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シアワセのレシピ  作者: ナカ
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08

 増えた数字はたったの【1】。貰えたコメントはとてもシンプルな一言。それでも、褒めて貰えたという事実には変わらない。名前も知らない誰かが、画面の向こう側でくれた言葉。たったそれだけの事なのに、今度は嬉しくて涙が出そうになってしまう。

「ありがとう……っ」

 その言葉は自然に口から零れ出ていた。携帯端末を手に、何度も何度も感謝の言葉を繰り返す。相手の顔は分からない。それでも、こうやって【私】に気付いてくれたということに強い安心感を覚えたのは事実だった。


 本の頁を捲る度、一つずつ増えていくレシピの種類。いつの間にか真っ白だったノートは四分の一が埋まった状態で、その内容は始めの頃よりも詳しくまとめられるようになっていた。

 元はピンクのハードカバーに書かれていた情報ではあるものの、少しだけアレンジを加えてオリジナルのものに変えていく。単純に味の好みが合わずにスパイスを組み合わせて調整しているだけなのだが、それでも新しいものが出来るとやっぱり嬉しいと感じてしまう。

 作った料理はいつものように、携帯端末で撮影してSNSに投稿する。いつの間にか、それは日課になってしまっていた。

 掲載する前に少しだけアプリで加工して、より美味しく映えるようにするのが小さな工夫だ。写真に添えるコメントは、未だに考えるのが苦手で相変わらずシンプルなまま。それを続けていると少しずつ変化が起こるようで、最初はたった一つだけだった【イイネ】も、いつの間にか十以上に。コメント欄も少しずつではあるが、賑やかなものへと変わってきていた。

「あっ」

 真っ黒だったディスプレイに表示されるポップアップウィンドウ。内容を見ずにタップしアプリを起動させると、いつもの人からコメントが来ていることに気が付く。

「今日もコメントが貰えた」

 いつだって投稿すれば一番乗りのアカウントは、全く知らないネットの誰かである。フォロー関係でも無かったはずなのに、いつの間にかフォロワーになってくれている優しい相手。否定的なコメントは一度も無い。最近では、レシピを元に作ってみましたという嬉しい言葉も貰えるようになって、毎日元気を分けて貰っている。相変わらずこの部屋に思い人が帰ってくる気配は無いけれど、今は一人では無いのだという安心感があるお陰で自然に笑うことが出来るようにはなった。

「今日は何をつく…………」

 今日もまたピンク色のハードカバーを開く。

「え?」

 ひらり。

 それは、本から逃げ出すようにして現れ床に落ちた。

「何? これ……」

 手を伸ばし床に落ちたものが何なのかを確かめる。それはレシートサイズの感熱紙で、印字されている文字を観た瞬間、嫌な汗が頬を伝い鼓動が早くなった。

「今日って何日だっけ!?」

 慌ててカレンダーを確認すると、日付に大きく付いた赤い丸が目に止まる。携帯端末で確認するのは今日が何月何日の何曜日なのかということ。気のせいであって欲しいと願っても、その願いは虚しく突きつけられた現実に冷や汗が垂れた。

「本、返さなきゃ!?」

 約束の期日。それを示す数字は本日の日付を表していた。それに気が付いた瞬間、身体は勝手に動き出す。慌てて本と貸し出しレシートを鞄に突っ込むと、急いで化粧をし飛び出した家。時刻は既に十四時を過ぎていて、急がければと気持ちばかりが焦ってしまう。いつもより大きな歩幅で足を動かせば、当然歩く速度は気持ち速めになる。走り出しそうになる衝動を堪えながら、前を見てひたすら動かす足は、慣れない速度に悲鳴をあげた。

 信号が赤になる度携帯端末を取り出し、残された時間を確認しては溜息を吐く。急いで移動しているため肺が引き攣り痛みを訴える。失った酸素を取り込もうと息を吸い込めば、それを拒むようにして咳が出てしまう。それでも速度を緩めずに歩き続けると、漸く目的地の外観が視界に入ってきた。

 気が付けば速度は更に上がりいつの間にか小走りに。信号が変わる間際に渡り終え、飛び込むようにして建物の扉を開ける。以前訪れたときと同じように冷やされた空気が肌を撫で、建物に飛び込んだ私と入れ違いに逃げ出していく。拭うタイミングを逃した汗のせいで感じる寒気は、館内に漂う冷えた空気のせいで寄り一層強く感じてしまう。小さく肩を抱き身を震わせてから、呼吸を整え向かうカウンター。以前は企画物の展示をしていたロビーには、今は何も設置されていないようで、やけに広く感じるそこは、人の気配があるのかと疑いたくなるほど静寂につつまれていた。

「すいません」

 カウンターの向こう側で端末を操作するスタッフに声をかけると、こちらの存在に気が付いた彼女がキーボードを叩く手を止め、眼鏡の位置を直しながら口を開く。

「ご用件はなんでしょうか?」

「借りた本の返却に伺ったのですが」

 言いながら鞄の中から取り出す一冊の本。ピンク色のハードカバーは、貸出期間中随分とお世話になったレシピブック。まだ半分も読めていないため、貸し出し期間を延長できるかどうかも併せて相談してみようと思いながらそれをスタッフへと手渡す。

