PAST 6:新たなる危機
まるで壊れたラジカセのノイズのように雨音がうるさく聞こえた。
視界には、至るところにクモの巣が張り巡らされた古ぼけた木の天井。まな板が貼り付けられているみたいだ。
しかし、修二は労働上で倒れたはず。
(ここは……どこだろう?)
目だけで周囲を確認する。畳、茶だんす、ちゃぶ台……。和風な室内だ。
「あ!……シュウ君!」
純粋無垢な女の子の声がした。修二には聞き覚えがある声だった。
「ん?」
寝ぼけたように声をだして、起き上がろうとしたそのとき。腹部に重みを感じた。自然と起き上がれる訳もなく、再び柔らかい布団に背中が着地する。
「う?……」
何が起きたのかも分からず、ただ腹部へ目線を向ける。
そこに男物の服を来た髪の長い人が胸に抱きついている。
一瞬怖いようにも思えたが、一瞬後、それは『美来』だということが分かった。
「良かった……良かった……」
今にも喉が潰れてしまいそうな虚弱な声で、彼女はそう言った。
しかし、その顔は美来にしては美人すぎるな気がした。それに足をあんなに包帯でぐるぐる巻きにしてお寿司のかんぴょう巻きみたいだ。
とても美来が足のオシャレに気をかけるようには思えない。
もしかして、美来に酷似している違う人なのかもしれない。双子の姉妹みたいな……。
「美来か?」
呼びかけてみる。すると、美来は目頭をこすって、労働場で出会った時と全然違う顔をこちらへ向けた。顔が白すぎる。
「何? シュウ君?」
と、労働場では見せなかった明るい笑みを浮かべて、紛れもない美来の声で彼女はそう言った。ここまで似ていれば本人に違いない。
しかし、修二は足が気になる。
「き、ききき、綺麗だね……」
「ふえ?」
「あ、足は……どうしたの、かな?」
緊張する修二。美来はきょとんとした様子で修二を眺めると、苦笑いする。
「アハハ、これね……転んで怪我しちゃった。でも、そんなに酷いケガじゃないんだ。一日もすれば治るよ」
嘘だ。
一発でその嘘を修二は見抜いた。しかし、「そうか」と言って話題を変える。
「ここは何処?」
と聞いた。すると、美来は難しそうな顔をした。そして、再び苦笑いを浮かべ、
「『ここは何処?』って聞かれても……私も分からないんだ」
「というと、つまり……『ここがどこだか分からない』と……?」
「うん」
あっさり首を縦に降る美来。彼女にとって現在位置などどうでもいいのだ。修二との再開を甚だ喜んでいる。
「労働場は?」
と間一髪も入れずに美来へもう一度質問した。
「……一応抜け出せたよ」
「ほ、本当か!?」
修二はその一言に目をキラキラ輝かせた。
「シュウ君のおかげでね」
美来は笑った。
でもその笑いはどこか寂しそうな感じがした。いうなれば、あの労働場で最初に見た冷たい笑いだった。意味深げに修二が美来の顔を覗き込む。
「それよりもシュウ君、大丈夫?」
美来は突然、静寂を切って飛び出した。
記憶が呼び覚まされる。
麻酔銃で撃たれたのだった。
しかし、特別体に以上もなければ特に怪我をした様子もない。
「うん、平気」
言うと、美来はにっこりと笑った。
この時は純粋に嬉しくて、心のそこから笑みを浮かべているようだ。修二は美来の変動に違和感を覚える。
冷たい笑顔の裏には何が隠されているのか、この時の修二には知る由もなかった。
「よかった。心配したんだよ……」
美来は安堵して修二に泣きついた。修二は少し苦い表情をする。泣き虫だと。
この世界で出会って五日程で男女の関係はこんなにも確立するものだろうか。いや、確立する。目的が同じだし、あんな空間にいたのだから。
縁は異なもの味なもの。
とりあえず修二は美来を泣き止ませることにする。
