PAST 7:冷たき魔の手 part1
戦慄に包まれる古ぼけた家屋。
玄関口は今にも吹き飛ばされそうな勢いで軋む。
「開けろ! 開けやがれ!」
ドアの外では狂ったように戸を叩く厄介な客が待っている。
相手の目を誤魔化すことはできないだろうか。
修二は一度軽く周りを見回す。すると、ある場所に目が行った。
「仕方がない! ぶち破るぞ!」
荒唐無稽な語彙を傲慢に発する兵士。
無茶苦茶な対応の行われている外では三人の兵士がショットガンを扉に向け、トリガーを引いた。
けたたましい銃声がなる。
兵士には微笑む女神のような『穏便』というものがない。
ドアが開かない、ぶち破ろう。
と言う行動意識はどこから来るのだろうか。
勢い良くドアをぶち破り、低い姿勢で獲物を狙う三人の兵士はゆっくりと部屋の中に足を踏み入れる。兵士の目には不思議なことに修二と美来の姿は写っていない。
しかし、彼等は畳についた血痕に気がついた。
「ここに誰かいるはずだ。探すぞ」
至って冷静な声が響く。
そこにいるのは分かっているという物言いに、修二は少し冷静さを失う。
二人は一動作すれば音が軋んでしまうほどの古ぼけたクローゼットの中に隠れていた。
今頃になって「隠れるには向いていなかった」と実感していた。
そのために、修二と美来はもしものために武器を備えていたためさほど焦ることはなかった。「備えあれば憂いなし」というのは正にこのことだと、修二は安堵していた。
しかしその時、美来の腰からハンドガンが落ちるのが修二の目に飛び込んだ。
瞬間、修二の顔から安堵が消えた。反射的に手を伸ばす。
美来は後ろでドタバタしている修二を不思議そうに見ていた。
「……」
声も出すことも許されず、意思表示もできないまま無心にハンドガンへ手を伸ばす。
しかし、あと五センチ手が届かず、ハンドガンは修二を嫌がり遠のいてゆく。
ゴトンとハンドガンは床に落ちてしまった。
静寂の小屋にハンドガンが落ちた音が不気味なほど良く響いた。
「クローゼットから音がしたぞ!!」
修二は一気に血の気が引く。
初めから劣勢なこちらはショットガンという恐ろしい武器を持つ兵士たちの前でどう戦えばよいのかと試行錯誤する余裕もない。
冷や汗を流す修二の隣で美来は「もうだめだ」と言わんばかりに身を縮め、死を覚悟していた。
絶望感に満ち溢れる美来の姿を修二は見ていられない。
クローゼットのわずかに空いている扉の隙間から様子を伺う。
三人の兵士はこちらに注意を向けていて、安易に出てきたら抹殺される。
修二は注意深く見る。ふと、何か赤い光線のようなものがうっすら見えた気がした。
レーザーサイトのようだ。
たどってみると、その光線は偶然にも修二の急所にあたっている。下手に動いたら殺されると修二の心に焦燥が蠢く。
修二は怖じ気付く美来に再び目をやった。
美来は暗闇に閉じ込められた子供のように蹲っている。
一方で修二は美来を見て咄嗟にいい名案が浮かんだ。
そして、修二は美来の耳元で何かを囁いた。
兵士が全く動きのないクローゼットに苛立ちを募らせたのか、ひとりがクローゼットの扉に手をかけ、強引に開けようとした。ギィと軋んだ音がなった瞬間、豪音と共に扉は内側から蹴り飛ばされた。
扉を開けようとした兵士は砲弾のように飛ぶ。
「ウハァ!」
悲鳴を上げて扉に手をかけた兵士は、飛ばされたクローゼットの扉を抱き枕のように抱えて、床に仰向けで倒れた。
「何だ!?」
と兵士が呑気にもクローゼットから注意をそらした瞬間、クローゼットの内部からショットガンの発砲音。
「ウッ!」
一人の敵兵が被弾し、まるで腹部を蹴り飛ばされたように後ろへと飛んだ。
扉にやられた兵士を救おうとして手を差し伸べていたもう一人の兵士が、こちらをむいて固まっていた。
「てきしゅ―――――グオアッ!」
連絡される前にこちらを向いているもう一人を撃破した。
修二は筒から青い煙が漏れ出す銃を下す。
「上手くいったな」
「うん」
修二と美来は少しホッとした。
たった一握り分の幸せではあったものの、大いに満喫出来たような気がする。
だが、ここに居れば、銃声を聞きつけた追手が腹を空かせた猛獣のように、すぐに殺しに来るはずだ。急いでここから脱出しなければまたあの労働場に逆戻りだ。
「早くここを出よう」
修二は美来の腕をつかんで、小屋から抜け出す。美来は積極的すぎる修二の犯行に少し笑ってた。
玄関を抜けた先は悠々と、規模壮大な密林が広がっていた。樹海のようだ。
前方は茂みや大きな草のない緩やかな下り坂になっていて、左右には車が通って自然にできた道が広がっていた。
車の走るような山道を進むのは敵と鉢合わせになる可能性が高い。そう判断した修二は前方の泥道へ足を進める。
と、次の瞬間
