告白
ーー*ヒマワリ*ーー
「──どうして戻ってきたんだよ……」
そう言うと、茶待君は拳を震わせて俯いた。喜ばしい再会…にも関わらず、彼は辛そうに口元を歪める。
「なんで…このタイミングで…」
そんな茶待君に、ミミちゃんは怪訝に言葉をかけた。
「どうしてそんな顔するの?ヒノノンに会えて嬉しくないの?」
「嬉しいよ!嬉しいけどさ……」
「だったらどうして…」
ミミちゃんの言葉で茶待君は重たい顔を上げ、物憂い視線でまっすぐに私を捉えた。
「日野ッチは、翔楼を探してるのか?」
映画やアニメなどの架空の物語でよく見る展開だが、死んだ人間がこの世に残る理由なんて限られる。
未練があるからだ。
私のことを知る茶待君なら、その疑問に辿り着くのは当然だ。
「うん、そうだよ」
「何のために?」
「決まってるでしょ。本当のことを知るためだよ」
「やっぱ……そうだよな…」
そう言って、茶待君はまた顔を伏せた。
「私たちはもう知ってるよ。茶待君は、翔楼が何処に居るか知ってるんでしょ?」
否定も肯定もせずに、彼はだんまりを決め込む。
認めたも同然の沈黙に、ミミちゃんと私は顔を向き合わせ、確信を得たようにアイコンタクトをとった。
それから私は、茶待君に視線を戻した。
「教えて、翔楼は何処にいるの?」
「言えない…」
「コラ茶待!観念して白状しなよ!」
ズカズカと、茶待君に距離を詰めるミミちゃん。
それでも、茶待君は頑なに口を開こうとしない。
終いには業を煮やしたミミちゃんに、肩を強引に揺さぶられる始末。
茶待君は真剣な顔を、振り子のように右往左往とさせていた。
「もう!友達の頼みじゃんか!どうして教えてくれないの!この頑固者!」
どうやら茶待君は、どうしても私を翔楼の下に近づかせたくないようだ。
あと一歩。目前へと近づく真相に、彼が最後の難関として立ち塞がる。
「知ってどうするんだ?」
ようやく重たい口を開けるや、茶待君は私に向かってそう言った。
知ってどうする?
う~んとねぇ……
「スッキリする!」
「はぁ…日野ッチらしいな…」
……溜息を吐かれた!
「じゃあ…その後は?」
「その…後?」
「そうだ。すべてを知った、その後はどうするつもりなんだ?」
思いもよらぬ言葉に思考がまごつく。
目の前のことに気を取られすぎて、後先考えないのは私の悪い癖だ。
故に、すべてを知った後のことなんて一切考えちゃいなかった。
再び溜息をつかれる覚悟で、私は正直に答えるとする。
「なんにも考えてないよ!」
「だろうなぁ…」
溜息は吐かれなかったものの、呆れたように苦笑された。
そして茶待君は頭を抱えて、ぶつぶつと独りごちる。
「はぁ、なんで『俺ら』のやること成すこと、ぜんぶ後手に回っちまうんだろうなぁ…」
そう言うと、茶待君は一瞬だけミミちゃんを見た。
ミミちゃんもその視線に気づく。
茶待君にとって、この展開は想定外だったのだろう。
当然と言えば当然か。
猫が突然喋りだして、さらにその正体が死んだはずの友達だって言うのだから、驚かない方が無理だって話だ。
それだけじゃない。
内通してい茶待君には、それだけの理由と信念があったのだろう。
翔楼には翔楼の思惑があって、茶待君には茶待君の思惑があった。
それはおそらくミミちゃんにある。
すると、これまで観測者を貫いていた無名さんが、表舞台へと干渉を始める。
「オ前ガ頑ナニ口ヲ噤ムノハ、楓ノタメナノデスカ?」
たまたま考えていることが一致したのか、はたまた魂が共鳴したのか、無名さんの言葉は私が予想したものと同じであり、二人の顔に異なる困惑の色を浮かび上がらせる。
「この声…さっきの…」
「私の…ため?」
頭に響く不思議な声に、茶待君は眉ひとつ動かさず訝しむ。
一方ミミちゃんは、予期せぬ言葉に目を剥いて幼馴染を見た。
「そうなの?茶待…」
「……………」
二人の目を合った瞬間、それが事実であることを裏付けるように、茶待君はスッと視線を逸らした。
戸惑いはさらに色濃く、ミミちゃんの表情に現れる。
