PAST 2:寂光
日が暮れた。
ふと、ベルの音が鳴り響く。今日の仕事の終了合図だ。
労働者達は「疲れた~」などと弱音も吐かず何事も無かったかのように発掘現場から無言で立ち去ってゆく。それはまるで人間ではなくロボットのようだった。
ただ死よりも恐ろしく残酷なことをする連中の指示を守り、盲従するだけだった。
普通、人間には窮地に追い込まれると自分を守ろうとする力が働く。防衛反応。その力で反発して刃向かうことだって行えるはず。死よりも恐ろしくむごたらしいことならば絶対抵抗するはずだ。
彼らはおかしい。
しかし、そう考える修二もおかしいのだろうか。
たった半日だけの労働で修二は三日間徹夜して働かされたように全身苦痛に襲われていた。一日中働く奴らは一体何者なのだろうか。
「……」
しかし、修二はただ黙ってついて行くことしかできなかった。結局そんな人間的な欲求もここでは単なる戯言にしか過ぎないのだ。
ロボットのように思考や葛藤を殺し、『無』に精神を没頭させなければ生きていけない。
もう人生なんて終わってしまったのだから。
人間らしくない醜態を心の中で晒す修二だが、彼の脳裏にはあの少女が過ぎっていた。
不安と心配が渦巻く。
『むち打ちになって殺されているのではないか?』
『ひどい仕打ちをされて立ち上がれないほど痛めつけられてはいないだろうか?』
考えると胸が痛んだ。
結局、彼は『ロボット』ではなく
『人間』だったのだ。
気づけば少女のことばかり考えていた。ハッとなって我に帰ると
(何考えてんだ馬鹿やろう)
と修二は自分に言い聞かせた。情けを掛けて篤実になろうなど馬鹿げた話だ。
何度も言うように『僕の人生は既に終わったのだ』。
修二は鶴嘴を道具置き場に投げ捨てた。
木と鶴橋がごとんとぶつかり合う音が虚しく響いた。
天窓付きの長いトンネルを進み、大きな一室へと足を運んだ。
ここは労働者たちの集団寝室と呼ばれる場所で、中はむさくるしいくらい密集して布団が並べられている。いわば家畜の小屋のよりも酷い場所だ。
修二は反射的に推察する。
明りは点灯しているが、今にも切れてしまいそうに明滅している。
普通に考えて、それを見て入りたいなんて思う人間など居ないだろう。しかし、修二は警備兵の命令に従い、不衛生な環境に足を踏み入れるしかなかった。
入ってすぐ修二は奥の窓際の方へと足を運ぶ。中央の方には人が固まってむさくるしくなる。その上、彼等とは一緒になりたくなかった。警備兵にも近寄りたくなかった。
警備兵は常に不正を監視しているに違いない。
ひとつでも不正を犯したら奴らの糾弾(ストレス解消)の餌食になるに違いない。彼等は不正を見抜いては体罰を正当化しているのだ。
今日見た彼女の件もそうだった。
奴らは失敗を嘲笑う悪魔なのだ。
本人は神になったつもりで懲罰を付与しているのだろう。
こんな地獄なんて今すぐにでも抜け出したいのが今の素直な修二の心情。
しかし、出たところで兵士たちの追撃を受け虐殺されるだけ。自殺しようにも、できるような道具がひとつもない。
一体いつまでこんなことが続くのだろうか?
