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44.悪い子ここだ

 調査隊から逃げ出したデニスは、暗い森の中を西へと向かっていた。


 ミヤマオオロクシの攻撃により陣形が崩壊した調査隊を見て、デニスはすぐに自分が責任を追及されると悟った。そうなればファシュマンで築き上げてきた地位など一瞬で崩れ去るだろう。それ以前に捕縛され刑罰を受ける可能性が高い。


 そう考えたデニスは、やむなく今の地位を捨てて他所の地域を目指すことにしたのだ。一からのスタートにはなるが、自分の実力であれば再び名声を集めることができるだろうと確信していた。


「ハア、ハア」


 逃げ出してからは数度小規模な特獣の群れと遭遇し、流石のデニスも疲労困憊となっている。今では特獣との遭遇を恐れ、こそこそと逃げ延びる事しか出来なかった。


 日が落ちきって森の視界は悪いが、本来デニス程度の実力者であれば問題にならない。しかし文明を一切感じさせない闇に包まれた森は、疲弊したデニスの精神を苛むのに十分であった。


 自慢の金髪はくすみ全身汚れまみれだが、それを気にする余裕もない。


「くそっ」


 生の獣肉を齧って悪態を吐く。固く獣臭いそれは、とても食べられたものでは無い。


 だが夜間に火を使えば、通常動物はともかく特獣なら寄って来るものもいる。魔力を使った加熱も同様なのでこうする他無かった。


 気分は最悪だが何も食べない訳にはいかない。デニスはひっくり返りそうな胃を必死に押さえつけて再び肉に齧り付く。


 口内に広がる臭みに耐えながら、目を瞑り心を無にして嚥下しようとした瞬間、腹部に強烈な衝撃が走った。


「おごっ」


 身を隠していた岩に背中を強打する。


 常人を遥かに超える強度を持つデニスの肉体に痛みが走り、耐えきれず胃の中身を全て吐き出した。苦労して摂取した肉も全て土の上だ。


 きっ、とデニスが顔を上げると、目の前に妙な柄のコートを着た人影が立っていた。フードを被っていて顔はよく見えない。


 ヘイジが見れば、それが迷彩柄だとすぐに分かっただろう。デニスには見覚えのない柄だったが、着用者の存在を隠蔽する目的があるであろうことは分かった。


「内伐かっ」


 デニスは全身に汗をかきながら叫ぶ。


 内伐はギルドに存在するとされる戦闘員だ。法を犯したハンターの捕縛や討伐が任務だと言われており、シエニス帝国が公式に存在を認めたことは無いものの皆ほとんど実在を疑っていない程度には浸透していた。


 悪さをしたハンターが内伐に狩られるというのは、ハンター達の間では有名な語り草だ。


 そんな存在が、デニスの前に居る。人影から返事はないが、デニスはその異様な装いと先程の攻撃でほとんど確信していた。


 景色に紛れる服装など普通のハンターなら着用しない。加えて魔力を探ろうとしても一向に手ごたえが無かった。


 内伐はこの逃走の旅でデニスが特獣よりも恐れていた存在だ。ミヤマオオロクシの迎撃失敗を悟ったデニスが、碌な準備もせず着の身着のままファシュマンから距離をとった原因の一つでもある。


「ぐっ」


 デニスは剣を抜こうとするが、飛来した固い何かに手を弾かれ妨害される。並行して準備していた魔法も、間近に迫った人影がデニスの側頭部に手を当てた瞬間、組み上げていた魔力が霧散してしまった。


「んなっ!?」


 デニスが反応する暇もなく、人影は驚愕するデニスの体のあちこちを打ち据える。とたんに彼の意に反してその体が崩れ落ち、気付けば地面に組み伏せられていた。剣で貫かれたわけでも魔法を撃たれたわけでも無いのにだ。


「は?」


 何が起きたのかデニスには理解できなかった。内伐を警戒したのはあくまで安全マージンを取っての事であり、実際に彼らと戦いになっても己の実力なら撃退できるのではと考えていたのだ。


「もぉ。この忙しい時に捕り物なんてぇ」


 魔力を帯びた器具で手足を拘束されるのを呆然と受け入れる事しか出来ないデニスの耳に、女の声が届く。


「仕方ありません。相手の能力を考慮すれば、早々に対処すべきでしょう」


 それに異なる声色の声が答えた。


 その二つの声にぎょっとするデニス。うつ伏せにされた状態でどうにか首を回してみると、二人分の足元が見えた。どうやら相手は二人だったらしい。


「おっお前たちは」


 しかしデニスが最も驚いたのはそこでは無かった。


「クスミとタリン、そうだろっ?」


 二人の声はギルドで聞いた、受付嬢のクスミとタリンのものだったのだ。


 それに気付いたデニスは慌てて口を開く。


「話を聞いてくれないかっ。もう抵抗しない。やむを得ない事情があったんだ。ファシュマンにとっても僕は貴重な戦力だろう!?」


 全く面識の無い相手よりも話が出来るはずだと、出来るだけ誠意を感じさせる声で縋りつくデニス。


「クスミちゃんどうするぅ?」


 普段通りののんびりとした声を聴いてデニスはほくそ笑む。やはりクスミとタリンの二人で間違いない様だ。まさかこの二人が内伐だとは思いもしなかったが、知人であれば穏当な処罰で済むのではと期待感が持ち上がる。


「恭順の意思を示されたら応じない訳にはいきません。話を続けてください」


 平坦なクスミの反応にデニスは心から安堵した。処罰は免れないだろうが、少なくとも処刑や長期の禁固は避けられるかもしれない。そう考えると緊張が少し解ける。


「ありがとう! そもそも僕は―」


 続きを促されたデニスが、警戒心を捨てて必死に弁明に意識を傾けた時。


 コン、と頭を小突かれた気がした。


「あ……」


 脱力した目でゆっくりと閉口するデニス。


(僕は何を言おうと。なにも、やる気が起きない……)


 それを最後にデニスの意識は途絶えた。


「よぉし。入ったよー」


「精神拘束も完了ですね」


 デニスの頭の近くにしゃがみ込んでいたタリンが、親指を立ててクスミを見る。クスミもぐったりとしたデニスをみて静かに頷いた。


 恭順の意思を示されたら応じない訳にはいかないなどと言っていたが、あれは嘘だ。少なくとも今回の任務に関して言えば、初めから捕縛かそれが無理なら討伐の二択しかない。


 先程のやり取りは精神を拘束する魔法を打ち込むための、心理的な隙を作るためのものでしかなかった。


「目標確保、帰還しましょう」


 クスミはデニスの体を軽々と肩に担ぐ。


「うん。帰ろー」


 任務を達成した二人はデニスを完封した事になんの感慨も無い様子で、ファシュマンを目指して風のように走り出すのだった。

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