「ヒノノンじゃなくて私のため?待って…意味がわからない」
そう言うと、ミミちゃんは一歩後退した。
理解不能、そんな様子で彼女は肩を落としたけれど、私にはなんとなくわかるんだ。
茶待君がどうして、翔楼と一緒になって私たちを欺くような真似をしたのか……。
「だってお前…泣くじゃんか…」
目を背けたまま、茶待君は声を震わせる。
「悲しそうな顔するじゃんか…。辛そうな顔するじゃんか…」
「わ!私がいつそんな顔した!」
「してたよ。ずうっと…」
怒りやら恥ずかしさやらで、少々ミミちゃんはムキになっていく。
そんな彼女に遠慮なく、茶待君は言葉を並べていった。
「小学生の時から、楓は誰かに助けて欲しいって顔をしてた」
「し!してないし!」
「仲良くしてるクラスメイトたちを遠目に眺めては、羨ましそうにしてただろ」
当時のことは話で聞いていたので、私もあやふやながら知っている。
両親の過度な干渉、自由の制限。それらが日常に浸透しきっていて、ミミちゃんの心身を疲弊させていた。
その結果、ミミちゃんは多才な才能を開花させたけれど、代償に送るはずだった青春を孤独に過ごしてしまった。
でもそれも、私たちと出会うまでの話だ。
「でもさ、大学生になってからは友達もできて、俺も安心してたんだ。小さい頃は、こんな風に笑ってたな…なんて思ったりしてさ」
「…………」
「だけど、日野ッチと翔楼がいなくなってからはさ、お前、昔に戻っちまったろ。友達が一人もいないあの頃と同じ、寂しいって顔…してただろ」
淡々と紡がれる茶待君の言葉に、ミミちゃんはキュッと唇を結ぶ。
図星を突かれた、確信を突かれた、そんな様子でミミちゃんは開き直ったように声を荒らげた。
「そうだよ…、寂しかったよ。友達が死んだんだから!悲しくなるのは当然でしょ!でも、ヒノノンは戻ってきてくれた!」
「それが問題なんだよ!」
小さな雫を目尻に溜め込んだミミちゃんに、茶待君は躊躇もなく告げる。
「最初、楓が元気になったのは猫のお陰だと思ってたんだ。でも違った。楓がまた笑うようになったのは、友達のお陰だった」
「それのなにが問題だっていうの!」
「楓はさ、また日野ッチがいなくなったら、今度はちゃんと立ち直れるのか?」
冷たく、だけど気遣うように、茶待君は幼馴染に問いかけた。
私にも決して無視できない言葉に、ミミちゃんは目を見開く。
「ヒノノンが…いなくなる…」
そうボソリと呟くと、彼女は恐る恐る私を見やった。
その瞳の奥からは、兢々とした悲愁の思いが漂っている。
考えられることと言えば、片手で数えられるくらい少ないと思う。
この身体の寿命が尽きるまでか、あるいは事故、あるいは病気。
茶待君の発言は、決してあり得ない話はなかった。
「安心ナサイ、楓。私ノ命ガ続ク限リ、猫トシテデスガ、彼女ノ魂ハ私タチト共ニアリ続ケマス」
ミミちゃんの胸内に蠢く様々な懸念を、無名さんが優しく払拭する。そこに私も便乗する。
「大丈夫だよ、ミミちゃん!私は友達を置いて、勝手に居なくなっりはしないから!」
「日野ッチ…、あまり説得力ないぞ」
背後から味方に撃たれる私。
ミミちゃんまでも、私からさりげなく視線を逸らした。
こればかりは、茶待君の味方らしい。
「にゃびーーん!」
考えてみれば不慮の事故とは言え、私もみんなの前から忽然と姿を消した身。
茶待君の『説得力ないぞ』という指摘は、耳が痛かった。
話は戻って──
「なんか特別な力で、日野ッチは留まってるみたいだけどさ。きっといつかは、いなくなるんだ」
まるで、確信しているみたいな茶待君の発言に対し、私を現世に繋ぎ止めているおん方は、得意げに物申した。
「フンッ、私ノ話ヲチャント聞イテイナカッタ様デスネ。確カニ、コノ身体ニモ寿命ハアリマス。デスガソレハマダズット先ノ話。我ガ恩人ノ魂ハ、コノ肉体ガ停止スルソノ時マデ、安全ニ現世ニ居ラレルノデスヨ!」
私が消える。そう言われたのが無名さんのプライドを傷つけたのだろう。己の矜持を誇示するためか、その声はいつもより大きく木霊した。
