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君が好きだから嘘をつく  作者: 穂高胡桃
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君がいない

新しい朝を迎えて私の新生活が始まり忙しく時が過ぎた。新しい仕事・人間関係になれるのは決して簡単ではないけれど、それでも今の私は神経を集中させていた。

営業職という同じ職種への転職だったが、扱っているものが違えば仕事の進め方も一から覚えることになる。不安にも襲われたけれど、英輔がそんな私の気持ちを救うように気を使ってくれている。


「楓どうだ?順調に進んでいる?」


「う~んまあ何とか。でもとにかく覚えることがいっぱい」


ファイルされた資料を抱えて英輔に見せる。これがこれからの私の武器になる。


「大変か?」


「うん大変だけどずっと営業やっていたからツボみたいなものは心得ているから、あとは知識を増やして実践に活かさないとね」


まだまだ余裕など微塵もないから笑顔も苦笑になる。そんな私の気持ちも察知しているように英輔は余裕の顔を見せる。


「まあ焦ることないよ。でも部長は楓のこと褒めていたぞ、教えたことを覚えるのが早いって。これから期待できるってさ」


「そんなことないよ。もういっぱいいっぱいで頭がパンクしそうだもん!」


そんな私の悲鳴のような泣き言に、英輔は面白いものを見るかのように微笑んだ。


「そうか?俺にはまだまだ行けるように見えるけどな。分からないことは俺にも教えることできるし、行き詰ったら息抜きも付き合うからさ。まぁ~頑張れ!」


その笑顔は学生の頃見ていたやんちゃな面影を感じ取れて懐かしさに包まれた。転職することの不安の多くを英輔によって救われていた。もう一度こんな風に笑い会えるなんて。同窓会で再会したことが、今の状態を作るなんて。英輔にどれだけ助けられているかを心から感じている。


「ありがとう、英輔。いっぱい助けてもらっちゃって本当に感謝しているよ」


「改まって言われると変な感じだな」


照れた顔して笑った後、心配そうに少し表情を変えて聞いてきた。


「でもさ、正直な話後悔はしてないか?こんな話するのもなんだけどさ、これでよかったって楓はちゃんと思えるか?」


英輔が聞いてきた言葉の意味は、無視しようとしても私の胸に大きく響いた。


「何で?後悔しているように見える?」


「見えないけど感じるよ」


気持ちを悟られないように少しおどけながら答えたけれど、英輔にはキッパリ言われてしまった。

動揺が顔に出てしまう。自分が最も避けていた所を正面から当たってこられたらごまかしきれない。


「後悔はね・・していないつもり。自分で選んだ答えだから後悔はしないって決めたから。転職してまだ大変だけど、いい仕事だなって思うし。職場の人達も優しくしてくれて本当に安心したし。だから後悔はしていないの」


「そっか」


英輔の聞きたい答えはそれだけではないだろうけど、私の言葉に安心したような笑みを見せる。そんな英輔の顔を見ながら私の心に燻っている一点の感情を正直に伝える。


「でもね・・・やっぱり寂しいの。いつも心にあった気持ち・存在を感じられなくなって、自分の心が離れた所にあるみたいで。ふと身体の中が空っぽになったみたいな感じになるんだ。これが失恋の感情なのかな?」


そんな言葉を冷静に言えてしまうところが自分でも分からない。


「楓・・・大丈夫か?」


小さく優しい声で聞いてくる。こんなこと聞かされて英輔も困るよね。いつも英輔に相談する時の私は情けない。そんな私の話を呆れることなく聞いてくれることに感謝だけでなく、申し訳なく思う。いつも私だけが相談したり愚痴を言ったりしているけど、英輔の恋愛話は聞いたことがなかったことにふと気付く。


「大丈夫だよ~。それより英輔の恋バナって聞いたことないよね?今更だけど彼女はいるの?」


「今更か?まあ彼女はいないよ」


呆れたような顔して返事してくる。


「じゃあ、好きな人はいるの?」


「う~ん?まぁね、気になるって感じの人はいるよ」


「うそ!早く教えてよ。誰?会社の人?」


驚きのあまり矢継ぎ早に聞く私に苦笑して腕を組む。


「簡単には教えないよ、秘密~」


「ずるい!自分だけ秘密にするなんて」


呆れた顔して非難をぶつけ、笑いながら腕を組んでいる英輔の肘あたりを軽く叩くと、また笑って答えた。


「じゃあ今度教えてやるよ」


「本当に?逃げたりごまかしたりしないでよ~。なんかずるいよ、私ばっかり情けない話して」


「分かった、分かった今度な」


そう言って疑いの視線を送る私に手をヒラヒラ振りながら、自分のデスクに戻って行った。意外なことを知り暫く頭の中を巡っていたが、手元のファイルに視線を落とすとまだやるべき事があったことに気持ちを戻してその作業に集中した。

そしてそれから1時間程で終わることができ、帰宅の支度をした。

近くのデスクの男性社員から「飲みにでも行かない?」っと声をかけてもらったけど、「今日はすいません」と頭を下げながらやんわり断って席を立ちコートを着てフロアを出た。

