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君が好きだから嘘をつく  作者: 穂高胡桃
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誘い

定時に合わせて帰社し、業務報告を済ませ明日の予定に目を通し、帰り支度をする。

コートとバッグを手にして立ち上がり、周りに視線を流す。


「お先に失礼します」


健吾と澤田くんはまだ帰社していないので、既に帰社している人達に挨拶すると咲季先輩に声をかけられた。


「お疲れ様、今日は早いね」


「はい、これから約束があるので」


私が答えると何かピンと感じたらしく、そばに寄ってきた。


「何約束って、男?」


咲季先輩が声のボリュームを落としてこっそり聞いてくる。まあ、からかいもあるのだろう。私も咲季先輩に合わせて小さな声で答える。


「男って確かに男ですけど、英輔ですよ。同級生の」


「何?誘われたの?昔の恋再熱?」


驚きながらにやける咲季先輩に少し睨んで言い返す。


「違いますよ、今日仕事で近くに来るらしいので飲みに行く約束しただけです」


まだニヤニヤしている咲季先輩は「そうなんだ」って頷いた。英輔のことは話してあるから色々と咲季先輩も感じるのだろう。私の昔の恋の相手だから。


「じゃあ、行ってらっしゃい」


そう言って私の肩をポンと叩いて笑ってくれた。


「はい、お疲れ様です」


咲季先輩に挨拶して営業部のフロアを後にした。

エレベーターを待ちながらコートを着て、バッグから携帯を取り出す。昨日の夜、英輔から送られたメールを確認する。場所は前に一緒に行った炉端焼きのお店で、時間はお互い仕事が終わり次第お店に向かう約束になっていた。真奈美の結婚式の次の日にビンゴの景品を届けてもらってから会ってないけど、メールのやりとりはしていた。過去振られた人とあんなにこだわっていたのに、友人関係になれるなんて思ってもいなかったし、未だに不思議な感じだ。

考えながら歩いていると、あっという間にお店に着いた。「いらっしゃいませ~」と店員さんに迎えられ、店内を見渡すとカウンター席に英輔の姿を見つけてそばまで歩く。


「ごめんね、お待たせ」


「おお、お疲れ早かったな」


振り向いた英輔は私と視線を合わせると笑顔を見せた。そして、私に座るようにと隣の椅子を引いてくれた。


「ありがとう」


コートを脱ぎ、隣のイスにバッグとコートを置いて英輔の引いてくれたイスに座る。

店員さんが渡してくれた温かいおしぼりで冷たい手を温めるように拭いていると、英輔がメニューを目の前に置いてくれた。


「何がいい?とりあえずビール先に頼んでいただけでまだ料理選んでないからさ」


少し残っていたビールを空にして、英輔もメニューを覗き込んできた。

2人で見ながら、おすすめ野菜の焼き物と地鶏鍋と海老とイカの炙り、そしてビールを注文した。


「はい、乾杯」


「乾杯、お疲れ様」


英輔の乾杯の声に、手にしたビールのジョッキを軽く合わせて乾杯した。

こんな寒い日でも、仕事の後のビールは美味しい。お通しの野菜の煮物をつまみながらビールがついつい進んでしまう。


「結構待たせちゃった?」


私にしたら早い帰宅時間だけど、英輔のことを待たせてしまったかもしれない。


「いや、全然待っていないよ。ビール1杯飲んでいた程度だし、俺も営業職やってるから約束の時間読めないことは分かっているから」


そう、英輔の会社が近いと再会した時に聞いて、それからメールで連絡取っていた時に英輔も営業の仕事をしていることを聞いていた。それで外回りをしていて、今日は私の会社の近くまで来るので会おうと声をかけられた。


「同じ営業の仕事してるなんてね」


「そうだな。結構大変だったろう?営業職ってさ」


「うん、新人の研修の時からキツイと思ったけど・・・何とか頑張ってきたかな」


同じ営業の仕事をしているからこそ理解しあえる苦労話で盛り上がった。運ばれてきた料理を食べながら、飲んでいたお酒をビールから焼酎に変えて飲みながら。

そして仕事の話から思い出したのか、英輔は健吾の話題を振ってきた。


「楓は大変な仕事でも好きな奴がいるから頑張れたのか?」


そう言われて入社してからのことを思い出す。研修の時から健吾のことを気になって、一緒に頑張ることで乗り越えてきたことも多い。健吾に彼女がいると知ってからは、気持ちに波ができて仕事も辛かった。それでもそばにいたくて彼の恋を応援した。彼女と別れてからは仕事の後も休日も一緒に過ごす時間が増えて、幸せで仕事も頑張ることができた。そうして自分の仕事のやり方を身につける事もできるようになった。そう・・・健吾がいたから、私は今までこの仕事を頑張れたんだ。


