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歓声のあとに ―忘れられた旗印―  作者: 草花みおん
第一章 「少女と少年」
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炎に照らされた誓い

門を閉めて振り返った瞬間、道の影に人影が立っているのが目に入った。

フードを深くかぶったローブ姿の男。月明かりに照らされた顔はよく見えない。


「……誰?」


ルミナが声をかけると、男はわずかに肩を震わせ、次の瞬間くるりと背を向けて走り去った。


「待って!」


思わず追いかけかけたが、石畳を蹴る足音はすぐに闇に溶けて消えた。

残された静寂の中に、ただ冷たい夜気だけが漂う。


(……なんだったんだろう)


不安が胸をよぎる。だがすぐに、子どもたちの笑顔を思い出し、気のせいだと自分に言い聞かせた。


孤児院を後にし、自宅への道を歩きはじめたルミナ。

夜風に揺れる甘栗色の髪を、後ろでまとめたハーフアップが控えめに揺れる。

外套の襟を立て、藍色のワンピースを包むようにして歩を進める姿は、まだあどけなさを残しながらも凛としていた。


(今日は子どもたちもよく食べてたな。明日はまた市場で……)


そんな穏やかな思いが胸にあったとき、不意に背中がざわついた。

ふと振り返ると、孤児院の方角に妙な気配が漂っているように感じる。

目に見える異変はない。だが、さっき門の近くで見たローブの男の姿が脳裏をよぎった。


「……気のせい、かな」


呟きながらも、足は止まらなかった。


石畳を三つほど進んだところで、また胸の奥に重苦しいものが落ちた。

(もし……もし、あの男がまだ近くにいたら……)


ルミナは立ち止まり、深呼吸をした。

自分の家はこのまま進めばすぐだ。だが孤児院には、マルティナと子どもたちがいる。


「……やっぱり、気になる」


そう呟くと、ルミナは踵を返した。

結んだ髪のリボンが揺れ、外套の裾が夜風を切る。

足取りは急ぎ足になり、胸の鼓動が速まっていく。


角を曲がったとき、孤児院の門のあたりに複数の影が集まっているのが目に入った。

ローブの男はひとりではなく、増えていた。

その中の一人が、他の者たちに低く言った。


「中には女が一人で、あとは子どもばかりだ」


ぞくり、と背筋を冷たいものが走る。

ルミナは息をひそめ、物陰に身を寄せた。


(やっぱり……! あの人たち、孤児院を狙ってる!)


