12 予選とスピネへの思い
次の日から、剣舞祭の予選が始まった。
闘技場の真ん中で、一対一の試合を繰り返していく勝ち抜き形式。試合は、闘技場らしく殺しさえしなければなんでも良いそうであった。
勝つための条件は、相手を気絶させるか、降参させること。審判が介入することも少なくないそうで、実際先に行われていた無制限の部門では事故による死者が出ている。
ヘリアは一切の淀みも見せずに勝ち進んでいった。自分より一回りも大きい男子を前にしても全く引くことなく、気づいた時には相手の腕がひん曲がった状態で地面に打ち倒されていた。
「勝者、ヘリア・イオネル。」
本選への出場を決める審判の声が聞こえ、その手に右腕を掴まれ高々と頭上にあげさせられていた。
周囲には石造りの階段が並んでおり、その上に観客が所狭しと座っている。惜しみない拍手と、湧き上がる歓声を前にしたが、ヘリアの顔にはちっとも笑みが漏れなかった。
審判に本選への参加資格である、アクシオスの矛と盾とをあしらった腕章を渡され、明日の集合時間や場所などの詳細を聞かされた後、ヘリアは闘技場を後にした。
出入口周辺には、未だ興奮冷めやらぬ様子の観衆たちがいた。次の試合までの談笑として、誰が本選を勝ち上がるだとか、今後も少年たちの部門は継続するべきだとか、誰に賭けるべきかといった取り留めのない話が聞こえてくる。
中には、ヘリアの戦い方は、生き汚くて嫌いだと喚く人間もいた。酒で酔っているのか、元々声が通るのか、大通りにその男の声が鳴り響いている。周りで屋台巡りをしていた人々も、何事かと首を捻るようにして男の方を振り返っていた。
依然として自分の意見を主張する男、その右足があるはずの場所は、ぽっかりと空洞が空いていた。
「あいつの戦いには品性が感じられない。なんだ、あれは。獲物を追い詰める狼だと思ってみた方が、まだマシだった。力で劣っているのは、相手に剣を弾かれたことからも明らかだ。それなのに奴は、相手の懐に潜りこみ腕にかみつき急所を蹴り上げた。金を払って見せられるものがあれだなんて、心底ガッカリしたぞ。」
武器を無くした時点で潔く負けを認めるべきだったとがなり立てる男を、迷惑そうに押さえようとする者の姿もあったが、中には男の意見に同調している様子の者もいた。
戦士の町、アクシオス。
戦を生業とし、傭兵や戦士として、戦いとともにその生涯を終える彼らにとって、戦いとは己の記録そのものであった。人はいつか死ぬとはいえ、その最後は褒められるべきものだと、栄誉あるべきものでなければならないと、本気で考えている。
何より、自分が惨めな最後を迎えたのならば、それを伝えられた親や子供は、きっと悲しむであろうと。いつまでも汚名をすすりながら、自分の命を粉にしてまた戦いに身を投じなければならないと。
(そう、変わらないわね、この町は。)
「名誉だ栄光だなんてもので死なないのなら、いくらだってそうするわ。それが金になるってんなら何回だって踊ってやる。下らないわ、本当に。」
ため息だけ吐くつもりだったが、むしゃくしゃしてたのか言葉が自然と漏れ出してしまっていた。気づいた時にはすでに遅く、皆がヘリアのことをじっと見つめている。
喚き散らかしていた男なんかは、ヘリアのことに気付いた様子だった。いきり立った様子で杖をつきながら迫ってくる男を、どう躱すべきかヘリアが迷っていると、
「ヘリア、こっち。」
「アルス?」
人混みの中から現れたアルスが、ヘリアの腕を引きするすると人混みをかき分けていく。あまりの手際の良さに、思わずヘリアも驚いてしまうほどだった。
あっという間に男の姿は消え、騒ぎの中心地であった大通りも遠ざかり、小さな家々に囲まれた小道へと二人は入っていた。
二人して息を切らしながら、思い思いの方向を向いて息を整えていく。どこをどのようにして通って来たのか逃げることしか頭に無かったヘリアにはちっともだったが、目の前にはバルトとレイラが経営している、居候先の孤児院の姿が目の前にあった。
