モヤモヤを抱えて
各登場人物の章は、
『1.前編』『2.想章(過去編)』『3.後編』
この順の構成になっています。
ーー*三三屋楓*ーー
結局、気まずい空気のまま、翔楼君に話しかける勇気も出せずに、私たちは彼の家を後にした。
私は珍客を抱えて茶待の車へ乗り込み、帰路に就いた。
別れ際、翔楼君は親しい友人に接するように、「元気でな」って、いつもの調子で言ってくれた。その言葉に胸がすくような思いがしたけれど、私は無愛想な返事しか返すことができなかった。
本当に、自分の臆病さに嫌気が差す。
「ニャホ(うほほーい!いい乳してまんな!)ニャホーイニャ(さては着痩せするタイプだな!)」
翔楼君から預かることになったという、真っ黒で華奢な可愛い猫。
たしか…名前はヒマワリだったかな。
やたらと人懐っこくて、今は私の膝の上で、前足をフミフミしながら甘えてくる。
翔楼君がどういった経緯でヒマワリを飼っていたのかは知らないけれど、この子の様子を見れば、愛情をいっぱいに注がれたことが窺える。
私は普段はこういった、可愛らしい生き物と接する機会がほとんどない。
だからこの子のお陰で、胸に渦巻いていた猜疑心や焦燥感が、今は少しだけ和らいだ。
「なんだか、楓に懐いてるみたいだな。その猫…」
私とヒマワリを横目に、ハンドルを握る茶待が安堵したように言った。
「そうみたい…」
警戒心を知らないのか、ヒマワリは私の膝の上で大きなあくびをすると、くるりと丸くなった。
…昼寝の時間かな?
「それで?満足したか?」
茶待の言葉で、私の人生に新しく刻まれた、早くも忘れ去りたい数時間前の苦い記憶が蘇る。
私が顔を伏せると、茶待は心を読んだかのように「まっ、だろうな…」と肩をすくめた。そして釣られるように、私は肩を落とした。
一言だけ…。
たった一言を翔楼君に伝えたかった。
偶然だったにしろ、茶待のスマホに届いた『しばらく猫を預かってくれないか?』という、翔楼君からの通知を見かけ、このチャンスを逃しちゃダメだと、私は茶待に頼み込んだ。
『翔楼君に会わせて』って…。
そして今日、翔楼君とのわだかまりを修復するつもりで、私なりに覚悟を決めてきた。
それなのに、再会を果たしたにもかかわらず、私は後ろめたさから思わず口を噤んでしまった。
元々、私は口下手な上に引っ込み思案で、人と話すのが大の苦手だ。
そんな性格が災いして、友達も片手で数えられるくらいしかいない。
茶待は幼馴染だからノーカウント。
小中高と友達を上手く作れず、大学生になってできた初めての友達が、『ヒノノン』と翔楼君だった。
そんな翔楼君との関係が崩れたのも、すべて私の自業自得だ。
「そんな顔すんなよ。まだチャンスはあるかもだろ?」
私を励まそうとしているのか、茶待は前を向いたまま、そんなことを言ってくる。
「チャンスって…いつ?」
「さぁな。だけどこっちはヒマワリを預かってるんだ。コイツの様子を見に、翔楼もヒョッコリ顔を出すかもしれないぞ」
「……………」
茶待の言うことにも一理ある。
だけど私は、茶待がヒマワリを預かることになった経緯をほとんど知らない。
聞いた話によると、翔楼君が諸事情でしばらく家を空けるから、ヒマワリを預かってくれる人を探してた…ということくらいだ。
茶待は当時、この件を断るつもりでいた。茶待も大学生活で多忙だし、なにより一人暮らしだ。
猫の面倒を見てあげられないわけじゃないけど、構ってあげられる余裕がないのは、私も分かっているつもりだ。
それなのにどういう理由か、茶待は心変わりしてヒマワリを受け入れることにした。奇妙なことに、預かり期間も不明瞭。
また翔楼君に会えるなら私にとっても好都合だけど、今回の件は引っかかることが多い。
なにより…、
「ねぇ。本当に翔楼君とは、連絡をとりあってなかったの?」
茶待のスマホの通知を目撃してから、私はずっと彼を怪しんでいる。
なにせ翔楼君は、私達からの連絡の一切を断っていたはずなのだ。
それなのに、今更になって大学の友人を頼るだろうか?
