15. ペンギンさん
どうぞよろしくお願いします
私の勤め先だった総合病院の厨房には、出入りの業者さんが何社かいた。主に野菜類を納入してくれた業者さんの名前はなんと『ペンギン食料』という。なぜペンギン?しかも、マスコットのキャラクターは、シャチが運送業っぽい帽子をかぶって、こっちを向いて笑いながらダンスしているんだ。
え?シャチ?ペンギンはどこへ?しかも社名、『ペンギン食料』って!そんな風に思うと、トラックに描いてあるマスコットは、捕食者が満腹の舞を踊っているようにしか見えなくなってきて、こちらとしては食欲減退という事態になる。
だがその業者さんは、同僚たちにすこぶる人気だった。配送担当の兄ちゃんが、それはそれはいい男だったからだ。兄ちゃんは三十代に入ったばかりといったところだったが独身で、若い子たちは配送がある日にシフトを入れたがり、配送時間が近付くとソワソワして化粧直しなんかしだす。
彼の方は淡々と仕事をこなし、最低限の会話と最低限の愛想だけだった。慣れているなと私は思い、気の毒に思った。ほどなく彼をめぐって職場内がギスギスしだし、そのうち派閥ができ、修復不可能なほど破綻して業務が滞るようになると、ようやく上層部が動いた。遅いよ。しかもその対処法というのが、ペンギンさんと接触していいのは婆、つまり私だけと言い渡されたのだ。七十オーバーのお婆なら、若い子たちも納得するだろうとの判断だった。
仕方ない。私は若い子たちからやっかまれながらも、対応を一人で引き受けた。といってもお互いの名前を覚えた程度で、仕事以外のことはほとんど知らないが、なんとなく仕事を転々としているようだとは感じた。なかなか一ヶ所に居着けないのかもしれない、気の毒に、と思っていた。
「ペンギンさん、来月なんだけど、私、ひ孫がもうすぐ生まれそうなので、しばらく休みます。他の者が対応することになりますけどよろしくお願いします」
ある日、やってきた兄ちゃんに告げると、兄ちゃんは驚いた顔をした。
「わかりました。ハルさん、実は俺、仕事をかわるんです。ハルさんが戻ってくる頃にはいないと思います。今までありがとうございました」
「おや、そうでしたか。残念ですが、新しいところでも頑張って下さいね。ところで、そのことをウチの連中は知ってますかね?」
「いえ、最後の日は新しい担当と挨拶に来ますので、その時まではどうぞご内密に」
「わかりました、では最後までウチの厨房をよろしくお願いします」
兄ちゃんは神妙な顔で、こちらこそよろしくお願いします、と言っていた。
ある日私は、孫息子のお嫁ちゃんが臨月のお腹を抱えて買い物に出るというので、付き添って町に出ていた。
「ハルさん、大丈夫だよ、あたし頑丈だし」
「あんたが大丈夫でもね、今は平気でも、無理は必ず二、三日経ってから出るんだよ。その時赤ちゃんは苦しいんだから、無理させちゃいけない」
お嫁ちゃんはハッとした顔で、「わかった、ちょっと休む」と言ったので、近くの公園のベンチに並んで座って休憩していた。
「あれ、ハルさん。こんなところで」
声をかけてきたのはペンギンの兄ちゃんだった。
「おや、ペンギンさん」
「ペンギンさん?」
お嫁ちゃんは不思議そうだったが、兄ちゃんの顔を見るとポーッとしていた。おいおい。孫息子に言いつけるぞ。
「ああ、もうペンギンは辞めたんでしたね、えーと……」
この兄ちゃんの名前はなんだっけ?
