君の翼を奪いたい①
学校の屋上。
初めて来た。
高校入学前は自由に出入りできると思っていたけど、ちゃんと進入禁止の看板、立ってたな。
鍵は、壊れていて助かった。
ぐっと伸びをして、フェンスに手をかける。
なんとかよじ登って、向こう側に着地する。
「思ってたより、低い……」
人生最後の言葉がそれか。自分でも呆れて笑ってしまう。
1歩。ふらりと体が傾いた。瞬間だった。
背中から服を掴まれ、勢いよくフェンスに引き戻された。ガシャン!という騒音と共に、どこかで聞いた声が降ってきた。
「おい!そこフェンスの外だぞ!何してんだ!」
見た顔だ。同じクラスの、たしか名前は
「桜庭 龍…?」
「お、おぅ……なんでいきなり名前?じゃなくて!お前、なんでこんな危ねぇとこいんだよ!危ねぇだろ?」
まずい。見られた。「飛び降りようとしてました」
なんて言えない。コイツは服を握りしめたまま、まっすぐにこちらを見据えて答えを待っている。
たまらず目を逸らす。何か良い言い訳は……。
お、いいのがあった。
「あ、あれ……あのストラップ、落ちちゃってさ。拾おうと思って。」
フェンスの向こう側に落ちているくまのストラップを指さして、言った。これで納得して帰ってくれるだろうか。……望みは薄い。
「…そっか、待ってろ。」
そう言うと、掴んでいた服を解放し、すっくと立ち上がる。案の定帰ってはくれないようだ。
こちらが密かにげんなりしていると、龍はフェンスをひらりとまたいだ。
え、なんで?なんでこの男は自分と同じ場所にいるんだ?開いた口が塞がらないとはまさにこのことか。
龍は落ちていたくまを拾い上げ、こちらにそっと差し出した。
「おら、これが欲しかったんだろ?今度は落とすなよ?」
そう言って、にかっと笑う。そしてまたひらりとフェンスをまたぐ。
「なにやってんだよ?来いよ」
「え、あ、あぁ…」
戻ってきてしまった。しかも、龍は鞄を背負って振り返り、自分を待っている。……くそ。帰るしかなくなった。
校門まで一緒に歩いた。特に会話もなく。
別れ際、龍が口を開いた。
「じゃ、また明日な」
軽く手のひらを見せてから、踵を返し行ってしまった。
また、明日。そう言われた。そうか、自分にはまだ「また明日」があるのだ。
今日はひとまず、帰ろう。
「よお」
翌朝、そう声をかけられた。
龍だ。それと、その取り巻き。
最悪だ。頼むから俺を目立たせないでくれ…。
この男は、クラスの中心的存在、リーダー格、陽キャ、モテ男である。
対して自分は、もはや空気、根暗、陰キャ、非モテである。
こんな自分があの桜庭龍と仲良く挨拶をしているなど、周りから見たら異様でしかないだろう。
早歩きだ。人生で1番速く歩くんだ。
後ろからガシッと肩を掴まれた。…運動部に勝てるわけはなかった。
「おい、おはよーございます!」
「お、おはよう、ございます…。」
龍は満足そうににかっと笑うと、またなと言って取り巻きの元へ帰って行った。
はあ、今日こそ飛んでやる…。
それからも龍は自分を見かけるたびに話しかけてきた。しかも大勢の前で。大胆に。
もう耐えられん。
「お、拓真〜!また会ったな!」
にかっと笑う。くそむかつく笑顔をするやつだ。しかも、しれっと名前呼びまでされているではないか。
龍の腕を掴み、人気のない廊下まで連れていく。
「あのなぁ!!俺は目立ちたくねぇんだよ!それなのにあんな大勢の前で何度も何度も話しかけてきやがって、我慢の限界なんだよ!!話しかけてくんな!」
これくらい言ってやればもう近づいてくることはないだろう…と、思ったのに。
なぜだか龍の瞳は輝いている。おまけに満面の笑みだ。なんで??