恋人を捨てた挙句、忽然と姿を消した彼を誰もが心配したし、誰もが怒りを露にした。
人見知り云々はさておいて、私なら後ろめたくてそんな真似できない。
翔楼君が恥を忍んで茶待に連絡を入れたのなら、話はそこで終わってしまうけれど、私の考え過ぎかもしれない。
でも翔楼君と再会した時の茶待の瞳には、怒りとかそういった感情を一切感じなかった。それよりも憂うような眼差しに、私は少しばかり不審感を抱いたのだ。
私とは真逆の視線。あれは何も知らない人のする瞳じゃない。
だから私は、茶待はずっと前から翔楼君と連絡を取り合っていたんじゃないかと推測している。
翔楼君が姿を消した真相を、茶待は知っているんじゃないのか…と。
「何度も言っただろ。俺だって、アイツから連絡が来た時は驚いたんだ。楓が俺を疑うのもわかるけど、俺は本当に何も知らねぇよ」
顔色をひとつも変えず、茶待は言い切った。
それでも、私の疑心は消えない。
茶待は嘘が上手だ。すべての言葉を鵜呑みにしてはいけない。
「ニャッウニャー!(嘘つき!)
ニュパッニャヤー!(ミミちゃん、騙されちゃだめだよ!)
フミャッアッー!(コイツはゴリゴリのスパイやで!)」
突然、ヒマワリは起き上がり、可愛らしい前足をシャドーボクシングのように茶待に目がけて振りかざした。
「それにしても、よく鳴く猫だなぁ」
ヒマワリとの今後の生活が不安なのか、茶待は苦い顔をした。
「私もたまに、面倒を見にきてあげるよ。茶待だけじゃ頼りないし」
「おっ、そいつはありがたい。俺一人じゃ心許ないなと思ってたんだ」
嫌味を言ったつもりなのに、一転して茶待の表情は明るくなった。
「じゃあ、目いっぱい頼らせてもらうからな」
ニカッと笑って茶待は言った。
猫の世話を丸投げするんじゃないかって、私は少しばかり不安になった。
ー
後日、私は茶待が住んでいるアパートに足を運んだ。当然、ペット可だ。
相変わらず、部屋の中は色がないというかなんというか…。
家具は最低限の物しか置いておらず、清潔感を通り越して物寂しさを感じる。
唯一あるものと言えば、とある一室の壁を覆い尽くす、整頓して敷き詰められたラノベや書物の山。一冊でも引き抜けば、雪崩れて埋もれてしまいそうだ。
ずっとこの家に住むか分からないからと、茶待は物が増えないように気を使っていた。しかし、読みたい本を見かける度に、茶待の財布の紐は緩くなった。
読書が趣味なのは良いことだと思うけど、こうも書物が増えてくると本末転倒な気がしてならない。
「ニャウヤーン!(ミーミちゃーん!)」
そして意外にも、茶待はヒマワリの面倒をちゃんと見ていた。
と言ってもヒマワリ自体、そこまで面倒がかからない子だという事は、先日、翔楼君のもとを訪ねた際に、ある程度の説明は受けていたので知っている。
「聞いてくれよ。ヒマワリってすっげー賢いんだぞ!」
茶待は鼻息を荒くして、感心したようにヒマワリの自慢話を始めた。
「まるで俺の言葉を理解しているみたいなんだ!食べ終わったご飯の皿は咥えて台所に戻すし、お手だってできるんだ。楓もやってみろよ!」
私は肩を竦めながら、促されるままにヒマワリの前で両膝をついた。
そうしてお手でも試してみるかと、右手を差し出す。
「ニャフ!(フライングタッチ!)
