嘘の終わり ②
スマートフォンを耳にあて、うつむきながら瞳を閉じる。
これからどうするのか、どうしたいのか本当はまだ迷っている。
伊東さんと彼と健吾のもめ事は私には関係ないと怒りを感じても、こうして健吾に連絡してしまっている時点で自ら入り込んでしまっているんだ。
コール音が途切れて健吾の声が聞こえた瞬間、瞳を開けて目の前にいる伊東さんと視線を合わせた。
「もしもし?」
この状況を知らない健吾は、のんきな声を出している。
視線を泳がせながら健吾の顔を想像する。
「もしもし・・健吾今どこ?」
「ん?もう会社戻ってるよ?何で?」
何で?って、まあ今の状態は想像できないだろうけどね・・・
視線を合わせなくても、伊東さんがこっちをジッと見ていることを痛いほど感じる。
今、伝えなければいけない。
「今、外出られる?」
「どうした?」
何も知らない健吾にまどろこしい言い方で伝える余裕はない。
「健吾に話があって待ってるの、伊東さんと・・彼氏がね」
「えっ?」
小さな声だけど驚いている様子が感じられる。伊東さんと彼氏・話があると伝えればどんな内容か察知できるだろう。
「とりあえず出られるようならすぐ出てきて。場所決めたらメールするから。私も同席して欲しいって伊東さんが言うから、このまま先に行ってるね。部長には直帰するって伝えてもらえるかな」
「・・わかった」
「じゃあ・・またメールするから」
淡々と用件を伝えて電話を切った。
本当は思いっきりため息をつきたい。言葉は淡々としていても、心はかなり動揺している。だからもう一度瞳を閉じて一瞬だけ無になる。
行かなければいけない・・・そう決心して目を開けて伊東さんの彼氏の前まで歩く。
「健吾これから来ると思います。とりあえず場所決めて先に行きましょう」
「・・はい」
私の言葉に伊東さんの彼はほとんど表情なく頷いて答えた。
確かに全く関係無い私が仕切っているのだから、反応も困るだろう。
私だって自分の行動に驚いてしまう。私らしくないけど、こうして行動を共にしてしまうのは傍観しようとしてるのか、健吾を守ろうとしているのか。今は何も考えず健吾を待とう。
とりあえずどんな話し合いになるのか分からないのであまり人のいない所・・と考えて、伊東さんと彼氏に伝え許可を取り3人で向かいながら健吾にメールした。
20時近くということもあり私が指定した喫茶店にはほとんどお客はいなかった。
古い喫茶店でカフェという感じではない。誰かとお茶する時に利用する店ではないが、落ち着いた雰囲気が一人でボ~っとしたい時にいい空間だったので時々通っていた。
込み入った話をするのにはお客のいないこの時間に利用するのに丁度いいと思った。
一番奥の席まで歩いて、健吾が来たことが分かるように自分が入り口の方を向いて先に座る。
目の前に伊東さん・その横に彼が座り、向き合った距離感に居心地の悪さを感じる。
私達が座ったとこへ細身で白髪のマスターがお冷を持ってきた。「何がいいですか?」と伊東さんの彼に聞くと「コーヒーを」と答え、伊東さんを見ると「私も」と答えたので「後からもう一人来るので、コーヒー4つお願いします」とマスターに伝えると、「かしこまりました」といつもの柔らかい笑顔を見せカウンターに戻って行った。
2人を目の前にして私から話す事は何もない。
初めて見る伊東さんの彼を見て健吾との違いを感じる。
健吾とは違って柔らかい雰囲気はなく、男っぽさというか強さみたいなものを感じる空気を持っている。
こんな形で会っているからだろうか?
しばらく沈黙の時を送ると、コーヒーの香ばしいいい香りが私達の席まで流れてきた。ボーっとしながらその香りを感じていると、マスターが私達の席にコーヒーを届けてくれた。
まだ来ていない健吾のコーヒーを自分の隣の席の前に置き、そのカップを見つめながら自分のコーヒーを飲んだ。いつも美味しいと思うのに、今日はあまり味を感じられない。
視線の先のカップの湯気がまだ出ているうちに入り口のドアベルがシャララ~ンと鳴り、すぐに目をやると健吾の姿が見えた。
こちらが声をかけなくても店内にほとんどお客のいない状態から、健吾はすぐに私達の方に視線を向けた。目の前の2人を見ると、伊東さんは気まずそうな顔をし、彼はジッと健吾のことを振り向きながら見ている。
こんな日が来るなんてね・・・
「お待たせしてすいません」
そう言って健吾は軽く頭を下げた。
なんて重い空気なんだろう。健吾の一言に伊東さんの彼は何も答えない。もちろん伊東さんも。
こんな感じでどう話をするのかな・・・
「健吾とりあえず座れば?」
隣のイスを少し引いて、健吾の目を見る。「ん」と僅かに頷いて健吾と視線が合う。
その瞳から感情が読み取ることはできなくて、隣に座った健吾の存在を感じながらコーヒーを1口飲んだ。
その時、今まで黙っていた伊東さんの彼が口を開いた。
「山中さんですよね?」
感情のない低くて冷たい声が聞こえる。その声を聞いて健吾の前に座る彼の顔を見ると、声と同じ暗い冷たい瞳で健吾を見ている。
この人はどこまで知っているのかな?私の知らない2人の関係も知っているのかな?
