共生連環政策
荷馬車の揺れに合わせて、ルミナがふと口を開いた。
「ねえ、さっき言ってた“共生連環政策”って、なに?」
マルティナが一瞬だけ迷うように視線を伏せたが、答える代わりに行商人が低く笑った。
「嬢ちゃん、気になるか。――そうさな、知らないままじゃ済まされん話だ」
――共生連環政策。
それは近年、連邦王国が帝国と結んだ新しい取り決めであった。
名目は“互いの力を補い合い、共に生きる”こと。
帝国からは技術者や職人が連邦王国へ送られ、連邦王国からは若者や労働者が帝国へ渡る。
人材と知識を環のように巡らせ、互いを高め合う――そう語られていた。
けれど、その背後には帝国の事情が色濃く影を落としていた。
帝国は広大な領土を誇ってはいたが、その大半は痩せた土地で農作物は育ちにくく、水源も限られていた。
庶民の暮らしは慢性的な不足にさらされ、軍事と鉱山に国力を注ぎ込むため、兵は飽食でも民は飢えるという矛盾を抱えていた。
華やかな首都の影で、子どもたちが干からびた井戸をのぞき込む光景は珍しくなかった。
だが、帝国には他国を惹きつける強みもあった。
それは鉱山から取れる豊富で質の高い鉱石である。
帝国の武具や農具は耐久性に優れ、連邦王国製なら数年で刃が欠ける鍬も、帝国製なら何十倍も長持ちした。
その差は農民にとって死活問題であり、領主にとっては収穫を支える財産だった。
「……そんなに違うものなの?」
ルミナは思わず口を挟む。
マルティナは小さく頷いた。
「そうよ。だからこそ欲しがる人が多いの。けれど、そのせいで連邦王国の職人の仕事はどんどん奪われているわ」
帝国の道具は“便利さ”そのものであり、人々は反発しながらも惹かれていった。
技術者が流入すれば、連邦王国の鍛冶屋は「帝国製ばかりになれば俺たちの鍛冶場は要らなくなる」と眉をひそめたが、弟子入りを望む若者は後を絶たなかった。
反発と憧憬のあいだで、人々の心は常に揺れていた。
やがて帝国からの移住は、技術者や職人に留まらなくなった。
家族ぐるみ、さらには小さな集落単位でやってくる者まで現れ、町の一角が丸ごと帝国の暮らしに塗り替えられることもあった。
市場には帝国人の姿が目立ち、礼拝の時間には一斉に祈りを捧げる。
その光景は連邦王国の人々に戸惑いを与え、「共に暮らす」という言葉の意味を問い直させた。
「……それって、侵略と同じじゃないの?」
ルミナの声は小さく震えていた。
行商人が苦笑し、肩をすくめる。
「そうかもしれん。だが、各地の領主が直々に認めて呼び寄せているんだ。
果たしてそれを“侵略”と呼べるのかね?」
さらに、連邦王国から帝国へと渡る“労働支援”もまた、この政策の一部だった。
中には兵に囲まれて強制的に連れ去られる者もいた。
また、自ら望んで「稼げる」と夢見て渡った者でさえ、しばらくすると消息が途絶えることが少なくなかった。
残された家族は「忙しいのだ」と自分に言い聞かせるしかなかったが、その沈黙は不気味な真実を物語っていた。
そしてさらに――。
俗に“奴隷貿易”と呼ばれるものも、裏では横行していた。
誘拐された者が「労働移住」と称して闇の市場に流され、金貨と引き換えに売られる。
それは決して公には語られぬが、人々が耳打ちで囁く暗い噂として広がっていた。
ルミナはじっと前を見つめ、髪を揺らして小さく息を吐いた。
「……なんだか、難しい話だね」
言葉はそれだけだった。
胸の奥にざらついた違和感は残ったが、それを掴むにはまだ遠く、彼女の心には実感として届いてはいなかった。
行商人は手綱を握り直し、わずかに鼻を鳴らした。
「俺たち行商人は、世の中の流れについていかないといけないのでね。
批判している余裕なんざないのさ。この香水にしても同じことだ」
そう言って小瓶を取り出し、陽にかざす。
琥珀色の液体がさらりと揺れ、光を受けて虹のようにきらめいた。
ルミナは自分の髪を撫でながら、小さくつぶやいた。
「……でも、やっぱりお風呂に入りたいな」
行商人は目を丸くし、それから大きく笑った。
「ははっ、嬢ちゃんらしい答えだ!」
マルティナはくすりと笑みをこぼし、そっとルミナの肩に手を置いた。
「それが普通なのよ、ルミナ。それを忘れずにいれば大丈夫」
ルミナは少し照れたように頷き、髪を揺らしながら前を向いた。
荷馬車は畑の風を受けて、ゆっくりと煌都への道を進んでいく。