外に出ると顔を刺すような冷たい風を感じ、顔をしかめて風に耐える。

そして歩いていると、さっき英輔と話したことが頭を巡る。なるべく考えないように頭の中から追い出そうとしていたこと。


   -もう私のそばに健吾がいないー


こうして一人になると、押しつぶされそうになるほど喪失感に襲われる。


   -寂しいー


何度も何度もその感情が身体を巡って、ついつぶやいてしまう。

それでもいつも通りその気持ちを振り切るようにスピードを上げて駅に向かって歩く。




いつもの残業・いつもの夜に咲季はデスクに肘をつきながら、帰社してきた健吾を目で追っていた。

みんなは彼の変化を感じていないかもしれないけど、咲季が目にする健吾の姿は明らかに違う。

仕事柄一緒にいる時間は1日の中でほとんど無いが、それでも目にすれば違いは感じる。

特に気にして見ているからだろう。

そんな変化はいつからだろうと考えればすぐに思いつく。楓が退職したその日からだ。

彼も感じたのだろうか?喪失感を。彼女の存在の大きさを、そして大切さを。できることなら彼にとって彼女の存在の大切さを愛情という感情で感じて欲しい。そう思いながらいつも彼の表情を探ってしまう。


   -ねえ、どう思っている?-


楓のいない毎日が健吾にとってどう変化をもたらせたのかを言葉にして聞いてみたくなった。それは大きなお世話だけど。

今の健吾の表情を見る限り、そうであって欲しいと咲季は心から思った。

そんなことを考えていると隼人が帰社してきて、そのまま部長のデスクまで歩いて行った。

部長と話している隼人の後姿を見ながら、ふと思いついたことを考える。


「よしっ」


心が決まった。お節介かもしれない、いやお節介だろう。それでも咲季は行動に起こしたくなった。

部長と話が終わり自分のデスクに戻るためにこっちへ向かってくる隼人がそばまで来た時、声をかけた。


「ちょいちょい」


手招きしながら隼人を呼ぶ。


「お疲れ様です」


イケメンに爽やかな笑顔を向けられるのは悪くない。そんな笑顔に向かって、


「お疲れ様。ちょっとここ座って」


そう言いながら隣の席を人差し指の指でトントン叩く。隼人は、ん?っと首を傾げながら一瞬考える顔をしたが、素直に隣の席のイスを引いて座った。

健吾のことを相談したいけど、近くのデスクにいるのであまり大きな声で話せない。

だから隣の席に座った隼人との距離をさらに縮める為に、イスを隼人のそばまで寄せて肩を寄せた。

そして更に「ねえねえ」と小声で手招きすると、隼人も顔を寄せてきた。


「何ですか?」


面白がる様に咲季に合わせて小声で囁いて、身体も寄せてきた。


「ねぇ、澤田くんはどう思う?山中くんの様子」


「健吾ですか?」


そう言いながら健吾の方に視線をやり、すぐに咲季の方へ戻してきた。

そして苦笑しながら腕を組んだ。


「楓が辞めて山中くんはいつもと変わらないようにいているけど、私は明らかに違うと思うんだ。澤田くんはどう思う?」


周りに聞こえないように小声で聞く。


「う~ん。僕もそう思いますよ」


私が小声で話しているのに澤田くんは気にせず声を落とさないから思わず焦る。


「ちょっと!」


そう言いながら分かるように、シッ!とジェスチャーする。それを隼人は面白そうに笑顔で見ながら、分かったと頷く。


「すいません」


「もう、近くにいて聞こえちゃうから声落としてよ」


「はい」


分かっているのか・わざとなのか変わらず笑顔で返してくる。そんな人をからかう様な隼人の態度は慣れているので、そのまま会話を続ける。


「山中くんの気持ちが気になってさ。あれから楓は『もう諦めたから』なんて言うけど、今の山中くんを見ていると本当にこれで終わりなのかな?って思って。山中くんに違和感を感じるけど、それが何か分からなくてさ。澤田くんはどう思う?」


「そうですね、変わらない様子を装っていますけど。まあ今井さんも気になるなら、せっかくなんで本人に聞いてみましょうか」


「えっ?・・うん。うん、聞きたい」


爽やかな笑顔を見せてそう言った隼人に一瞬惑ったけど、そうできるならそうしたいと思った。

有言実行で隼人は咲季の返事を聞くと、すぐに席を立って健吾の元へ歩いて行った。


「健吾、飲みに行こう。今井さんも誘ったから」


「あ?今日?」


「そう、今から。お腹空いたから早く行こう、今井さんもすぐ行けるって言うからさ」


急な誘いに健吾の戸惑いも無視するように隼人は自分のデスクに戻り、手に持っていた資料を引き出しにしまう。そんな風に飄々と行動できてしまう隼人を見ながら、咲季も帰宅の支度をする。


「分かったよ・・じゃあ」


そんな空気に流されるように、健吾もデスク上を片づけ始めた。

そんな様子を横目に見ながら、「お余計なお世話してゴメン!」っと心の中で楓につぶやき、この後どうするか考えた。

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