いきなり耳を劈く爆発音と共に、衝撃波が修二達を襲った。
小屋が爆発したのだ。
「ウアッ!」
と悲鳴を上げながら修二は飛び、泥沼の地面に体を正面から叩きつけた。破壊された小屋の木片が周囲に離散した。なかにいる兵士たちも粉々になってしまったに違いない。
「いって~……」
と言いながら、修二はゆっくり立ち上がる。わずかながらに手足に走る痛覚と冷たい雨が、体だけでなく心をも汚していくようだった。
振り返ると小屋は燃えていた。
爆発の大きさからして榴弾をぶち込まれたに違いない。
散乱する小屋の残骸がなんとも虚しく切なかった。
そして、修二はあることに気づいた。
傍らに、脱してから一緒にいた美来の姿がない事を。
「美来! 美来!? どこだ!?」
言った瞬間、奥の方から銃声が聞こえた。位置関係から推測して敵の銃声だと思われる。
鳥達が樹海の奥で悲鳴を上げながら飛び立つ音が見える。
先の見えない闇が徐々に修二の不安を掻き立てる。
嫌な予感がする。
修二は急いで奥へ向かう。
しかし、少し行くとそこは急な斜面になっている。あと一歩踏み出していたら無様に落下しているところだった。
修二の胸は苦しくなった。嫌な予感だけしかしない。
美来に危機が迫っていると思うと居ても経ってもいられなくなった。一人になる孤独が怖くなってゆく。その感情が無意識に修二の意思を乗っ取り、斜面の方へ足を運ばせた。
「ウアッ!」
大地は雨でぬかるみ、すぐに足を取られた。その勢いで体は前のめりになる。体重を支えることもできず、修二は転んだ。体が横になってしまい、丸太のように泥濘んだ斜面を転がり落ちる。
「アッ! ウアァアアァァ!」
修二は悲鳴を上げて転がった。冷たい泥が修二の体を包み込む。
平坦な土地に出た。腹部には妙な疼痛がある。修二は降りることに成功した。
遠くの方で二度目の銃声が聞こえる。
美来は一体どこへ飛ばされてしまったのだろうか。
体が思うよう動かず、中々立ち上がれない。
「美……来……」
修二は力尽きた。
雨に打たれながら。
「おい、大丈夫か?」
男の声が聞こえた。
修二はゆっくりと目を開ける。
すると、そこには見慣れない姿の男が立っていた。
冷たい黒のロングコートに身を包み、タカのような鋭い目が特徴的な男。
「確りしろ!」
修二はその一声でガバッと起き上がった。男は修二の行動に「何やってんだ?」というような冷ややかな目でこちらを見ていた。その視線が痛々しく修二の胸に突き刺さった。
「何をそんなに慌てている? お前、もしかして脱走者か?」
その一声に修二は驚いたように反応する。
こいつも敵なのかと言う憎悪が心の底からこみ上げてくる。自然と修二の目尻は吊り上がっていた。
「やっぱりな」
男はそう言ってゆっくりと立ち上がった。殺意は全く見られない。
「あん、たは?」
修二は呆然とまの抜けたような声でそう言った。すると、男は修二にタカのような鋭い瞳を向けて、
「俺の名は隆。この辺でゲリラ活動をしてる兵士だ。安心しろ、お前の敵じゃない。寧ろ味方だ。お前さんの名はなんていう?」
「僕は、修二……」
「修二か、いい名前だな」
言って、隆はタバコを取り出した。
隆は頼りがいのありそうな人間だった。この人なら力になってくれるかもしれないと。修二は不自然なまでに感じる信頼の音色を味わっていた。
美来の件があったから、人間を少しは信用できるようになのだろう。
「こんなところで何してんだ?」
タバコを咥えたまま隆が言った。すると、修二の脳裏に小屋で見た美来の姿が映った。こんなところで立ち往生している場合ではない。
銃声は今も遠くの方で鳴り響いている。修二は急いで銃声のする方へと向かう。
「おい! どこに行く! そっちは紛争地帯だ!」
隆の一言に修二の動作が固まる。
『紛争』という冷たい単語が異常なまでに修二の胸に響いた。
「もう一度聞くぞ。何をそんなに慌てている?」
隆は火をつけていないタバコを咥えたまま、タバコを縦に動かして、そう言った。
「……仲間とはぐれました。丁度僕ぐらいの『少女』です」
隆が咥えていたタバコが落ちた。
『少女』という言葉にものすごく反応していたように思える。何かその言葉に因縁でもあるようだ。目が点になって修二に奇妙な視線をぶつける。
沈黙が続く。
「そっか……よし、俺も探してやろう」
「あり――――――」
「一つ。『敬語はやめてくれ』」
「え? あ、ああ」
おかしなことを言う奴だと修二は思った。
雨足は徐々に強くなっていく。不穏な空気が密林に漂い始める。修二はこの時、大きな失態をしたと思った。まさか、自分の聞いた銃声が紛争地帯から響いていたものだったなんて。
聞いた銃声は遠方からだった。
だとすれば、美来はどうなっているのだ?