修二は恐怖に押しつぶされて身を縮めた。
泣きたい。でも泣いて変わることなんて何もない。ここで泣いたら終わりだ。男としても恥ずかしい。
修二はクールになろうとする。
(考えろ……)
「キャッ!」
思考を巡らせ始めたとき、扉から少女が飛んできた。寝室の汚い床に顔面をくっつけて、モゾモゾと動いている。
修二はホッと安堵のため息をついた。彼女が辛い現実から開放され、一安心。
そして、軋む音と共に扉は閉められた。
まるで運命が閉ざされたようにも感じる。
真っ暗になる部屋。窓から差し込む月明かりが照明の代わりと言っても過言ではない。照明の灯りは弱々しく全然役に立たない。今にも消えてしまいそうな電球の残照は、修二の揺れ動く心のようだった。
修二は一人片隅に座りかくりと頭を落とし再度考え込むポージングをとる。
孤独だった。
ただその孤独が修二の心を締め付けた。修二の瞼から少し涙があふれる。もう恥ずかしさなんてどうでもいい。誰か傍らに寄り添って慰めてくれる優しい人間の存在が欲しくなった。
誰でもいい、犬でも、猫でも、地球外生命体でもいい。とにかく孤独というものから解放されたい。
(誰か、僕を助けてよ……)
心の中でそう呟く。
発声しても意味がないことだと知っている。身勝手だとも知っている。
誰も信用できない。みんな、この労働場の仕事に虜になっているから。
きっと彼女もそうである。
はずだった。
「あ、あの……」
と声がした。小さい声だが修二は驚いたように目を見開く。
いい年して泣いていてことも忘れ、ゆっくりと頭を起こし誰なのかを確認する。
暗くて良く顔は見えない。しかし、声からしてあの時の少女だろう。と、推測した。
「新しくここに来た人ですよね……?」
と少女は続けた。期待はずれの言葉ではあったが、何故か嬉しかった。
しかし、そこで彼女は言葉が詰まる。
労働場の掟では『労働者同士で関係を築くこと』はルール違反に当たる。
違反すれば鞭打ちの刑。
厳刑は受けたくないし、きっと彼女はお礼だけであとはさよなら。もしくは、余計なお世話だと説教するかのどちらかに決まっている。
期待なんてものはとっくの昔からしていない。
『ここは少し意地悪げに適当にあしらってしまおう』と修二は考えた。
「そうですけど」
と、不貞腐れた子供のように無愛想な口を聞いた。
厳格のある人にこの態度をすれば殴打間違いなし。
しかし、こんなことをするのは彼女のことを思ってのこと。言外に隠れた優しさを彼女は受け取ってくれるのだろうか。
と考える。
正当化して責任逃れする自分の態度が労働場の警備兵と何ら変わらないことを修二は知る由もなかった。
「やっぱり……。私のこと見てましたよね?」
少女は労働者らしからぬことを言う。怪しさだけがこみ上げる。必然、人間不信の修二には心地よい言葉ではない。
(こいつ、僕をはめようとしているのか?)
厄介そうに見あげる。
漸く少女の顔が見れた。含み笑いしているようだった。
修二はその人間らしい表情に苛立ちが募ってゆく。労働者である以上、無感情な人間に変わりなし。……自分を除いてはだが。
「見てたけど……それが何?」
「あの時は助けようとしてくれて、ありがとう……」
癪に障る。
「用はそれだけ? なら早く寝たら? ここでの会話は禁止事項のはずだよ」
「うん……。禁止だけど……静かにしゃべればバレないよ」
彼女の応答に修二は更に不満そうな表情を浮かべる。
もうやめて欲しい。さっきまでは孤独が怖いと思っていたが、利用されると思い込むと逆に一人のほうがいいように思えた。
しかし、それは単なる思い込みでしかない。
でも話してみたいと言う好奇心もある。年齢層も同じくらいで話も合いそうだ。しかし、
彼女の本心が分からない。
これが修二を一番悩ませた。どうしていいか分からない。信頼なんてもう捨てた。期待もない。誰も信じない。信じてはいけない。
しかし、信じなくてチャンスを逃してしまったら?
修二は焦燥に掻き立てられて、頭の中が錯綜する。思考回路も寸断された。頭が痛い。
「となり……いいかな?」
彼女はそう言って、こちらが「いい」とも言っていないにも関わらず、勝手に座った。修二は隣に座る彼女から顔を背け著しく不貞腐れた態度を取る。
どう出るのか様子を伺う。
「思ったとおりだったなぁ。あなたは他の労働者とは違うよね」
と嬉しそうに静かに言う彼女。まるで修二を知っているかのようだった。
唐突すぎる感想と違和感に複雑な気持ちを抱く。
(なん、なんだ?)