ニュー…(ドヤァ…)」
私…まだ何も言ってないんだけどなぁ。
心なしか、私の手の平に、自分の肉球を押し付けるヒマワリの表情が、得意気なように見えた気がした。
褒めてほしそうなヒマワリに応え、私は頭にそっと手を伸ばし優しく撫でてあげた。
「ニャウーーン!(テクニシャーン!)」
ヒマワリは喉をゴロゴロと鳴らして嬉しそうだ。
「でもコイツ、舌がめちゃくちゃ肥えてるのかカリカリは全然食べようとしないんだよなぁ」
唯一の不満点を口にする茶待に、私はため息を漏らした。
「翔楼君も言ってたでしょ。この子はずっと、家に来た時から白米しか口にしなかったって…」
「でも今のご時世、米だって安くないんだぞ」
茶待は困ったように口元を歪ませた。
するとヒマワリは「ニャルニャニャフ(カリカリは嫌だー!)」と鳴いて、必死に何かを訴えてくる。
今後、食べ物がお米じゃなくなるんじゃないかと不安になっているのかもしれない。
「ていうかヒマちゃんの養育費、翔楼君からもらってるんでしょ」
「もらってるけど…てか養育費って言うな!」
「ニャラル(ウケる!)」
茶待は翔楼君から、ヒマワリの世話代として一枚の封筒を手渡されている。その中身は、なんと十万円だった。
大した金額じゃないからと茶待も快く受け取ったというのに、アパートに着いてから開けて見れば、私も茶待も愕然とした。
「ニャルウル!(私のお小遣い!)」
「あれのどこが『大した金額じゃない』だよ」
茶待も私も苦笑いした。
十万円なんて、大学生の私達にとっても大金だ。それをヒマワリのためにと、翔楼君はヒョイっと手渡した。これも彼が、ヒマワリを大事にしている証拠だろう。
日が暮れて、私は自分の家に帰った。今は私も一人暮らし。茶待のアパートとは徒歩で通えるくらい距離が近いので、帰り道は茶待が買い物がてら見送ってくれた。
そういえば、ヒマワリの様子を見に、翔楼君は来なかったなぁ。
まぁ、ヒマワリを預かってまだ数日だ。すぐに会えるなんて考えは、性急すぎるだろう。
それから数日が経った。
ヒマワリと遊ぶために玩具も持参して、本日も茶待の住むアパートを我が物顔で入り浸る。
「ニャウ(酷い…酷いよミミちゃん)
ニャフワ(こんな恐ろしい洗脳道具を持ってくるなんて…)
ニャ…二ヤプー(や、やめろー!それを近づけるんじゃない!)
ニャ…ニョーン(や…いや………)
ニャルーーーー(いやーーーー!)
フニャア♡(堪らん♡)」
私が持ってきたマタタビをヒマワリは大層気に入ったようで、鼻息を荒くしながら床でコロコロと転げ回っている。
「ニャルニャフガニャ(これは猫の体だからしかたがないこと!)
ニャルニャーニャル(たとえこの身が堕ちようと)
ニャルニョニャイニン(心までは屈さニャイ♡)」
「ほらほ~ら、二本目のマタタビだよ~」
「オニョレ(おのれ~♡)」
暫しヒマワリと戯れた後、ヒマワリは悶絶した表情のまま健やかな眠りについた。
遊び疲れたんだろうな。
「面白い顔、記念に一枚撮っとこ」
仰向けの状態で、目は半開きのやや白目。口からは可愛らしいピンクの舌が、チラリと顔を覗かせていた。
そんなヒマワリの変顔をスマホの画面いっぱいに収め、その思い出の一枚を、お気に入りフォルダに保存した。
その一連の動作を、いままで空気のように存在感のなかった茶待が微笑ましそうに眺めている事に気づき、恥ずかしいところを見られたと、私は冷ややかな視線を返した。
「なんだよ…」
「い~や。なんでもねーよ」
それでも尚、茶待は控えめにクツクツと笑っていた。
小動物と戯れる私を小バカにしているのか、それとも彼自身に何か良いことがあったのかもしれない。だけどこっちを見ながら薄ら笑うのは、正直控えて欲しいかな。
それと今日も、翔楼君が現れる事はなかった。
ー
「楓!面白いもの撮れたんだ!ちょっとこれ見てくれよ!」
子供のよううに鼻息を荒くした茶待が、スマホのとある動画を見せてきた。
それは、おかしな挙動で前進しながらお尻をマットに擦り付けている、ヒマワリの可愛らしい姿だった。
お尻が痒かったり、トイレの後だったりと、こういった行動を起こす猫はザラにいる。ヒマワリも前者、あるいは後者だったのかもしれない。
「こっそりトイレから出てきたヒマを撮ったら、こんなのが撮れたんだよ。しかも翔楼が言ってた通り、たぶん洋式トイレでしてたんだろうな。鍵までかかってたから驚いたぜ!」
どうやら後者だったらしい。
動画の内容がどうあれ、少し下品な内容でここまではしゃぐ茶待に対して、私は少しだけ距離をとって適当な相槌を打った。
ところが、楽しそうにしている茶待のもとに、天誅が下す者が忍び寄る。
「フシャー(貴様ー!いつの間にそんなものを!)
