PAST 68:皆無
修二の足が止まる。
修二が行きついた場所にはすでに先客がいた。先客は黙して顔を伏せるだけだった。
神聖なその場所は、失ったものを形にした石碑が並んでいる。そう、ここは失った仲間が眠る場所だった。
「誰だ?」
依里茄は刀に手を伸ばし、修二を睨んだ。
「なんだ、お前か」
依里茄はすぅと息を吐き、力を抜いた。
「墓参りか?」
修二はコクリと頷いた。
「そうか、なら、私と一緒に祈りをささげよう」
依里茄は隣を開けた。
修二はおもむろに足を運んで、依里茄の横にしゃがんだ。小さくなった早百合の墓を見つめる。そして、修二は悲しそうな顔を浮かべる。
「人が死ぬというのは、本当に寂しくて、悲しいものだ……。お前は妹を、私は親友を3人……この世界から悲しみはいつ消えるのだろうな?」
依里茄は重く語った。
修二は込み上げてくるものを抑え込むだけだった。
「大丈夫か?」
依里茄はいった。修二は黙ったまま墓を見つめて苦しそうな表情を浮かべる。
依里茄はやれやれとため息をついた。
「泣きたい時くらい泣いたらどうだ?」
一呼吸置く。
「なあ、修二。妹のこと聞かせてくれないか? お前の妹はどういう妹だったんだ?」
修二はなかなか答えられなかった。どう表現していいのか分からないのと、頭の中が錯綜している。
「そんなの、依里茄に語る必要なんてない。依里茄は僕の妹の話なんて聞いてどうしたいのさ!?」
答えは不愛想。
悲劇への階段を下る修二にとって、それ以外に言葉はなかった。
「そうか、ならいいよ」
依里茄は言った。
「何をだよ!? 何だよその言いっぷり!?」
「餓鬼が……」
依里茄は皮肉を言った。
「なんだとくそ野郎!」
殴りかかろうとした修二は思いとどまった。
依里茄は涙を流していた。
「お前は甘えすぎなんだよ。お前は心配されたくてそんな振舞いをしている」
「心配なんてされたく――――――――――――」
「いい加減に甘えを捨てたらどうだ!」
依里茄は怒鳴った。
「お前はいいよな。恵まれてて……。そんな悲しみに浸る余裕があって羨ましいくらいだよ」
依里茄は拳を強く握った。
「なんだと?」
「私には素直に甘えられる人間がいない」
依里茄は言った。
「だからなんだって言うんだ? そんなの自己責任じゃないか?」
「お前は妹の他に大切な人間がいるはずだ。むろん、私なんかよりも……」
言って、依里茄は墓へ向き直る。苦しそうに仲間の眠る墓を眺める。
「お前は仲間をこんな姿にしたいのか?」
依里茄がそういうと、修二は何も答えなかった。
「お前が変わるのはお前次第だ。今のお前に私はついていこうとは考えんぞ」
言って、依里茄は修二に向き直った。
修二は依里茄の前を通り過ぎ、早百合の墓の前に跪いた。そして、優しく手で触れる。
「ショックだったんだ。ただ、それだけ」
修二は言う。
「こんなに突然……。なんで、消されなければならなかったんだ?」
「そうだな。理不尽すぎる」
言って、依里茄は修二の肩にそっと手を添えた。
「どうして、僕を殺さないで、早百合だけけを……」
語り始める修二に、依里茄は肯定を繰り返した。そして、修二は依里茄と語り始めた。
気長に話し続ける二人を嫉妬深く見ている影があった。
影の持っていたお盆が手から落ちる。乗せてあった紙コップの液体が地面に散らばる。半開きになった口、丸くなった目。
「嘘だよね……?」
呟く。
陰惨な過去の記憶が呼び覚まされた。
「どうして、シュウ君? 私じゃ、ダメなの? 『捨てない』って約束したよね?」
頭痛がする。
