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歓声のあとに ―忘れられた旗印―  作者: 草花みおん
第二章 旗印の乙女、再び

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煌都グランディオス

城門前は人で埋め尽くされていた。

巡礼者、行商人、芸人、農夫――ありとあらゆる人々が門を目指し、長い行列を作っている。

焼き串や香辛料の匂いが混じり合い、汗と土埃の臭気と溶け合って、むせ返るような熱気を生んでいた。


「すごい人の数……」


ルミナは思わず立ち止まり、髪を押さえながら目を見開いた。

大クスノキの町の祭りですら、これほどの賑わいはなかった。


門前では鉄槍を携えた兵士たちが並び、入城者を一人ひとり厳しく確認していた。


「通行証を示せ!」

「荷を改めろ!」


怒号が飛び交い、鞄や荷車の中身が容赦なく調べられる。

兵士の目は鋭く、ちょっとした挙動でも疑いの視線を向けられた。


農夫は背中のかごを握りしめ、汗を浮かべながら呟く。


「こりゃ……水晶亭に届ける前に野菜がしおれちまうな」


マルティナが冷静に彼を見やり、小声で言った。


「落ち着いて。慌てると余計に時間がかかるわ」


やがて三人の順番が回ってきた。兵士が証書を確認し、視線をじりじりと向けてくる。

川を越えた安堵は消え去り、再び緊張が重くのしかかる。


農夫は深く頭を下げ、言った。


「……ここからは俺ひとりで行く。水晶亭は錦栄街の先だ」


気丈な笑みを浮かべる。


「煌都でも一番の酒場さ。貴族も商人も兵士も、皆ここへ来る。今夜の卓に、俺の野菜が並ぶんだ。だから――どうしても届けたかった」


ルミナは胸の前で両手を握り、まっすぐに頷いた。


「絶対、大丈夫です。きっと……喜んでもらえます」


マルティナも穏やかに微笑みを添える。


「あなたの苦労は、必ず報われるわ」


農夫は最後にもう一度頭を下げ、人の流れに紛れて去っていった。

その背が見えなくなるまで、ルミナとマルティナはしばらく立ち尽くしていた。


――その時。


「お待ちしておりました」


澄んだ声に振り向くと、銀の髪を肩に流した女が立っていた。

白い外套をまとい、静かに一礼する。


「わたくし、貧窮人材商会より参りましたセリーネ・ヴァルク。旗印の乙女様、ならびにご同行のお方をお迎えに上がりました。予定よりもご到着が遅かったので心配しておりました。」


彼女に導かれ、二人は門の脇に止められた幌馬車へと乗り込む。

厚手の幌に覆われた座席は柔らかく、外の喧噪が遠ざかっていく。



石畳を滑る車輪の響きに揺られながら、セリーネは街の景色を指し示した。


「北に見えるのが領主館《煌城》。あの塔の頂きから、連邦十領の政が下されます」


窓の向こうには空を突く白亜の塔。旗が陽光を受けてきらめき、都の誇りを示していた。


「こちらが錦栄街。昼は市場、夜は歓楽。煌都の富も噂も、ここをひと晩駆ければ王国中に広まります」


窓の外には絹布や香辛料を並べた露店が軒を連ね、香ばしい焼き串の匂いに混じって香水の甘い香りが流れ込んでくる。

昼間だというのに酒場の前では酔客が笑い声を上げ、吟遊詩人が竪琴を鳴らしていた。


ひときわ大きな建物の前で、馬車は自然と速度を落とす。

白い石の柱、瑠璃色の看板、金で縁取られた文字――《水晶亭》。


「そして、あちらが水晶亭。『水晶魚亭すいしょうてい』とも呼ばれる、錦栄街で最も名高い酒場です」


開け放たれた扉の奥からは笑い声と歌、給仕の声、杯が打ち鳴らされる音があふれ出し、通り全体が揺れているかのようだった。

香辛料の煙が渦を巻き、炭火で炙った肉や塩で締めた魚の匂いが混じり合い、喉を刺激する。


ルミナは目を丸くし、窓に身を寄せる。


「すごい……まるでお祭りみたい」


セリーネはわずかに微笑んだ。


「煌都は眠らない――人はそう呼びます」


だがその瞳は笑っていなかった。


「華やかさは都の顔。けれど影の裏では、欲望と取引が絶えません。どうぞ気を緩めぬよう」


その言葉に、ルミナの胸はまた早鐘を打った。



馬車は錦栄街を抜け、やがて広い通りへ。

広場では大道芸人が火を吹き、薬売りが鮮やかな小瓶を掲げて客を呼び込む。

遠くからは大劇場《光輪座》の太鼓が鳴り、観客を誘っていた。


「この先が官庁街。その奥には施療院や工房もあります。そして――」


セリーネの声が一段低くなる。


「中央一帯に、わたくしたち貧窮人材商会の施設が並びます」


馬車は大通りから外れ、静かな街路に入った。

建物は白く磨かれ、窓は大きく、扉の金具が陽光を反射して光っている。


やがて、白大理石の外壁が視界を覆った。

彩色ガラスが嵌め込まれ、陽を透かして淡く色を流している。

前庭には低い噴水が並び、水の霧が風に揺れていた。


「――着きました。こちらが、貧窮人材商会の本館です」


セリーネの横顔は面のように静かだ。

馬車が止まり、御者の号令とともに黒い扉の前に影が伸びる。

中央には紋章――二つの手が輪を成す意匠が金色に輝いている。


ルミナは思わず喉を鳴らした。

善意の名を冠しているはずなのに、建物は教会よりも豪奢だった。

足を踏み入れれば、もう戻れない――そんな予感が、皮膚の下をゆっくりと這い上がる。


セリーネが合図する。

扉番が手袋の手で金具を押し開ける。低い音が長く続き、建物の奥へ吸い込まれた。

同時に、内側から甘い香りが流れ出す。香水とも花とも薬草ともつかない、不思議に心をざわつかせる匂い。


「お二人とも――足元にお気をつけて」


重厚な扉が、ゆっくりと――開いていく。



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