ありがとうごめんなさい
ーー*海乃雫*ーー
産まれた時から、身体が弱かった。
普通の赤ちゃんよりも一回り小さく、機械に繋いで一日中見守ってないと危ういくらい、私の命は風前の灯火だったのです。
幸い、命を繋ぎ止めることはできましたが、残りの人生を病院で過ごすことが決まりました。
医師からの診断で、心臓の病気を抱えていたこと発覚したのです。
私がそれらのことを知ったのは、ちょっとだけ大きくなってから。それまでは、病院生活が当然のことだと思っていたのです。
なにしろ、病院は大きな我が家で、外は塀のところまで広々した立派なお庭、そう思い込んでいたんですから。
毎日のように脈拍と心拍を図り、苦いお薬をお水と一緒に飲み込んで、怖い注射や点滴だって我慢しました。
その甲斐もあって、病院中を歩き回れるくらいには私の身体も良くりました。それでも、予断を許さない状態には変わりありません。
そんなある日、病院の一室に私と同い年くらいの、見たことのない女の子が入ってきました。
友達のいない私にとって、これは好機。
友達欲しさに、私は好奇心から女の子に声をかけます。
「ねぇ、貴方は誰?何処から来たの?」
「わ!びっくりした!幽霊かと思ったじゃん!脅かさないで!」
脅かしたつもりはなかったけれど、女の子のご機嫌を損ねた私は、潔く謝ることにしました。
「ご、ごめんなさい…」
「ふん、まぁいいわ。私は柚菜、学校でちょっとヘマしちゃったの。大した怪我でもないのにママもパパも大袈裟なんだから!」
柚菜ちゃんと名乗った女の子は、途中からむくれて独りごちるように言いました。
それよりも、『学校』という聞き慣れない単語に、私は首を傾げました。
「学校…っなに?」
すると柚菜ちゃんは、信じられないものを見たと言わんばかりに、口をポカンとさせてしまいました。
「嘘でしょ貴方!学校を知らないの!」
「私、ここしか知らないから…」
「ふ~ん、そうなんだ。貴方名前は?」
「海乃雫…」
「そう、じゃあ雫。私が外の世界のことを教えて上げるわ!」
柚菜ちゃんらツンケンした性格でしたが、とっても面白くて優しく子でした。
短い間だったけれど柚菜ちゃんは私と仲良くしてくれて、病院じゃない…外の世界のことを、たくさん聞かせてくれました。
ですが、彼女の怪我は本当に大したことはなかったようで、数日後にはなんの問題もなく退院。
話し相手がいなくなった私はまた一人になってしまいましたが、それ以上に柚菜ちゃんがしてくれた話は、私の心に新たな光を差し込んでくれました。
──『学校』
そこは私と同年代くらい少年少女たちが、勉学に励み、体力を競い合う、知で知を洗う、ある種の戦場だと聞きました。
そこでは、柚菜ちゃんは上位の成績を収めていたと言います。
算数、国語、道徳、社会、理科。どの教科であろうと、柚菜ちゃんの右に出る者無し!
柚菜ちゃんは圧倒的なテストの点数差を同級生たちに見せつけることで、皆を服従させたそうです。
凄いです!王様みたいです!
