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君が好きだから嘘をつく  作者: 穂高胡桃
35/60

特別な場所 ①

あ~疲れた・・仕事に追われる日が続いていた。まあ、忙しかったおかげでグズグズと胸の中に溜まっている気持ちを一瞬でも隅に置いておけることができた。

あの日、健吾とキスした時から心の中は乱れっぱなしなんだ。

健吾はキスした相手が私だと気付いていないだろうし、酔っ払って寝ぼけていたからキスをしたってことすら覚えていないのかもしれない。

だからあれからずっと心に言い聞かせてきた、あれは何でもないことだって。

あの後健吾に会っても、いつもの私と同じように接した。精一杯演技したんだ。

会社への帰り道、コートの襟元を掴んで首元に流れる冷たい風から身を守る。


「もうすぐ12月かぁ・・寒いなぁ・・」


もうとっくに暗くなった空を見上げると、少しだけ星が見えた。


「もう5年・・5年半かぁ」


呟いてため息が出る。そのまま星を見続けていると、メールの着信音に気が着いてバッグからスマートフォンを取り出す。健吾からだ。



ーお疲れ様。伊東さんが友達との飲み会で店を探していて、美好に行ってみたいって言うからこれから行こうと思って。楓も来ないか?待ってるからー



伊東さんと・・・美好に?・・何で?お店なんて他にたくさんあるのに・・・


健吾からのメールを見つめたまま足が止まった・・止まったまま動けない・・

         


ー美好はだめだよ・・・ー



そう頭に浮かぶと、足は美好の方に向かっていた。表情が動かなくて、ただ前だけ見て歩いた。

もう冷たい風を感じることはなかった。そんなことに思考が回らなくて、今頭の中に浮かぶのは健吾と伊東さんの顔だった。


帰るはずだった会社を通り越して、2人のいる美好の前に着いた。

目の前のドアの前ののれんを見つめながら、まだ何も考えられずにいる。でもずっとこうしているわけにいかない。

のれんを避けてドアを少しだけ開けてみる。おばちゃんは奥のお客さんの接客をしていて気づかれてない。その横のいつもの席に座っているのは・・健吾と伊東さん。

2人の姿を見つけた瞬間、心が大きな衝撃を感じ苦しくなった。

そのまま目が離せず体がどんどん冷えていく。伊東さんは後ろ姿で健吾はこっち向きだけど、全く気が付く様子はない。2人は楽しそうに話していて、常連だったのはあの2人のように感じる・・・

そのまま見ていると、接客の終わったおばちゃんがこっちに歩いて来て、ドアから見ている私に気が付いた。その瞬間私は首を振る、おばちゃんが声を出して2人に気付かれないように。

ドアを閉めて歩き出すと、すぐにおばちゃんがお店から出てきた。


「楓ちゃん!」


おばちゃんに呼び止められて足を止める。振り向くとおばちゃんは寂しそうな顔をしている。何だか切なくなっておばちゃんのそばまで戻った。


「おばちゃん・・ごめんね。私も誘われたから2人がいるのは知ってたの。でも・・今日はやっぱり帰るね。また来るから・・ごめんね」


嘘は言ってない、おばちゃんの顔を見たら何だか言い訳がしたくなったんだ。


「楓ちゃん、おばちゃんまた待ってるよ。寒いから気をつけてね」


笑顔で言ってくれる、健吾のことは何も言わずに。


「うん、ありがとう」


私も笑顔で答える。ちゃんと笑えたかな?

そのまままた前を見て歩いた。心を無にしようとしたけど、2人の姿を思い出して顔が歪む。それと同時に思い出した。


「そうだ・・・健吾に連絡しなきゃ・・」


そう口に出してゆっくりスマートフォンを取り出す。健吾の画面を出して発信に触れようとしたけど・・やめた。

今、話すのはきつい。ちゃんと言える自信がないから、メールを送ることにする。



ーお疲れ様。ごめんね、これから会社に戻ってまとめないといけない書類があるから今日は行けない。誘ってくれてありがとう、伊東さんによろしくー



また・・嘘をつく。


まとめなきゃいけない書類なんて今日はないけど、全て嘘にできなくてとりあえず会社に向かう。今日の日報を書いて・・それから残業しよっか・・明日やる予定の見積書仕上げようかな・・

