親友との絆
昼下がりの街は、陽光に照らされながらざわめきに包まれていた。
いつもなら市場の声が混ざり合う広場に、今日は別の熱気が渦を巻いている。
「旗印の乙女の再来だ!」
「この目で見たんだ、あの夜の炎を!」
誰かが叫び、また誰かが頷き、群衆の興奮は波のように広がっていく。
パン屋のおじさんが大きな声を上げた。
「おまえさん、やっぱりただ者じゃなかったんだな! 旗印の乙女の生まれ変わりだってな!」
その声に誘われるように人々が押し寄せ、ルミナの前に列をなし始めた。
「握手してくれ!」
「この子に触れて祝福をください!」
赤ん坊を抱いた母親までもが、祈るように差し出した小さな手をルミナに触れさせようとする。
(やめて……そんな、私はただ――)
心臓が早鐘のように鳴り、呼吸が浅くなる。
昨夜は必死で立っていただけなのに。
ただ退かなかっただけで、本当の「奇跡」なんて起こしていない。
けれど群衆はそうは見てくれなかった。
次々に伸びる手、押し寄せる体温。
人の波にもまれ、髪が乱れて頬に張り付き、服の裾は引っ張られて伸びてしまう。
足元には砂埃が舞い、誰かの足に踏まれて靴がずれる。
光の強さに目を細めた瞬間、背に吹き抜けた風が髪をばらけさせ、鈴がかすかに鳴った。
――ちりん。
けれどその音は、群衆の歓声にすぐかき消された。
「旗印の乙女だ!」
「生まれ変わりだ!」
「触れたら福を授かるぞ!」
群衆の声がひとつにまとまり、耳の奥を突き刺す。
ルミナは一歩、二歩と後ずさった。
だが背中にも押し寄せる波があり、逃げ道はない。
(いや……いやだ、私は……!)
叫び出したいのに声にならない。
胸が苦しくて、世界が狭まっていく。
虚像に飲み込まれそうになったその瞬間――
「ルミナ、こっち!」
鋭く強い声とともに、ぐっと手が引かれた。
驚いて振り返ると、そこにいたのは一つ年下の少女――リオだった。
「リオ……?」
「いいから!」
ためらいを許さない声に導かれ、ルミナは人波の中をかき分けられる。
リオは小柄な体でありながら、驚くほど力強く人々を押し分け、迷いなく進んでいく。
人々が抗議の声を上げても、彼女は臆さなかった。
細い路地へと駆け込むと、喧騒が一気に遠のく。
高い壁に囲まれたその場所には、昼の熱気と風のざわめきだけが残っていた。
ルミナは膝に手をつき、肩で息をする。
乱れた髪が顔にかかり、服は伸びてしまってみすぼらしい。
胸の奥にはまだ人々の期待の重さがへばりついていた。
リオはそんなルミナを見下ろし、肩をすくめて言った。
「まったく、年上のくせに世話が焼けるんだから」
からかうような言葉に、ルミナはむっとして顔を上げる。
しかしリオの瞳は冗談の奥にまっすぐな光を宿していた。
「みんな『旗印の乙女』なんて騒いでるけどさ……あんたはあんた。ルミナはルミナでしょ」
その言葉が胸に深く届く。
押し潰されそうな虚像の波が、少しだけ遠のいていく。
頬にかかっていた乱れた髪が風に揺れ、鈴がちりんと澄んで響いた。
リオはにっと笑い、ルミナの前に立つ。
「ほら、髪ぐしゃぐしゃじゃん。治してあげる」
器用な指先が甘栗色の髪をすくい上げ、ほつれを直しながら編み込んでいく。
伸びてしまった布の襟を軽く整え、風でばさつく髪を抑えながら、いつものハーフアップにまとめていく。
そこに細かな編み込みをいくつも差し込み、軽やかさと強さを加えた。
さらにリオはルミナの服の裾をつまみ、余った布をきゅっと折り込み、腰のあたりで結び直す。
「ほら、裾がびろーんってなってる。……もう、世話が焼けるなぁ」
軽口を叩きながらも、伸びてしまった部分をうまく縛り上げ、すっきりとした形に整えてしまう。
みすぼらしさは消え、動きやすく、凛とした印象に早変わりした。
「……できた。ね、似合ってるでしょ?」
ルミナは言葉を失い、頬が赤らむ。
リオは少し照れくさそうに笑い、最後に鈴を指で軽く弾いた。
――ちりん。
二人の間に、小さくも澄んだ音が広がる。
群衆の歓声にかき消されない、確かな響きだった。
「ほら、見て」
リオはルミナの手を引き、小さな水場の前に立たせた。
風で波打つ水面に、編み込みを揺らし、服を整え、鈴を光らせるルミナの姿が映っている。
「これがあんた。昨日よりずっと似合ってる」
水に揺れる自分を見つめ、ルミナは小さく息をのんだ。
そこに映っていたのは「旗印の乙女」ではなく、
確かに「ただのルミナ」だった。
「……ありがとう」
かすれた声でそう告げるルミナの横顔を、リオはじっと見ていた。
頬にかかる甘栗色の髪、澄んだ瞳、そして小さく震える唇。
胸の奥が不意にちくりと痛み、思わず息をのむ。
(……ほんと、ずるいな)
けれどすぐに笑顔をつくり、軽口を叩いた。
「ふふっ……やっぱり子どもみたいに照れてる顔のほうが、ルミナらしいね」
ルミナは真っ赤になりながらも笑い返す。
――ちりん。
髪先の鈴が澄んだ音を響かせた。
それは友情の証のように、澄んで温かく、二人の間に流れる空気を優しく結んでいた




