10 二人の子ども
「お前が剣舞祭に出ることなんて、俺は認めない。栄光ある戦士のみが上がる場所に、お前のような非力なものは相応しくない。お前が自ら棄権すると父上とあの女に言え。そうしないと、こうだ。」
乱暴な声と共に、鈍い音が響いてくる。それが、人を殴っている音だと、ヘリアはすぐに気づいた。
音を立てないように近づいていくと、そこには四人の少年の姿があった。一人の少年を三人が輪になって取り囲み、代わる代わる暴力を振るっている。その中心にいたのは、さっき剣舞祭の列を我が物顔で通っていった赤髪の少年だった。
「ほら、何とか言ったらどうなんだ、アルス。全く父上も父上だ。あの女のことを気に入っているからって、才能の無いこいつのことまで甘やかしている。だから、すぐにへばるような軟弱な人間に育つのだ。本当に忌々しい、次期領主は俺に決まっているのだ。お前と比べられること自体、我慢ならないというのに。」
少年の攻撃は激しさを増していく。殴られている側の少年の全身はヘリアからは見えなかったが、その音だけで様子は容易に想像できた。
(あいつら、許せない。)
飛び出そうとしたヘリアだったが、澄んでのところで踏みとどまった。
「栄光ある戦士は、」
か細くも、芯のある声が聞こえた。
「こんな裏路地で、人を殴って棄権に追い込むような真似はしない。」
「は?」
震えながら、アルスと呼ばれえた少年は立ち上がった。腕も身体も、相対する少年より一回りも細い。見た目だけでいえば、叶いそうもない相手であった。
しかし、一回りも大きい少年を前に、アルスはわずかに震えながらも全く引いてはいなかった。強い光を宿しながら、懸命に声を上げる様子を、ヘリアは静かに見つめていた。
「文句があるのなら、明日の剣舞祭で示せばいい。父上も、剣舞祭は必ずご覧になられる。わたしに不満があるのなら、そこで勝ち進めばいいだけの話だ。そうしないのは、明日の自分に自信が持てないからじゃないのか?」
「てめぇ、生意気いってんじゃねぇぞ。」
赤髪の少年が、腰に提げていた剣を振り上げた。鞘から抜いてはいないが、アルス目掛けてそれを思い切り振り下ろしていく。
当たりどころを間違えば、大怪我に繋がるほどのものであった。アルスは防ぐ術を持っていない様子で、細い腕で身体を庇おうとしている。
ヘリアは、一度止めた足に渾身の力を込め、真っすぐに二人の中央へと割って入った。
「待ちなさい。」
少年の攻撃を、ヘリアは自分の剣で受け止めた。予想よりも大きい衝撃と痺れが腕に走ったが、ヘリアはそれを跳ね返した。振り下ろした勢いが強かった分、それによる反動も大きかったのか、少年は数歩後ろによろめきその場に尻もちをついていた。
「な、なんだお前は。」
強張った声に、ヘリアは胸を叩いて反応した。
「ヘリアよ、ヘリア・イオネル。流れの剣士だけど…、あなたは、なんだっけ?栄光ある騎士さんって呼べばいいのかしら?あれ、戦士だっけ?」
少年を見下ろしたヘリアは、尻もちをついた相手に目で笑って見せた。取り巻きの少年たちに肩を支えられながら立ち上がった少年は、恨みの籠った目でヘリアのことを睨みつけた。
「平民が、何の用だ?」
「いえね?たまたま道を歩いていたら、栄光ある騎士さんが演説をしているところに出くわしまして。どんなご高説が聞けるのかと思って近づいてみたらあら不思議、こちらのアルス君のお膳立てをしてあげていたなんて。最後には実演まで披露してくれるもんだから、恐れながら受けさせてもらった次第です。」
語尾を上げて皮肉たっぷりでからかうと、少年は顔を赤くして目の前に立ちふさがってきた。
「貴様、この俺を誰か分かったうえでやっているんだろうな。」
ヘリアは肩を竦め舌を出した。目の前の少年はさらに気を損ねたらしいが、それが少し愉快に思えた。
(何か、スピネの良くないところに影響を受けている気がする。)
激昂した少年はもう一度剣を振り上げた。今度はヘリアに向けて振り下ろそうと抜身の状態である。隣にいる少年たちも、さすがに止めるべきかどうか困惑している様子であった。
今にも振り下ろしそうな刃に備え、ヘリアも構えていたが、正面の少年から刃が降ってくることは無かった。
「お前、どこかで?」
