PAST 4:脱出作戦Part2
「イ~ッヒッヒッヒッヒ」
と笑う不気味な影。それは奇妙であると同時に威圧感があった。
「おやおや、豚共が小屋から出て何処を彷徨っているのですかなぁ?」
と言って、ニンマリといやらしく笑う影。
月の明かりで手に持っている物がちらりと見える。
冷たく大きな銃身はガトリングであることが分かった。
残酷、無慈悲、劣悪、醜悪。
影の目的はただひとつ。脱走者を殺すことだ。
つまり、こいつを倒さないと先には進めない。自由を掴むためにはこの強大な存在を倒さなければならない。
とんでもない奴を相手にしてしまったような気分だ。
相手は僕達のような労働者とは比べ物にならないくらい強いに違いない。相手の完全装備がそれを物語る。
「誰だ……?」
声にならない様な小さな声で何かに怯えながら修二は言った。その声が聞こえていたのか、影は再び笑った。
「わしの名は『リゲル』脱走した豚共を制裁する。ここの警備兵の長だ」
言って、リゲルはガトリングを構えようとする。その時だった。
「ウオオオォォォオオォォ!!」
と美来が叫び声を上げながらナイフの刃先を向け、リゲルに猪突猛進した。
「キャッ!」
しかし、あっさりガトリングで頬を殴られ戦闘終了。殴られた勢いで美来は砲弾のように修二の方へ飛ばされる。
受け止める。
足が二十センチくらい宙に浮いたような気がした。
「ウアッ……」
修二は受け止めきれずに、後ろに倒された。すごいばか力だ。体を天窓に打ち付け、滑り、止まる。この危険な場所は全く掃除されていないようだ。
痛む体を無理やり起こす。美来が横たわっていて上半身しか起き上がらない。
「確りしろ! おい!」
美来は件の攻撃で、気絶している。苦しそうに目を瞑り苦痛の表情を浮かべている。しかし、彼女はナイフを手にしっかりと握りしめていた。
いきなり冷静さを欠いた美来。
あの叫びと突進からして奴と彼女に因果関係があるのは間違いはない。一体どんな因果関係なのだろうか? と、修二は疑問を抱く。
影の方を見てみると、得意そうにニヤリと不気味な笑みを浮かべていた。
「馬鹿な脱走者達だ。このリゲル様に勝とうなど百年早いわ」
ガトリングを手に笑っている。いつガトリングを乱射してくるか分からない。
戦わなければ。
しかし、修二には戦闘したという記憶がない。ただ、残っている記憶は五年前に村を焼かれたことくらいだった。それでも、修二は思っていた。
(僕がやらなくちゃいけない)
と。
美来の手からナイフを奪う。
やさしく美来を寝かせて、影の前に修二は仁王立ちする。彼女を守るように。
その姿を見て、リゲルは再びいやらしく笑った。
「ほう、わしとやり合おうという気なのか?」
嘲る。
修二はナイフの刃をリゲルに突き出した。
距離にして約七メートル。リゲルの方が圧倒的に優勢な距離にいる。
だが、上手く動けばリゲルを追い詰めることだって可能な距離。全てはこの一回にかける。
雲隠れする月。
悲劇から目を伏せているようだった。
薄暗さが対立する二人を覆ったとき、それは始まった。
「死ぬがいい!!」
絶叫と共にガトリングを連射する。
修二はそれを横合いに飛んで回避した。
銃弾が着弾した屋根にはポッカリと風穴が空いていた。美来には当たっていない。
「甘いがな!」
弾痕に気を取られている修二に銃口を向けるリゲル。
修二はバッと立ち上がり、ガトリングの取り回しの悪さを逆手に取ろうと飛び出した。
なるべく複雑な動きをしてリゲルの狙いを定まらなくする。
銃声が夜更けの暗闇を覆う。滑り込みながら修二はリゲルの後ろを取った。
「今度はよく掃除しておけ」
アッパースイングでナイフを斜めに振り上げる。
しかし、リゲルは大きいガトリングで修二の攻撃をブロックする。
「イ~ッヒッヒッヒッヒィ。詰めが甘すぎですね~。どこかで、人を殺すことをためらっているのではありませんかぁ?」
リゲルは皮肉を並べる。
(図星だ。なんで外道にそんなことが分かるんだ?)
修二は少し悔しそうな顔をする。
ガトリングとナイフが擦れ合う。力は両者とも緩めない。
(早くどうにかしなければ……)
リゲルが一瞬力を抜いた。
(来た!)