戸惑う。
すると、彼女の土臭い作業服の臭いが鼻を突いた。
その中に、血なまぐさいような臭いがしたような気がした。
彼女の生々しい傷を想像すると修二の背筋からはゾクゾクと嫌な感触が伝わってきた。
「それはどうも」
冷淡な態度を取る。
彼女は悲しそうに俯いた。まるで修二が彼女の心中を理解せず裏切ったかのような態度だ。
チラリと横目で少女の細い腕を見ると、彼女は手で頬を抑えた。その際に裾がめくれ、震える腕の中に痛々しい傷が見えた。
傷を見た瞬間、修二は顔をしかめる。
「私、『美来』っていうの。あなたのお名前は?」
嬉しそうに自己紹介をする少女。しかし、修二のリアクションの薄さに彼女は再び悲しそうな顔をした。
感情とは伝染するものだ。修二も悲しい気持ちになる。
どうしてそんな顔をするのか分からなかった。でも、ここで自分が名を名乗り個人情報を教えたらもう後戻りはできなくなる。つまり、彼女を信頼したということになる。
美来の悲しい横顔が映る。
放っておけるわけがなかった。
(……もうどうにでもなってしまえ)
自棄糞になった。
「しゅ、修二だ」
名を名乗る。
瞬間、彼女の顔に再び笑みが戻った。後悔なし。
「じゃあ、シュウ君でいいよね? よろしくねシュウ君」
『シュウ君』……前にもあったことがあるように、親近感を醸し出す様な響きだった。
もう滅茶苦茶だ。
修二には彼女が何を考えているのか本当に分からなかった。
一日で出会った人間のなかで一番、卓越して人間らしかったから。
「シュウ君、夢とかある?」
「夢……? そんなもの語ってどうする?」
「……お互いを知るの。これって友達のルールでしょ?」
「……」
殊更に気まづいことを聞いてくる。
ニコニコして本当に嬉しそうにする彼女の顔を見ていると、答えざるを得ないような感覚に襲われる。
「私の夢は、自由になりたいかな……。平和な世界で暮らしたい」
と美来は言って、自嘲するように笑った。諦観しているようだった。
修二は共感を覚える部分があった。
「でも、こんな戦争だらけの世界に平和なんてないん――――――」
「僕も世界を変えたい」
修二は美来が自分の夢について批判し始めた言葉を遮って小さくそう言った。夢を語るのがこんなに充実感を与えてれるものだとは今の今まで思わなかった。心中がスカッと爽快したような気がした。
「え?」
と、美来は聞き返す。しかし、もう二度と修二がこの台詞を発することはなかった。
その言葉には苦い思い出があり、
過去と現在の自分とでは根本的に違うものを感じていた。
つまらなそうに黙っていると、
「……ねえ、シュウ君……。二人で……ここを抜け出そう?」
と彼女は沈黙を割き、そう言った。
驚きの発言だ。思わずあっと声が漏れてしまった。労働者の嫌な視線が修二達に突き刺さる。
『そんな事、出来るのかよ?』と、今度は小さく言った。
「できるよ。少し準備が必要だけど……」
と美来はうっすら笑う。
自信はないのだろうと悟った。おそらくそれは怪我ではなく、別の不安があるのだろうと感じた。
美来の笑いが止まる。
再び美来は泣き出しそうな顔をこちらに向けた。
「信じて……きっと、出られるから……」
その言葉は重々しく感じた。
修二は彼女を見るのが辛くなり、視線を美来の顔からそらす。たまたまその視線がまた彼女の腕に行ってしまった。
華奢な腕は小刻みに震えていた。弱々しく、脆弱に。
心が痛む。
『あの時、見捨てていなければ……』と後悔が渦巻いた。
「腕……どうかした?」
と美来はきょとんと修二に尋ねた。修二は聞くか聞くまいか迷い、
「傷……」
「ああ、これね、ちょっと御仕置きされちゃったんだ」
と美来は無理矢理笑ってみせた。ボロボロで今にも崩れてしまいそうな笑いは修二の心を深く痛めつけた。
目の前で苦しんでいる彼女を放置した自分が許せなくなった。
死んでも守ってやるべきだった。
こんなにも『あつい人間』は……。
「……」
「ありがとう」
沈黙を突き破り、美来は言った。ニコニコと笑いながら。
修二はなんで礼を言われているのか分からなかった。
「心配してくれて、ありがとう」
美来は改まって言う。修二の心に痛々しくその心が響く。彼女は本心から修二を信頼している事が伺えた。理由がどうであれ、ただ労働場で顔を見合わせただけでそうなるとは考えられない。
美来とは、そういうやつなんだろうと、修二は自己納得する。
(ひょっとしたらここを抜け出せるかもしれない)
と修二の心情に希望が見え始めた。
諦観の感情が徐々に突き放されてゆく。
修二の心のどこかに、彼女に諦めきっている姿は見せたくないという感情が芽生えた。
「一緒に、ここを抜け出そう」
やけにやる気になる修二。
「……うん」
美来は眠そうに返事する。
すると、美来は大胆にも修二に体を傾けてきた。
「はれっ?!」と動揺している修二の肩で美来は眠っていた。
スヤスヤと静かな寝息をたてて、安らかに眠っている。
疲れていたのだろう。
修二はやれやれと肩に横たわる美来を床に寝かせ、布団をかけてやった。
(世の中、こんな奴がまだいたんだな……)
眠っている美来に少しだけほほえみを返した。
これが、美来との最初の出会いだった。