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シアワセのレシピ  作者: ナカ
9/20

09

 【奇妙】と言う言葉が頭に過ぎる。手元にあるのは一冊の本。

 返却先が分からなくなってしまったピンク色のハードカバーは、未だに私が所有したままだ。あの後、もう一件の図書館でも同じ質問をしてみたのだが、返答は「この本は当館の蔵書ではありません」の一言で終わってしまった。日を改めて他の図書館にも足を運んでもみたが、どこの施設でも返される答えはやっぱり同じ。反応は様々なのに、最終的には「この本は当館の蔵書ではありません」で片付けられてしまう。この問題は、返却先を見失った状態のまま。何も解決せずに本日に至る。そんな感じである。

 頼みの綱だったはずの貸し出しレシートも、真っ白のな、ただの紙切れへと変わり果ててしまっていて。最初の図書館で借りたのだという証拠は、段々と曖昧に始めた自分の記憶と、作成した貸し出しカードの二つしか残っていない。

「……困ったなぁ……」

 頬杖をついたまま吐いた溜息。表紙を指で軽く叩きながら、考えるのは答えの出ない問題だ。

「寄贈……しちゃおうかしら」

 何となく言葉にして、いやいやと首を振る。自分の蔵書ならばその選択肢もあっただろう。しかし、この本は自分で購入したものではない。所有物ではないものを勝手に寄贈してしまうのは、いくら何でも非常識だとは思う。

「取りあえず、預かっておく。か」

 返す相手が見つかるかは分からない。それでも、身勝手に本を手放してしまう事は気が引けてしまう。仕方なく所有者が現れるまで保管することにし、暫くはこの本に記載されたレシピにお世話になること決め切り替える気持ち。以前と同じように本を開くと、今日作るレシピを何にしようかと考える。いつまで手元にあるか分からない以上、出来るだけこの本に収録されている料理を消化しておきたいというのも本音としてはある。本来の持ち主に本が戻る前に、一つでも多くレパートリーを増やしておきたい。そんな思いから、メニューをまとめていたノートを取り出し、机の上に広げた。


 ノートのページが一枚埋まる毎に、本のページは一枚ずつ減っていく。気が付けば挟んでいた栞の位置は中央を十数ページ過ぎたところ。レシピノートは既に二冊目に突入していた。

 SNSに投稿した写真も大分枚数が増え、フォローしてくれる人数はいつの間にか二桁の後半に。毎日のコメントに元気を貰えるこの環境のお陰で、自分以外誰も居ないこの部屋にいても、気持ちが酷く落ち込むということも無くなってきている。作った料理を誰かに食べて貰うということ自体は未だに叶うことは無いが、その代わり小さな目標が出来たのは良いことだと口ずさむメロディ。

 小さな目標。

 それは、共に食卓を囲む相手に「美味しい」と言って貰えること。

 その相手がずっと音信不通のまま、別れ話も碌に出来て居ない相手なのか、新しい相手なのかは分からない。この頃になると、そのあたりのことは正直、どうでも良くなってしまっていたのかも知れない。


 変化が起きたのはそれから数日後の事だった。


 その日も、いつものように帰りがてらスーパーに寄り、食材を買って自宅へ戻る。新しく増やした材料を一度冷蔵庫へ片付けてから化粧を落とし、服を着替えて戻るキッチン。本のページを捲り今日のメニューを考えているときに耳に届いたのは、携帯端末の振動音だった。

「何?」

 一度本を閉じ放置された電子機器を手繰り寄せると、ディスプレイに表示されているアナウンスのメッセージを確認する。

「……え?」

 メッセージの内容は『連絡するのが遅くなってごめん』。差出人として表示されている名前は以前、約束をすっぽかされた思い人のものだった。

「なん……で……」

 端末を持って一瞬思考がフリーズ。余りにも連絡が来ないことが当たり前になりすぎて、何が起こっているのかが理解できない。一言だけしか表示されていないメッセージからは、相手が何を伝えようとしているのは分からないし、それが自分にとって嬉しい事なのか、悲しい事なのかもアプリを起動するまで真意は不明。もしかしたらメッセージ欄を表示しても分からないことなのかもしれない。

 いつもよりも早いと感じる心音がとても耳障りに感じてしまう。端末を操作する手が震え上手く指を動かすことが出来ない。瞼を伏せ、視界を遮断して、繰り返す深呼吸。大丈夫、大丈夫と呪文のように同じ言葉を繰り返し、自分を勇気づけてからアプリを起動する。

「……なに……よ……」

 表示されたメッセージ画面には、通知と同じ一言だけ。何とも簡易的なメッセージ以外、テキストもスタンプも表示されていなかった。

 拍子抜け。そんな言葉が尤も適しているのだろう。

 ポップアップメッセージを見た時に感じた怯えと、画面を開くときに決めた覚悟をどうしてくれるのだという小さな怒りが湧いてくる。考えてみれば、一言も連絡を寄越さず放置され続けていたのだ。怒るなという方が無理な話である。

