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未来で神様は猫を被った。  作者: 色採鳥 奇麗
茶待の章

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12/17

想章 誰かのための嘘

 ーー*片桐茶待*ーー


 幼い頃の楓は、よく笑う子だったんだ。

 当時は性格も明るくて、誰に対しても普通に口を利けたし、友達もそれなりにいた。

 それなのに、小学生になってからというもの、楓は常に忙しそうにして周囲と距離を置くようになった。 

 理由は、支配と呼ぶに近いような、親の過度な教育方針。

 勉強…勉強…また勉強と、必然的に楓は誰かと話すことがめっきり減って、感情を表に出さなくなっていた。

 正直、俺は楓の両親に対して腹立たしさを覚えていた。

 きっと楓の両親(アイツら)は相当視力が悪いか、驚くほどの節穴なのだろう。

 実の娘がどんな顔をしているのか、見えていないに違いない。


──楓を助けてやりたい。


 そう思ったんだ。

 だから俺は楓の隣に立っていられるように、

 楓の思いに少しでも寄り添えるように、

 まずは鉛筆を手に取って、勉強を頑張ってみることから始めることにした。

 


 ー



 大学生活二日目。

 椅子がズラリと並ぶ講義室の窓際で一息ついていると、冷たい雰囲気を漂わせた男が俺に話しかけてきた。


「隣、いいかな?」


「ん?ああ、いいよ」


 空席は他にもあるというのに、わざわざ隣に座って男は講義を受ける準備を始める。

 俺は少々困惑した。

 というのも、俺は親父に似て平均より遥かに体格がでかい。

 身長も180cmを超えている。

 だから周囲からは、畏敬の視線を向けられがちだ。

 そう言った理由で、俺がどういう人間か知らない奴らは、基本的に怖がって話しかけてこない。

 にもかかわらず、こうして平然としている男に、俺は少しばかり興味が湧いた。

 でもそれは、相手も同じだったらしい。

 俺とは別の理由で──


「君、片桐君で間違いないかな?」


「ああ、そうだけど」


「下の名前、なんて読むんだい?茶待(ちゃまつ)?ずっと気になっていたんだ。よければ教えてくれないか?」


 どこで見聞きしたかは知らないが、どうやら俺の名前の読みが気になっていたらしい。

 特段、名を伏せて活動するようなダークヒーローでもないので、俺は流れで教えることにした。


「別にいいぞ、俺の名前は茶待(さじ)って言うんだ。変わった名前だろ」


茶待(さじ)か…。ありがとう、お陰で胸の支えが取れたよ。確かにちょっと珍しい名前だよね。何か由来でもあるのか?」


「あぁ…まぁ一応、あるにはあるぞ。すっげーくだらないけどな」


 俺は溜息を交えつつ、苦笑する。

 するとこの話に、男は両眉を上げて食いついた。


「へぇ、ちょっと聞きたいな」


「ん?まぁ時間もあるし、いいけど」

 

 室内の時計を見ると、講義までまだ猶予があった。

 特にすることもなかったし、名も知らない好奇心旺盛な男に、俺の笑い話のようなく、だらない誕生秘話を語り聞かせてやることにした。

 