脳裏で渦巻く惨絶のもう一人が覚醒するような感覚。美来は苦痛に跪いた。悶える心の中に、一つの感情が芽生えた。
再び見開いたその凄惨な目は美来ではなかった。
「アノ女……」
目覚めた鬼神は依里茄を睨み付けた。
殺意の氷塊が一点に収斂するとき、放たれた悪魔は牙をむく。腰に隠し持っていた護身用のナイフを抜き、敵を威圧する。
目標は依里茄。
美来は本気で殺しにかかった。
振りかざす冷たい刃が依里茄に向かって一直線に飛んでいく。
依里茄は素早く反応して刀を抜く。そして、美来のナイフを受け止めた。
鋼鉄の無機質な音が周囲に広がり、修二を驚かせる。
「どういうつもりだ?」
依里茄は鋭いまなざしを美来に向ける。
「修二ハ私ノモノダ」
「何を言ってるんだ?」
依里茄は美来を弾き飛ばす。
飛ばされる間も美来はずっと依里茄を睨んでいた。そして、追撃を繰り出す。
依里茄は横合いに飛び、美来の攻撃をよけた。
「やはり、お前はそういう人間だったか……。こうなる前に始末しておくべきだったな」
依里茄は戦意をむき出しにして美来を睨む。
「始末サレルノハ貴様ダ。オ前ハ私ノ害悪デシカナイ。滅ビロ、ソシテ悶エロ」
美来はナイフの持ち手を逆手に変えて、依里茄を襲う。
依里茄は以前とは違い、本気で殺そうとする美来を殺し返す勢いだった。
依里茄ともう一人の美来の激戦が展開される。
縄張りを守ろうとする二匹の雄ライオンが激しく牙を交わすような戦いだった。
「二人とももうやめてくれ!」
その時、修二が叫んだ。
二人の刃はピタリと止まる。
修二の声があと一歩遅かったら、依里茄は首を毟り取られていた。
依里茄の首元、間一髪で止まったナイフは冷たい輝きを放つ。そして、美来は元の美来に戻っていた。口元が震えている。
「美来」
美来は修二の呼び声に、恐る恐る反応する。
「もう、お前は『仲間じゃない』」
修二の刻苦の一言に、美来は目を丸くした。
現状を理解できない。理解したくない感情が活発になり、拒絶する。
「待って、シュウ君。それって、私を捨て、る……の?」
美来は怯えながら訊いた。
「当たり前だ。お前なんて必要ない。仲間を殺そうとする人間なんて敵だ。消えろ」
修二の声に美来は苦しそうに俯く。翳したままのナイフがだらりと垂れさがる。
「もう帰る場所が無くなった」と自覚し始めた。
現実を受け入れると、美来の手に握られていたナイフが離れていく。
地面にバタリと落ちたナイフが沈黙を切り裂いた。
「酷いよ、シュウ君……」
美来の目から熱いものが無数に零れ落ちる。
悔しい思いを胸に美来はその場を走り去った。
もう、この世界に彼女が帰るべき場所はどこにもなかった。
「なんだ? 美来という奴は……?」
依里茄が尋ねると、
「分からないよ、何もかも」
と修二は答えるだけだった。
ひそかに見ているどす黒い何者かの面影が、ニンマリと微笑んで消えた。
別館の古臭い家具と臭気が泣いている美来を包み込む。
どうすることもできなかった。
ソファの柔らかさが彼女が味わう唯一の“優しさ”だった。
艱難辛苦の日々を思い出すたびに、美来は呻いた。
そこへ、手を差し伸べるものが現れる。
「苦しいの? なら、これで手首を切りなよ」
美来に手渡されたのはカッターナイフだった。カッターを持っている人間の顔は薄暗くてよく理解できない。首輪をはめた犬を連れていた。
「切るって? 痛いんじゃないの?」
涙声でそう尋ねると、影は笑った。
「試してみなよ。リストカット」
影は去って行った。
手渡されたカッターナイフを見る。毒々しく冷たい刃物は美来に何かを語りかけてくるようだった。