「その、アルス、助けてくれて、ありが、とう。」
まだ整っていない状態でアルスの方を向いて告げると、アルスは満面の笑みを浮かべて大きく頷いた。
「礼なんてそんな、ヘリアにはここ数日世話になりっぱなしだし、剣舞祭での活躍を毎日見れていて嬉しかったから。こんなことでも役に立てたのなら、嬉しい限りだよ。」
満足げににっこりと、若干頬を赤らめて笑うアルスを見ていると、ヘリアの中に燻っていた鬱屈とした感情も徐々に薄れていった。
あの壮絶な一日目を終えてから、ヘリアとスピネはバルトとレイラが経営している孤児院に居候している。
なるべく邪魔をしないようにとヘリアが気を遣う一方で、スピネは日がな一日中二階の屋根裏に籠っては、手記の頁を進めることに心血を注いでいる。
ヘリアが剣舞祭に参加していることなど、スピネはもう覚えてもいない様子であった。初日の最初の試合を終えたヘリアが観客席を振り仰いだ時には、既に出入口に差し掛かっている所であった。
(あいつが、ああいう奴だってことは、分かり切っていたことなのに。)
何を期待していたんだろうと、ヘリアは憂鬱な気持ちに再び陥る。試合後に帰ったヘリアが、スピネになぜ早く帰ったのかを問い詰めたところ、
「え?だって君が優勝するのなんて自明の理でしょ?一応、この町の子のレベルを確認しておく意味で初戦だけは見たけど。うん、大丈夫。間違いなくヘリアは優勝するよ。」
「じゃあ、もう試合を見には来ないってわけ?」
机に向かいながら、ヘリアの方を振り返りもせずに当時のスピネは答えた。
「結果が既に分かっていることに、熱中なんて出来るはずないよね。それに、あそこって暑いんだよ。人の熱気がこもっていてさぁ、もうちょっとこう…、」
最後まで話を聞かないのはいつものことだったが、この時のヘリアは平時よりも怒っていた。部屋の扉を音が鳴る勢いでわざとらしく閉めると、足音を鳴らしながら階下へと降りていった。
それ以降、スピネとはろくに会話をしていない。食事も、レイラに部屋に運ばせていたスピネが、わざわざ降りてきたのに、あえて時間をずらしていたりもした。
(なんで、こんなムキになっているんだか。)
自分でも己の感情のやりどころが分からずに、ヘリアはため息をついた。あの時のことを思い出すだけで、薄らいだと思っていたイライラが、心の四方で訴えかける。
孤児院の扉を前にして、どこか気が重くなっている自分に、ヘリアは辟易していた。
「何か、困りごと?ヘリアのお母さんに関することかな?」
隣から心配そうにこちらを見るアルスに、ヘリアは必死に笑顔を作ろうと励んだ。
アルスとは、ずいぶん仲良くなった。ぎこちなかった敬語も止めるように言うと、ほっと胸を撫でおろしたかのように自然と話せるようになったし、毎日一緒に鍛錬もした。
まだ何とも言えない違和感を覚えてはいるが、とにかくアルスや孤児院での数日は、ヘリアにとって良い刺激となっている。
その様子を二階から見下ろすように見ていたスピネを思い出し、一段とヘリアは苛立った。
「あいつは、親、とか、そういうのじゃ。まぁ、保護者ではあるけど。変な奴なのよ、未だによく分からないの、何を考えているとかさ。」
「確かに、少し独特な感性を持った人ではあるよね。初めて会った時、いきなりロアとリアを遊びと称して中庭にぶん投げようとしていた時は、思わず肝が冷えたよ。」
あはは、と苦笑いをするアルスを見てヘリアの頬が緩んだ。言葉を選んでいるようだったが、アルスもどう呼称していいのか分からず困っている。その愛らしさと同じ気持ちを共有できたという嬉しさで、再び気がまぎれた。
「そうなのよ、あいつ。今までも何度酷い目に遭わされてきたことか。森の中で熊と対峙したこともあってね。」
ヘリアはスピネとの旅路を、アルスに語って聞かせた。中庭にある小さな遊具、獅子の形をした乗り物に乗り、星が瞬く夜空を見上げながら。
時折驚愕したような声を上げるアルスの反応が面白くて、ヘリアも次から次へと被害話を話していった。