フルシャ(許さーん!)
ブッコロシテヤル(喉元噛み切ってくれるわ!)」
「え?なに!?なんで怒ってんの!」
全身の毛を逆立てて、かつて無いほどの怒りを顕にするヒマワリ。
その鋭い眼光は茶待をしっかりと捉え、獲物となった彼はゴクリと喉を鳴らした。
「ニャルフシャ(乙女の盗撮許すまじ!)
シネー!(死ねー!)」
ヒマワリは疾風の如く駆け出すと、茶待の顔面目がけて飛びかかった。たまげた茶待は身を翻し、それを紙一重で回避した。
それでもヒマワリの怒りは収まらず、涙目になった茶待にこれでもかと言うほどの追撃を浴びせる。
「うわー!やめてくれヒマ!俺が何したってんだよ!」
そんなドタバタがしばらく続くと、茶待は意を決して床に置いていた財布を手に取り、アパートの外へと逃げ仰せた。
「大丈夫?」
茶待の身を案じると、扉越しに彼の余裕のない息遣いが聞こえてきた。
「ハァー、ハァー。こうなったら、食べ物かなんかでご機嫌を取るしかないか…。楓、俺今からコンビニ行ってくるけど、なんか欲しいものあるか?」
茶待の言葉に、私は頭の中にパッと思い浮かんだ物を口にした。
「プリン」
「分かった。じゃあ悪いけど、ヒマワリと留守番頼むわ」
そんな言葉を言い残すと、茶待の気配が徐々に遠のいていった。
「ニャウ(ちっ、逃がしたか)」
獲物を取り逃がしたヒマワリは先程の様子とは打って変わって、私の元にピョコピョコと可愛らしい仕草で駆け寄ってきた。
「ミミャーン(ミミちゃーん!)
ニャミャニイニャン(あんな奴放っておいて、私とイチャイチャしようぜ~)」
結局のところ、ヒマワリは何に怒ったのだろう。
タイミング的には、茶待がおしり拭きの動画を見せてきたすぐ後だ。ヒマワリは賢い猫みたいだし、プライバシーを侵害されたのが嫌だったのかもしれない。
「ヒマちゃんも女の子だもんね。ゴメンね、あいつデリカシー無くて…」
「ミミャーン(ミミちゃーん!)