「でも、本人がそれを望んだら?もう十分だって言ったら?」
「ソレ…ハ……」
茶待君の反論に、言葉を詰まらせた無名さん。
結局のところ、私は死者で生者ではない。
本来ならばとっくに命海を渡り、新たな世界で門出を祝福されていたはずなのだ。
だけど、こうして現世に留まっていられるのは、運良く無名さんを助け、また助けられたからだ。
無名さんの身体を借りて、翔楼と再会を果たし、ミミちゃんとの旅の時間をエンジョイし、雫ちゃんという新たな友達とも出会えた。
充実した楽しい日々。
だけど、ついつい頭の中から抜けてしまう。
今の自分の現状が、仮初の命だという事実を…。
私は改めて考える。
二度目の死が訪れるよりも早く、私は自らの意思で、この在り方に終止符を打つ選択ができるだろうか。
わからない…。
少なくとも茶待君はそう確信している。
きっとこの先に、私にそう決断させる相応の真実が待ち受けているんだろう。
だからこそ茶待君は立ち塞がる。この世でもっとも大事な人に、また孤独な思いをさせないために……。
内心、迷っている自分がいる。
翔楼の真相を知りたい。同時に、ミミちゃんを悲しませたくない。
ふたつの願望が私の中で、天秤のようにユラユラと揺れ惑う。
そんな玉響の間に──
「だとしても、ヒノノンは翔楼君に会わないとダメなんだよ」
逡巡と揺れる天秤の皿に、友達の言葉が重くのしかかり、私の迷いを晴らしてくれる。
「ミミちゃん…」
「ヒノノンは、真実が知りたくて戻ってきたの。私も力になりたくて、いっぱい協力したよ」
惑いも迷いも一切感じさせないミミちゃんの真っ直ぐな眼差しが、茶待君を当惑させる。
「でも、そうしたら!──」
「茶待はさ……またヒノノンがいなくなるってことを、私が一度でも考えないと思った?」
「──え…?」
思いがけない言葉に、茶待君の口からのピントの外れた声が漏れた。
私も同時に、猫髭と猫耳がピクリと震える。
「こんな奇跡みたいな時間は、きっと長くは続かない。そんなことぐらい、私だってわかってるよ」
「だったら!」
「だからこそ、ヒノノンの力になるって決めたの。二度も未練を抱えたまま、私はヒノノンに最後を迎えてほしくない。それに私にだって、翔楼君に会いに行かないといけない理由がある。会って、次こそはちゃんと謝らなきゃ」
「だけど俺、楓に悲しんでほしくないんだ!もうあんな顔!楓にさせたくないんだよ!」
「そうだね。その時が来たら、きっと私は凄く悲しむと思う。また泣いて、また苦しんで、また寂しがるんだろうね。だけど、何も成し遂げられずにまたヒノノンにいなくなられた方が、私はもっと辛い思いをすると思う。そうなったらきっと、悔やんでも悔やみきれないよ」
「俺は…」
「だから茶待、お願い。ヒノノンの願いを叶えられるのは茶待だけなの」
「…………」
「もし今日、ヒノノンとの別れの瞬間が訪れたとしても、大好きな友達を笑って見送れるように…」
「楓…」
「今度こそ明るい未来に、私たちを導いて──」
目頭を腫らした茶待君に、ミミちゃんは優しく微笑みかける。
「──私はもう、大丈夫だから」
この場にいる誰よりも、ミミちゃんの意思は遠の昔に決まっていた。
もちろん、打算的な部分もあるんだと思う。
翔楼に謝って仲直りをする、それが彼女の願いだ。
でもそれは、決して自分自身のためだけじゃない。
それは私のためであり、翔楼のためであり、茶待君のため……。
パズルのピースのようにバラバラになってしまった私たちの居場所を、ミミちゃんは修復しようとしてくれているんだ。
彼女の頼もしさを見習って、私も腹を括らないと…。
だけどその前に、感謝の気持ちでいっぱいなこの胸の想いを、破裂する寸前に吐き出すとする。
「ありがとね、ミミちゃ~ん」
「当然だよ~」
ミミちゃんとビシッと抱きしめ合い、友情を分かち合う。
ミミちゃんの存在を大きく感じる。
どちらかというと私が小さくなったのだが、うまく言えないけど、私の目には大きな存在として映ったんだ。