「実弾でぶち抜かれたわけじゃないから、大丈夫だよ。それに、麻酔銃だし。ただ眠っていたのと同じだよ」
「そう、なのかな……? でも、シュウ君にもしものことがあったら……」
「大丈夫。美来がいれば安心だよ」
修二は美来の頭を優しく撫でてやった。
なぜかその時、修二は以前にもこんなやりとりがあったような気がした。
「うん」
美来は嬉しそうだ。修二はそんな美来の顔を見ているのが微笑ましかった。
「ねえ、美来」
「ん?」
「美来がここまで運んできてくれたんだよね?」
「うん。……そうだよ」
「ありがとう」
美来は照れくさそうに赤面する。可愛らしかった。
でも、その照れくささの中に、もの寂しさを浮かべているようだった。気落ちする場面ではないはずなのに美来は気落ちしている。
美来は『初めて会った美来』になっていた。
「ねえ、シュウ君」
「うん?」
「シュウ君は……私のこと……捨てないでね」
彼女は沈鬱にそう言った。意味深げな言葉だった。
どう反応していいか分からず。撫でていた手も離してしまった。
(僕はまだ彼女の何かを理解していないんだ)
不思議とそう思うようになった。
馴れ馴れしい態度、手馴れた戦闘、異常な信頼。
これらが何を意味するのか分からない。
修二が美来の大切だった人にそっくりなのかもしれない。
「ねえ、シュウ君。これからどうするの?」
「そうだな……。せっかく自由になれたんだし、どうしようかな?」
修二は苦笑いする。
思えば、労働場を抜け出すまでは考えていたが、その後のことを一切考えていなかった。
よっぽど脱走に命をかけていたのだろう。
御陰で脱走後は二の次だった。
「……ねえシュウ君、私と一緒に、この『国』から抜け出して、『政府側の国』へ移動しない?!」
美来は明るく修二に言った。『国』『政府側の国』。聞き覚えのない専門用語じみたこの言葉の意味がよくわからなかった。
「『政府側の国』ってなに?」
「あれ? シュウ君知らなかった?」
美来は驚いたように口をあんぐりと開けて、不思議そうに見ていたが、すぐに修二の状況を理解したのか顔を伏せた。
「あ、そうだよね。シュウ君はまだ知らないよね」
どういうわけだか、修二には納得のいかない反応だった。見下されている気がする。
「今、私たちが居る世界は戦争が起きているって事は知ってる?」
アバウトな質問だが美来は重々しく尋ねた。
「うん、それなら知ってる」
その答えに美来はなんの反応も見せなかったが、内心どこか、寂しそうな感情を抱いているのは間違いなかった。悲しそうな視線が修二に突き刺さる。修二には何もできなかった。
「……それでね、この世界は『政府側』と『帝国側』っていう相反する二つの勢力が存在するの」
「『政府側』と『帝国側』? それって国なの?」
「うん、しかも両国は領土をめぐって争ってるの」
「領土をめぐって争い?」
オウム返し。
「うん……」
五年前の光景が目に浮かんだ。
帝国軍が絨毯爆撃した自分の村のことだった。嫌な思い出だ。何もできなかった自分を責める他ない思い出である。
「今のところ、帝国軍が優勢みたいだよ。戦況がどうなっているかは私にもよくわからないけど……」
美来は修二が思い悩んでいるのを見てそう言った。修二が美来に向き直った時には、既に顔を伏せていた。
「好ましくないね……。大悪党が猛威を振るってるって……」
同感だった。帝国なんてものは滅びてなくなってしまえばいい。諸悪の元凶だ。
「ねえ、美来。僕たちがいるのは帝国側の領域だよね?」
「うん。そうだよ」
「因みに、政府ってどういう国なんだ?」
「政府は帝国とは正反対に民主主義を掲げる優しい国だよ。『平和を愛する国』なんて呼ばれてる」
「へえ。じゃあ『政府』に逃げ込めば僕たちは……」
