裏路地の少年
町外れの裏路地。
石畳の隙間に溜まった泥水が、朝日に鈍く光っていた。
大通りではすでに商人たちの掛け声が飛び交い、笑い声と足音で活気が溢れている。
だがここには、そのざわめきが届かない。
人の気配はまばらで、代わりに湿った埃と古い木材の匂いが漂っていた。
その一角で、ひとりの少年が黙々と動いていた。
壊れた桶を片づけ、転がった樽を積み直す。
油に汚れた指先、擦り切れた袖、ぼろ切れのような服。
十四歳という年頃にしては背が低く、痩せて頼りない体つき。
大人からすれば子ども同然で、同年代からすればからかいやすい標的だった。
通りかかった女が少年を視界に入れた。
女の瞳に一瞬、不快の色が浮かぶ。
だが言葉はなかった。
代わりに、抱いた子を胸に強く寄せ、足を速めて背を向けた。
少年はその背を一瞥し、また黙って樽を支えた。
そんな光景は何度も繰り返されてきた。驚きも、怒りも、もう残っていない。
――ただ、痛みだけは消えなかった。
声にならない拒絶のほうが、言葉よりも深く突き刺さる。
けれど少年はその痛みを押し殺すことも覚えていた。
心を沈め、ただ気配に耳を澄ます。
そのうちに、彼は周囲の世界の「変化」に敏感になった。
荷馬車が石畳を軋ませる音のわずかな違い。
風に乗って漂う煙の匂い。
笑い声に混ざる、ほんの一瞬の沈黙。
人々が気にも留めないささいな揺らぎを、彼だけが拾い上げていた。
小さな体で目立たぬように、影と影を縫うように生きてきた。
それは臆病だからではない。
ただ生き延びるために、そうするしかなかった。
だが同時に、それは彼だけの誇りでもあった。
――誰も気づかないものを、自分だけが見ている。
ふと、町の外に目をやる。
地平の先に、かすかな煙が立ちのぼっていた。
まだ遠い、だが確かにただの雲ではない。
誰も気づかないその影を、少年の目だけが捉えていた。
背後で乾いた音がした。
小石が転がり、路地の奥で子どもたちが笑っていた。
指を差され、何かを囁かれている。
その声は耳に届かない。届かせない。
少年はゆっくり立ち上がり、黙って背を向けた。
泥に濡れた靴が小さな音を立てる。
陽射しの射す大通りには一歩も出ず、影と影のあいだを歩く。
やがてその姿は光の届かぬ路地に完全に溶け、消えていった。
ただ、その小さな背中に宿る眼差しだけは消えていなかった。
人知れず育まれた観察眼――
それは少年に与えられた唯一の武器であり、
誰にも汚されることのない誇りそのものだった。
そして足元には、石畳の隙間に溜まった泥水が、
朝と同じように鈍く光っていた。