美来は袖をまくり、真っ白な腕を露出させた。その動脈に当たる部分にカッターを当てる。
小さい歯が付いた刃物は細い手首に触れるだけでゾクリと嫌な感じがした。
そして……
意識が遠のいていった。
「おい! 何やってんだ!?」
誰かの叫喚が聞こえた。聞き覚えのある声に目を覚ます。
「殺斬! 手伝ってくれ!」
暖かな光。
心地いいとは思わない。
このまま逝かせてほしいのが彼女の本望だった。
次に目が覚めたとき、美来は暖かい布団の中だった。それは、まるで抱きしめられたような優しい感触だった。
しかし、陰鬱な気分しか持てない。
「何故あんなことをした? 死んでも何も変わらんのに」
隆の問いかけに美来は何も答えなかった。
答えられなかったのだ。
自分でもどうしてあんなことをしたのか理解できない。
悲しい包帯にまかれた手首を見下ろす。
頭の中が錯綜していて、ぼーっとする。
「テーブルの上にチョコレートと暖かいココアを置いておきました。よかったら食べてください。辛いときは甘いものが良いそうですよ」
隆の隣にいた殺斬はそういって現れてそういって消えていった。美来はココアに映り込む自分の姿を、醜そうに目で見つめるだけだった。
「まだ本調子じゃないって感じだな。まあ、ゆっくり休め」
言って、席を立つ。
「今度死のうとしたら、ただじゃおかねえぞ」
去り際にそういって隆は出ていった。
不安という重みがどっしりとのしかかる美来の心は、今にも潰れてしまいそうだった。『また、捨てられた』と思うと悲しい気持ちになった。
(私、これからどうすればいいんだろう)
俯き、ずっと考えた。
やがて、考えるのにも疲れた美来は窓から外の様子を眺めた。
悪魔の影が映り込む。
美来は新たな危機を感じ取った。
昨日、襲撃したカリバの軍勢が間道から本館に押し寄せてきている。呼吸ができなくなったような気がした。
(いけない。急いでみんなに知らせないと)
美来は急いで、状況報告をしようとするが、足が止まった。
(そうだ。私は『捨てられた』んだ……。今更、誰も私のことを信じてくれないよね?)
そう悟り、報告するのをやめた。もう、自分はこの軍の敵になったのだから殺されるしか道はない。
美来は武器を持たず外へと向かった。
雷帝のような猛々しい残響。
砂塵を巻き上げて、破片となった本館の壁が地上へと降り注ぐ。
「敵襲だ! 防御態勢を整えろ!」
真っ先に異変に気が付いた依里茄が叫んだ。本館内部にいた誠也は依里茄の合図に合わせて、七香と一緒に奥へと避難する。
「修二、お前は私と来い」
依里茄は傍にいた修二を仰ぐと、本館から飛び出した。
カリバの軍勢はもう目の前だった。カリバは泰然自若な態度を崩さない。
「屑どもがご登場だ。さあ、遊んでやれ」
カリバがそういうと、敵に怒りをむき出しにする女が殺意をむき出しにする。
「殺す。殺してぇぇえやる!!」
女は叫び、修二と依里茄に向かっていった。
「やれやれ、俺の出番はなさそうだ。ああなったルナを止められる者は誰もいるまい」
レクラムが呟く。
ルナは気が狂ったように突進する。
「馬鹿が、そんな闇雲の突進で私を倒せるとでも思ったか?」
依里茄は刀に手を添えると、次の瞬間、居合切りでルナを一刀両断した。修二は一瞬の決着に驚きを隠せなかった。
「残念だったな。私はここで終わる訳にはいかないんだ」
両断されたルナへ依里茄は向き直る。
しかし、そこにはルナが身にまとっていたワンピースしかなかった。そのワンピースは腰から真っ二つに切り裂かれている。
「ワンピース? そんな、確かな手ごたえが……」
依里茄は困惑する。
