ドレスとリボン
案内されたのは、大広間へ通じる前室だった。
厚いカーテンに覆われた部屋の中は、燭台の炎がゆらめき、甘い香の煙が漂う。
外はすでに夜。月明かりが白い石畳を青く照らし、庭を静かに照らしていた。
セリーネが軽く顎をしゃくると、侍女たちは衣装を抱えてルミナとマルティナの前に進み出る。
「乙女様、こちらをお召しください」
差し出されたのは、白地に金糸を織り込んだ豪奢なドレス。
燭光を受けて裾の刺繍がかすかにきらめき、まるで夜空の星座を纏うようだった。
ルミナは思わず一歩退いた。
「こんなの……私には似合わない」
マルティナが背にそっと手を添える。
「大丈夫。今は彼らの望む姿を見せておきなさい。……本当のあなたを知る人は、別にいるのだから」
侍女たちは手際よくルミナの衣服を脱がせ、香油を塗り、髪を梳いて結い上げる。
黄金の簪が差し込まれ、宝玉の耳飾りが揺れるたび、蝋燭の光がきらりと跳ね返った。
隣では、マルティナもまた衣装を整えられていた。
与えられたのは深紅のドレス。胸元から裾へ流れる布地はしっとりと重く、薔薇の刺繍が燃えるように散りばめられている。
背に垂れる髪には黒曜石の飾り櫛が差し込まれ、耳には真紅の石がきらめいた。
その姿は侍女たちが思わず息を呑むほど堂々としていた。
白と金に輝くルミナの隣で、マルティナは鮮やかな紅に染まり、まるで“乙女を護る紅の盾”のように映えていた。
その頃――。
セリーネはひとり前室を出て、静かな回廊へ歩みを進めていた。
絹の裾が石畳を擦るたび、夜風にかき消されるような微かな音がした。
雲間からのぞく月が、廊下の床に淡い光を落としている。
セリーネは立ち止まり、袖の中から小さな黒い鳥を取り出した。
その瞳は闇に沈んでなお星のように光り、羽根は艶やかに黒く濡れていた。
無言のまま、彼女は窓を開け放つ。
指先から放たれた鳥は、月光を一瞬だけ受けて銀色に光り、すぐ闇へと溶けていった。
セリーネはその行方をしばし見送り、やがて窓を閉める。
一切の変化を見せぬ顔で、再び前室へと戻った。
「美しく仕上がりましたね。皆さまが待ちわびています」
鏡に映る二人。
白金の光を纏うルミナ、紅を纏って凛と立つマルティナ。
月と炎が並び立つように、対照的でありながら互いを引き立てていた。
ルミナは息を呑み、胸を押さえる。
「……これが、私……?」
胸元に金糸の飾り、髪には黄金の簪、耳には宝玉。
鏡に映るのは、見知らぬ「旗印の乙女」だった。
――だけど。
裾の陰で、ルミナは自分の脚にそっと布を巻き付ける。
それはいつも身につけていた小さな青いリボン。
子どもたちがくれた、田舎町の匂いが染みついた、何の飾り気もない細い布切れだった。
結び目をきゅっと固くすると、肌にひんやりと馴染んだ感触が広がる。
ドレスも宝石も偽物に思えても、このリボンだけは――本当の自分を繋ぎとめる証。
ルミナは誰にも気づかれぬように裾を直し、もう一度鏡を見つめる。
「……これが、私……」
だが胸の奥では、脚に隠された青いリボンが静かに告げていた。
――私は私だ、と。
外からは大広間のざわめきと楽の音が聞こえてくる。
夜の宴は、すでに始まっていた。