 これは、俺がまだ、(お袋)の腹の中にいた頃の話だ。

 俺には四つ上の兄貴がいる。腕白(わんぱく)で、喧しくて、うざったい。怪獣みたいなヤツだ。

 ある日のこと、湯気が立つ湯呑みを片手に、お袋は椅子に座ってテレビを眺めながら一息ついてた。

 するとそこに、喉が渇いたと言った兄貴がジュースをおねだりし、お袋は仕方なく冷蔵庫へと向かった。

 その一瞬の隙に事件が起きた。

 兄貴は、お袋がテーブルに置いていった湯呑みを見て、ジュースが入っているとでも思ったのだろう。そのまま椅子によじ登って、湯呑みを持ち上げて自分の口に持っていった。

 当然、中身はジュースではなく、ポットで沸かした熱いお茶だ。

 後は想像がつくだろう。

 お茶が口に触れた瞬間、兄貴は驚いてひっくり返った。

 そして椅子から転げ落ち、湯呑みの中身と共に盛大に宙を舞う。

 続く、ゴンッという鈍い物音と湯呑みが割れる音を聞きつけ、お袋は慌てて兄貴の元に駆け寄った。

 幸い、お茶は時間が経過していて火傷するほどの温度じゃなかった。

 兄貴は地面に体を打ちつけたものの、親父譲りの頑丈な体で怪我一つしていなかった。

 だがこの時ばかりは、お袋も肝が冷えたという。

 そしてお袋は危ぶんだ。次に生まれてくる子も、お兄ちゃんみたいにエネルギッシュだったらどうしよう…と。

 それで、この出来事に(ちな)んで、お袋は俺にこう名付けた。

 せめて、飲み物を持ってくる(あいだ)くらい、お利口にじっと待っていられますように……。


 お茶(ジュース)を待て。


 故に茶待(さじ)──と。


「なんだいそれ?」


「なっ?笑うだろ?」


 話を聞き終わるや、男は鼻を引くつかせて静かにクスクスと笑った。


「いや、なかなか良い話だったと思うよ」


 俺は「そうか?」と相づちを打つ。

 すると男は、足元の鞄からA5サイズの黒く分厚い手帳を取り出して、無言でスラスラと何かを書き連ねていく。

 見るとそこには、俺の名前と、長々と演説した俺の名の由来が、事細かに記載されていた。

 他にも、ズラリと並ぶ名前の数々。

 …ひょっとしたら俺は、40秒後に死ぬのかもしれないな…。

 なんて、冗談はさておき、奇妙に思った俺は肩を竦めた。


「そんなに面白かったか?」


「ん?ああゴメン、嫌だったかな?」


「いや…それは別に良いんだが、ノートに残すほどのことでもないと思うぞ……」


「そんなことはないよ、少なくとも僕にはね」


「ほ~ん、まぁいいや。で?結局そのノートってなんなの?」


 そう尋ねると、男は指先でノートを大事そうに撫でた。


「コレは将来ノートだよ。僕と彼女のね、彼女には秘密にしてるんだけど…。よかったら見てみる?」


 そう言って男は俺のテーブルの方へ、ノートをスッと滑らせた。

 正直、気にならないと言ったら嘘になる。

 俺は好奇心と理性の狭間で葛藤した末──


「ていうか、お前彼女いるの?羨ましいなぁ…」


 と、悔しさに唇を噛み締めながら、将来ノートを手に取った。

 パラパラと流し読みしてもわかる、びっしりと書き連ねられた人生プラン。

 事細かに練られた将来設計に、男の実直さと素直な性格が窺えた。

 と言っても、それは前半のページだけで、後半は日記と書きたいことを自由に書き殴っている。

 その中に──


「名前か?そういや俺の名前の他にもいろいろ書いてたみたいだけど、誰の名前なんだ?」


 すると、男は少し気恥ずかしそうに言った。


「それは……僕が考えてる名前」


「誰の?」


「僕と彼女の子供…」


「いや気が早えーだろ!」


 ツッコミ気味に、少々声が荒ぶる。

 まぁしかし、彼女さんと男がいつから交際を開始してたかなんて俺も知らないし、早いかどうかは二人が判断することなので、俺はこれ以上は何も言わないことにした。

 しっかしこの名前図鑑、目を通してみると思いのほか面白かった。

 