「うん、そうだね・・」


「で?どうなんだ、その人と。この前は、少し落ち込んでいたみたいだけど」


英輔はこの前会った時に元気なかった私のこと覚えていたんだ。あの日は休憩スペースで健吾と伊東さんが楽しそうに話している姿を見て気持ちが落ちた。


「そうだったね、あれからずっと落ち込んでばかりかな。健吾が今好きな人と一緒にいるとこを見る度に辛くなってさ。片思いでもいいからそばにいたいって思っていたのに、この頃気持ちに限界を感じたりする時もあるかな・・うまく笑えなかったり、最近すごく弱気になるよ。健吾に優しくしてもらっても辛くなったり、素直になれなかったりしてさ。ネガティブにしか考えられなくて、自分でも嫌になる」


「その人って、全く楓に気持ちないのか?」


「好きな人がいるんだから、そんな気持ちないよ。この前だって・・酔っ払って寝ぼけて好きな人と間違えてキスされた」


私が俯いて言うと、驚いたのか一瞬息を飲んだ英輔を感じた。


「マジで?間違えるか?普通」


「間違えたんでしょ、マジで」


あのキスを思い出すと、怒りに似た切なさが胸に広がる。それと同時に健吾の唇の感触を思い出してしまう。


「間違えられたのか確かめればいいじゃん」


「言えないよ!間違えてゴメンって言われたら余計に落ち込むから、何もなかったことにして知らん顔してるもん」


「そんなに好きでも限界感じてるのか?」


「その辺をずーっと悩んでいる」


「ん~でもさ、ずっと好きだったんだろ?」


「そうだけど・・時間だけ経っちゃったし。好きっていうタイミングも勇気も見失っちゃった。それに離れていく健吾を見たくないし・・恐い」


お酒も入っているせいか、表に出さなかった気持ちをつい英輔に話してしまう。

英輔はテーブルに腕を組んで乗せながら私の話を聞いていたが、私が話し終わると少し考えているのか言葉が途切れた。そして、思い立ったように体ごと私の方を向くと、驚くようなことを言った。


「じゃあさ、楓。うちの会社に転職して来ないか?」


「・・は?」


「楓がさ、今そいつと一緒にいるのが辛いなら俺と一緒に働かないか?」


「英輔と一緒に?」


一瞬英輔が何を言いだしたのか分からなかった、あまりに突然過ぎて。驚いてポカンとしてしまったけど、英輔の表情は真面目に語りかけている。


「うん、俺は楓に再会できて話していて昔の感覚と同じでやっぱり楽しくてさ。楓に好きな人がいるって聞いて、頑張っているって聞いて応援してやりたい気持ちになったよ」


「ありがとう・・」


「でも元気ない顔見たり、寂しそうな顔見たりしたら気になってさ。そばにいて辛い気持ちで働くなら、少し離れてみたらどうかな?自分の気持ち見失う前に。離れてみて感じる気持ちもあると思うよ。うちの会社は輸入製品扱っていて、中途採用もしているから今まで営業職やってきた楓ならきっと採用されると思う。それに俺、楓と一緒に働けたらいいなって思っているし。どうかな?」


英輔の誘いにただただ驚くばかりで。健吾のそばを離れて、英輔と一緒に働く?理解までたどり着かなかった。でも、英輔が冗談ではなく真面目に言っているのは理解できた。


「ごめんね、ちょっと考えがまとまらなくて。転職するとか・・考えたことなくて」


「うん、急がないよ。今度うちの会社のパンフレット渡すから、見るだけでもいいからさ」


「・・うん。でもさ、私やっぱり健吾と離れてみたほうがいいのかな?」


「このまま自分の気持ちも見えなくなったら、辛さしか残らないんじゃないかな。俺は楓の笑顔が見たいよ」


健吾のこと諦めたほうがいいのかなって思ったことはあっても、離れることは考えたことがなかった。確かに今のままそばにいれば、辛いものばかり見たり感じたりしてしまうだろう。伊東さんと付き合う日が来るかもしれない。もし伊東さんのことを諦めても、またいつか好きになった人を目にしてしまうかもしれない。それを私は我慢できるのだろうか?その前に離れたほうがいいのかな・・・

英輔の突然の誘いにかなり戸惑いながらも、気持ちの逃げ道として留めてはっきりと断れなかった。







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