真剣を降ろすことをためらっているのかと思ったが、そうではないようだった。少年は剣を鞘に収め腰にしまうと、そのままヘリアの方へ顔を近づけてきた。
「何?わたしの顔に何かついてるの?」
少年が顔を間近に近づけてくるものだから、思わずヘリアは顔を背けてしまった。尚も頭を回しこちらを見てくる少年の頭を右手で押さえ、もう一方の手で髪をさらい、顔を隠すように覆った。
「いい加減にして、いきなり人の顔をジロジロ見て。はったおすわよ。」
少年はヘリアの言葉には耳を貸さなかった。少し見回ってから首を傾げると、その足を百八十度回転させる。
「見間違いか、いや、こんなところにいるはずもないか。ましてや流れの剣士なぞに身をやつしているはずもない。そもそも、あの方は、」
軽くため息を吐き、興が削がれたと言わんばかりに少年はその場を立ち去ろうとする。
そのまま歩き出す少年を、二人の取り巻きも慌てて追いかける。突然放置されてしまったヘリアは、ついカッとなってその後ろ姿に声を掛けた。
「ちょっと、まだ話は終わっていないんだけど。この子に謝りなさいよ。」
前を行く少年はひらひらと手を振ると、ヘリアの言葉を遮り挑発するように言葉を投げた。
「明日から始まる剣舞祭に、お前も出場しろ。転ばされた借りはそこで返す。最も、お前が予選を通過出来たらの話だがな。その饒舌な口の上手さが腕にも伝わっているかどうか、楽しませてもらおう。」
それだけ言うと、少年は人混みの中へと消えていった。ヘリアの後ろにいるアルスのことなど、初めから眼中に無いかのように、一言も口にせず町の喧噪と一体化していく。
少年たちが見えなくなったところで、ヘリアは深く長い息を吐いた。後ろを振り返り、いじめられていたアルスに向けて声を掛ける。
「ごめん、大丈夫だった?」
「あ、いえ、助けていただきありがとうございます。それと、我が兄の無礼を謝罪させてください。」
頭を下げたアルスの、赤髪にヘリアははっとした。先ほどアルスをいじめていた少年と同じ、真紅の炎のように輝く赤。
「顔を上げて。わたしの方こそごめんね。あなたはあいつに立ち向かっていたのに、つい水を差しちゃった。」
顔を上げたアルスは、小さくまとまっていた。目は少したれ目で、口角は上がっている。
優しく、朗らかな印象を受ける少年であった。
改めて名前を名乗り、ヘリアは自分の右手を差し出した。アルスも返すように自分の名前、アルス・へヴリングいうこの町の領主の姓を名乗り、両手で力強くその手を握った。
「あのままだと兄の攻撃は苛烈を極めていただろうから、ヘリアが止めてくれて良かったです。威勢よく切り返したものの、実際、わたしは兄よりも武芸の才はありませんから。」
自嘲気味に話すアルスに、何か声を掛けようかとヘリアは口を開いたが、喉の奥から音が鳴るよりも先に、その下から救援を告げる音が鳴り響いた。
ヘリアは咄嗟に腹を押さえ、恥ずかしそうに顔を伏せた。アルスは微苦笑を浮かべると、ヘリアの手をそのまま引いていった。
「立ち話もなんですし、もうじき夜になります。助けてくれた恩もありますので、今日はわたしの家に来ませんか?」
「え?でも、あなたの家って、つまりはこの町の領主様でしょ?そんなところにいきなりわたしが押しかけても、それに連れがいるのよ。あいつのことも探さないと。」
ヘリアは自分たちの状況を説明した。連れとはぐれ一文無しという、どうしようもなく恥ずかしい現状であったが、アルスは馬鹿にすることなく最後まで聞いてくれた。
「大丈夫ですよ。家と言っても、へヴリング伯邸のことではありません。わたしが世話になっていた、もう一つの家があるのです。まずはそこに行きましょう。お連れの方は、あそこは困窮者向けの低額宿泊施設も兼ねているので、もしかしたらいるかもしれません。どちらにせよもう日が遅いので、まずは行ってから考えるのはどうですか?」
「うん、わかった。」
あまりにも丁寧、かつ分かりやすい説明、説得にヘリアは頷くことしか出来なかった。アルスの物腰の柔らかさは、さっき出会った少年とはあまりに違いすぎて、面喰っていたというのもある。
少し違和感を覚える敬語に若干戸惑いつつも、一先ずヘリアはアルスの言う通り、彼の家へと手を引かれるままに向かうことにした。