グレゴールの思惑
大広間では、すでに宴が始まっていた。
燭台に照らされた卓には豪商や貴族が並び、杯を掲げては笑い声を響かせている。
だが誰もが心の底では、まだ見ぬ「旗印の乙女」の登場を待っていた。
「遅い……いつになったら到着するのだ?」
「お披露目はまだか?」
囁き声が飛び交い、不安と苛立ちが酒の熱気に混じって渦を巻く。
高座にふんぞり返るグレゴールは、モノクルをきらつかせながら酒杯を揺らした。
赤らんだ顔に皺を寄せ、突如として声を張り上げる。
「なぁ〜にゆえ、もてなさにゃならんのだぁ〜っ!
あんな田舎娘に金を使うなんぞ、もったいなくてかなわんわぁ〜っ!」
手をばたつかせ、甲高い声が大広間に響く。
周囲の客が驚いて振り返ったが、グレゴールはお構いなしに吠え続けた。
「宴はわしのために開くもんじゃろがぁ! わしらの酒と肉が泣いとるわい!」
側近が慌てて身を寄せ、声を潜める。
「……旦那様、それでも宴はすでに開かれております。皆が旗印の乙女の登場を待っているのです」
「だまらんかぁ〜っ!」
グレゴールは机を叩き、杯の酒を跳ね散らした。
側近はさらに声を落とし、渋い顔で続けた。
「本部からは“大クスノキまで迎えに行け”との厳命がございました。軍の橋も通行を許されるはずでした。ですが……迎えを出さなかったために、到着が遅れているのでは」
グレゴールは鼻を鳴らし、酒杯をあおる。
「むぅ〜っ、本部、本部とうるさいわい! わしは反対したんじゃぁ〜!
なぁ〜んであんな小娘を迎えに行かにゃならんのだぁ!」
モノクルがずれかけ、慌てて直しながら吠え立てる。
「迎えは出したではないか! 本部から来たとかいう――セリーネじゃ!
あの小娘に任せりゃ充分じゃろがぁ!」
側近は言葉を飲み込み、苦い顔をして俯いた。
グレゴールの苛立ちと本部の指示、その板挟みの中で、広間の空気はじりじりと重さを増していった。
「小娘じゃ、小娘じゃぁ〜っ! あっちも小娘、こっちも小娘! わしはもうイヤじゃぁ〜っ!」
グレゴールの甲高い声が大広間に響き渡る。
モノクルを押さえ、椅子からずり落ちそうになりながら吠え立てるその姿に、招待客たちは苦笑を交わしつつ杯を傾けていた。
「本部からのセリーネとかいう小娘! それから旗印の乙女とかいう小娘!
わしの周りは小娘だらけじゃぁ〜っ! あぁ嫌だ、もったいなくてかなわんわい!」
そこへ、すっと柔らかな声が割って入る。
「……小娘、小娘と。何やらご機嫌麗しゅうございますわね、おじさま」
グレゴールが振り返ると、そこに立っていたのはイザベルだった。
白いドレスの裾を翻し、余裕の笑みを浮かべている。
「お、おぉ〜っ、可愛いイザベルよ! なんてことはない、なんてことはないぞぉ〜っ!」
グレゴールは慌てて笑顔を作り、手を広げて迎える。
「旗印の乙女なんぞと言う、取るに足らぬコムスメのことを、ちょぉ〜っと言ったまでじゃ!」
イザベルはゆるやかに扇を広げ、涼しい眼差しを送った。
その瞳には、叔父の騒ぎを見透かすような静かな光が宿っていた。
「旗印の乙女なんぞと言う、取るに足らぬコムスメのことを、ちょぉ〜っと言ったまでじゃ!」
グレゴールが取り繕うように笑い声を上げると、イザベルは扇を口元に当てて静かに首を傾げた。
「まぁ……おじさまのお言葉もごもっともですわ。田舎娘に金と手間をかけるなど、正直、私も癪に障りますもの」
扇の陰から覗く瞳は、冷ややかな光を帯びていた。
「けれど――利用できるものなら、利用してしまえばよろしいのではなくて?
“旗印の乙女”の名があれば、民衆も領主も動きやすくなりますわ」
グレゴールは一瞬目を瞬かせ、それから大げさに頷いた。
「おぉ〜っ、さすがはわしの可愛いイザベル! そうじゃ、そうじゃぁ〜っ!
わしらが動かす旗ならば、乙女だろうが小娘だろうが、かまわんではないかぁ〜!」
モノクルをきらりと光らせ、グレゴールは酒杯を高々と掲げた。
招待客たちはその様子に合わせて拍手と笑いを送る。
大広間の空気は、偽りの祝祭の熱気とともに濁りを増していった。




