38.知らせ
ファシュマン城の会議室では多くの人が詰め、特獣の異常分布への対応を協議している。しかし今は騒がしかった雰囲気が鳴りを潜め、重苦しい空気が漂っていた。
汗をかいた男が会議室に駆け込むと、空ていた椅子に腰掛ける。彼はファシュマンを運営する締役の一人だ。
協議は猟伐管理部と軍務部が中心になって行われていたが、先程もたらされた知らせによって全部門の締役が緊急招集されたのだ。
「よし、揃ったな。改めて状況を整理する」
全員が集まったのを確認して軍務部長が口を開く。
「単独で調査を行っていたオリヴィア殿が帰還した。ギュベ山脈方面にて迂回波を確認。規模は大。本都市に接触する可能性高し。本日、日の出時点で距離約五十五キロ」
騒然とする締役達。
「なんてことだ」
「迂回波がここに来るのか……」
「結構近いぞ」
迂回波とは上位の特獣の出現によって無秩序に逃げた特獣達が、地形や他の上位特獣の影響で一方向に向きを変え、大きな群れをつくる現象のことだ。
予想外の方向から波の如く押し寄せる特獣の群れは、その規模が大ともなれば都市の存続そのものを揺るがす脅威となる。
今回は異常分布の原因であろう特獣の推定位置と地形を鑑みて、都市の東部遠方にそびえるギュベ山脈方面の調査をオリヴィアに依頼した結果、悪い予測が的中した形だ。
「防衛警戒態勢を二に引き上げる。全部門とも本件の対応を最集中事項とする」
そう宣言して忌々しく地図を睨むトラニア公爵。
締役達が息を呑む。防衛警戒態勢が二になるのは、当該都市が存亡の危機にあると判断された場合だ。そして皆、現在がまさにその状況だと理解していた。
ちなみに一は国全体の存亡の危機に繋がる事態であり、都市ごとの防衛警戒態勢でありながら一地方の長には決定権が無い。つまり現在は都市の一存で決められる限り最も重い事態であるのだ。
「オリヴィア殿による間引きは行われたのか?」
締役の一人が問いかけた。
「行っていません。規模が大きいため、不用意に攻撃すれば混群の散逸による被害範囲拡大を招く恐れがあると」
答えたのは猟伐管理部長。
ここで言う混群の散逸とは混群がバラバラになるのではなく、迂回波が複数の混群に分かれて散らばるという意味だ。
迂回波がバラバラになってしまえば被害地域が広がるだけでなく、最悪の場合都市の全周が特獣の群れに埋め尽くされ他都市との接続を断たれる可能性すらある。
「動きを予測でき、都市防衛に集中できる今の方がまだマシか」
トラニア公爵が椅子に体を沈めて呟いた。
どれだけ数が多くても一度に接敵する特獣の数には限りがあるので、このまま迂回波を迎え撃った方が対処はシンプルになるだろう。
しかしファシュマンの防壁は帝都や激戦地の物ほど堅固ではない。無数の特獣がファシュマンに衝突すれば、一体どれだけの被害が出るのだろかと考え、トラニア公爵は頭を抱えたくなった。
そうは言っても部下の前でいつまでも暗い表情ばかりはしていられない。と具体的な対応の協議と指示に移ろうとしたところで、文官が会議に駆け込んできた。
「猟伐管理部より報告です」
進行役の軍務部長が視線でトラニア公爵に確認を取った後、文官に頷きかける。
「わかった、続けろ」
「調査隊の連絡班が先んじて帰還しました。推定目標地点にてミヤマオオロクシを確認。異常分布の原因の可能性大とのこと」
滔々と告げられる内容に再び騒然とする締役の面々。
「ミヤマオオロクシとは……」
「なんでこっちに来るんだ!」
トラニア公爵は眉間に皺を寄せながら猟伐管理部長を見る。
「どう思う」
「ミヤマオオロクシなら十分迂回波の原因になり得ます。加えてこのまま移動し続ければ、ファシュマンに到着する可能性も十分あり得ます」
トラニア公爵に答える猟伐管理部長。その顔色が悪いのは最近の過酷な労働状況だけが原因ではないだろう。
「加えて調査隊は、不測の事態によってミヤマオオロクシと戦闘状態にあります」
「なにっ」
続く報告に声を上げて立ち上がったのは猟伐管理部長。かろうじて保っていた冷静な態度も今は無く、驚愕に顔を歪めている。
調査隊にミヤマオオロクシを討伐出来るだけの戦力は無い。リタだけは頭が一つも二つも抜けているが、脅威度五の特獣を単独で狩った実績は猟伐管理部長の知る限り無かったはずだ。彼の予想では最悪の場合全滅もあり得る。
「最悪だ!」
腕を組み静かに報告を聞いていた軍務部長も思わず大声を出してしまった。調査隊のメンバーはいずれも優れたハンターであり、迂回波の防衛においても重要な戦力になるはずだった。
しかしミヤマオオロクシと交戦したとなれば、隊の帰還は絶望的だろう。
「中央軍に応援要請。用件は迂回波からの都市防衛。対応規模は大」
トラニア公爵が重々しくもはきはきと宣言する。
「はっ」
気を取り直した軍務部長が神妙に頷く。傍に立つ同じく軍服の部下に目配せをすると、その人物は足早に会議室を出て行った。
「間に合うと思うか?」
「迂回波は五日から十日ほどでファシュマンに到達する可能性があります」
椅子に座り込み、暗い表情でトラニア公爵を見る猟伐管理部長。
それを聞いた軍務部長が首を横に振った。
「今ある戦力だけで対処するしかありませんな」
「人を逃がす余地は無いか」
「ギュベ山脈方面に迂回波と来れば、いずれ南街道もはぐれの特獣どもが出るでしょう。他所の商人ならさっさと脱出できるでしょうが、住民は無理でしょうな」
着の身着のままで今すぐファシュマンを出れば危機を脱する余地はあるだろう。しかし今ある生活を捨てて別の街に移るという判断は、誰しも簡単に出来る事ではない。多くの者は防衛の成功を祈りながら都市に残る決断をするだろう。
「いっそ皇帝陛下の懐刀でも飛んでくればよいのだが」
「閣下それは」
トラニア公爵のあまりにも豪胆な発言に軍務部長は顔をこわばらせる。彼らが現れるのは帝国全体の危機か、地方領主が謀反を起こした時くらいだ。
「すまぬ冗談だ」
汗をかく軍務部長。トラニア公爵は手をひらひらと振って薄ら笑うが、この都市が置かれた状況を考えれば、どこまで冗談かも分からなかった。
「せめて調査隊員が少しでも多く戻る事を祈るしかないか」
誰に言うでもなく、天井を見上げてトラニア公爵は呟くのだった。




