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シアワセのレシピ  作者: ナカ
6/20

06

 五徳の上で小さく音を立てる鍋。火加減を調整しながら出てくる灰汁を取りつつ、本に書かれたレシピをノートにまとめていく。途中でスープの味を確認すると、矢張り少し味が薄い。自分の舌に好みが合わない事に寄せたのは眉間の皺で。物足りなさを緩和させるために付け足すコンソメは感覚で量を決め、後で添えるマスタードのことを考えて控えめに顆粒のものをぱらつかせる程度。そうやって煮込まれるのを待つこと約二時間。何も書かれていなかったノートの一ページには、いつの間にか作っているポトフの詳細が書き込まれている状態に。文字だけでは殺風景なので余り上手く無いイラストと、味を整えるために足したものの情報をプラスして。そうやって出来上がったのは自分だけのアレンジレシピだった。

 鍋の蓋を開くとふんわりと広がる香り。鼻孔を擽るその匂いは、忘れかけていた食欲というものを刺激するようで、それに反応したお腹が空腹を訴え小さく鳴ってしまう。とは言えこの料理は、煮込みの時間が指定の数字まで到達すれば「はい、終わり」というわけではなく、残った材料を加え更に煮込む必要があった。鍋に入れなかったセロリの茎とカブを加えて更に十五分。五徳の中でゆらゆらと揺れる炎を眺めながら牛すじ肉が柔らかくなるのを待つ。

「そろそろ良いかな?」

 鍋の蓋を開く度、閉じ込められた蒸気と香りが顔を撫でてから部屋に広がっていく。口の中に溜まる唾を飲み込むことで押さえ込んでいる食欲は、早くこの鍋の中身を口に運べと先程から必死に訴えかけている状態だ。レードルでゆっくりと鍋の中身をかき混ぜてからコンロの火を止め食器棚を開ける。

「……これ、使っちゃおう」

 いつもなら使わないお皿。使用したのはたった一度だけのシンプルなそれは、付き合っている男性が一緒に選んでくれたペアのもの。

 少し深めな白磁の食器は、縁にポイントとして小さな図柄が描かれている。モチーフの植物はブルースターとクローバーの二種類で、金のラインで描画されたシンプルなイラストは同シリーズの食器全てにあるシンボルマークらしい。

 本当ならば二つで一つのワンセット。並べられるときは常に対になるようにそれを置きたいと今でも思っている。

 しかし、今この部屋にいるのは一人きり。必要な食器も二つの内の一つだけ。

 取り出した一組の食器の内、大皿に作ったポトフを流し込む。小皿には野菜室で眠りかけていたレタスで作る簡単なサラダ。さっと水洗いした葉をキッチンペーパーで水切りした後、見栄え良く盛り付け、水菜と細切りにした人参、スライスしたタマネギを添えて上からクルトンを振りかける。冷蔵庫の中に入れっぱなしのイタリアンドレッシングをかければそれなりに様になった様な気がして浮かぶ笑み。

 平皿には昨日立ち寄ったパン屋にて購入した、小さなロールパンを二つ。大皿の中で浮かぶポトフの具材の向きを調整して、上から粗挽きコショウとパセリを振りかけてから、それらをテーブルの上に並べていく。

 ランチマットを敷いて、メインを真ん中に。左手前にパンを置き、奥にサラダを配置して。右側にはカットグラスに注いだ冷たい麦茶を置いたら最後は銀食器を右側に置いたナフキンの上に配置する。

「あ。マスタード」

 「いただききます」と言う前に、思い出したマスタード。それをを取りに一度キッチンへと戻ることにする。冷蔵庫から取り出されたのは小さな小瓶の粒マスタードで。湯気を立てる料理の前に前に立つと、瓶の蓋を開け、中身をカラシスプーンでひと掬いしてから、皿の縁にそっと添える。

「……出来……た」

 テーブルの上に並べられた少しだけ豪華な料理達。中には特売品やおつとめ品などで価格の安くなった材料も混ざってはいるのだが、それが分からない見た目に仕上がった出来映えは見るだけで満足という感情を与えてくれる。

「そうだ」

 折角だからと記念に一枚。鞄からスマートフォンを取り出すと、カメラアプリを起動させ画面をタップし成果物を撮影してみる。角度を探し、光量を変え、一番美味しそうに見える一枚を探して何回も切るシャッター。

「……ふぅ」

 突然始まった撮影会は、画像フォルダに十数枚のデータを作成したところで漸く終了。手を洗ってからやっと訪れた「いただきます」の頃には、美味しそうに湯気を立てていたポトフの熱はすっかり逃げており、スープから外に出てしまっている具材の表面がすっかり冷めてしまっていた。

 一人の食事。目の前には空っぽの席。リビングへと続く広い空間はがらんとしていてやけに静かだ。電気をつけていないため、向こう側だけとても寂しくて。こちらの部屋が明るければ明るいほど、目の前に広がる暗がりに感じる溝は大きくなってしまう。それに耐えられず席を立つと、リビングの電気を付けるべく手を伸ばすスイッチ。小さな音を立てて灯る明かりにより一瞬にして霧散していく黒い闇。明るい部屋に現れた黒い画面の大きな機械に目が止まり、ガラス張りのローテーブルの上に置かれていたリモコンを手繰り寄せると、電源ボタンを押して眠っていたそれを起動させる。赤外線で飛ばされた信号がテレビ側に受信されたと同時に電源ランプの色は赤から緑へ。暫くすると真っ黒だったそこに現在放送されているテレビ番組の映像が映し出された。