隙を突いて一旦ナイフを放す。
「詰めが甘いのはどっちか、な!」
ナイフを振り下ろす。
しかし、リゲルは見切っていたらしく、止められた。
「馬鹿な……」
その時、リゲルの顔がくっきりと視界に写り込んだ。
スキンヘッドにぶくぶくと太り丸くなった顔。片目(左目)は義眼のようだ。
「私を単なるデブだと思って舐めていませんか? 憐れな脱走者よ」
修二は、一旦離れて、再び攻撃を仕掛ける。
「セエヤ!」
ナイフを突き出す。しかし、これもあっさり受け止められた。体型の割に合わずリゲルの動きは早い。
「く……」
「労働者がこのワシを倒そうと? このワシが何者なのかもう一度言いましょうか? 聞き分けの悪い脱走者ちゃん?」
修二の弱さに退屈を感じているリゲル。
再度、修二をなぎ払う。まるで大人と子供が戦っているようだ。力の差がありすぎる。
「うるさい!」
あきらめの悪い修二はナイフで横切り。
「ほ~れ、こっちですよ~」
リゲルは遊びながら後ろへ飛ぶ。
ナイフは空気を切る。
「なに……」
「イ~ッヒッヒッヒ」
嘲笑う。次は、ナイフを逆手に持ち、体勢を整え直しながらナイフを横に振る。
ナイフはガトリングを掠めた。
リゲルは大きな巨体で宙返りをしてよけた。
態とらしく両手を広げ、優雅に着地して修二を挑発する。思ったより軽い動作だ。
「このやろっ!」
突進する。体勢を低くして、ナイフを逆手に持った腕を突き出す。
ガトリングの銃身でまた受け止められた。緋色の火花が散る。
競り合いが始まった。
「イ~ッヒッヒッヒッヒィ。ワシは薄汚い脱走者共が相手して叶う相手などではないのじゃよ? このリゲル様は世界で選ばれた神なのだからなぁ!!」
「うるさい! お前のようなゲスなんかに負けるかよ! 負けてたまるかよ!!」
「おやおやぁ、あきらめの悪いブタよのぉ。わしのガトリングですぐに楽にして差し上げますよ~」
「お断りだね! お前こそ豚だろう! ひき肉にしてやるよ!」
「イ~ッヒッヒッヒッヒ。中々に減らず口の多いブタですね。キーキー、キーキーうるさいですよ。騒ぐならブタ小屋で騒げぇ」
競り合いが激化する。修二が押されて、体勢を崩した隙にナイフの持つ手をガトリングで殴られ、ナイフが弾き飛ばされる。
空中を回転しながらナイフは美来の手前に突き刺さる。
「ちくょう……」
空虚な声を漏らす。
「イ~ッヒッヒッヒッヒ。終わりですね。脱走者ちゃん」
ガトリングの銃口を修二に向けた。
リゲルの冷酷なガトリングの銃口が修二を睨みつけている。この先に待っているのは『死』以外に何も無い。
「そうは、させない!」
背後から響く声。
途端、修二とリゲルの注意は美来に向く。美来は頬を抑えながら立っていた。手には修二の落としたナイフを持っている。
「美来……」
修二が美来に気を取られたとき、リゲルはガトリングの引き金を引く。修二はその一瞬を見逃さなかった。すぐに横合いへ飛んで回避する。
その横を美来が駆け抜ける。
美来とリゲルが再び激突する。短冊の上で熾烈な争いが幕を開ける。
「殺してやる……」
美来の冷徹な声が響く。リゲルは余裕そうに笑って、
「イ~ッヒッヒッヒッヒ。いいことを教えてあげましょう。バッジの数だけ労働者を殺しましたよ」
更に一つの星形のバッチを指さして、
「もちろん、あの時の『憐れな脱走者』も」
とリゲルは麗々しくいやらしい笑いを浮かべる。美来は怒り心頭になって目尻が釣りあがる。
「この……ブタが……」
悲しみと怒りに満ちた一言だった。奥歯をかみしめる。
「使い物にならないメスブタですなぁ」
リゲルは美来を踏みにじる。瞬間、力任せにリゲルは美来を押す。
「キャッ」
美来は競り合いに負け、修二の方へ押し飛ばされる。
修二は倒れそうになる美来を支える。
「大丈夫か?」
「……シュウ君」
美来と修二は目を合わせる。美来の目は悲しそうだった。薄ら涙が浮かんでいるようだった。
「このまま仲良く地獄に連れていってあげましょう。感謝してくださいよ~。イ~ッヒッヒッヒッヒ」
美来と修二は再び注意をリゲルに向ける。リゲルはガトリングの銃口を二人に向け、優越感に浸り、勝ったと思い込んでいるようだった。