「どこ見てんだ! 侍面したバカ女!」
ルナは依里茄の足元に居た。依里茄は驚愕する。
伸びてきた手が依里茄を巻き込み、地面に依里茄をたたきつけた。衝撃を受けた依里茄はもう動かなかった。
獣のように荒い吐息を吐くルナは、次の標的を修二に定める。修二は恐怖に引き攣って動けない。
「ブルってんじゃねえよ反逆者。このオレをよくもさらし者にしてくれたな」
ルナは皓歯をむき出しにして、鼻つまみ者を睨む。
ゆっくり歩き、修二に差し迫る。
「さて、覚悟はいいか? ぶっ殺される覚悟はよぉ?」
持っていた銃を発砲する。銃声はいつもより甲高いように聞こえた。
ルナは瓦礫を蹴り上げてそれを防ぐ。
「テメエの銃弾は! そんなものか!!」
叫び、ルナは魔女のような手から指輪を1つ抜き取り、それを修二に投げつけた。
その時、誰かが修二に覆いかぶさった。
爆発音と共に、美来の悲鳴が聞こえた。
修二は何もできなかった自分に嫌気がさしつつあった。救えなかった早百合のことを思い浮かべると、情けなく思えて仕方なかった。
「チェッ、美来のクソ女か。まあいい、これで一矢報いたわけだからな」
ルナはクケケと笑う。
「さて、そろそろ止めを刺そうか? 反逆者よ!」
言って、また指輪を投げた。あの爆発を間近でくらえば、ひとたまりもない。
「お道化ろお道化ろお道化ろ……!!」
“もう、何もかもが無茶苦茶だ。
僕は何もできない。
糞なのは僕も同じだった。
甘えすぎだったんだ。
生きる価値がないのは僕だったんだ……”
修二は直撃を受けようと立ち上がる。
両手を広げて、被弾の準備は完了。
これで、終わる。
その時、一発の銃声がとどろいた。
瞬間、指輪の軌道がそれる。そして、何もない空間で指輪は爆発する。
「そこの女、粋がるなよ」
言って隆は発砲する。殺しを好まない隆はルナの腕を狙った。ルナはそれを見切り、奇妙な動きをして銃弾を弾き飛ばした。
「あ~あ、暑っ苦しいのが出てきやがったぜ。見ろよ、俺の指輪が台無しじゃねえか?」
言いながらルナは被弾して壊れた指輪を見せた。宝石は砕け散り無残にも、端っこのほうしか残っていない。
「へっ、知るかよ!」
隆が引き金を引こうとした瞬間。隆は後方から殴打を食らい、思い切り弾き飛ばされた。
苦しそうな声を上げて、隆は転がる。
修二は転がる隆の名前を叫びながら、隆の立っていた位置を確認する。そこには、黒いグローブをはめたレクラムが立っていた。
なぜ私服姿なのかは分からない。修二はレクラムを睨み付けた。
「おい、レクラム。そいつは俺の獲物だ」
レクラムは聞いていない。
「いい顔してんじゃねえか坊主。思い出すぜその顔。たしか、『あの時』も同じ顔してたよなぁ?」
修二の顔は引き攣った。
「同じ顔?」
聞き返す。
「お前があのくそ女を連れ―――――――」
「ヤメテエエェェ!」
美来の拒絶の声にレクラムの声は消される。美来はレクラムをナイフで殺そうとする。それを見切ってレクラムは美来を返り討ちにした。
傷だらけの美来の腹部に強烈な膝蹴りが入る。ひとたまりのない一撃に、美来は吹き飛び、戦闘不能になった。
「相変わらずこの話になると、異常なほど熱くなる女だ。まあ、いい」
修二はレクラムに気を取られていた。
「いずれ、分かる時が来るだろう」
修二は頭部に疼痛を覚えた瞬間、意識が遠のいていった。
ご精読ありがとうございます。
もう少しで70話を突破いたします。
皆さんのおかげでここまで来ることができました。この調子で最終話まで書き上げてしまいたいと思います。
最後までお付き合いいただけたら光栄です。