「なぁ、これは?」


「その名前は、僕と彼女の頭文字(イニシャル)を取ったものさ」


「ありきたりすぎん?」


「そうかなぁ?僕はアリだと思うけど」


 しばらく目を通していると、将来ノートを男がひっ掴み、まるで誰かから隠すみたいに目にも止まらぬ速さで鞄に収納した。

 その理由を、俺はすぐに理解した。


「おーい翔楼ー!ってあれ?翔楼が誰かと一緒に居るなんて珍しいねぇ」


「遅かったね、講義始まっちゃうよ」


 周囲の目を引くほどの黒髪美人が、男の元へと駆け寄ってくる。

 男の様子から察するに、彼女が例の彼女なのだろう。

 彼女さんは男の隣に腰掛けると、男を挟む形で元気に挨拶してくれた。


「はじめましてだよね。私は──」


 彼女の溌剌とした勢いに流され、俺も名乗りを上げることにした。

 すると、すべてを承知したと言わんばかりに、彼女はうんうんと頷いた。


「なるほど茶待君ね、覚えた!それにしても、翔楼が私以外と仲良くしてるの初めて見たよ。他の男子には基本、敵意剥き出しにしてるのに」


「あいつらは実際、敵だよ」


 男は弁明をするわけでもなく、彼女さんをチラ見する男共を殺意の篭もった眼差しでギロリと一瞥し、退かせた。

 覇王色かな?

 まぁ、あれだけ美人な彼女なら、コイツが警戒するのも頷ける。

 俺も後ろから刺されないよう、慎重に言葉を選ばないとヤバいかもしれない。

 

「えっと、■■(彼女)ちゃん呼びでいいかな」


 すると、男の顔が勢いよくコチラを向き、血眼になった眼球が俺の相貌を見据えた。


「え…いきなり名前呼び?お前、彼女に馴れ馴れしくない?僕の彼女の彼氏面なの?お前も敵なの?死にたいの?」


「面倒くせぇコイツ!」


 まさか一日に二回も声を荒げるなんて、俺も思わなかった。

 彼女さんに至っては『ほらね、言ったでしょ』と言わんばかりの呆れ顔。そうしてジリジリと詰め寄ってくる男の首根っこを、彼女さんは軽々と掴んで取り押さえた。


「ゴメンね。普段は真面目なんだけど、私の事となると変にリミッターが外れちゃうの」


「危ねぇな、いっそのこと首輪つけてた方がいいんじゃねか?この猛犬」


 冗談のつもりで言った言葉に、彼女さんは満面の笑みで同意を示す。

 

「ああ!それ名案かも!」


 それを聞いた瞬間、男は表情をギョッと強ばらせた。


「冗談……だよね?」


「それは今後の翔楼次第かな~」


 不敵に笑う彼女さん。


「ぐぬぅ」


 短い悲鳴の後、男は諦めたようにおとなしくなった。

 首輪プレイなんて辱め、俺なら恥ずかしくて外も出歩けなくなる。

 男も、似たようことを思い浮かべたのだろう。

 抵抗の意思を見せなくなった男を見て、彼女さんはスッと男の拘束を解いた。

 そしてペコリと頭を下げて──


「こんなんだけど、これからも仲良くしてあげてね。悪いヤツじゃないから」


 二人のバカみたいなやりとりを見て、二人の主従関係がなんとなく見えた気がした。

 まぁ、ノートの件もあるし、男は悪い奴ではないのはわかる。

 ただ、彼女のことが心配で仕方がないのだろう。

 そういった気持ちは、俺もわからんでもない。


「別にいいよ」


 これが、俺たちの出会いだった。

 どうしてこんな二人が付き合ってるんだ?そう思うほどの、性格が真逆の凸凹(デコボコ)カップル。

 そんな馬鹿二人と、なぜか俺は友人になった。

 この友人の輪の中に、あとから楓も混ざることになるのだが、このときの俺は、まさか未来であんな結末を辿るなんて予想だにしていなかった。

  

 木ノ橋馬翔楼。

 後に悲劇に見舞われる、神に見放された主人公のような青年。


 日野■■。

 後に不幸に見舞われる、神に愛された奇跡のヒロイン。


 俺にできたことはただひとつ。

 嘘の言葉で真実を遠ざけ、誰も悲しむことのない、幸福なエンディングに、残された者を導くことだけだった。


 ーー


「なぁ、日野ッチ。相談があるんだけど」


 校門前のナンパ騒動があった翌日。

 俺は日野ッチに、ある相談を持ちかけた。

 ちなみに、彼女の呼び方は『日野ッチ』に落ち着いた。

 気安く名前を呼ぶと、誰かさんが発狂しかねないからだ。

 