ニャウラルフルニャ(流石!私の事、ちゃんと分かってるねー!)」
「…………………」
「ミミャン(ミミちゃん?)」
話し相手が居たとしても、私なら相手を楽しませる上手な話ができない。そもそも、会話の引き出しも少ない上に、話しかけること自体が高難易度だ。
そんな臆病な私は、動物相手でようやく思いの丈を口にすることができた。
ヒマワリと居ると、私はつい考えてしまう。いつか翔楼君がやってきて、伝えたいことも伝えられて、また以前のような友人関係に戻れると。
「ニャウァ(泣いてるの…?)」
私は両膝をついて、小さく鳴くヒマワリを抱き寄せた。
「私さ…翔楼君に言わなきゃいけないことがあるんだ」
たった一言…。たった一言だ。
翔楼君に会えたら次こそ言う、そう決めていることがある。
そして、翔楼君とのギクシャクしま関係を元通りにして、次の日にはいつものように笑い合うんだ。
「ヒノノンのためにも…」
「ニャウ(呼んだかい?)」
でなきゃ、私はきっと前に進めない。
無理なら、胸内でざわめいている歯痒さを一生引き摺らなきゃいけなくなる。そんなのは嫌だ。
「私…臆病だけど…」
本当は不安で不安で仕方がない。もし、翔楼君を前にしたら、怖くなって足が竦んで、また口を噤んでしまうんじゃないかと自分に自信が持てずにいる。
それでも、私は踏み出したかった。
「次こそは絶対、翔楼君に謝るんだ。そして仲直りする。だからヒマちゃん。その時ぎ来たら、私の背中を押してくれるかな?なんて…」
いくら自分が人見知りだからって、小動物に救いを求めるなんてどうかしてる。
私は自分自身に呆れ果て、自嘲気味に小さく笑ってしまった。
「ヒマちゃん?」
そんな時、ヒマワリが小さな前足で私の手のひらを抱きしめて、ハムハムと指先にしゃぶりついた。勿論、痛みはない。しばらくは微笑ましく眺めていたけど、唾液まみれの指を見て、私は小さな不快感に苛まれた。
「もう、すっごいベトベトだよ。どうしたの急に?」
「ゴメンね、こうしないと祝福を与えらしくて…」
唾液を拭おうとティッシュ箱に手を伸ばしたその瞬間、私の胸元から奇妙な声が囁かれた。
「……え?」
恐る恐る見下ろすと、ヒマワリが腕の中で愛くるしい声で「やぁ」と鳴いた。
いつも通りのヒマワリに安堵した私は、立ち上がって周囲を見渡した。
……いま絶対、祝福がどうとか聞こえたよね?
気のせいだったと自分自信に言い聞かせたいところだけど、頭の中では確かに意味深な単語が反響していた。
空耳ではない。しかし、それらしい人物もいない。
私の背筋に青い緊張感が走り、全身がみるみる内に強張っていくのを感じた。
「ちょっ…苦しいよ~」
「え…?」
瞬間、私の胸の中からまた怪しげな声が漏れた。
そして腕の中に収まっている、黒いモフモフに視線を落とした。
「もう!私をスクラップにする気か?このおっぱい凶器め!」
「いやぁぁぁぉぁぁぁああああ!」
私はびっくりして、声の発生源を宙に勢いよく放り投げた。すると、《《それ》》は綺麗な放物線を描いて、スタンと美しい着地を見せた。
同時に腰を抜かした私は、尻餅を着いてへたり込む。それでも、私は奇妙な存在から目を離せなかった。
怪しげに喋る声の主…ヒマワリという化猫から目を逸らすことができなかった。
「なに?本当に猫なの!こっち来ないでよ!」
隙を見せれば何をされるか分からない。できたことは精々、相手の様子を窺うことと、恐怖の中でようやく紡いだ、ありふれた拒絶の言葉だった。
「ムッ、ちょっと傷つく…」
気に触ったのかヒマワリは髭をしかしかめた。
「せっかく吾輩が力になってやろうと思ったのに…」
「力…に?」
私は腰を抜かしたまま、頭の上に疑問符を乗っけた。
「翔楼に謝りたいんでしょ」
「……」
「吾輩なら力になれると思うよ~」
「………」
小動物が相手なら多少は舌が回っていた私でも、言葉を操るヒマワリの気味悪さを前にして、無意識に沈黙を貫いたていた。