樽の陰で息を殺していたが、不意に指先が小石を弾き、乾いた音が路地に響いてしまう。


「……誰だ?」

「おい、そこだ!」


ローブの男たちの視線が一斉に突き刺さる。

張り裂けそうな鼓動を抱えながらも、ルミナは意を決して立ち上がった。


「な、なにをしてるの!」


声は震えていたが、その響きには確かな意志が宿っていた。


男たちはいやらしく笑う。

「へえ……さっきの小娘か」

「俺たちゃ商人よ。商品を仕入れに来たって寸法さ」

「おうとも、商人さんだ」


下卑た笑いが路地に広がる。


「よく見りゃ上物じゃねえか。こいつも一緒に売り払おうぜ」


「何言ってるの、やめて!」


毅然とした拒絶に、男の一人は目を細めた。


「いいねぇ、その顔だ。……そういうのが買い手にはたまらねえんだよ」


ルミナは足元にあった棒切れを掴み、必死に構えた。

外套の袖からのぞく腕は細く震えていたが、その瞳には強い光が宿っていた。


「私は……私のもの! 誰にも渡さない!」


刃が月明かりを反射し、ひゅっと空気を裂く。

ルミナは反射的に棒を振り上げ、受け止めた。

鋼と木がぶつかり、甲高い音が夜に響く。


衝撃が腕に食い込み、棒がきしむ。

それでも押し返すように力を込め、男の肩口に棒の端を叩きつけた。


「ぐあっ……!」


呻き声が上がり、男が半歩後退する。

だがすぐに、別の男が背後から回り込み、ルミナの腕を掴もうとした。


「離して!」


体をひねり、棒の石突で相手の膝を突く。

「ぐっ……このガキ!」

膝を押さえてうずくまった隙に、ルミナは必死で飛び退いた。


「おもしれぇ! もっと暴れてみろよ!」


男たちは下卑た笑いを響かせ、じりじりと包囲を狭めてくる。

三方をふさがれ、背後には孤児院の土壁。逃げ場はなかった。


「さあ、どうする?」

「棒切れ一本で俺たちを相手にか?」

「無駄だ……すぐに大人しくなるさ」


嘲る声に、ルミナの胸が煮え立つ。


「……無駄じゃない!」


棒を握る手に力を込め、真正面の男へ踏み込んだ。


「なにっ……!」


意表を突かれた男が面食らった瞬間、棒が脇腹を強かに打つ。


「ぐはっ!」


呻き声とともに身体が折れる。

だが次の瞬間、別の男が横合いから飛びかかってきた。


腕を掴まれ、棒が床に落ちる。

「くっ……!」

押し倒されそうになるが、足を振り上げ、全力で蹴り飛ばす。


「ぐわっ!」


男はよろめき、石畳に転がった。


「このガキ……調子に乗りやがって!」


リーダーが怒声を放ち、刃を大きく振りかぶる。

ルミナは咄嗟に転がり込み、寸前で刃をかわす。

頬をかすめた風が鋭く冷たい。


(怖い……でも、絶対に退けない!)


倒れた拍子に手探りで拾った瓦片を投げつける。

「っ……!」

鋭い音を立てて、相手の額にかすり傷を刻んだ。


「小癪なぁ!」


刃が振り下ろされる。

ルミナは再び棒を掴み取り、横から叩きつけた。

金属音が弾け、腕が痺れる。

それでも必死に振り払い、相手の腕を弾く。


「ひとりで何ができる!」


「何人いようと関係ない!」


ルミナは叫び、棒を振るい続けた。

額には汗が流れ、呼吸は荒い。

だが眼差しだけは消えることなく、燃えるように強かった。


一進一退の攻防が続く。

ルミナは体力の限界を超え、膝が笑い始めていた。


――その瞬間。


ぱちん、と乾いた音が路地に響いた。


小さな音。けれど、それは夜を切り裂く雷鳴のように耳に届いた。

男たちが一瞬、動きを止める。

ルミナも思わず目を見開いた。


次の刹那。


――ボウッ!


路地の両脇に吊るされたたいまつが、一斉に燃え上がった。

羽毛に火が移り、まるで火の鳥が羽ばたいたかのように炎が宙を舞う。

羽根一枚一枚が火をまとって飛び散り、赤と橙の光が路地を埋め尽くした。


「な、なんだ!?」

「炎が……空を飛んでやがる!」


男たちが狼狽え、後ずさる。

火の粉と羽毛が交じり合い、影を巨大に歪めた。

石畳に映る影は、まるで怪物が立ち上がったように見え、迫る男たちを飲み込むかのようだった。


さらに仕掛けは続いた。

燃えた羽根の中に隠されていた小さな仕掛け玉が、次々と弾ける。


パンッ! パンッ!


鋭い破裂音が連鎖し、鼓膜を震わせた。

続けざまに、路地に並んでいた樽が倒れ、鉄板にぶつかる。


ガランッ! ガシャーン!