 音があるだけで変わる雰囲気というものは確かにあるらしい。

 あれほど重く感じていた空気が、今は随分と軽くなったと感じていることに、自分自身が一番驚いた。再び席に戻り冷めてしまった夕飯を口に運ぶと、先ほどよりも冷たくなってしまったスープが舌の上で転がる。

「…………」

 一瞬だけ、どうしようかと考えてしまう。

 暖めるのは面倒臭い。

 そう思いはしても、この料理に関しては温かい方が美味しいのは間違い無い。天秤に掛けるのは二つの選択肢。手間を取るか気持ちの充足を取るか。結局傾いた方はと言うと、気持ちの充足の方で。小さく溜息を吐きながら席を立つと、ポトフの入った皿を持ってキッチンへと逆戻り。

 ワークトップに皿を置きラップをかけてからレンジを開ける。ターンテーブルの中央にそれを配置してからセットする時間。レンジ出力でワット数を設定し、何分間稼働させるかをモニターで確認した後、スタートキーを押して暫し待つ。明かりの灯る小さな機械の中で回り続ける白いお皿。余りじっくり見るものでは無いと分かってはいても、やることがないためどうしても視線はそれに向かってしまう。カウントされていくデジタル数字は少しずつ数の単位を減らしていく。表示された数字と同じ音を呟いていると、最後の数字の音が消えるのと同時に加熱終了音が機械から流れた。

 ハンドルに手を掛けドアを開けば、ラッチが外れて中から熱が逃げ出してくる。白い皿に掛けられたラップは、膨張した空気が圧縮されることでぴったりと密着してしまい剥がしにくくなってしまっていて。熱の逃げ道を失ったことにより、皿全体が熱くなりすぎて素手で取り出すことは出来なくなってしまっていた。仕方なしにミトンを手に嵌め慎重に皿を取り出す。厚手の生地越しだというのに、指に伝わる温度は随分と熱くて痛い。ワークトップに移動させた皿の背面にまで回り込んでしまった透明なフィルムを爪先で突くようにして慎重に剥がしていくと、閉じ込められた熱気が一気に外へと逃げ出していく。一度皿の中に空気が入ってしまえば、後は比較的楽に剥がせると思っていたのに、濡れてしまったフィルムはしつこく皿にくっついたままで。やっとの思いでそれを剥がし追えた頃には、ラップに付いていた水分のせいで、皿の下に小さな水たまりが出来てしまっていた。

「…………」

 本当に些細なことで一喜一憂。再びミトンを手に嵌めると、まだ熱の籠もる皿を持ってテーブルへと戻る。再配置された食事の並びは、写真に収めたときよりも貧相なものになっていてもう一度溜息。食べかけの状態で席を立っているのだから、盛りつけは崩れ、内容量は中途半端。仕方が無いと分かっていてもやっぱりそれはみっともない。若干食欲は失せかけたけれど、食べるために用意したものをそのまま廃棄するのは心が痛む。しょうがないなんて自分に言い聞かせて席に着くと、再び食事という行為を再会させた。

 鮮度の落ちたサラダは口に運ぶ度歯ごたえを感じられず。イタリアンドレッシングのしつこさだけが口の中に広がっていく。温めすぎたポトフにしたって軽く口に含んだ瞬間、熱を持ちすぎた具材が上顎に辺りそこの皮が捲れて火傷になってしまった。舌先も軽く焼いてしまったのかヒリヒリと痛みを訴えるし、パンも少しぱさついていて飲み込む度に喉が小さな痛みを訴える。本来ならば楽しい食事という時間は、今の自分にとってただの拷問にしか感じられない。それでも空腹を訴える身体にとっては食べ物が入ると言うことが嬉しいのか、喉を通る食材が胃に落ちる度それは美味いものなのだという信号を脳に送るのが恨めしい。

 いつの間にか皿の中身は一切れの牛すじ肉だけに。残ったスープをスプーンで掬うと、最後の一かけをその上に乗せてゆっくりと口の中へと運び込む。しっかりと煮込まれたそれは口の中で咀嚼する度溶けるように居なくなり、一緒に含んだスープの味と絡みながら胃の中へと消えていった。

「……ごちそう……さま……」

 小さな音を立てて皿の上に置かれた銀食器。目の前で両手を合わせ誰に言うでもない言葉を呟いてから席を立つ。後に残っているのは使った食器を片付けること。使用済みのそれを一つにまとまるように重ね合わせてからシンクに放り込み、濡らした台拭きを持ってテーブルの前に立つ。四つ折りに畳んだ布で大きく一往復。場所を変えて更に一往復。テーブルの端から端までその行動を繰り返し、畳む方向を変えて同じ行為をもう一度繰り返す。

 テーブルを拭き終わったらシンクの中に放り込んだ食器を片付ける行動へと移る。蛇口を捻ると勢いよく飛び出す水が、重ね合わせた食器に跳ねてシンクの中で飛び散っていく。水圧を調節し全体を濡らしたところで水を止め、濡らしたスポンジに食器用洗剤付け、馴染ませるように数回揉む。指を動かす度に少しずつ大きくなる泡は、柑橘系の匂いを放ちながら小さく弾けて消えていく。十分泡だったところで重ね合わせた食器を一つずつ洗い、指で滑りが無いかを確かめながら丁寧にそれを水で濯いでいく。

 一つ、二つ。汚れの落ちた食器が水切り籠に増える度、シンクの中から濯ぎ待ちの食器は減っていく。最後に残ったグラスについた泡を水で注いだら後片付けは完了。シンクについた汚れを軽く洗い流し、水滴を簡単に拭ったらもうやることは無くなってしまった。

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