しかし、感極まって飛び出た猫爪がミミちゃんの軟肌にグサリとめり込む。
同時に小さな悲鳴が漏れた。
「ぐあ~~!」
「あっ、ゴメン…」
なんとも短き友情であった…。
そっと床に下ろされた私は、申し訳なさからお詫びに肉球を供物として差し出す。
寛容なミミちゃんはプニプニと肉球を堪能した後、爪が鋭くなってることを指摘だけして早々に許してくれた。
ちゃんと爪研ぎしてケアしてたつもりだったんだけどなぁ…。
…ほんとにゴメンよぉ。
すると、私たちの締まらない友情劇に、傍目から見ていた傍観者が水を差した。
「まったく…何やってるんだよお前らは…」
呆れたような様子で、口元を緩ませていた茶待君。
その毒気を抜かれた様子からは、何処となく、いつもの調子が戻っていた。
「日野ッチといい、楓といい、相変わらず仲が良いな。あとずっと気になってたんだけど、この頭の中に語りかけてくる変な声なんなの?誰か説明してくれ」
何かと思えばそんなこと。
私たちは平然と答える。
「無名さんだよ」
「無名さんだけど?」
「無名ダ。良キニ計ライナサイ。従僕」
「いや、そういうことじゃなくて!もっと細かい詳細が聞きたいの!てかっ、しれっと本人も混ざってないでちゃんと説明してくれよ!」
私たちの回答に、茶待君は不満たらたらな声を漏らす。
さすがに説明が不足だったかなと反省した私たちは、改めて無名さんについて事細かな説明を述べた。
異世界、命海の輪廻。こことは異なる次元の話に終始目をキラキラさせていた茶待君。
趣味が読書ということもあってか、打ち明けられたこの世の神秘の理に、茶待君は心を奪われた少年のように聞き入っていた。
ただ、彼は私の死の真相を耳にするなり、眉間に皺を寄せて唖然と嘆息を漏らした。
「はぁ、何してんだよ。日野ッチらしいっちゃあ、らしいけどさぁ…」
そんなことを言われようとも、そのお陰でひとつの命を救い、無名さんとも出会うことができた。
自分でも無鉄砲なところを短所だと感じているが、同時に長所だとも思っている。
私は自分のしたことに後悔なんてない。
故に私は胸を張る。
「でしょ?私らしいでしょ?えっへん!」
「褒めてねぇよ?」
今日はいつもより、茶待君の呆れ顔を見た気がする。
「はぁ…」
一息つくと、茶待君は改まって私の正面に向かった。
「俺は正直、今も二人を翔楼に会わせたくないと思ってる。会ったらきっと後悔するだろうから…」
「むっ!まだ言うか!」
ミミちゃんはプンスカと鼻を鳴らしたけれど、無名さんに「落チ着キナサイ」と宥められたことで、その怒りをすぐに引っ込めた。
茶待君は尚も不安を拭えない様子。
だからと言って真実を見届けない限り、私は前に進めない。
私だけじゃない。
ミミちゃんも茶待君も、そしてきっと翔楼も…。
…覚悟はできている。
たとえ、この先にどんな真実が待ち受けていたとしても、それでも私は──
「それでも私は翔楼に会いたい。会わせて、茶待君」
暫しの沈黙のあと、茶待君は天井を仰いで大きく息を整えた。
そして一言、
「わかったよ…」
その一言に、私もミミちゃんも飛び上がるほどに歓喜した。
心做しか、茶待君も表情が軽くなったように思える。
だが即座に、彼はその表情筋を強張らせた。
「そうと決まったら早速行こう」
「え!もう出発するの?」
急な提案に、ミミちゃんも私も目を丸める。
「ああ、翔楼にはあまり猶予がないんだ。時間がある内に会いに言った方がいい!」
茶待君の神妙な面持ちに差し迫った空気を感じ取った私たちは、早々に外出の仕度を始める。
とうとう、この日がやってきた。
長かった。
それはもう、長い道のりだ。
目と鼻の先に、私が求めていた真実が待っているのだ。
私は跳ね上がっていく心拍数を、大きく息を吸って落ち着かせる。
……待ってろよ翔楼…今から会いに行くからね。
そう、彼方にいる彼に思いを馳せながら、茶待君に促されるままに、私たちは車へと乗り込んだのだった。




