも2人のことを長い間見てきたのだろう。この思い出いっぱいの空間で話し合いの準備態勢を咲季はとりあえず作った。その場を仕切り、自分の横に隼人を座らせ、目の前に健吾が座るようにうまく誘導した。
「いいお店だね、もっと早く連れて来てもらえばよかったな。山中くん結構な常連なんでしょう?」
「まあ・・帰りに飯食いによく寄ってます」
「そっか~、おすすめは何?」
「何でも美味しいですよ。特に煮物は何でも」
ここに来るのを嫌がっていたけど何とか話をしてくれる。このままうまく今考えていることを話してくれるといいんだけどな・・。そんなことを考えていると、おばちゃんが温かいおしぼりを運んでくれた。
「はいどうぞ、お疲れ様寒かったでしょう?」
そう言いながら私におしぼりを手渡してくれた。広げて手のひらに乗せるとじんわり温かさに包まれた。
そして差し出されたメニュー表を見ながら、塩もつ鍋・揚げだし豆腐・かぼちゃのサラダ・から揚げ、それとビールを注文した。すぐにビールとお通しの白和えを運んでくれて、おばちゃんの前で乾杯した。
健吾に構えてほしくないので咲季はビールを喉に流しながら、仕事の話や会社の人の噂話などの話題を振った。そして次々に運ばれてくる料理の味を堪能しながら、このお店の中に楓がいた様子を想像する。
いつもここで2人は向き合ってきたんだな。すごく温かくて居心地の良さを感じる。楓が大切にしていたこの空間。なのに今・・彼女はここにいない。彼はそれをどう感じているのだろう・・・。
そんな咲季の考えを察知したのか、健吾は2人から視線を外しながらポツリと言った。
「それで?俺に何を聞きたいのですか?」
声のボリュームは小さいけど、不快感は明確に感じる。
「ん?」
首を傾けながら軽くとぼけると、健吾は視線を上げて視線を合わせてきた。
その瞳はいつも見せていた爽やかさはなく、疑いの混じった鋭さも含まれていた。
-あ~こうゆう目つきもするんだ・・-
いつもからかった時に見せる健吾の爽やかな表情とは違う陰の部分を見れた気がした。
「聞きたいことがあるからここに来たんですよね?」
「そうね」
はっきり言った健吾の言葉を聞き、取り繕うのを止めて自分の気持ちを整えて本題に入ることを決意した。
隣にいる隼人に視線を向けることなく目の前にいる健吾を真っ直ぐ見て、直球で聞いた。
「楓がいなくなってどう感じている?」
「どうって?」
唇だけ動いて表情は変わらない。でもその瞳にはきつさが増しているように感じる。本当は言葉で触れて欲しくない内容なのだろう。
「寂しい?」
「そんなこと答えなきゃだめですか?」
「うん、聞きたい」
「寂しいとか寂しくないとかそんなものはないですよ」
「それだけ?」
「はい、それだけです」
静かに答える健吾の言葉を正面から受け止めようとするのに、本音を言おうとしない。
「あいつが辞めたくて辞めたのだから、それでいいと思います」
「は?」
予想外の答えに首を傾けながら彼の顔を凝視する。最近の様子を見てきて何かを感じているはずなのに、強がりなのかそんな他人事のような言葉を耳にして一瞬むかつきを感じた。それでも彼の本心を知りたくて一歩引いて言葉を続ける。
「本当にそう思っている?私にはそうは見えなかったけどなぁ。楓がいなくなった環境は山中くんにとってすごく重く感じているんじゃないかって思えたけど。あれだけ仲良かったんだからさ、辞めたくて辞めたなんて山中くんは割り切れていないんじゃないの?」
「それでもあいつは俺のせいで辞めたのだから、割り切るしかないんですよ」
その言葉に彼の気持ちの隙間が見えたように感じた。どうでもいいという感情ではなくて、彼も心に言い聞かせている。今、本当の気持ちを聞くことができると確信した。