「THE END(ジ・エンド)」
しかし、銃を発射する前に美来が素早くナイフを投げた。ナイフは見事命中し、深々とリゲルの義眼に刺さった。
修二はその一瞬の出来事に息をのんだ。
「フオオォォオアアァァア! マイ・アアァァアァイィズ!!」
リゲルは奇声を上げて左目を抑えながらくるくる回り、銃を暴発する。まるで銃が命を持っているかのように独りでに動いていた。
しかし、銃弾はリゲルを裏切るように、修二達を大きく逸れる。今、目前にしているリゲルは制裁を降された後なのかもしれない。
「地獄に落ちるのは、あなたよ……リゲル」
リゲルはくるくるとバレリーナのように回り、やがて足が追いつかなくなりバランスを崩す。
そして、足場のない足場に足を着いた。
「ウワアアアァァァアアァァア!!」
リゲルは銃を乱射しながら落ち、闇の中に消えていった。衝突音のあと、銃声はなりやんだ。
「やったのか?」
と修二が美来に訊く。美来はまだ物足りなそうに暗闇を見ている。
「とりあえずは……」
醜悪な壁がなくなり、雲隠れしていた月も雲間からポッカリと顔を出す。だが、美来の息苦しそうな顔は依然と続いていた。
呼吸の乱れから、緊張しているようだった。
殺したのはいいがこれからどうすればよいのだろう? といった迷いもあるようだった。こういう時は気を紛らわすことが先決だと思い、
「武器……なくなっちまったな……」
「後で調達すれば、いいよ……」
「あいつ……一体何者なんだ?」
美来はムッとした表情を修二に向けて、
「脱走者を殺して昇格したあくどい警備兵だよ……」
「あのガトリングでか?」
修二が訊くと、まるで嫌な過去を思い出すように、美来は沈鬱そうに俯く。
「そうだよ……」
美来は再び何かを思いつめるようにして、また深く頭を下げた。
修二の脳裏に労働者の行為を妨げたあの場面がよみがえる。
美来はさっき「脱走者を殺して昇格した」と言った。とすると、あの時、鉄格子を下ろしたのはリゲルだったのではないかと憶測する。
そうなると、警報もならず静寂に包まれる労働場も不思議ではなくなる。
つまり、労働者は羊を追いかける犬のように単なる追い詰め役で、追い詰められた羊を狩る狼はリゲルだったのではないか……。と。
悪徳で冷酷なその偽善行為はリゲルらしいような気がした。
もうそろそろ夜が空けるのだろう。深い紺青色の空がうっすら明るくなったような気がする。
「静かだな……」
と修二が言うと、
「なんで警報が鳴っていないんだと思う?」
と訊いてきた。しかし、答える間もなく、美来は、
「これがあいつのやり方……忠犬ぶってる労働者を駆使して、脱走者を追い詰めて殺す……」
と続けた。修二の考えた推測と合致する。
「泣けてくるほどの忠誠っぷりだな。洗脳でもされてるのか?」
美来の苦しそうな表情が修二を苦しくさせる。
きっと支えを必要としているのだ。
「そろそろ行こう。リゲルを打ち負かしても、まだ大きな仕事が残ってる」
「……そうだね。早くここから抜け出して自由にないとね」
「大丈夫か? 美来?」
「へ……?」
「さっきから、苦しそうだからさ……ほんとは殺したこと後悔してるんじゃないのかと思って」
美来は吃驚したように目を丸くしたが、すぐに顔を背けて、
「そんな事……思ってない」
と美来は悲哀に満ちた声で修二に言った。まるで美来は何かの苦悩に追われているようだった。
「そうか。で、次はどうする?」
「……このまま正面ゲートまで走ろう」
「いいの? そんな敵と遭遇したら真正面で交戦するような単純な作戦で」
「うん。単純な作戦が功を奏す時だってあるから」
と美来が語ると、修二は少々不安になりながら立ち上がる。
すると、お待ちかねのサイレンがなった。
それと同時に労働施設内のパトランプが点灯し、沢山取り付けられた天窓から赤い光が飛び出す。
修二はその光景に息を飲む。
ついに敵の矛先がこちらに向いた。それも、大勢のだ。
「いそごう! シュウ君」
と美来の言葉を合図に、修二と美来は正面ゲートへと走り出した。
不穏に満ちた涼しい風に吹かれて。
風が敗北を運んでくるかのようだった。
サイレンは鳴る。
二人を絶望の淵へと追いやるように。