やっぱり彼氏だったら嫌だよね・・自分の彼女が必要以上に他の男と接していたら。
いつも喧嘩になるって伊東さん言ってたけど、少なからずその原因になっているんだろうし。
どうするんだろう?健吾・・
「はい。山中健吾です」
真っ直ぐ目の前の彼を見て答えた。
2人の視線は暫くぶつかったまま沈黙とも言えない時が過ぎる。
私達と同じ歳位に見える伊東さんの彼。どれだけの感情を今持っているのだろう。
「ハッキリ聞かせて下さい。麻里とどうゆう関係ですか?」
直球な質問に私のほうが息を飲む。彼の顔を見れば、怒りしかない表情だ。声は抑えているだけ冷静さも持っているのだろう。だからこそ・・怖い。
伊東さんは健吾が着席してからずっと俯いている。
「・・・」
健吾は何も答えない。
変わらない視線を伊東さんの彼に向けたまま口は閉じている。
「あなたと親しくしていることは麻里から聞いてます。それは同僚としてですか?」
「・・はい、そうです」
その答えを聞いて胸がグッと苦しくなる。この場でそう答えなければいけないのかもしれないけど、それでいいの?ただの同僚って存在なの?
「嘘言わないでください。麻里と何度も連絡したり、2人で会ったりしたんだろ?この前も麻里があなたと2人で会っているのを見たって友人から聞いているんだよ」
「それは!」
声に怒りが混じって2人の仲を疑っている彼に、すかさず伊東さんが言葉をはさむ。
美好に2人で行ったことを問い詰められて、何とか釈明したいのだろう。
「俺はこの人に聞いているんだよ。あなたはどうゆうつもりで麻里に連絡したり、2人で会ったりしているんですか?」
「・・・」
「麻里から俺の存在は聞いてないですか?誰だって自分の彼女が自分以外の男と連絡取ったり、2人きりで会っていたら嫌だろう」
彼が怒り交じりに健吾を責めても、健吾は何も答えない。ただ真っ直ぐ彼を見ていることは変わらない。
そんな健吾が全く理解ができない。
伊東さんとは同僚・・それだけ認めてあとは黙っている。
何も答えない健吾に伊東さんの彼は次々と言葉を問いぶつける。
さすがに答えの返ってこない話し合いに、彼の表情が変わった。
「何故何も答えないんだ?こっちは納得がいかなくて、聞きたいことがあるからあなたに来てもらっているんですよ!ちゃんと答えて下さい。誘ったのはあなたですか?麻里ですか?」
確信をつく質問だ。それに健吾が答えるのか不安になった。このまま乗り切れるとは思わない。
本当のことを言わないのが伊東さんへの思いやりかもしれないけど、「健吾、もう自分の気持ちを言っちゃいなよ」って心の中で叫んだ。
その時、健吾が口を開いて言葉を出すのを感じた。
「不快な思いをさせてすいませんでした。でも、伊東さんを信じてあげてください」
頭を下げてそう告げた。
-どうして・・・-
健吾の言葉に胸がつまった。無性に悲しくなった。
伊東さんのことが好きなくせに、これで終わりにするの?
今まで伊東さんを想って悩んだり・喜んだりしてきて、最後は伊東さんを守って頭を下げるの?
もう頭の中がグチャグチャだ。
自分でこの2人と健吾を会わせてしまったのに、目の前の健吾を見て苦しくなっている。
好きな人の目の前で、自分の気持ちを隠して頭を下げている。
そんな健吾見たくないよ・・・
気持ちが混乱している中で、伊東さんの彼の言葉が心を突いた。
「麻里のこと好きなんですか?」
強い眼差しに今聞きたくない言葉が確信を求めた。
「いいえ」
その答えに私の中で何かが弾けた。
「いいえ」のわけがない。そう答えた健吾の気持ち、彼の残酷さを思うと無性に悔しくなって、無意識に言葉が出た。
「誤解です。いろいろと勘違いされていると思います」
「は?」
突然口を挟んだ私に伊東さんの彼は驚いた様子だ。
「伊東さんと健吾が連絡取ったり、会ったりしていたのは本当ですけど私も一緒にいましたから。伊東さんが彼氏と喧嘩しちゃった事とか相談されたり、普通の同僚として食事していました。この前お友達が健吾と伊東さんが美好で食事していたのを見たってことも、伊東さんが女子会のお店探しているからって私も健吾に誘われてました。でも仕事で間に合わないって断ったので、それも誤解だと思います。もっと早く言えばよかったけど、健吾に会って話したほうがいいと思って黙ってました。健吾がうまく説明できずすいません」
「・・・いえ」
答えた彼は複雑な顔をしている。今までの状況で簡単に信じることができないのだろう。
心の中が弾けた状態の私は、自分でももう止められなかった。
流れ出した言葉は健吾を守る為か、全てを壊す為なのか考える間もなく流れ続けた。
「ご心配されることは何もないと思います。健吾と伊東さんの間には何もないはずですから」
「何でそう言い切れるのですか?」
私の断言に彼は疑念の目を向けた。
「私が健吾と付き合っているからです。いつも彼のそばにいて、疑うべきことはないからです。あなたももっと彼女を信じてあげたらどうですか?目の前でこんな話につき合わされて不快しかないです」
勢いにまかせてとんでもない嘘をついた。でも、そう言うしかなかった。
悔しくて悲しくて嘘でまとめるしかなかった。
そしてどうしようもない気持ちで隣にいる健吾の胸元を掴み引き寄せ、健吾の唇に一瞬だけ唇を重ねて突き放した。
「ばか!しっかりしろ!」
立ち上がり健吾を睨み言葉をぶつけ、店を後にした。