「少々お待ち下さい」

 そう言って本を受け取ると、彼女は再び端末に向かって作業を始めてしまった。会話をする相手が居なくなったことで、何もする事は無くなってしまう。彼女の作業が終わるまでここで待つことにしカウンターに凭れながら館内を眺める。耳に届くのは時を刻む壁掛け時計の針のリズムと、彼女が叩くキーボードのタイプ音。一定の音階を奏でるそれに誘われるように覚えた眠気を堪えるため、欠伸をしかけた時だった。

「………どういうこと?」

 聞こえていたタイプ音が突然止まる。代わりに耳に届いたのは、小さな声で繰り返される「おかしい」という言葉。何度か同じ操作を繰り返した後、ゆっくりと息を吐き出しながらスタッフは首を傾げこう言葉を続けた。

「こちらの本は、本当に当図書館から借りた本でしょうか?」

「え?」

 彼女の言った言葉に驚いたのは私の方だ。訝しがる彼女を前に出してしまった大声。

「確かにこの本は、こちらの図書館で借りたものです!」

 差し出された本を奪うように受け取ると、ひっくり返して裏表紙を開く。目的はそこに挟んでいた一枚の紙を彼女に見せること。そこにハッキリと印字されている情報を確認して貰えさえすれば、目の前の相手も納得してくれるに違いない。

「これを見て下さい。ここに……しっかり……と……」

 そう思って取り出した紙を見た瞬間、私は再び言葉を失ってしまった。

「この紙がどうしたのですか?」

「……そん……な……」

 家を出る前にはしっかりと印字されていたはずのもの。しかし、今取り出した感熱紙には、その文字が書かれていた形跡が見あたらない。もし、劣化で文字が消えているんだとしても、薄いオレンジ色などで、印字されていた情報の痕跡は残るはずである。

 しかし実際はどうだ。小さな感熱紙には印字の痕跡などなく真っ白のまま。見せたかった情報など一文字も存在していない。

「ちゃんとこれ、向こうにある端末機で発行したんです! 嘘じゃ無いんです!!」

 確かに財布の中に存在するこの図書館の名前が入った貸し出しカード。それを使って端末機を操作し、この本を借りたという記憶もしっかりある。

「確かにこのサイズは当館の貸し出しレシートのサイズと一緒のようですが、何も印刷されていないみたいですよ」

 印字された情報が無い以上、この本が図書館の蔵書で有る事を証明するのは難しい。データベースと照合しても適合する情報が無いと首を振られ、逆に不審がられてしまうのがもどかしい。

「当館ではなく、別の図書館からお借りした本という可能性はございませんか?」

 その問いは最もだろう。しかし、それに素直に頷く事は難しかった。

「貸し出しカードを作成している図書館は、ここだけしかないのですが……」

 この町に住んで数年になるとは言え、自宅と駅を往復する生活が主なせいで地域の情報は殆ど皆無。この前漸くこの図書館の存在に気が付いたくらいなのだ。他の図書館の所在地など知っているはずもない。

「そうは言っても、この本は当館の管理物では無いようですので、他の図書館のものという可能性は高いと思います」

 それでもスタッフから返される返答は変わり映えの無いもので。困ったように眉を下げながら、当館の所有物では無いという言葉を繰り返すばかり。

「…………この地域に他にも図書館があるのでしょうか?」

 いつまでも続く押し問答に終わりは見えず、結局自信が折れることで迎えた話の終着点。辛うじて口から出せた言葉は、他の図書館がどこにあるのかという質問だった。

「少々お待ち下さい」

 そう言って私を残したまま、スタッフは一度奥に姿を消してしまう。暫くして戻ってきた彼女の手には一枚のコピー用紙が握られていた。

「こちらが他の図書館の情報になります」

 わざわざ検索してくれたのだろう。有名な検索サイトのマップ情報と、図書館の所在地がまとめられたリストがプリントアウトされたコピー用紙を手渡された。

「ここから一番近いのは、この図書館ですね。もし時間に間に合わないようでしたら、一度電話で問い合わせた方が良いかもしれません」

「……はい」

 結局手元に戻ってきてしまったピンク色のハードカバー。確かにこの図書館で借りたというのに、借りたという履歴すら存在しない不思議な状態。

「ありがとう、ござい……ました」

 何やらスッキリしない。それでも、わざわざ調べて貰ったのだ。素直に感謝の言葉を継げると、本を片手に図書館を出る。紹介された別の館までは徒歩二十分と少々。開館時間を確認して見れば、ギリギリ間に合うかという所だ。

「……行ってみようかな」

 本当は今すぐにでも帰宅したかった。それでも、心に降りた靄を抱きつつ、今日という日を終えるのは気持ちが悪い。まだ日は陰りを見せず、外は光を反射して眩しささえ覚える。もう少しだけ遠出をするかと気持ちを切り替えると、二つ目の図書館を目指して歩き出した。

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