「何で・・そう思ったの?」
「楓はずっと我慢していたみたいだから。俺と一緒にいることを今まで負担に思っていたみたいだし。そうゆうこと全然気付かずに、あいつに嫌な思いさせたみたいだから」
「本当にそんな風に思っている?」
「思ってますよ。ちゃんとあいつの言葉で聞きましたから、もう限界だって。それに転職のことだって・・・俺知りませんでしたから。相談どころか朝礼で知らされる位の存在だったんですよ」
健吾の言葉を聞いて胸が痛くなった。楓の想いは何も伝わっていないから。彼女の想いはもっともっと深い愛情を潜ませていたのに。そんな状況を勘違いさせたまま終わりになんかさせたくないと思った。
「そんなんじゃないよ!本気でそう思っている?」
「そうなんじゃないですか?俺はたとえ楓が会社を辞めてもこれで終わりじゃないって思っていたけど、あいつは電話かけてもメール送っても一切連絡を取ろうとしない。それは俺を切ろうとしてるってことじゃないですか」
「山中くんはそれで終わりなの?山中くんにとって楓はその程度で切れてしまう存在なの?」
「・・・」
健吾は咲季の質問に言葉を返さない。一番大切な所で答えを聞けず、咲季は健吾に鋭い視線を向けた。
「電話かけてもメール送ってもだめならさ、家でも会社でも会いに行けばいいじゃない!そこまでして嫌われるのが怖いの?山中くんが楓のこと切りたくないならまず行動しなさいよ」
きつい言葉を言ってしまっているけど、本当はそこには咲季の応援する気持ちが含まれていた。
「でも俺・・あいつにもう限界って言われているんですよ」
その言葉に健吾の今の気持ちの弱さの原因を感じることができた。その気持ちを取り払う為に咲季は真実を伝えるべきだと思った。
「確かに限界だったのかもしれない。でもそれは山中くんのこと負担に思うとか嫌だったとかこういうことじゃないよ。山中くんのこと想い過ぎて、諦めることもできなくて苦しかったんだと思うよ」
予想外の言葉を聞いて、健吾は理解ができなかった。
「楓は山中くんにとって女友達っていう存在でいるのがもう限界だっていう意味だよ」
「言っていることが分かりません」
「長い間好きな人の恋愛相談にのったり、応援し続けることに疲れちゃったんだよ。山中くんは楓の気持ち気付かなかった?自分の恋に夢中で」
驚いた顔をしながら首をわずかに振る健吾を見ながら、咲季は心の中で祈った。
-お願い・・・楓の想いを受け止めて・・-
「楓はね好きな人とは友達にならないって心に決めていたのに、山中くんのことを好きだと気付いた時に彼女がいるって知ったわけだからね・・」
「えっ?俺に彼女がいるって・・・」
「そう、そんな前からってこと。それでも友達としてでも山中くんのそばにいたいって思ったのよ、楓は。笑いながら相談にのったり、応援したり、振られた君を慰めたり。そしてまた自分以外の人を好きになった君の協力をしてさぁ。自分の想いとは違う言葉を伝えている事に、山中くんに嘘ばかりついているって何度も何度も後悔していたよ」
動揺を隠せない健吾を見ながら、全てを伝えないと本当の想いは伝わらないと感じる。
「山中くんに幸せになって欲しいなんて思ってないとか限界だとか言ったみたいだけど、本当はちゃんと山中くんの幸せをいつも一番に考えていたよ。山中くんが自分を好きにならなくてもね。だから6年近くも片思いできたんだよ。でも伊東さんとのことで彼氏に山中くんが自分の気持ちを抑えて彼女のことを信じて下さいって頭を下げた君の気持ちを考えて辛くなったんだろうね・・それがきっかけで思ってもいない嘘交じりの気持ちをぶつけて、無理やり全てを終わりにしようと思ったみたいだし」