それでも、相手が人間ではないことから、私は怯えながら勇気を振り絞った。
「貴方…なんなの?」
「言ったでしょ?吾輩は味方だよ。理由あって、吾輩は翔楼の秘密を知りたいんだ」
「翔楼君の…秘密?」
「そうそう、だから協力しようよ」
協力を申し出た怪猫に、どうすればいいのか頭を悩ませた。
なにしろ相手は理解の及ばない未知の存在だ。正直、猫かどうかも怪しいところ。
ひょっとしたら油断を誘った後で、体を乗っ取ろうっていう魂胆なのかもしれない。そんなSFじみた妄想を膨らませながら、私はヒマワリに面と向かった。
だけど、ヒマワリの発した次の言葉で、私の中に小さな疑念が芽生え始めた。
「残念だけど、翔楼ならここに来れないよ。翔楼の居場所は吾輩も知らないし。だけど吾輩に協力してくれれば、翔楼にまた会えるかもしれないよ。ど~お?ミミちゃん。吾輩と手を組まない?」
私にとって、ヒマワリの申し出は願ってもない話だ。翔楼君が、ここに現れないと分かっただけでも朗報。勿論、ヒマワリの言葉はまだまだ半信半疑だ。でも、それより気になったのは、私の名の呼び方だった。
私のことを『ミミ』なんて呼ぶのは、この世にたったの二人だけ。でも、そう呼ぶ人も今や、翔楼君一人なってしまっている。
「どうしたの?ミミちゃ~ん。ほれほれ、後はこの契約書にサインするだけだよ~」
そう言って、そこにあたかも書類があるように、片方の前足をスッと前に突き出すヒマワリ。
この冗談めいた口振りも、何処か懐かしい友人を想起させる。
私はこの猫を知っている。
いや…私は『彼女』を知っている。
「あわっ!どうした?なんでまた泣いちゃうの!吾輩は怖い猫じゃないよ!」
大粒の涙を流した私を心配してか、ヒマワリはテクテクと歩み寄る。
その時にはもう、逃げる気力も無かったし、逃げる必要はないと判断していた。
確信はまだない。
たけど私の目の前にいる猫が、『彼女』なんじゃないかって気が気でならなかった。
「う~ん。なんでもないよ」
私は涙を拭って冷静に言葉を返す。すると安心したのか、ヒマワリは嬉しそうに尻尾を振った。
「そっか。で?どうする?吾輩と組むのかい?決断は早い方がいいからね」
ヒマワリの催促に対して、私は慎重に言葉を選んだ。
そして、友達に接するようないつもの調子で──
「分かった。私、どうするか決めたよ」
流れるように──
「私、翔楼君に会いたい。会って謝りたい。だから私、《《ヒノノン》》と組むよ」
──私だけの■■の愛称を口にした。
途端に、ヒマワリは瞳をキラキラと輝かせて、跳ねるように喜んだ。
「やった~!じゃあ吾輩とミミちゃんのコンビ結成だね」
同時に、私の中にあった疑念は確信に至った。
……ああ、やっぱり…
……ヒマワリは、ヒノノンだ。
先月亡くなった私の数少ない友人。その彼女が、どういうわけか猫の姿となって帰ってきた。
理由はわからない。いや…なんとなくわかる。
きっと翔楼君に会いに来たんだ。
でも今は、彼女が目の前にいるという事実に、私の涙腺は限界を迎えていた。
「どしたん?また泣いて!悩みでもあるの?悩みなら吾輩が聞くよ?」
心配した彼女が、クリっとした瞳で私の顔を覗き込んだ。
その表情が過去の彼女とのギャップで、私は思わず吹き出してしまった。
「クフッ、フフフ」
「な、なぜ笑うんだ!」
泣いたり笑ったり、表情がコロコロ変わる私を見て、彼女は困惑したように瞳を見開いた。
そこに、姿を持たない第三者の透き通った声が、私の頭に響き渡った。
「アノ、恩人様?タシカコノ娘、恩人様ノ事ヲ『ヒノノン』トオ呼ビシマシタヨネ?彼女ハモウ、貴方ノ正体二気ヅイテイルノデハ?」
その声は彼女にも聞こえてきたようで、毛の一本すらピクリと動かなくなった後──
「本当だ!!何故バレたー!!!」
と、雷が全身を走ったかのような、愕然とした悲鳴を部屋中に轟かせたのだった。