だけど体育祭の騎馬戦なる種目とやらで、柚菜ちゃんのチームは相手チームに果敢に挑んだものの、敵の卑劣な罠で蹴落とされてしまい、柚菜ちゃんは苦渋を舐めさせられてしまいました。
そのせいで怪我をして、彼女は病院に入院する羽目に──
お見舞いに来てくれたママとパパに、柚菜ちゃんとそのことをお話すと、少し渋い顔をされてしまいました。
きっと柚菜ちゃんは、大人すら平服させてしまうほど、驚異的な存在だったのかもしれません。
ともあれ、柚菜ちゃんとの出会いをきっかけに、私は外に興味を持つようになりました。
──『外』
そこは私にとって未知の世界。
……私も外の世界をこの目で見てみたい。
そう思ってママとパパ、そしてお医者さんにお願いしました。
結果として許可は貰えたけれど、行っていいのはお医者さんたちの目の届く範囲まで……。
つまり、お庭の中までなら自由にしていいということでした。
私は嬉しくて、早速外へと足を伸ばします。
歩く度に、クシャッと音を立てる柔い芝生。
巨人から逃げ惑うように飛び跳ねる、緑色のちっこい生き物。
初めて直に浴びる、お日様の光。
なにもかもが初めての感覚。
新鮮な外の空気は、私の中で燻っていた探究心の火を燃え上がらせるのには十分だったのです。
翌日、私は身体を壊してしまいました。
風邪です。
次は、はしゃぎすぎないように気をつけます。
でも、楽しかったなぁ…。
──いつか……庭の外まで、行けるといいなぁ……。
ーー
その日は、お庭に珍しいお客さんがやってきました。
黒猫を連れた金髪のお姉さんです。
お庭では他にも猫ちゃんを見かけたことがあるので、なんら珍しいことでもありません。
ですがその猫ちゃんたちは、私が近寄ると忍者みたいに颯爽と消えてしまうのです。
「あの猫ちゃん、お姉さんの猫ちゃんかなぁ?触らせてもらえるかなぁ?」
あのフサフサな毛並みに一度でいいから触れてみたい。
私は行動を起こしました。
猫ちゃんをびっくりさせないように私はそっと近づき、物陰に隠れ、植物の中に潜みます。
……お姉さんに頼んで、猫ちゃんを撫でさせて貰おう。
私は機会を窺いました。
ですが数分後、私の方が驚かされることになるなんて思いもしませんでした。
「──ねぇ、ミミちゃ~ん」
猫ちゃんはお喋りしていたのです、それはもう当然のように。
お姉さんはそれを不思議がらずに、当たり前のように受け入れています。
私は目を疑いました。
そうして私は出会ったのです。
ヒマちゃんとミミちゃん、そして無名さんという新しい素敵な友達に。
ー
庭の外から来たお友達。
猫ちゃんが喋っている、それだけでも想像を超えているのに、ヒマちゃんたちがしてくれたお話は、私の想像をさらに絶するものでした。
なにせその話とは、庭の外のさらに外…こことは違う別の世界の物語だったのです。
私は一瞬で心を奪われ、胸を躍らせました。
覇者のように君臨していた元ドラゴンの無名さん。今はヒマちゃんに体を預けて、声だけの存在になっています。
前世がドラゴンだなんて、すっごくかっこいいです。
ミミちゃんは私と同じ普通の人間です。最初は外国人さんかと思いましたが、髪を染めているだけでした。だけど彼女は、ヒマちゃんと無名さんの声が聞こえる、不思議な力を持っています。
私はヒマちゃんの声しか分かりません。まるでミミちゃんは、神様の声を聞くという巫女さんみたいです。
最後に黒猫のヒマワリちゃん。なんと彼女は、元人間だったのです。びっくり仰天です。
ヒマちゃんは、ミミちゃんと名無さんの力を借りて、ある人を探しにこの病院に辿り着いたそうです。
その話も含め、彼女たちの夢のような旅路の話を、私に聞かせてくれたのです。
──『無限にも等しい数多の世界』
──『死後の魂を新たな世界へ誘う命海という輪廻の理』
──『無名さんの人生と薄れてしまった遠い記憶』
──『ヒマちゃんの探し人』
どんなお話にも、私の鼓膜はびっくりしっぱなしです!
ある時は、ミミちゃんがボードゲームという面白い玩具まで持ってきてくれて、皆で楽しく遊んで過ごしました。
本当に楽しくて堪らない。
ヒマちゃんたちと出会えたことは、私の人生において三本の指に入るくらい彩りのある日々でした。
ちなみに他二つは柚菜ちゃんに出会えたことと、ママとパパが会いに来てくれることです。
これまでにママとパパ、それとお医者さん意外で、こんなにも長く誰かと日々を過ごしたことはありませんでした。
それに、世界の秘密を知っている自分に、ちょっとした優越感を覚えます。
なにせ私は、他の世界に産まれたならば、世界を救う勇者になっていたかもしれないんですから。
──私の魂は綺麗で凄い魂。
きっと私は、来世で凄い偉業を成し遂げるのでしょう。
もし身体が弱くなければ、この世界でも何かを成し遂げられたかもしれません。
だからといって、私は病弱に産まれたことを恨んだことはありません。
たしかに病弱で不自由なことは多かったけれど、それでもこの世界に産まれたことを、私は嬉しく思うのです。
パパとママ、お医者さん、柚菜ちゃん、ヒマちゃん、ミミちゃん、無名さん。
皆に出会えたこと──それだけで、私は十分幸せだったのです。
……明日もヒマちゃんたちきてくれるかなぁ?