「当ててあげよっか?楓ちゃんのことでしょ!」


 ビクリと目を剥く俺。

 まだ内容も言っていないのに、平然と言い当てた日野ッチに俺は心底驚いた。


「なんでわかったんだ!?」


「う~ん、感?」


「なるほど!第六感か!」


「私はエスパー!」


「ふざけていると、一生話が進まないよ?」


 翔楼に諭され、話を戻す。

 要は楓が心配なので、気遣ってやってほしい。あわよくば、友達になってやってほしい。

 それだけだ。

 先日のように目の届かないところで妙な奴らに絡まれたら、俺も助けてやることができない。

 あの時は偶然、俺たちが通りかかって難を逃れたが、幸運は何度も続かない。

 それなら、信頼できる誰かと一緒にいてくれれば俺も安心できる、というわけだ。

 日野ッチは適任だった。

 俺は論外、楓は意地を張って猛獣のように牙を剥くだろう。

 他の男は論外だ。

 ともあれ、楓には申し訳ないが彼女の身の上を話をしたうえで、改めて日野ッチに頼み込む。

 楓と仲良くしてあげて欲しい。

 楓はああ見えて、本当は凄く寂しがり屋なんだ。

 

「いいよ、任せて!私そういうの得意だから。それに私も、楓ちゃんと友達になりたいって思ってたんだ。じゃあ、行ってくる!」


 そう言うや否や、日野ッチはなんの躊躇いもなく、標的(ターゲット)を探しに飛び出していった。

 

「え?いきなり行くの?楓、びっくりしないかな…」


 日野ッチの後先考えていなさそうな行動力に、俺は少し不安になる。

 そんな俺に、翔楼は自信ありげに言う。


「大丈夫だよ。■■(彼女)はこういうの、本当に得意だから」


「そうなのか?」


「ああ、ちゃんと実績があるからね」


 そう言って翔楼は口元を緩めた。

 俺は心配だったが、数日してそれは本当に杞憂に終わることとなった。

 それからというもの、日野ッチと楓は一緒にいることが多くなった。

 最初の楓はやや困惑気味だったが、日を重ねるごとに警戒心は緩んでいき、いつしか普通に会話をできるくらいに、二人は距離を縮めていた。

 

 普通に話し、普通に笑い、普通に友達と過ごす。


 本来なら、楓はもっと早くにこの普通の喜びを謳歌していたんだ。

 それを厳しい家庭環境のせいで、楓は長らく忘れてしまっていだ。俺はそれを思い出して欲しかったんだ。

 楓は多才だから、なんだってできたんだよ。

 

 ともあれ、楓に友達ができてよかった。

 また笑えるようになって、本当によかった。

 そう、心の底から俺は安堵した。



 ーー



 吐いた息がモクモクと可視化できるぐらいに寒くなってきた季節。

 その日は翔楼に呼び出され、カフェで待ち合わせることになった。

 なんでも、相談したいことがあるらしい。

 どうせ日野ッチのことだろうと俺は特に身構えることもなく、約束したカフェに足を伸ばした。

 翔楼はすでに到着していた。

 気の利いたことに、すでに俺の分のコーヒーまで注文済み。

 俺は礼を言って、向かいの席に腰を下ろした。

 

「で?お前から相談なんて珍しいな。なんかあったか?」


 翔楼は少し躊躇(ためら)いながらも、開口一番──


「病気が見つかったんだ。どうやら僕は、長く生きられないらしい」


 そう口にした。

 当然、どうせ戯れ言だろうと、俺はコーヒーを啜りながら笑い飛ばした。


「おいおい、笑えねぇって。なんの冗談だそりゃ」


 しかし、翔楼の様子を見て、ふと気づく。

 生気のない瞳に陰鬱とした重い表情、ふざけている様子は感じられなかった。

 

「マジなのか…?」


 翔楼は無言のまま、コクリと頷いた。


「身体に違和感を感じて、少し前に病院で調べてもらったんだ。そうしたら、僕はもともと病気になりやすい遺伝子を持っていたらしい。病気にかかった記憶はあまりないんだけどね。でもここにきて、厄介なものが身体に巣食っていたことがわかったんだ。正直、かなり参っているよ…」