初めて知る楓の気持ちに混乱しながらも、今まで自分が見て接してきた楓とのことを思い返して咲季の話したこととそれらを照らし合わせていた。そんな風に視線を落とし考えている様子の健吾を暫くそっとしながら隣にいる隼人に視線を向けると、優しい微笑を咲季に見せた。咲季が話を始めてから一切言葉を挟まず2人を見守ってきた隼人に咲季は少し照れ笑いを見せる。
そんな無言の空間におばちゃんが優しい声で健吾の前に頼んでいないドリンクをコトン置いた。
「はい、どうぞ」
「えっ?」
突然頼んでもいないものを置かれて健吾はキョトンとした。
「黒糖焼酎よ」
咲季も健吾と同じような表情をしていたが、その言葉を聞いて隼人はすぐに察知した。おばちゃんにも話が聞こえてこの場を協力してくれていることを。
「俺頼んでいないよ」
「とりあえず飲んでごらん」
笑顔でそう言うおばちゃんの言葉に促されて、健吾は一口飲んだ。
「どう?美味しい?」
「うん、美味しい。初めて飲んだよ、黒糖焼酎?」
「そうよ。これはね、楓ちゃんが時々飲んでいたの」
「え?あいつこれ飲んでいるの見たことないよ」
健吾は驚いた。今まで楓が黒糖焼酎を飲んでいたなんて全く知らなかったから。こんなに長い間一緒に飲んでいて、楓が飲んでいた姿は健吾の記憶には全くなかった。そんな風に戸惑っている健吾におばちゃんは真実を伝えてくれた。
「この黒糖焼酎はね、楓ちゃんが辛いとか寂しいとかため息が出る時に飲んでいたのよ。1人でふらっと飲みに来た時や、健吾くんが恋愛相談しながら酔っ払ってつぶれた時とかに寝ている健吾くんを眺めながら飲んでいたわよ。これは楓ちゃんの秘密のドリンクなのよ」
おばちゃんの話を聞いて目の前の黒糖焼酎を1口・2口と飲んだ後、この焼酎を楓が飲んでいる様子を想像しながら手の中でグラスを傾けその焼酎を眺めていると、そばにいる3人の息を飲んだ音と咲季の自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
「山中・・くん」
視線を上げて咲季の顔を見ると、少し目を剥き驚いた表情をしている。それを見たと同時に自分の右の頬に涙が一筋流れたのを感じて自分でも驚いた。すぐに左手の親指でスッとぬぐいため息をついた。
そして今自分の頭の中に巡っていた言葉を口にする。
「俺・・楓のこと全然知らない、知らなすぎる。この6年間も、楓の気持ちも、この黒糖焼酎も」
その表情には苦しさがこもっている。自分の一番近くにいた存在が何故か遠く感じた。そしてさっき自分がしていたように楓が黒糖焼酎のグラスを傾けて氷の音を聞いている姿を想像して深い寂しさを感じた。
「じゃあ、これから知ればいいじゃない。この6年間の全てを。今からだっていいじゃない?」
「・・・」
答えを押し黙った健吾の顔を見ながら咲季は心で祈った。
-お願い、楓の為に動いてー
意地悪でもいい、迷う様子の健吾にけりをつけて欲しかった。
「ちゃんと楓と向き合ってきなよ。何があっても楓は山中くんを想ってきたんだよ。どんな人に気持ち伝えられても誘われても、なびくことはなかったんだから。あんなに可愛いのに、もったいないと思わない?」
「・・・」
勝手に伝えてしまって心が痛む。でも質問に答えない健吾に咲季は最後の賭けに出た。
「でもこれからは分からないわね。山中くんへの気持ちを自分で少しでも区切りをつける為に、新しい環境を選んだのだから。新しい職場でもあんな可愛い子をみんなほっとかないだろうね。それに、昔の恋の相手がいるわけだしさ」
「え?」
明らかに健吾の瞳の強さが変わった。キツイ視線を咲季に向けたのだ。
