第2話:「氷の令嬢は茶会で震え、忠犬は背後で銀のナイフを磨く」
王城の豪奢なテラス。
色とりどりの薔薇が咲き誇るその場所で、私は今、人生最大級の危機(※精神的な意味で)に直面していた。
「……」
「……ふん。相変わらず、可愛げのない女だ」
目の前の白亜のテーブルで、優雅に足を組みながら鼻を鳴らす金髪の青年。
彼こそがこの国の第一王子、ジュリアン殿下だ。誰もが認める美男子だが、プライドがエベレストより高く、私のこの「氷のような態度」がひどくお気に召さないらしい。
違うんです殿下。私、今めちゃくちゃ緊張しているんです。
王族を前にして粗相があってはならないと意識すればするほど、顔の筋肉が完全に死滅し、無意識に漏れ出た魔力が周囲の気温を急降下させているだけなのです。現に今、私の足元の芝生にはうっすらと霜が降りている。
「お言葉ですが、殿下」
ふわりと、春風のような声が響いた。
私の背後に控えていたアーサーが、流れるような所作で殿下のティーカップに紅茶を注ぎ足す。
プラチナブロンドを揺らし、聖母すらひれ伏すような慈愛に満ちた笑みを浮かべる我が専属執事。
「我が主リゼロッテ様の『可愛げ』などという、この世の奇跡にも等しい極上の宝石を、殿下のような……おっと失礼、殿下ほどの御方に軽々しくお見せできるはずがございません。あれは私が独占……いえ、神聖なる領域にて保護すべきものですので」
「な、なんだお前は。一介の執事が口を挟むな!」
「申し訳ありません。あまりに滑稽な……いえ、興味深いご意見でしたので、つい。お詫びに、極上の砂糖を少々」
カチャリ、と上品な音がした。
アーサーの指の間に挟まっていたのは、角砂糖を入れるための銀のトング……ではない。
光の反射を完全に殺した、薄く鋭利な、暗殺用の銀の投げナイフ(3本)だった。
それを、ジュリアン殿下の首筋の動脈スレスレ、数ミリの距離でピタリと止めている。
「っ……!? ひぃっ!?」
「アーサー!!」
私は思わず立ち上がり、悲鳴を上げそうになった殿下より先に大声を(※結果的に低くドスの効いた声で)出した。
「な、何をしているのっ……!」
「おや。殿下の首筋に止まっていた、不敬な羽虫を排除しようとしただけですが?」
首を傾げるアーサーの背景には、幻覚の薔薇が美しく咲き乱れている。その笑顔は微塵も崩れていないが、彼の瞳孔は完全に開ききり、サファイアの瞳の奥底には「リゼロッテ様を愚弄する者は物理的に消去する」という前世の勇者(※物理特化)の殺意がギラギラと渦巻いていた。
このままでは王位継承者が消し飛んでしまう。
私は震える手を必死に隠しながら、アーサーの燕尾服の袖口を、きゅっと掴んだ。
「……やめて。私のために、あなたの手を汚すことなんてないわ」
本当は「私が不敬罪で処刑されるから絶対やめてお願い!」と言いたかったのだが、極度の緊張とあがり症のせいで、ものすごくシリアスで意味深な、主君としての絶対的な命令のように響いてしまった。
その瞬間。
ピタッ、とアーサーの動きが止まった。
「っ…………!!」
暗殺用のナイフが手品のように消え失せ、彼の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
さっきまでの殺意はどこへやら、袖口を掴まれたままの彼は、まるで雷に打たれたように打ち震えていた。
「私の……ために……? ああ、なんという慈悲深さ……! リゼロッテ様は、この薄汚れた元・勇者(いまはただの犬)の手を、これ以上血で染めるなと仰ってくださるのですね……!」
「え? いや、そういうわけじゃ……」
「わかりました。殿下、本日はリゼロッテ様の海よりも深い慈愛に免じて、あなたの命を獲るのはやめておきましょう。生きていることに感謝してください」
「ひぃっ……!」
腰を抜かしたジュリアン殿下を置き去りにして、アーサーは私の手を取った。
その手は、冷え切った私の指先を温めるように、ひどく優しく、そして少しだけ震えていた。
「帰りましょう、我が主。……あなたのその優しい声は、私だけのものです」
伏せられた長い睫毛。私を見つめるその瞳だけは、前世で私に剣を振り下ろしたあの日のように、どこか泣きそうな、どうしようもなく甘くて重い熱を帯びていた。
……いや、だからなんでそんなに重いのよ。
私は盛大なため息を内心で吐きながら、今日も彼に手を引かれ、ガチガチに緊張した氷の表情のまま王城を後にするのだった。