なんて胸を躍らせて、明日を心待ちにして眠りにつきます。
ですが、そんな日々ももうおしまい。
自分の命が長くないことなんて、とっくの昔に知っていました。
だって最近のママとパパ……私のお見舞いに来る度に、凄く辛そうにしてるんだもん。
ーー
ベッドの傍らに置かれたモニターは、命を映し出す特別な役割を持っています。
右から左に走る緑色の線。これが私の命です。
普段見ることもできない可視化された私の命。私にはそれが面白くって、ずっと目で追いかけていました。
──ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…
線は、一定のテンポで高らかに飛び跳ねます。私の体が、まだ賢明に生きようとしている証拠です。
だけど少しずつ、ほんの少しずつ…。その力が弱くなっていきます。
……頑張って!頑張って!
声に出して応援したい。
ですがもう、その体力すら私にはありませんでした。
もう一週間くらいは経ったでしょうか。容体が悪くなってから、かれこれベッドで寝たきりが続いています。そんな私に、お医者様も付きっきり。
そして横には、大好きなママとパパも見守ってくれています。
「そんな…雫…」「なんで…なんでこんな…」
ママとパパは、赤ちゃんみたいに泣き崩れています。私を思ってのことでしょう。
正直、二人には申し訳ない気持ちで一杯です。
私が産まれてきたせいで、二人には苦労をさせてしまいました。
朝、昼、晩と私の医療費のために頑張ってお仕事をしてくれたのに、私はそれに応えることができなかったからです。
でも、それも今日まで…。
何故なら私の目の前に、死が迫ってきていたからです。
怖くなんてありません。
だって知ってるから。
この死が終わりを告げるものじゃなくて、新たな世界への旅立ちを知らせるものだって、私はちゃんも知っているから……。
それでも、ちょっぴり悲しいかなぁ。
ママとパパ、みんなとお話できなくなるのは──みんなのことを忘れちゃうのは、やっぱり寂しいなぁ。
──私に呼びかける家族の声。
──それに応えようと、私の心臓も頑張ります。
──でも、もう限界みたい。
──《《お迎え》》が、来てしまったようです。
まるで最初からあったみたいに、私の周辺をキラキラした優しい光が揺らめいています。
暖かくて、ひんやりとしていて、とっても心地良いです。
ああ、これがヒマちゃんの言っていた命海の波なのだと、私は悟ります。
凄く綺麗。私もこの波に乗って新たな世界に旅立つんだと思うと、ちょっとだけ胸が躍ります。
……あっ!でも私、ヒマちゃんに報告しないといけないことが、あったんだ!
実は私、見つけちゃったんだ。
『キノハシカケル』っていう名前の、ヒマちゃんが探してるって言ってた人を。最初の文字は漢字の『木』と、その次がカタカナの『ノ』?そして最後の文字が、『桜』に似た漢字だったと思います。
他の漢字は難しくって、覚えられませんでした。
だから、合っているかはわかりません。
病院のとある一室、そこの表札にはそれと同じだと思う名前が、記載してあったのです。
確かめようと思って、私は一度だけ部屋を覗きました。
ベッドはひとつ、個室のようでした。
そこには男の人がぐっすりと眠っていました。
それともう一人、椅子に座るおっきい男の人と私は目が合って、私はやむなく退散しました。
そのことをヒマちゃんに伝えたかった。
だけど、もう無理みたい。
……とうとう時間が来ちゃったみたい。
自分の体じゃないみたいに、全身がズシリと重くなります。
視界がじんわりと暗くなって、パパとママの声も段々遠くなってきました。
最後です……せめて最後に、私の感謝の想いを大好きな家族に伝えたい。
「……マ…」
ありがとう──
「…パ……ァ」
私のために頑張ってくれて──
「…あ……り……」
私のママとパパになってくれて──
「あ…ぃ…が…と……」
──本当にありがとう。
伝わったかな?伝わってるといいなぁ。
私、死ぬの全然怖くなかったんだよ。凄いでしょ。
だって、死が終わりじゃないってことを、私は知っているから。
私ね、来世は無名さんみたいに、竜に生まれ変わりたい。
だってかっこいいでしょ?
