最後のリレー
馬の吐息は荒く、白い煙が夜気に散った。
石畳を叩く蹄音が響き、やがて――最後の中継厩舎へと乙女たちが姿を現す。
ここを越えれば、もう交代はない。大クスノキまでは自らの力で駆け抜けるしかない。それを知る者すべてが息を呑み、夜の闇に目を凝らしていた。
最初に飛び込んできたのはレイとスズカ。
馬の脚は限界を訴えるように震えていたが、二人はなお背を正し、舞うように降り立った。
「最後まで走ってくれてありがとう!」
スズカは馬の首に飛びつき、汗に濡れた鬣を強く抱きしめる。栗色の髪が火花のように散り、笑顔が弾けた。その明るさは、疲弊した馬にさえ力を返すかのようだった。
レイは静かに一歩退き、深々と礼を捧げた。
「あなたのおかげでここまで来られました」
銀の髪がさらりと垂れ、月光を受けて揺れる。厩舎兵が思わず息を呑むほど、その姿は気高く澄んでいた。言葉は少ないが、その一言に込められた敬意の深さが、周囲の胸を打つ。
新しい馬に跨がると、二人は視線を交わす。
「ここからが本番よ!」
「ええ!」
再び風のごとく駆け去り、栗と銀の髪が夜に光の帯を描いた。対照的な二人が、完璧な連携で闇を裂く。
続いてサヤカとサキ。
燃えるような赤の短髪を振り乱し、サヤカは豪快に笑った。
「最後まで走ったな! お疲れ!」
その声は炎のごとく熱く、疲弊した馬にさえ力を残すかのようだった。全身で喜びを表現し、馬の首を力強く抱きしめる。
サキは黒髪を揺らし、静かに額を撫でる。
「ありがとう……もう休んでいい」
その囁きは夜の闇に溶け、周囲の胸に染み渡った。派手な動きはしないが、その手の優しさが馬を労る。
二人は水を一口で分け合い、互いに頷き合う。
「最後の駆けだ」
「……ああ」
赤と黒、対照的な二人の姿は影と炎の二重奏。蹄音を響かせて夜に消えた。
三番手はマイとヒトミ。
ほとんど乱れぬ足並みで現れ、マイは短く声を発する。
「無駄なく。次」
その言葉と共に冷静な瞳が最後の行軍を射抜いた。感情を表に出さず、ただ効率を追求する。だが、馬を撫でる手は確実で、労いの気持ちは確かにそこにある。
ヒトミは笑みを浮かべ、揺れる髪を指で払う。
「ふふ……最後まで頑張ってね」
艶やかな声が張り詰めた空気にひとひらの余裕を差し込む。軽くからかうような口調だが、その目は真剣に前を見据えていた。
水を半分ずつ分け合い、すぐさま新たな馬へ。
「飲みなさいよ、マイ」
「……ありがとう」
短い言葉。だが、その一言に二人の信頼が込められていた。
闇を切る黒と濃茶の髪は、緊張と華やかさを同時に残して消えていった。
四番手はヴェイルとアンリ。
アンリは舞うように降り立ち、淡い金の髪を花弁のように広げる。
「頑張ろうね、姫隊長!」
と笑みを零し、馬の頬に軽く口づけた。その仕草は可愛らしく、まるで子どもが大好きなぬいぐるみに話しかけるかのようだった。
ヴェイルは黙して馬の鞍を確かめる。
「……誰が姫だ」
低い声が兜の奥から返る。
兜の奥の眼差しは鋭かったが、無邪気な相棒を一瞥した瞬間、わずかに和らぐ。
「でも、あなたの目、やっぱり綺麗だよ」
アンリが囁く。
「……行くぞ」
短い声に、確かな絆の響きが宿っていた。
二人は目を合わせ、躊躇なく闇へと駆け出した。金の髪と漆黒の兜。光と影が並んで疾走する姿は、見る者の胸を打った。
最後に現れたのはセイカとサオ。
「よく頑張ったな!」
と声を張り上げ、セイカは馬の首を叩く。茶色の髪が跳ね上がり、その笑顔は周囲に勇気を与えた。どんな状況でも前向きな言葉を投げかけ、周囲を元気づける。
サオは小柄な体で馬に寄り添い、黒髪を肩に垂らして囁く。
「助かったよ……本当にありがとう」
その声は儚げでありながらも芯が強く、最後まで走った馬を労わる気持ちが溢れていた。派手な動きはしないが、その手は丁寧に馬の汗を拭い、疲れを労っていた。
「行くぞ!」
「はい!」
声を揃え、新しい馬へ飛び乗る。
「セイカ、水」
「いいって! サオも飲まなきゃ!」
茶と黒、対照的な二人が同じ方向を見据えた瞬間、力強さと優しさが重なった。蹄音と共に夜に消える姿は、風に舞う花びらのように美しかった。
こうして五組の交代はすべて終わった。
最初の中継よりもさらに張り詰めた空気の中で、彼女たちは一瞬の隙も見せず、最後の駆けへと旅立った。厩舎係たちは声を掛け合い、最後まで気を抜かずに鞍を締め、水を渡し、彼女たちを送り出す。
「これで最後だ……」
誰かが呟く。その声に、全員の背筋が正される。
乙女たちの背に集った風は、夜の街道を華やかに彩った。その光景は、美しくも力強い――まさに最後の舞台を飾る花々であった。
レイとスズカの完璧な連携。サヤカとサキの炎と静寂。マイとヒトミの冷静と華やか。ヴェイルとアンリの光と影。セイカとサオの力強さと優しさ。
十人の乙女たち、五組の対照的な組み合わせが、それぞれの個性を輝かせながら、一つの目的へと駆け抜けていく。
それがリリエンガルデ――百合の疾風騎兵。
そして、厩舎長の声が響いた。
「――次は、エルディアス伯の馬だ。準備を怠るな!」
乙女たちの華麗な疾走の後を、鋼の重みを持つ者が続こうとしていた。
だが――待てども、蹄音は聞こえない。
刻まれた刻限を過ぎても、伯爵の姿は現れなかった。
「……遅い」
小声が漏れる。張り詰めた空気がさらに凍りつく。
厩舎長は険しい顔で顎を引き、若い係に叫んだ。
「迎えに走れ! 馬を連れていけ! ……最悪の事態でなければよいが」
係は即座に馬を引き、闇の街道へと駆け出した。残された者たちは息を潜め、ただ風が旗を鳴らす音を聞いた。
遠い嘶きだけが、夜を裂いて響いていた。




