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歓声のあとに ―忘れられた旗印―  作者: 草花みおん
序章 歓声の中で
1/8

処刑

石壁は湿り気を帯び、背に張りつく冷たさが骨の芯まで染み込んでいた。

吐息は重くよどみ、汗と鉄の匂いが鼻を刺す。

鎖の輪が擦れるたび、鈍い音が牢に反響し、わたしの鼓動を数える鐘のように響いた。


やがて扉が軋み、兵士が顎をしゃくる。

声はない。だが「立て」という命令は、それだけで十分だった。

わたしは立ち上がる。

足首の鎖が石床を擦り、鈍く硬い音を刻む。

一歩ごとに、処刑場への道が始まっていく。


地上へと続く階段を昇るにつれ、ざわめきが濃くなる。

太鼓が地を震わせ、群衆の笑い声と罵声が空気を満たす。

それらは厚い水の膜を隔てたように遠く、現実味を失っていた。


門が開いた。

灰色の空が広がり、雨粒が頬を打つ。

石畳には血と泥のしみが幾重にも重なり、そこにまた新しい赤が落ちていく。

わたしの足跡は、赤黒い点として途切れ途切れに続いていた。


「逆旗〈さかばた〉だ!」

誰かが叫び、怒号が波紋のように広がる。

石が飛び、ひとつは足元に転がり、もうひとつは額を打った。

熱が走り、血が頬を伝うと、人々は歓声をあげた。


ぼろ切れの布が雨に貼りつき、肌を冷たく覆う。

かつては紋を織り込んだ衣を纏い、人々の前に立った。

だが今は犬に投げる古布にも劣る布きれ。

群衆はそれを見て「逆旗にふさわしい」と笑った。

わたしはただ心の奥で――ああ、そう見えるのだなと呟いた。


そのときだった。

群衆の中に、ふと見えた気がした。

懐かしい影。

かつて共に笑い、戦場で背を預けたはずの姿。

雨粒の幕を越えて、一瞬だけ瞳が合ったように思えた。


思わず足が止まる。

胸の奥が大きく脈打ち、息が乱れる。

――本当にいたのか。

それとも幻なのか。

あの人は……誰だったか。

意識が朦朧とし、名前が思い出せない。


「止まるな、さっさと歩け!」

鎖を引く兵士が罵声を浴びせ、鉄が足首に食い込む。

背を押され、わたしはよろめきながら歩を進めた。


杭が見えた。

積まれた薪が湿り、油の匂いが鼻を刺す。

旗や札が揺れ、「正義」「秩序」の文字が群衆の手で振られている。

だが、そこにわたしの名はなかった。


両脇に兵士が立つ。

ひとりは、かつて戦場で肩を並べた男だった。

槍を握り直し、声を潜める。


「……ほかにはやらせぬ。」


その声に、唇が自然にほころぶ。

誰に向けた微笑みか、自分でもわからない。

感謝か、別れか。

それとも――


その刹那、胸の奥に沈んでいた記憶が光を放つ。

長く忘れていた名が、ようやく浮かび上がった。


「で……···も……···い……」


掠れた声が雨に溶け、空気の中に消える。

槍が肉を裂く音が遠くに響き、群衆の歓声が轟く。

だがそのすべては次第に霞み、静寂だけが残った。


炎が立ち上がり、赤が視界を覆う。

やがて赤は白へと反転し、熱も痛みも消えていく。

代わりに、やさしい光が胸の奥を照らした。


次に見えたのは――あの日の空。

青く澄みわたり、血の匂いもない、まだ幼いわたしが走った草原。

頬を撫でた風、遠くから呼ぶ声、誰かの笑顔。


それは、過去。

旗になる前の、ただの少女だった頃の記憶


いきなり処刑から始まりです。

最初に断っておくと転生したり、過去に戻ったりしません。

次の話から記憶の中の過去の話になります。


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