「初めてそんなに喋ってくれたな!!お前、思ってたより声高いのな」
…気持ち悪いやつ。
「はぁ、もういい。とにかく俺に構うな。」
そうだ。今日こそ飛ぶんだ。
俺は今から教室に戻って荷物を持って、それから屋上に行くんだ。一人で。
「なあなあ、そんなに急いでどこ行くんだよ?…なあって!教えてくれよ!」
ああ、ウザイ。龍はあれからずっとついてくる。もう、ほんとに、ずっと。
「うぜーな、屋上だよ屋上。分かったらとっとと帰れ。」
「…」
お、静かになった。帰る気になったか?それとも、流石に気づいて引いたか?
勝手に勝った気になっていると、がしっと両肩を掴まれた。もの凄い力で。
「っ、い、いた。…んだよ」
「だめだ。」
なんだ?何か、雰囲気がいつもと違う…。
瞬間、笑って言った。
「今日は俺に付き合ってくれよ。」
いつものムカつく笑顔だ。なんだったんだ?それより、付き合うとは。どこに付き合えと言うのか。どこでも嫌だが。
龍に連れてこられたのは、駅近くにある高層マンションだった。結局、今日も飛べなかった…。
手首を掴まれて、エレベーターに乗る。ちなみに学校を出てからずっとこれだ。…ちょっと恥ずかしい。
ついたのは10階の角部屋。なかなかいいとこに住んでんじゃねぇか。
「ここ、俺ん家。」
言われなくても分かる。
龍は鍵を開け、上がれよ、とこちらを見やる。なお手首は掴んだままだ。
「……おじゃまします。」
部屋はどこも片付いていて綺麗だった。うちとは大違いだ…。
リビングのソファに座らされ、飲み物は何にするかと聞かれる。なんでもいいと答えると、しばらくしてお茶とお菓子が出てきた。
「あ、ドウモ…」
龍はじっとこちらを見て、何も話さない。なんだこの状況は。
たまらず、お茶を一口すする。
「あ、そろそろおいとま…」
「なあ、提案なんだけどさ、」
くそ。
「な、なんですか…?」
いったい自分になんの提案があると言うのか。
龍は、真剣な顔で口を開いた。
「1ヶ月、俺ん家で暮らさねぇ?」
……は?ぜっったいに嫌だ。
「は?嫌に決まってんだろ」
「そこを何とか!飯も風呂もタダだし、欲しいもんはなんでも買ってやるから!な?頼む!」
ぱんっと手を合わせ、拝むように頭を下げる。
「あ、やっぱ親がダメか?」
親。その単語にぴくりと肩が揺れる。
あの親は、自分が何も言わず1ヶ月いなくなっても気にもとめないだろう。
変わってしまったのはいつからだったか。
思わず唇を噛むと、龍が顔を覗き込んできて、語る。
「俺、小せぇ頃から両親が忙しくてさ、人と一緒に飯食ったり、一緒に寝たりとかあんましたことねぇんだ。死ぬほど寂しいんだよ。頼むよ、ダメか?」
不安そうな、泣きそうな顔をして言う。
面食らってしまった。こいつもこんな顔をするのか。
1ヶ月くらい、長く生きても変わりはないか。
「1ヶ月くらい、なら。…仕方ねぇ。」
俺は我慢できる。たった1ヶ月長く生きるだけでコイツが喜ぶんなら…最後に人助けも悪くねぇな。
ぽつりと言うと、龍はびっくりした顔をして、それから、安心したような笑顔を見せた。
その夜、ご飯を食べお風呂に入って、今は暇な時間を過ごしていた。龍のベッドでダラダラと漫画を読んでいる。必要なものは貸すからと、着替えなどは持ってきていない。
桜庭のやつ、料理できたんだな…。意外だ。
読んでいる漫画がバトルシーンに入り、熱い展開になってきた時、龍がお風呂から上がって寝室に入ってきた。いつもきちんとセットしてある髪が、今はフワフワと揺れていた。
龍の初めて見る姿に、少しぼーっとしてしまう。
「なんだよ、そんなにじっと見て。ちょっと照れるなぁ」
へらりと笑う。気持ち悪いこと言うな。
ぷいとそっぽを向くと、隣に寝転んで指をさした。
「その漫画、面白いだろ!アニメもやってるから今度見てみろよ」
「ふうん。」
気のない返事をする。
「もう寝るか?」
どっちでもいい。寝るのであれば、自分はいったいどこで眠ればいいのか。
「…じゃあ、俺ソファで寝ればいい?」
妥当な質問をしたはずなのだが。なぜかぽかんとした顔が帰ってきた。
「え?一緒に寝るって言ったろ?」
「え」
いつ言ったよ。一緒にって、このベッドで2人でか?