瞬間、修二の顔が青ざめる。
美来が捕まった?
妙な胸騒ぎがする。
隆は渋い顔つきで修二を見て、首を傾げていた。
「シュウ君! 何処!?」
突然、美来の声が斜面の上から聞こえた。
「ここだ! 美来!」
と、修二は先ほど滑り落ちた斜面を這いつくばって登り始めた。
「おいおい、そんなことをしても無理だ!」
隆が冷静にそう言った。しかし、修二は向きになって言うことを聞かない。
(絶対助けるんだ。僕が美来を助けるんだ)
その一心で修二は斜面に生えてる草木を掴んで一気に登ってゆく。しかし、
「ウアッ!」
足を滑らせて落下。また修二は平坦な路上に転がった。
「おい、落ち着け、そんなことしても無駄だ。この山を登るにはここを真っ直ぐ進まなきゃなんねえんだ」
「でも! そんなことしてたら美来が!」
言って、修二は再び急な斜面を登ろうとする。すると、隆は力で止めにかかる。
「な、何するんだ!? 放せ!」
隆に体を押さえつける修二は必死に抵抗する。
「何してんだ馬鹿やろう! 登れねえ場所に手こずってるより! 遠回りしてでも確実に登れるルートをたどったほうがいいだろうが!!」
隆は激怒した。泥まみれの修二の抵抗が止まる。
「シュウ君!」
上の方で美来の声が聞こえる。
この斜め六十度近くの斜面を登っていけばすぐなのに……。不安がどっと修二の心を圧迫した。焦燥に焦燥が生まれる。
「大丈夫だ。走っていけば三分も掛からずに目的地へ行ける」
と、隆は修二に言って、静かになった修二を放した。
「ありがとう……」
「礼なんていい。よし、行くぞ!」
と、隆の合図で平坦な道を進んでゆく。
この道を行けば、美来の元に……。
「馬鹿やろう! そっちじゃねえ! こっちだ!!」
隆が怒鳴る。
修二は即座にブレーキをかけて隆の待つ反対方向に進路を変える。
転びそうになっても、すぐに立ち上がることができた。その動作で修二は美来が怪我をしていることを思い出す。
(美来は僕のように走れないんだ)
そう思うたびに心がいたんだ。
しかし、その思いを遮るように、労働場の兵士が眼界に現れた。
「止まれ」
隆の声に合わせ足を止める。
兵士は隊列を組んで並び、何かを待ち伏せしているようだった。見ている方角からして美来を待っているのだと悟る。しかし、美来の元へ行くにはここを通らなければならない。
「脱走者の捜索か? また随分と大規模にやってるな。面倒だ」
呆れたように隆は言った。
修二の心には諦観と絶望が渦巻く。
(どうしたらいいんだ!)
「ここは俺に任せろ」
言って、隆が斜面の方を指さした。その斜面は修二が落ちた斜面より緩やかで、登れそうだった。角度的にはだいたい四十度くらい。
「ここからなら余裕で登れる。追手は俺がふさいでおく。早く仲間のもとへ行け」
と隆はコートの中から鷹のデザインが刻まれたハンドガンを取り出した。
「隆……」
情けない声をだすと、隆は鼻で笑った。
「なに、心配することはねえ。すぐに追いつくからよ。上で待ち合わせしようぜ」
と言って、隆は敵の隊列へ一人で突っ込んでいった。
たちまち、銃声と悲鳴が響く。
兵士が「敵襲だ!」と叫んでいる。
大丈夫だろうか。修二の見た目で数を判断すると、十人近くはいたと思う。
(たった一人で立ち向かうなんて……)
修二は後ろを振り向かず、斜面の道なき道をかけ登った。