歩いているとメールの着信音が鳴った。健吾からだろう。分かっているから無視してそのまま歩き続けた。


寒い・・体全部が寒い。さっきもこんなに寒かったかな。

冷たい空気に包まれて、やっと会社に着いた。

エレベーターに乗り営業部のある階のボタンを押して壁に寄りかかる。

チン!っと到着を知らせる音を聞き、エレベーターから降りて営業部に向かう。

部屋の中を見ると誰もいない。珍しく残業している人いないんだ・・・でもよかった。

カツカツとヒールを鳴らして自分のデスクの前に立ち荷物を置く。

置いた荷物をボーと見ていると、また美好での2人の姿を思い出した。

心が震えてくる、唇が震えて指先も震える。目を閉じた時、知っている声で名前を呼ばれた。


「あれ?柚原、今帰り?」


ハッとして振り向くと、何冊もファイルを抱えている澤田くんがドアの前に立っていた。

誰もいないと思っていたけど、澤田くんはいたんだ・・


「うん・・ちょっとまだやることあったから・・」


「そっか」


笑顔でこっちに歩いてくる。

コートを脱いで、顔を見られないようにイスに座ってパソコンを開き、必要な書類を出して顔を落とす。

澤田くんも自分の席に座ったみたいで、近くにいる空気感に少し焦る。

今、誰かといるのは辛い。パソコンを開いて書類も出したのに全く手が動かない・・

ダメだ!って思って席を立ってトイレに向かおうとした時、また澤田くんに呼び止められた。


「柚原」


「・・・」


「どうしたの?何かあった?」


「・・・ううん、何も・・ない」


澤田くんの方を見ないで答える。

すぐ返せなきゃいけないのに、言葉が詰まる。

イスの音で澤田くんが立ち上がったのが分かる。そのまま私の後ろに立ったのを音で感じる。


「柚原、何があった?」


澤田くんのゆっくり優しい声が心に届く。


「・・ない・・何でもない」


私が答えると、澤田くんは私の両肩を優しく掴んで、その手に体をくるっと回された。

驚いて思わず澤田くんの顔を見る。


「だって柚原、泣いてるよ」


優しく微笑んだ澤田くんと目が合ってすぐに否定する。


「うそ・・泣いてないよ」


そう言った瞬間、ポロッと涙が落ちて自分で驚いた。


「ほら、泣いているでしょ?」


少し顔を寄せて、「ねっ」ってさっきより困った感じで微笑んだ。


「・・・」


「ご飯もう食べた?」


「・・まだ・・」


「そっか」


何でもないように話してくれる澤田くんに、自然と唇が開いて言葉が出る。


「健吾がね・・伊東さんと美好にいるの・・・伊東さん飲み会のお店探していて、美好に行きたいって言われて連れて行ったみたい。別に悪いことじゃないけど・・・でも・・美好はダメなの・・嫌なの・・。あのお店は・・・特別だから・・」


涙が出るからうつむくとポタポタ落ちてった。


「健吾は私にも待ってるってメールくれたけど・・・お店の前まで行って、入口から覗いて2人のこと見たら・・入れなかった。逃げてきて健吾に残業あるって嘘のメールしたの」


「うん」


「美好で2人のこと見たくなかった・・・」


震える声も、流れ続ける涙も止められなくてスカートをギュッと握る。


「私は嘘ばっかり・・・」


そう言った時、澤田くんが私の肩を優しく掴んだ。驚いて見上げると、澤田くんと目が合った。


「澤田くん?」


私が声をかけると、少し微笑んで掴んでいた肩をポンポンって叩いたかと思ったら私の左手を掴んだ。


「柚原、座ってごらん」


私の手を引いて、そばにあるイスに座らせた。そして私にハンカチを手渡してくれた。


「よかったら使って。何か温かいもの買ってくるから少し待っててくれる?」


そう言うと部屋から出て行った。澤田くんが手渡してくれた青いハンカチを見ていたら、だんだん涙が引いたみたい。そのハンカチでそっと目元を拭った。

澤田くんの出て行った部屋は静寂に包まれている。







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