すべてが自分の物のように、我が物顔で世界を飛び回るの。
きっとなれるよね。
特別な魂の持ち主だって、ヒマちゃんも言ってたし。
ああ、そうだ。
ヒマちゃんとミミちゃん、私がいなくなって心配してるかなぁ。
いつもの場所で待ってられなくてゴメンね。
最後が来るってわかってたけど、本当に突然だったから。
そういえば、ヒマちゃんの人間だった頃の名前…聞いてなかったなぁ。
私もミミちゃんみたいに、無名さんの声、聞いてみたかったなぁ。
──お別れの挨拶、ヒマちゃんたちにも…ちゃんとしたかったなぁ。
ーー
「あれ?」
どういうわけか、目を覚ましました。
さっきと同じ病室、正面にはベッドの横で泣き崩れる両親もいました。
「ママ!パパ!」
嬉しくて思わず声をかけます。ですが、私の声は届きません。
それもそのはず、ママの腕の中には力無く横たわる私がいたのですから。
私はミミちゃんの言葉を思い出しました。
そこでようやく、理解します。
私は死んで、幽霊になってしまったのだと。
「そっか…」
私は、私を抱きしめるママと、その隣に寄り添うパパを見守りました。
二人とも涙で顔がぐちゃぐちゃで、こんなに悲しそうにしている二人を私は見たことがありません。
それだけ、私を大事にしてくれていたことが伝わってきました。
私は胸が熱くなって、でも同時に悲しくなって、気づけば目からポロポロ涙が溢れていました。
もう、二人と言葉を交わすことはないでしょう。その事実が、私の心に深く突き刺さります。
死は怖くはない。怖くないのです。
それでもやっぱり…悲しいのです。
悲しくて、辛くて、苦しくて、寂しくて、止まったばかりの心臓が、ギュと締め付けられてしまいます。
「ご…ごべんなゃさい」
嗚咽を上げながら振り絞ったのは、感謝ではなく謝罪の言葉でした。
「ながっ…いき……できなくって…ごべんなさい。もっといっ…しょにっ…いられなぐで…ごめんなさい。げっ…んぎになれ゛なぐで、ごめっなさい。しんでじまっで、ごめんなさい…」
私も悔しかったのです。
ママとパパは、私のためにずーとっ頑張っていました。
生きて欲しかったから、元気になって欲しかったから、幸せになって欲しかったから。いろんな思いがあったのでしょう。
それなのに、私はその頑張りに報いることができませんでした。
病気に負けてしまった。本当に悔しくてたまりません。
この想いも、もう届くことはないでしょう。
それでも──
「ありがどう。ママ!パパ!ほんどうにありがどうごじゃいました!だいすきだよ!みじかいじんせいだったけど、わだし!しあわせだったよ!きっと、せかいでいぢばんじあわぜものだよ!ママとパパのこどもにうまれて、すっごくしあわせだったよ。ありがとう。ありがとね。ほんとうに!ありがどう!」
私は伝えきれなかった思いの丈を、ここぞと言わんばかりに吐き出しました。
その時でした。
──「大丈夫だよ」
不意に背後から、温かい言葉が私をやさしく包み込みます。
「君の最後の言葉は、僕にもちゃん聞こえていたよ。だからきっと、君の想いは、ご両親にもしっかり届いているはずだ」
それを聞いて、私は胸のすく思いでいっぱいになりました。
良かった。ちゃんと聞こえてたんだ。
悲しんだり、安心したり、感情の揺り返しで私はまたたくさん泣いてしまいました。
しばらくして落ち着いた私は、声の主に体を向けます。
その人は、見覚えのある人でした。
たしか、例の病室で眠っていた、ちょっと冷たそうな男の人。だけど、とっても穏やかに頬を緩めて、優しそうな人にも見えました。
人は見かけによりません。
どうやらこの人も、他の人には見えないみたいです。
ママもパパもお医者さんも、この人に一切気づきません。
「お兄ちゃんも死んじゃったの?」
「いや、生きてるよ。体は今も眠ったままなんだ。ここにあるのは、たぶん魂だけなんだと思う。生霊ってやつなのかな?」
お兄ちゃんは難しい顔をして、自分のことを話してくれました。
どうやらお兄ちゃんは、私とは違う奇妙な状態に置かれているらしいです。幽体離脱とかいう現象でしょうか。
それよりも、私は半分幽霊のお兄ちゃんに、聞こうと思っていたことを尋ねます。
「私は海乃雫!お兄ちゃんの名前は!?」
焦燥だったでしょうか、やや食い気味になってしまった私に、お兄ちゃんはギョッと驚きを見せた後、落ち着いてからゆっくりと口を動かしました。
「僕かい?僕の名前は──」
待望の答え合わせの瞬間です。




