灰の街に朝が来る
朝日が、地平の端から顔を出した。
赤と金の光が焦げた屋根の端を照らし、煙を透かして揺れている。
風は冷たく、鼻を刺すのは血と油と焦げの匂い。
夜の戦いの残り香が、まだ空に漂っていた。
「……見えてきたな」
俺――ナナシは馬上で呟いた。
街の輪郭が霞の向こうにぼんやりと浮かぶ。
すでに情報部隊が先行して報告を上げていた。
「戦闘終結。敵残党は壊滅。リリエンガルデ隊が孤児院と街区の防衛に成功」
つまり、もう“戦”は終わっている。
「……また間に合わなかったか」
吐き出すように言った声を、隣を走るクラリッサが聞いていた。
白銀の外套が朝の光を受けて揺れる。
「いいえ、ナナシ殿。十分、間に合いました」
「……間に合った、ね」
「リリエンガルデが先行していなければ、もっとひどいことになっていました。
そして本隊が夜明けとともに到着したことで、鎮圧が早まりました。
被害は最小限です」
クラリッサの声は冷静で、どこか誇りがあった。
「……そうか。あいつらが先に来てたんだな。
ほんと、優秀すぎて嫌になる」
「それでも、あなたが来てくださって助かりました。
“終わらせる”人間は、いつも後に来るものです」
「……言うね、副官殿」
クラリッサは小さく息を吐き、わずかに笑った。
朝日がその横顔を照らす。
背後には、エルディアス軍本隊。
戦場の“後”を収めるために動く規律の塊。
その後方には、一台の馬車。
馬車には三人が乗っていた。
クラリッサ――副官として現場報告のため。
孤児院の責任者マルティナ――子どもたちの無事を確かめるため。
そして、無遠慮な野次馬を気取る老人――クスノキセンセ。
車輪が揺れ、マルティナがそっと外を覗く。
赤いドレスの裾が光を受けて淡く染まった。
煌都を出たときのままの姿。
煤も泥もついていない。
その清らかさが、焼けた街の中では痛いほど浮いていた。
「……ひどい光景ですね」
マルティナの声は小さい。
けれど、揺るがなかった。
「マルティナ殿、まだ下りないでください。瓦礫が多い」
クラリッサが注意する。
「大丈夫です。……あの子たちを、見つけないと」
赤い裾を握る手が、微かに震えていた。
クスノキセンセが窓の外を眺め、
「ふむ、よい観察素材だのう。焼け跡というのは人の心が露わになる」
と呟く。
「センセ、講義は後にしてください」
クラリッサが冷たく返す。
「ふむ、では“実習”ということで」
「うるさいですよ、センセ」
「いやぁ、観察は大事じゃ。特に“人の終わり方”はな」
……この馬車、爆発しねぇかな。
俺はため息をついて馬の手綱を握り直した。
街の入口には、すでに部隊が配置されていた。
炎は鎮火。瓦礫の奥から、人々の泣き声と呼びかけの声。
「孤児院の建物、残ってます!」
「負傷者多数ですが、子どもは助かってる!」
報告が飛ぶ。
俺は馬を降り、焦げた石畳に足をつけた。
「負傷者の収容を最優先しろ。
泣く暇があったら手を動かせ。
生きてる奴を一人でも多く見つけろ」
「了解!」
兵士たちが動き出す。
崩れた屋根の下から誰かが叫び、
別の兵がそれに応える。
火の粉が空を舞い、
焦げた街に“息”が戻っていくのが分かった。
日が昇りきるころ、伝令が駆け寄ってきた。
「報告! クスノキセンセが――」
「……もう動いてるのか、あのジジイ」
「“チェスタ人の少年を引き取りたい”と仰っています」
「誰の許可で?」
「ご自身の判断で、です」
「だろうな」
「少年は捕縛中とのことですが……処遇を問うております」
短い沈黙。
煙が風に流れていく。
「……好きにさせろ。止めても無駄だ」
伝令が敬礼して去る。
街は静かだった。
泣き声も、叫びも、もうなかった。
ただ、風と灰の音だけ。
俺は瓦礫に腰を下ろして煙草を取り出した。
火をつける。
煙が立ち上がり、朝の光の中で揺れる。
「……十分、間に合ったのか」
ぽつりと呟いた。
クラリッサの言葉が頭をよぎる。
リリエンガルデ。
彼女たちが先に街へ入っていなければ、
この街は、もう形を残していなかっただろう。
「……あいつら、化けもんだな」
火を吸い込み、煙を吐く。
灰の匂いが肺の奥に染みる。
「……でもまあ、悪くない景色だ」
朝の光が街を染める。
焦げた屋根、倒れた看板、血の跡。
それでも――立っている人がいる。
風が吹いた。
煙が空へと散り、焼け跡に光が差し込む。
「次はもう少し早く来てやるよ」
火を踏み消す。
残った煙が風に流れた。
焼けた街の上に、静かな朝が訪れていた。