 そう言って、翔楼は自嘲気味に笑ってみせた。


「治せねぇのか?」


「無理だろうね。なにせ、余命宣告までされてる。一応、セカンド…サードオピニオンと病院を転々としても、どこも似たような結果が返ってきたよ」


 ゆったりとした気持ちは何処(いずこ)へ、翔楼の突然の告白に俺は言葉を失った。

 余命宣告された。それはつまり、翔楼の命は──


「二年か……持って三年らしい」


「二年……」


 大学を卒業するまで、保たないかもしれない。

 脳が沸くような感覚に、俺は頭を抱え込んだ。

 翔楼とは出会って数ヶ月の仲だ。まだ一年にも満たない。

 それでも、気兼ねなく話せる友人であることに変わりはなかった。

 俺と楓、そして日野ッチと翔楼。

 俺はこの面子で、他愛ない会話をするのが好きなんだ。

 みんなで笑い合うのが、好きだったんだよ。

 それなのに──

 

「で、ここからが本題なんだ」


 ふいに明るい声を上げた翔楼。

 てっきり、病気の件が本題だと思っていた俺は、眉間に皺を寄せて顔を上げた。


「本題?」


 聞くと、翔楼は本題を語りだした。


「僕は、大学から去ろうと考えてる」


「中退するってことか?日野ッチはどうする。まさか別れるつもりなのか?」


 翔楼はただ、コクリと頷いて見せた。

 その意図は、わからなくもない。

 日野ッチにはまだ将来があるし、それを考慮するなら翔楼の存在は、この先お荷物でしかない。

 彼女を大事に思っているからこその決断なのだろう。

 このまま沈みゆく船にいても、誰も幸せになれないし、辛い記憶を背負うだけだ。

 同じ境遇でも、俺は同じことをしたかもしれない。

 翔楼の意思を、俺はとりあえず尊重することにした。


「それと、わかってると思うけど、このことは誰にも口外しないでくれ」


「そりゃ言われなくてもわかってるけど、なんで俺だけに病気のことを告げたんだ?楓には教えてやんねぇのか?」


「ミミはほら…すぐ顔に出そうだから」


「あー…」


 俺は否定できずに、容易に想像のつく幼馴染の顔を思い浮かべながら、ポカンと頭上を仰いだ。

 たしかに、楓は塞ぎ込むと分かりやすい顔をする。

 それに気付けない奴は、相当鈍感な奴か、楓の両親ぐらいだろう。

 日野ッチはこういうのに敏感だからな。速攻でバレるに違いない。


 「それにミミには、何も知らずにこれからも■■(彼女)の隣で笑って寄り添っていて欲しいんだ。なんだかんだ言って、この大学生活で■■(彼女)が一番仲が良いのはミミだしね。きっとミミなら、僕が居なくなったら後に■■(彼女)の心の支えになってくれると思ったんだ」


 たしかに二人は仲良しこよしだ。

 以前も、『ヒノノンと映画を観に行ったんだ!楽しかったよ!』と、楓が嬉しそうに言ってきた覚えがある。

 きっと二人のどちらかが落ち込んだりしたら、親身になって励ますに違いない。

 その点においては、俺は翔楼に同意見だった。


「それで?もう一度聞くが、どうして俺だけにこのことを話した?お前は誰にも告げずに、大学から去ることだってできただろ」


「それは僕も考えたんだけどさ、僕が去った後のことを考えると、茶待とミミの存在は凄く厄介だとおもったんだよ」


 意味が分からず、俺は頭を傾げる。

 すると翔楼は苦笑いして、淡々と続きを話し始めた。


「君らは優秀すぎるんだよ。■■(彼女)一人なら問題なかったんだ。だけどもし、■■(彼女)が真相を探ろうとして、君とミミが全力で協力した場合、さすがの僕も尻尾を掴まれる。そう危惧したんだ」


「なるほど。だから一方を、今のうちに味方に引き入れようって魂胆か」


 たしかに俺と楓と翔楼は、学年でも相当に優秀な部類だと思う。

 その内の二人が本気を出せば、一流の探偵とは言わずとも、そこそこの洞察力で翔楼の行方を辿れるかもしれない。

 それなりに時間はかかるだろうがな。

 でもそれは、俺と楓がしっかり協力していればの話だ。


「つまりこう言いたいのか?誰も翔楼の行方の真相に辿り着けないよう、俺にスパイになって二人を翻弄しろって」


「そうだ」

 