……恋人じゃあるまいし。
今度はこちらがぽかんとしていると、グイッと腕を引かれた。
「ぅ、わっ!おい!何すんだよ!」
見れば頭の下に腕があるし、自分の上にも腕がある。
つまり腕まくら&ハグだ。
こんなの、初めての体験すぎて頭がおかしくなる。もしかして世の男友達はみんなこんな感じなのか?
「っお前!距離感バグってんじゃねーの!?離せよ!」
ジタバタと暴れてはみるものの、バスケ部の筋肉ダルマはそう簡単に離してくれない。
「どうどう、落ち着けって。ほら」
そう言って、背中をトントンとしてくる。
ちっ。ころすぞ。
そう心の中で悪態をつきつつも、段々と眠くなってきた。解放は早々に諦めて、素直に意識を手放す。
気づけば、朝だった。
意外と寝心地は悪くなかった。
思えば自分もこんなに人と触れ合うのは初めてかもしれない。
母親も、今はもちろん昔だって子供に対して誠実に向き合うような大した大人ではなかった。
自分の家族は、破綻している。
昔は、父も、母もいた。父親は酒とギャンブルに溺れ、ろくに仕事もしない、そんな人だった。母親はどうしてか、そんな男にどっぷりとはまりこんで、たいそう惚れ込んでいた。自分が産まれてからも、それは変わらず、父のことを第一としてきた母だったが、父の子である自分に多少の愛情を持ってくれていたのか、少しは面倒を見て、たまには甘やかしてくれた。構ってもらえない寂しさはあったものの、両親の仲が良く、互いに笑いあっていて、3人でのらりくらりと生きていく生活は、なんだかんだ幸せだった。
それが壊れたのは、たしか、自分が小学校6年生の時だ。
父親が死んだ。借金だけを残して。
それから母は、どんどんおかしくなっていった。
あれだけ父一筋だったのに、何人もの男を日替わりで家に連れてくるようになった。
着信音に怯えるようになった。
好きじゃないと言っていたお酒を飲むようになった。
中学に上がって、猛勉強した。歳を隠してバイトも始めた。奨学金を借りて高校に行くために。
全て自分の力でここまでやってきた。それなのに、母は変わってくれない。友達なんて呼べる人間はどこにもいない。誰も自分を愛してはくれない。
もう疲れてしまった。だから。
「おはよ。」
その声が、思考を遮断する。
「……おはよ」
「どうした?...泣いてた?」
大きな手が頬を包み、その指が瞼をなぞる。
優しい手。こんな手は知らない。知らなかった。知ってしまった。
思わず擦り寄ってしまいそうになるのをなんとか堪えて、身体を起こす。
「あくびだよ、あくび。何勘違いしてんだ。」
「そっか!ならいーや。」
ムカつく笑顔。朝から拝めるなんて光栄だ。
ふんと鼻を鳴らし、ベッドから抜け出す。
今日は金曜日で、ちゃんと学校もある。
2人で一緒に行くのはおかしいし、どのくらい時間をずらして行こうか…。
そんなことを考えながら朝の支度を終えた。
そして、いざ玄関。
スニーカーの紐を結ぶ龍に、20分ほど時間をずらして行くのはどうか、と提案する。
「え、一緒に行くんじゃねーの?」
そんなことだろうと思った……。
「あのな。俺とお前が一緒に仲良く登校とか周りにおかしいと思われるだろ!」
「いやいや、大丈夫だって」
そんなことを言って俺の首根っこを掴み、ズルズルと引きずっていく。
「ぐぇっ。おい!離せコノヤロー!!こんの、馬鹿力がー!!」
わあわあと喚きながら2人で学校へ向かう。
「あ、そうだ。これから1ヶ月うちで暮らすんだから、色々買いに行かねーとな。つーわけで、土曜は買い出しな!」
そう言って楽しそうに笑う。
友達と買い物とか。小学生以来だ。
「……チッ。別に楽しみじゃねーし。」
そんなつぶやきが聞こえているのかいないのか、前を歩く男は鼻歌を歌いながらこちらを振り向き、ニッと笑う。
こうして、1ヶ月間の同居生活が始まるのであった。