鐘を打つような轟音が響き渡り、夜の静寂を一気に引き裂いた。


その混乱のただ中で――炎に照らされたルミナの姿が、黄金色に浮かび上がった。

甘栗色の髪は炎を受けて輝き、後ろで束ねたハーフアップから光の粒子が舞い上がるように見えた。

それは火の粉と羽毛が織りなす錯覚にすぎない。だが、見る者によって意味は変わった。


窓から覗く住人たちには、それは勇気の象徴に見えた。

「……旗印の乙女の……再来だ……!」

誰かの呟きが波紋のように広がり、ざわめきとなった。


一方で、襲撃者たちの目には畏怖の幻影として映った。

「ば、化け物か……!」「神罰だ……!」

刃を握る手が震え、後退する足が止められない。


ルミナ自身はただ必死で立ち続けているだけだった。

恐怖に押し潰されそうになりながらも、退かずに。

だが炎に抱かれたその姿は、もはや一人の少女ではなく、光をまとう乙女――伝説の再来だった。


そのとき、ふと視線を上げたルミナは、屋根の上に動く影を見た。

炎に照らされた瓦の上、その影は立ち止まり、こちらを静かに見下ろしていた。

声もなく、ただ佇む姿。だが直感でわかった――いま仕掛けを発動させたのは、間違いなくあの影だ。


「ちっ……!」


リーダー格の男が舌打ちした。

炎に赤く照らされた顔は、苛立ちと焦燥に歪んでいる。


「人目が多すぎる……!」


「どうする、頭!?」

「このままじゃ兵士が駆けつけちまう!」


男たちの声は次第に焦りを帯びていく。

羽毛がまだ炎をまといながら宙を舞い、影が揺らぎ続けていた。

轟音はやまず、住人の声は広がる一方。


ルミナは棒を構えたまま、炎の光を背に立っていた。

震えが止まらず、膝も崩れそうなのに、誰の目にも彼女は強く見えただろう。

炎に照らされた姿は、今にも燃え上がる旗のようだった。


襲撃者たちは互いに顔を見合わせ、リーダーの指示を待つ。

空気の中には、焦燥と怒りと、どうしようもない恐怖が入り混じっていた。


「……」


リーダーは唇をかみ、剣先を下げた。


「……今は引く」


その声は低く、怒りに満ちていたが、確かに退却を告げるものだった。


「今は引け! ここで血を流すのは損だ!」


「くそっ……!」

「覚えてろ、小娘! 次は容赦しねえ!」

「お前も“商品”だ……必ず出荷してやる!」


闇に溶けるように、男たちの姿は路地の奥へと消えていった。

残されたのは燃え盛るたいまつと、まだ宙を舞う火の羽根だけ。


ルミナは棒を握りしめたまま、力が抜けてその場に膝をついた。


(……怖かった……でも、逃げなかった)


「ルミナ!」


背後から駆け寄る声。マルティナだった。

肩を抱き支えられ、ようやく張り詰めていた息を吐く。


「大丈夫? 怪我は……」

「だ、大丈夫……」


震える声は、自分でも情けなく聞こえた。


そのとき、周囲の窓から顔を出していた住人たちが口々に声を上げた。


「ひとりで立ち向かったんだぞ!」

「すごい……! ルミナが子どもたちを守ったんだ!」

「まるで英雄じゃないか!」


ざわめきが一気に熱を帯びていく。

誰もがルミナを称える言葉を投げかけ、その目に宿る光は尊敬と感嘆だった。


(英雄……? 私が?)


ルミナは唇を噛んだ。

自分はただ必死だっただけ。怖くて、逃げたかった。

それでも棒を振るったのは――子どもたちを守りたい一心から。


マルティナが静かに言った。

「ルミナ、あなたはよくやった。胸を張りなさい」


ルミナは炎に揺れる羽根を見上げ、小さく息を吸い込む。

そして心の奥で、誰にも聞こえない誓いを立てた。


(……私は守る。

 孤児院も、街も、みんなの笑顔も。

 たとえどんなに怖くても……必ず)


火の粉が夜空に舞い、誓いの言葉を覆い隠すように消えていった。

「炎に照らされた誓い」は、ルミナが恐怖に震えながらも孤児院を守ろうと立ち向かった場面です。

偶然の仕掛けと錯覚が人々の目に“神々しい光”として映り、彼女は“旗印の乙女の再来”と囁かれるようになります。

誤解から始まったこの瞬間が、ルミナが“英雄”として祭り上げられていく最初のきっかけです。

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