 みんなの注意を逸らし続ける。

 さながら、暴れ牛から華麗に身を翻す闘牛士の如くだ。

 いや…これは例えが悪いか?まぁ、簡単に言えば、日野ッチを真実から遠ざけろ。翔楼は俺にその役を担って欲しいのだ。

 そうしてみんなの中にある翔楼の記憶は、淡く脆い泡沫のように、緩やかに色褪せていく。

 それで恋人を失った日野ッチが、立ち直れれば御の字だ。

 それが誰も悲しまなくて済む、唯一の方法。

 しかし、本当にそうだろうか?

 翔楼が病気だってこと、ちゃんと日野ッチに伝えた方がいいんじゃねえのか?

 それこそが、正しい選択なんじゃないのか?って、そう、俺は心の隅で思った。


「もしかしたら、俺が日野ッチにチクるかもしれないぞ?」


「いや、君はそんなことしないよ。できないって言った方がいいかな」


 まるで、俺の心を見透かしたように言う翔楼。

 できないとはどういう意味だ?と、俺は不思議に思ったが、後日、俺はそれを深く思い知らされる。

 翔楼の余命、後の雲隠れ。そして翔楼が居なくなった後の、日野ッチの悲しむ姿。

 これから起こる悲劇を俺は容易に想像できる。

 だけどなにより──


「ねぇ、茶待!聞いてたの!?今度のお正月に、皆で初詣に行こうって話!」


「ああ、悪い。ボーっとしてた」


「もう、しっかりしてよね!」


「だけどさ、その前にもクリスマスに皆で集まるんだろ?」


「うん。ヒノノンがね、皆で集まっておっきなホールケーキを作って食べようって企画してるの。クリスマス、どうせ茶待も予定もないし来るでしょ?」


「ああ、俺も行く。ってどうせ予定ないとか言うな!」


「だって事実じゃん。は~、早くクリスマスにならないかなぁ~」


 そう言って、先の予定を楽しみにしている楓を見て、俺は翔楼の言葉の真意を理解した。

 ああ、翔楼の言う通りだった。

 俺にはできない。真実を告げられない。

 楓が大切にしている幸福な時間を、壊すことなんてできなかった。


「またボーッとして!」


「大丈夫。早く行こうぜ、翔楼たちも待ってるだろうし」


 翔楼は、本当に俺の心を見透かしていたんだ。

 まるで、手の平の上で踊らされてる気分だ。

 クソッ!この借りはでかいぞ!ちゃんと返せよな、この馬翔楼!


 ー


 月日は流れ、その時はやってきた。

 大学二年としての新たな生活が始まると同時、翔楼は忽然と消息を絶った。

 この時の日野ッチの表情を、俺は一生忘れられないだろう。

 でも、これで良かったんだと、俺は自分に言い聞かせた。

 きっと真相を知ったら、さらに酷い顔をさせてしまう。

 日野ッチだけじゃない、楓もだ。

 だから俺は、この二人に翔楼の余命が僅かなことを絶対に悟らせない。

 絶対に悲しませない。

 絶対に苦しませない。


──だから俺は嘘をつくことを選んだ。


 ー


──だけどその結末は翔楼と俺が思い描いたような、華々しいものとは真逆のエンディングを迎えてしまった。

 日野ッチは事故で亡くなり、それを知った翔楼は抜け殻のようになってしまった。

 二人の友人を失った楓は涙が空っぽになるまで泣くと、また以前のように笑わなくなった。

 

 翔楼と俺の選択は間違いだったのだろうか?


