9 面影、そしてスピネ
人の往来をかき分け、ぐんぐんと進んでいく。ようやく疲れたと感じ立ち止まったヘリア目の前に現われたのは巨大な円の形をした建物であった。
(これが、あの兵士の言っていた、)
剣舞祭、アクシオスで一年に一回開かれている武芸を競う祭りだ。
普段はこの町の兵士の練兵場として使われていることもあってか、兵士姿の者が一段と多い。
近づいていくだけで、戦士がかいた汗のにおいが漂ってくる。頭上に輝く太陽に照らされた男たちの顔には、生気と活力が漲っているように見えた。
オーレの心臓と言われているだけあり、この町の出身の兵士は王国の要職に就いている者も多数いる。
この国が他国の侵略を防ぎ王国として成立することが出来たのも、オーレの力によるところが大きいと言われていた。
ヘリアは少し興味を持ち、巨大な闘技場を回りながら観察し始めた。改めて町を見渡せば、至る所に国旗や町旗、三角旗なんかが飾られており町の人々にも活気が満ちているようだ。
闘技場のある大通りには多くの露店が立ち並んでおり、裏手の方にまで続いている。中心である闘技場には、兵士や観客を含めた様々な人々で溢れかえっている。
闘技場中央の入口には列が作られているが、あれが剣舞祭への登録所であろうか。
(二列、ある?)
右側の列には、成人か、それに近い体格を持つ男たちが並んでいる一方で、その隣にはヘリアと同じくらいの年の子どもたちが同じように列を作っていた。
皆、目を輝かせながら受付を待っている様子だ。平民の子もいれば、高貴な甲冑に身を包み、護衛を従えているような子までいる。
中には、平民の子たちを押し入って列に割り込もうとする貴族らしき子どももいるにはいるが、ほとんどの子は列を守って並んでいる印象であった。
一人、とりわけ図々しい子どもがいた。赤い髪を切り揃えたヘリアより少し背の高い少年だ。周りには何人か子どもたちが下り、彼を囲むように列を進んでいく。他の子たちは文句を言いたそうにしているが、彼の高貴な服とその上に浮かんだ紋章とが、それを困難にさせていた。
(矛と、盾の紋章)
アクシオスを治めているへヴリング侯爵。その子どもであることを示す赤い髪、そして一つの盾に二本の剣が交差した様相を示す紋章とが、彼の行く手を空けていった。
受付を早々に済ませ終え、一行は声を弾ませながら人混みの中を堂々と渡っていく。
その目が、ヘリアの方へと向いた。
(まず。)
睨んでいたのがバレたのか、咄嗟にヘリアは顔を隠した。近くの大人に隠れるようにして息を潜めていると、赤髪の少年は踵を返して闘技場の裏手へと回っていった。
ほっと胸を撫でおろしたヘリアも、闘技場の裏手へと回っていった。彼らは左の奥の方に消えていったから反対の右手側から進んでいく。
目立つのも避けたかったが、それによって行動を制限されるのはもっと嫌だった。人混みが少なそうな箇所を探しながら、ヘリアは裏手の、屋台群の方を見回っていった。
道なりに進んでいくとすぐに、耳を刺激する香ばしい香りが漂っていた。昼時だというのもあってか、肉を焼いたいい匂いが充満している。反対側の家々からも人々が立ち寄り、長蛇の列をなしているような屋台もあった。
そんな中で、ヘリアの目を引いたものがあった。厚いパン生地にチーズを塗ったトーストがちょうど目の前で焼きあがっており、焦げたチーズの匂いがヘリアの鼻をくすぐった。
(父さんにも、よくチーズを食べたいって、駄々を捏ねたっけ。)
村にいる時は贅沢品だったため、時々訪れる行商人を交代で待っていた。たまに仕入れることが出来ると、父はそれを温め削いで、ゆでたジャガイモにつけたラクレットを作ってくれた。
「スピネ、二つ買いましょうか。しょうがないからあなたの分も、」
振り返ったヘリアは、自分がすっかり屋台に夢中になっていたことを思い知らされた。スピネの姿は無く、後ろにいた女人が驚いた表情でこちらを見ている。
「すみません、」
それしか言うことが出来ずに、ヘリアはその場から立ち去った。さきほどよりもさらに歩くペースを速め、ぐんぐんと奥へと進んでいく。
なるべく人のいない方へ、そう思って進んでいると、いつの間にか闘技場の反対側に来ていた。町の中心部からも離れており、この辺りには人は少なかった。
ヘリアは闘技場の壁にもたれるようにして座り込み、小さく息を吐いた。
「なんか、疲れたわ。」
昨日からの出来事を思い出し、ヘリアは重ねてため息を吐いた。
スピネとの旅に慣れていったからか、最近は遠慮が無くなってきたように思える。先ほどの蹴りも、スピネなら避けて当然と思って繰り出したが、彼女は真っ向から受け悶絶していた。
(このまま、この生活に慣れていっていいのかな。)
あてがあるわけでもないが、正直言って不安もある。スピネの目的は未だによく分からず、放浪のような旅を続けている。
今までとは真逆の生活に、戸惑いも漠然とした焦燥感もあった。
だが、この生活を止めるとなれば、そこまで考えてヘリアは頭を振り払った。スピネの世話は大変だが、この状況に居心地の良さを感じているのも確かである。
(まぁ、あれと親子と言われるのは、なんだか恥ずかしいけれど。)
空に燦然と輝く太陽が、気が付けば徐々に傾き始めていた。時間の変化に意識を向けると、途端に空腹に見舞われていることに気付いた。
「そろそろ、あの阿保を探しに行きますか。」
夜までに、なんとかして泊まれるところを探さなければならない。それに最低限一泊泊まれるだけのお金も。
スピネにこのことを言えば、まず間違いなくヘリアに踊るように言ってくるだろうが、こんな大きな町の往来で踊ることは、出来れば避けたかった。
(でも、スピネももう火吹き芸なんてしないだろうしなぁ。)
頭を悩ませながら立ち上がると、近くで声が上がった。