「うん、戦争に悩まずに住むことができると思うよ。大げさだけど……」
美来は苦笑いする。修司にも希望が見えてきたような気がした。
終わりのない地獄からようやく解放されるような気持ちになった。平和に暮らせれば、もう十分だ。
修二は安堵の溜め息を漏らす。
「逃げよう。一緒に。……僕たちは自由になるんだ」
「うん。自由になろうね……。シュウ君」
美来は微笑んだ。
雨足は修二の行く手を阻むように強まる一方だった。
遠くから窓を覗いても、白い雨粒が裸眼ではっきり見える。激しい雨だ。
「土砂降りだな。早く止んでくれるといいけど……」
「そうだね。これじゃ、思うように行動できないもんね……」
美来は足が痛むのかガクガクと膝が震えていた。窓を眺めながら眠たそうにあくびをする。彼女は昨夜から眠っていないのだ。
不眠不休で頑張っている彼女を修二は休ませたいと思う。しかし、ここで安易に休ませれば彼女は冬眠するように爆睡する。つまり、いざとなった時の足枷になる。
帝国は軛だ。彼女には気の毒だが、耐えてもらうしかない。
修二は見張りを美来に任せ、異臭を放つ作業着を脱ぎ捨て、麗々しく綺麗なタンスにしまってあった、誰かの服を手に取り、Tシャツ、フード付きのコート(カジュアルコート)、ジーパンを適当に着た。
着替えを終えた修二は美来と交代する。
眠たさを忘れた美来はクローゼット内に置かれている無数の銃をあさり、ジャンパーのポケットに銃弾を敷き詰めて戦支度をしていた。
美来のセッセと働く姿を脇目で見ながら窓から外を監視する。
美来は先ほど修二が手を伸ばした綺麗なタンスの隣にある古びたクローゼットを開ける。
そこには、銃と弾薬がゴロゴロと財宝のように転がっていた。
ここの家主は相当な神経質なのだろう。でなければ用意周到で抜け目のない装備を整えられるはずがないと修二は悟る。
美来は銃器が使えるかどうか確認して装着し、銃弾は鷲掴みして詰め込めるだけポケットに詰め込んだ。
遠目から見ると貪欲で大雑把な泥棒に見える。
「ここ、誰か住んでたみたいだね……。こんなにもたくさん武器があるなんて、用心深い人なんだろうね?」
と独り言にしては度が過ぎるくらいの勢いで喋る美来。
「そうだね。まるで適当に盗んでくれと言わんばかりだね」
皮肉を込めてそう言った。美来は無視して作業を進めていた。彼女には休憩が必要ないらしい。
修二はあくびをしながらそう思った。
美来は腰にハンドガンを装備したところで凍りついた。まるで何か嫌な気配を感じとったように。
脇目で見ていた修二は怒られるのかと思ってそわそわする。
「シュウ君……」
美来は不吉そうな声でそう言った。予想的中だ。
美来は窓の外を怖い顔で凝視する。予想外だ。
修二の見ている場所からでは木の枝しか見えない。
「どうした?」
「敵が来てる……」
言うと美来は再稼動する。タンスやクローゼットの中を手当たりしだいに漁り出した。かなり大まかな作業だ。
修二は美来の急展開に茫然とする。
美来の証言を確かなものにするため、窓の外を覗く。
だが、依然として何も変わったものは見えない。
暫く窓とにらめっこすると、絶景にはとてつもない邪悪なものが映った。
迷彩柄に、ショットガンに、タクティカルベストに、足。
………………。
冗談だろ?
絶句する。
どう見ても捜索だ。
おそらく捜索しているのは増援だ。修二が顔を引き攣らせると、美来はまな板の上に置いてあった包丁をフェイスタオルで覆い、腰に据え付けた。そして、戸棚を開けて包帯と消毒薬を持った。
怪我の治療のためだ。
「シュウ君。これ持って」
と、美来は修二にハンドガンと弾薬を渡す。
その時、戸が破壊されてしまいそうな轟音と共に、
「おい! ここを開けろ!!」
と、雷よりも大きい怒声が響いた。