複雑な夜
健吾は取引先から会社に戻ると20時を過ぎていた。
エレベーターから降りて営業部のフロアに向かう。
「腹減った~楓もう帰ったかな~?」
今日は次の接待の打ち合わせも兼ねて飲みに行きたかったけど、連絡していなかったからもう帰ったかもしれな。
とりあえず姿を探そうとフロアを見渡すと後ろから声をかけられた。総務課の染谷だ。
「健吾!」
「あぁ、染谷お疲れ。お前も残業?」
「うん。急ぎの書類作成があってさ」
「そっか、もう終わるの?飯行かない?」
フロアを見渡すと楓の姿はなかったので染谷に声をかけた。
「悪い、まだ終わりそうにないんだ。それよりさ健吾!聞きたいことがあるんだよ」
突然詰め寄って声を潜めたので、一瞬身が引いた。
「あのさ・・・おまえのとこに近藤って奴いるだろ」
「ん?あぁ、近藤ね。何?何かあった?」
思いがけず後輩の名前が出て、何かあったのか気になった。染谷も何か言いにくいのか口ごもる。
「う・・ん、あのさぁ」
「何だよ、言えよ」
後輩の名前が出ているのだから聞かないわけにいかない。何かあったのだろうか?
とりあえず染谷の話し出すのを待った。
「うん・・・いや、あの近藤って奴と柚原ってどうなんだ?仲いいのか?」
「はあ?」
思いっきり口が開く。楓と近藤???
あまりに予想外の話だったから質問の意味がわからなかった。
染谷は余程気になっているのか繰り返し聞いてくる。
「いや、だからさ。今日帰りに誘っていたんだよ柚原のことを、近藤って奴が。通りかかった人事の子に名前聞いたから間違いないよ、近藤って言ってた。で、そいつが食事か何か積極的に誘っていたんだよ。俺そこで課長に呼ばれて柚原が返事してるとこまで見てないから気になってさ。お前何か知らない?」
染谷は俺に詰め寄る位聞きだしたかったのだろう。でも俺も今戻ったばかりで全くわからないし、余計なことも言えない。
染谷が楓のことずっと好きなことも知っている。
「悪い、俺わからないよ。近藤のこと初耳だし、2人がどうって聞いたことないしな」
「そうか・・わかった。忙しいとこ悪かったな」
そう言うと染谷は納得いってない様子だったが総務課のフロアに戻って行った。
近藤が楓に?まじかよ・・・。で、あいつらどうしたんだ?もう一度営業部のフロアを見渡してみたが、近藤の姿もなかった。
2人で帰ったのか?何ともいえない気持ちになって、スーツのポケットから携帯を取り出し、リダイヤルで楓の携番を出したがそのまま閉じた。
とりあえず自分のデスクに向かうと隣の席で今もなお仕事をしている澤田 隼人に声をかけた。
「お疲れ、相変わらずの残業だな。コーヒーでも飲むか?」
いつも遅くまで残り、いい結果を出している所を尊敬し、あまり多くを語らないが気が合う部分はあると飲む機会があった時に感じていた。
「ああ、お疲れ。さっき休憩して飲んだから大丈夫だよ。」
隼人はパソコンから視線を健吾に移すと少し笑顔を見せた。
「そっか。隼人はいつも頑張っているよな。俺、同期だけどさ尊敬してるし刺激にもなっているよ」
「何言っているんだよ。健吾こそしっかりやってるじゃないか。今だって大きな契約抱えて頑張っているんだろ。」
「うん、楓と一緒だし、成功させたいと思っているよ。楓とはよく飲みに行ってるけど、隼人は遅くまで仕事していてなかなか機会がないけど、たまには一緒に飲もうぜ。楓も喜ぶよ。」
隼人と心おきない会話をしていたが、楓の名前を出したことでさっきの染谷との会話を思い出した。
「そういえば、楓は定時で帰ったのかな?」
「ああ、今日はいつもより早く帰ったよ。」
「そっか・・・あいつ誰かと一緒に帰った?」
染谷から聞いた楓と近藤の話が気になっていたが、何だかハッキリ聞けない。
「いや、一人で帰ったみたいだったけど」
「近藤と楓なんかあったかな」
染谷が見ていたならもしかして隼人も見たかもしれない、そう思って近藤の名前を出して聞いてみる。
「さあ、わからないけど何で?」
隼人は答えると視線をパソコンに戻した。
「いや、楓と接待の打ち合わせをしようと思っていたけど近藤と一緒かもってさっき聞いたからどうなのかな?って思ってさ。悪い、今日はこれで帰るわ。近いうちに飲みに行こうぜ。じゃあ、お疲れ!」
隼人に挨拶するとフロアを出た。
何だか言い訳じみた言い方になったな。結局、楓は近藤と一緒かわからないし。
あれだけお腹が空いていて早く食べに行こうと思っていたのに、何だかそんな気持ちも失せてしまった。
今日はとりあえず家に帰ろう。そう決めると駅に足を向けた。