「今更何なの! もうっ!!」

 連絡を取る手段は二つ。テキストで返信をするか通話ボタンを押すか。早いのは声を使う事だと分かってはいるが、冷静さを保てる自信は無いため敢えて言葉を打ち込むという方法を選ぶ。怒りにまかせて言葉を作ればこちらが負ける。だからこそ、作るメッセージは慎重に言葉を選ぶ。

『元気、だった?』

 未練がましいと自分でも思った。それでも、完全にこの関係が終わってしまっているわけでは無いことに喜んでしまうのだから情けない。確かに貰った言葉に怒りを感じてはいる。それと同じくらい、忘れられたわけでは無いという事実に安堵も覚えてはいる。だからこそ返すのは素っ気ないたった一言だけ。

 もしかしたら直ぐに返事は返ってこないのかも知れない。

 また、数ヶ月放置されるのかも知れない。

 そんな風に考えていたら、思いのほか早く既読がつき、直ぐに返事は返ってきた。

『一応は元気』

「……ふぅん」

 携帯端末に視線を落としながら考えるのは次に続く言葉。

『もう、連絡来ないかと思った』

 それは精一杯の皮肉だった。相手からどんな返事が欲しいとかそう言う事を考えたわけでは無いが、何となくそういうのが自然だとその時は思ったのだ。

『連絡したかったけど、忙しかった』

 まるで定型文のような返事に乾いた笑いが零れる。

 本当のところはどうなのだろう?

 頭に過ぎるのは小さな疑惑。時間の共有が出来ていない以上、空白だった間に相手が何をしていたのかなんて分かるはずも無い。【忙しい】という言葉にしたって、様々な捉え方は出来る。本当は疑いたくないと思っていても、どうしても頭に過ぎる【もしかしたら】。

『新し人でも出来た?』

 振り回されるのはごめんだと。メッセージをやりとりしている相手と会えない間に、随分自分も淡泊になったものだ。こんな素っ気ない言葉を言うつもり何て無かったはずなのに、気が付けば送信ボタンは押されてしまっていて、メッセージを取り消す前に既読マークが付いてしまった。

「……終わっちゃうのかな……もう……」

 踏んではいけない地雷。それがもしこの一言だったとしたら、辛うじて細い糸で繋がっていた関係は呆気なく切れてしまうだろう。ただ、不思議とそれでも良いと思っている自分もそこに居る。もしその一言で関係が終わるのであれば、次の出会いを探せば良い。どんなに辛い悲しみも、時がその痛みを和らげて消してしまうのだというのは本当なのかもだなんて。柄にも無くセンチメンタルなことを考えながら表情を和らげる。

『入院していた』

 しかし、返ってきた答えは予想もしていなかった一言。

「どういう……こと……?」

 余りにも想定外の返答に動揺したのはこちら側だ。何が起こっているのかを確認するべく押したのは通話ボタンで。端末を耳に当て鳴り響くコール音の数を数えていると、随分久しぶりに耳にする低い声が受話口から聞こえてくる。

「言っている意味が分からない。説明してくれる?」

 相手を気遣う言葉なんて思いつかない。取りあえず与えられた情報により起こっている混乱をどうにかしたい。そんな気持ちから出した一言に、相手は言い淀んだ後言葉を返した。

『受けた検査の数値が悪くて、再検査になっちまったんだよ………』

 どこまでが本当でどこからが嘘なのか。そんなことは私には分からない。

 ただ、相手の声のトーンから、冗談を言われている感じでは無かったため、からかわれている訳では無いと判断する。詳しく聞いてみると何てことは無い。健康診断からの再検査で自覚していなかった病巣が見つかった。そのために入院をしていたと、そう言うことらしい。

「…………それで……もう、何とも無いの?」

 それでも未だ疑いが完全に消えたわけでは無い。俄に信じられないという気持ちを隠す事無くそう尋ねると、元気の無い声で『ああ』とだけ返された。

『今度、会えないか?』

 会いたいと提案してきたのは向こうから。

「……………………」

『会って直接話がしたい』

 何やら含みのある言い方に、無意識に寄るのは眉間の皺で。

「電話では言えない事?」

 どうしても言葉にトゲが含まれるのは、相手の言う事を信じられないと疑ってしまうせいだ。

『電話よりも、直接伝えたいから』

 それなのに、相手はそんな私の気持ちを汲み取ってくれることは無い。返されるのは先程と同じ返事で、話自体が平行線。なんだかそれは狡いと思ってしまう。ずっと待たされていた寂しさを漸く忘れられそうになっていたというのに、何故今になってそれを蒸し返そうとするのだろう。

「私が怒っていないとでも?」

 この関係を続けたいのか、終わらせたいのか。冷静さを欠いた頭では判断が出来ない。

『怒っていることは分かっている』

 それでも相手が引き下がる気配は感じられなくて。

「これだけ待たされて分かったって。私に、そう言ってもらえるとでも思った?」

 だからこそ、試すような一言を投げてしまったのだろう。今度は直ぐに返事が返されることは無く、暫くの間沈黙が降りる。

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