「最後まで俺の名前を呼ばなかったのはハルさんだけですよ。知らなかったんですね、俺、サトーです」
「……婆は物忘れがね。知ってたんですけどね。失礼しました、サトーさん」
「都合によってお年を召すみたいですね、ハルさんは」
そう言って、笑い声が上がった、ところまでは、覚えている。
この後の記憶は途切れ途切れだ。
お嫁ちゃんの悲鳴で振り向くと、そこに、いるはずのないものがいた。
包丁を持った女だ。
なにかわめいているがはっきりとはわからない。その女がどうとか子供がどうとか言っていたような気がする。
覚えているのは、その女が臨月のお嫁ちゃんに包丁を向けて突進してきたことだ。
サトーさんが間に入って崩れ落ちたこととか、自分で刺したくせにその女は「違う、違う」と繰り返していたとか、そのまま再度お嫁ちゃんを狙っていたとか、私はとっさにその女にしがみついて、胸の辺りが熱くなったけど、その女を絶対に離すまいと腕に力を入れていたこととか、そんなことをぼんやりと覚えている。そういえば、お嫁ちゃんはあの時、お腹を押さえて座り込んでいた。まさか衝撃で産気づいたとかじゃあるまいな。無事に産まれていてほしい。お嫁ちゃんもずいぶんと私に懐いてくれていて、「女の子だったら『コハル』って名前にするね」と言ってくれていたんだ。
「ハルさんには、ずっと謝りたかった。巻き込んでしまって、本当にすみませんでした。ハルさんが、ひ孫さんを見ることができなかったのは俺のせいだ」
オリバーくんのサトーさんは、少し震えていた。
「サトーさんだって、巻き込まれたんでしょう。サトーさんが謝ることじゃない」
「あの包丁の女は、俺にずっと付きまとってたんです。刃物なんか持ち出してきたのはあの時が初めてだったけど、それまでにも色々と……。でも法的措置も取って、あの頃は姿を見なくなっていたから、俺、少し油断してた。あの時、ハルさんに声をかけなければとか、立ち話なんかしなければとか、色々考えました」
「……あの後、どうなったか、知ってます?」
「俺もその辺は記憶がはっきりしないんですが、あの女はハルさんが覆い被さって身動き取れずに半狂乱だったのだけは見えて……。俺はハルさんが亡くなった後もちょっとは生きてたみたいです。それが、ルルーシュとオリバーの誕生日の差になってるんじゃないかと……」
私は深くため息をついた。
「そうでしたか……。オリバー様はいつから、私がハル婆なんじゃないかと疑ってたんですか?」
「サディの口から『ハル』ってあだ名を聞いた時は心臓が止まるかと思いました。しかも、落ち着いていてずっと年上のようだとか、料理が上手いとか聞いて、もしや、って。
それから、時々聞いたこともないような言葉を使うと聞いて、たとえハルさん本人じゃなくても、あちらの世界の記憶はある人に違いないと思ってたんです」
オリバーくんなサトーさんは私に笑いかけた。
「でもなかなか確信が持てなかった。それで、あちらの古典の物語のあらすじを話してみたりした。ハルちゃんが知らなさそうだった時は、ずいぶんがっかりしたんです。それでも、たまたま古典は知らなかっただけかもと思って、それからもわざと向こうの言葉とか習慣とかを使ってみたりしました。ハルちゃんは疑問も持たずに返してきたし、ああ、ハルさんであってくれ、そうしたら償いができるから、と思って、ずっと見ていたんです」
私は言葉を返すことができなかった。
「ハルさん」
サトーさんは私の両手を取った。
「本当に申し訳なかった。ハルさんは俺に責任はないって言うだろうと思ったけど、ずっと心苦しかった。ずっと、償いをしたいと思っていたんです」
私はオリバーくんの手から抜け出した。
「サトーさん。私は、無謀なことをして家族を悲しませたなと反省はしていましたが、サトーさんのせいだと思ったことは一度もありません。サトーさんが気に病むなら謝罪を受け入れますけどね。
私たちはもうオリバーとルルーシュです。昔のことは、もう終わったことです。それに最近は、前世の出来事をだいぶ忘れてきていて……。私はそれを、こっちに馴染んできた証拠だと思って喜んでるんです。あ、でも、溺愛希望は譲れませんよ!そこはもう、前世どうのというよりもう、性分です」
オリバーくんはようやく微笑みを浮かべた。
「そうですね……、じゃなくて、そうだね、ハルちゃん。
ハルちゃん、聞いて。ハルちゃんがハルさんだって確信が持てたら、ずっと言いたかったことがある。
サトーだった時、ハルさんとはさほど親しくなかったけど、仕事しやすくて職業人としても人生の先輩としてもさすがだなって思ってた。いつも裏方に回って周りを立ててたよね。
ハルちゃんにもそういうところがあるよね。自分が前に出ようとしないっていうか……。目立たないようにふるまってるつもりだろ?
もしそうなら、率直に言うけど、全く成功してない」
「……ええっ!」
「こちらの世界と違う感覚とか習慣なんかは庶民育ちで誤魔化してるみたいだけど、いつまでも通用しないよ。本当に目立ちたくないんなら、よく気をつけたほうがいい。
それとは別にね、ハルちゃん。俺、やっぱりハルさんに対して心苦しい気持ちが解消できない。なにかの形で償いをしたい。ハルちゃんに幸せになってほしいんだ」
……うん。
色々ありすぎて、消化するのに時間が必要だ。ひとつずつ解きほぐして理解しないといけないけど。
「ありがとうございます、オリバー様」
オリバーくんには、ずいぶんと心配してもらっていたんだということはわかった。だから、まずはお礼だ。
「こちらこそ、ありがとう。それで、これからも、オリバーとしてよろしくね」
私たちは、握手をした。こんなことをする人は、こちらには、いない。
私は、オリバーくんの笑顔の中にサトーさんの面影を探して、そっと手を離した。
これで前半が終了です。
来週は本編をおやすみして、人物紹介を投稿します。
後半は恋愛多めになる予定(当社比)。応援いただけると嬉しいです。