「それ、どういうことですか?」
想像以上の反応に、咲季はこれだ!と思った。そして健吾の気持ちが少なからず楓にあると悟ったのだ。
「昔好きだった男に転職誘われていたのよ」
「それでそいつのとこ行ったってことですか?」
「山中くんへの気持ちを整理する為に環境変えて、今出来ることをやるって決めたのよ。あの子は昔好きだった人うんぬんは関係ないみたいだけど、誘った相手はどうだろうね?まあ、その他の人も彼氏がいないって知れば放っておかないと思うしね」
あながち全てが嘘じゃない。楓を知れば外見だけでなく彼女を好きになるだろう。咲季は同性の目で見ても楓の魅力を認めていた。
全てにおいて手遅れになってほしくないと健吾がどう出るのか様子を探るが、視線を少し逸らして何かを考えている彼の気持ちまでは読み取れなかった。
そんな健吾の様子に少し困った咲季は、隣で今までの会話に全く入ってこない隼人の腕を肘で突いた。すると健吾を見ていた隼人は咲季に顔を向け、「ん?」ととぼける様に微笑んだ。そんな顔を見て隼人に顎で健吾の方を指しながら「どうするのよ?」と目で訴えた時、健吾の呟いた言葉を耳にした。
「あいつのとこにいるのか?」
その言葉で健吾が楓の好きだった人のことを知っていることを察知することができた。そして彼の表情からそれを良く思っていないことも。その感情は嫉妬なのかもしれない。そうだとしたら・・・
「そうよ。山中くんのそばじゃなくて、昔好きだった人のそばにいるの。言い方悪いけど、その彼に誘われたのよ。今まで一途に山中くんを想っていた楓だけど、もう状況は違うのよ。それで山中くんの気持ちはどうなの?」
そうたずねてすぐ「ううん」と首を振って、それは今私が聞くことじゃないと考え直した。
「ごめん、私に答えてもらう事じゃなかったわね。でも今の山中くんの表情を見れば、何となく分かってしまうよ。今からでもさ、楓に会ってちゃんと話してくれば?手遅れにならないうちに」
健吾は少し考えて首を横に振った。
「いえ・・今日はやめておきます。酒も入っているし、勢いなんかじゃなくてちゃんと考えてから。明日会いに行きます。電話じゃなくて、ちゃんと顔見て楓と話してきます」
真っ直ぐ向けられたその瞳に、咲季は健吾の気持ちをちゃんと見ることができた。うんうんと頷きながら、胸がいっぱいになるのを感じて楓の顔を思い浮かべた。
「よかった・・・」
咲季が感嘆のため息をついた時、今まで言葉を発しなかった隼人がビジネスバッグから手帳を取り出し健吾に向けて男前の笑顔を見せた。
「じゃあ、僕から餞別」
そう言いながら手帳の1枚を破り、健吾に差し出した。そこには会社名と住所が書かれている。
渡された健吾はそのメモのような紙を見て、不思議そうに聞いた。
「何?これ」
「柚原の転職先。会いに行くって決めたのなら、迎えに行ってあげれば?」
咲季は言葉数が少なくても、こうやって格好良く決めてしまう隼人に感心した。
「もてる男ってさり気ない優しさを見せるよね。澤田くんってこういうことできちゃうのか~」
「今日は特別ですよ」
冷やかし混じりに言っても、うまく返してくる。それも甘い笑顔で。これじゃあ女の子達が放っておくわけないと咲季はつくづく感じた。
健吾もそんな隼人の好意を苦笑交じりに受け取った。
「ありがとう、隼人」
「どういたしまして」
目の前で素敵な友情を見て、咲季も一言応援する。
「山中くん、頑張って」
「はい」
やっと笑顔を見せて答えてくれた。その笑顔を見て、今度こそ涙が出そうになった。
少しでも早くこの事を楓に伝えてあげたいけれど、その気持ちをギュッと我慢して全てを健吾に託した。