 死が身近にあることを、俺は翔楼を通して知っていた。

 それなのに俺は、自分たちは大丈夫だと無意識に高をくくっていたんだ。

 案の定、俺も翔楼も失敗してしまった。

 

 翔楼がここに残る選択をしていれば、結末は変わっていただろうか。

 俺が早くに本当のことを伝えていれば、結末は変わっていただろうか。


 後悔しながら、そんな考えが先に立つ。

 しかし、過ぎてしまったことを変えることなんてできない。

 変えられるのは未来だけで、それを可能にできるのは今だけだ。

 だけど今更、俺に何ができるというのだろう。

 せいぜい、塞ぎ込んだ楓の傍に寄り添ってやれるくらいしか、思い浮かばない。


 でもある日、転機が訪れた。

 

「茶待、お願い!私を翔楼君に会わせて!」


 翔楼から送られてきたメールを、楓に偶然見られてしまった。

 幸い、翔楼と裏で連絡を取り合っていたことはバレなかったが、正直肝が冷えた。

 翔楼の野郎、タイミングが悪いぞ…。

 俺は動揺を悟られないよう平然を装い、楓からスマホをヒョイっと取り上げて、画面の内容に目を通した。


「なんだ?猫を面倒を見てくれ?しかも期間未定?なんじゃそりゃ?」


 その内容に俺は目を疑った。

 残り時間がわずかの翔楼(あいつ)が猫を飼ってたっていうのか?

 翔楼は責任感もあるし、日野ッチとの関係の切り方は例外として、物事が中途半端になるようなことは絶対にしない男だ。

 それだけは断言できる。

 それなのに、猫!?このタイミングで!?

 いや、きっと翔楼のことだ。それなりの事情を抱えているんだろう。

 だけど──


「いやムリムリ!猫なんて預かれないぞ!俺にそんな余裕はねぇって!」


「でも!翔楼君に会える最後のチャンスかもしれないんだよ!」


「例えそうだとしても、生き物を預かるなんて責任、俺は怖くて()えねぇよ。それとも楓は、翔楼に合いに行くためだけに、アイツに期待させるような嘘をつけってのか?」


「それは…」


 内心、どの口が言っているんだと、自分で言って胸が痛かった。

 翔楼が何処に居るのか俺は知っていたし、連絡も取り合っていた。

 それなのに俺は、日野ッチと楓に嘘をついて、真相に辿り着けないように暗躍していた。

 守るためだろうがなんだろうが、嘘は嘘だ。友達を裏切っていたことに変わりはない。

 でもこれはダメだ。たとえ小さい命だろうが、容易にその責任を負うことはできない。

 

「悪いな楓、こればかりは引き受けられないよ」


「……わかった」


 楓は表情に影を落として、渋々と頷いた。


 後日、俺は翔楼に連絡を入れ、礼の件を断る(むね)を伝えた。

 その猫の件だが、一応は翔楼の祖母の方にも連絡が行っており、宛はつけていたらしい。良かったと、俺は安堵した。

 しかし楓の方は、日に日に目に見えて元気がなくなっていった。

 唯一の友人を、二人も立て続けに失ったんだ。無理もないだろう。

 どうにかしてやりたいと思ったけど、俺は日野ッチみたいな明るい人間じゃない。

 きっと楓の心を支えてあげられない。

 そんな日が何日も続いた。


 再び楓が笑える方法を俺なりに考えたが、どんなに頭を捻っても思い浮かばない。

 唯一思いついたのが友人の存在だが、その友人はもういない。残り時間の少ない翔楼には頼れない。

 そもそも、誰も二人の変わりになんてなれない。そう思った。


……だったら、どうすればいい?どうすれば、楓がまた笑えるようになる?


 俺は悩んだ末に、先日の翔楼からのメールを思い出す。


「猫…」


 動物と触れ合うことで、落ち込んだ心を癒やせると聞いたことがある。

 古来から存在するアニマルセラピーという療法だ。

 その手段に辿り着いたとき、気づけば俺はスマホを耳に当てていた。


「もしもし、親父?相談があるんだけどさ…」


 手段を選んではいられなかった。

 いや、これこそが最善にして最良の方法かもしれない。

 やらずに後悔するよりも、やって後悔しない方がいい。

 そして親父の次に、俺は一人の友人に電話をかけた。


「もしもし、翔楼。この前の猫の件だけど、やっぱり俺に預からせてくれないか?」


 覚悟は決めた

 次こそは、間違えたくない。

 だから俺は選んだんだ。



 最も良き未来へと、

 今度こそ辿り着くために──

 

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